>>616
いやいやいや、毎度毎度、都合悪い所はスルーして、必死に捏造曲解に狂奔なさられようとして
おられるかのように思われますが、
普通に兵力的には武田勢三万が参戦してきた事により、織田側は兵力的にも余裕がなくなり、
信長公記にも「方々手ふさがり」としっかり書かれているのが実情なわけですしねえ。

実際問題としては、上記のような感じで織田側は兵力に余裕がなく、
長篠でも北陸の抑えを動員しても兵力三万余、長篠の後で勢いにのって織田家オールスターで
越前に侵攻した時も兵力三万余、とされておりますので、
当時の織田が武田に向けられる主力兵力はおよそ多めに考慮しましても三万余かと。
(各地に守備兵を考慮すれば、もっと減少する可能性もあり。)
で、武田勢の侵攻に関しては信長自身が警戒しまくっており、
「謙信が武田領土の背後に侵攻してくれるなら、武田勢の圧力が減少するから、
その間に上洛して存分にしたい。」とか述べたりしてますかねえ。
で、武田側は1573年5月から、朝倉・長島と連携して美濃に侵攻する計画を立てており、
こうなりますと、武田勢が三万近く、朝倉浅井が2万余、長島が数万、と三方向から
織田主力三万いるかいないかのいる美濃に攻め込む事になり、
織田主力が武田に向かえば武田は守りを固め、朝倉・長島がそれぞれのルートから侵攻を進め、
織田主力が朝倉に向かえば、武田・長島が侵攻、長島に向かえばry、という感じで
非常に包囲網側に有利な戦略的状況ですし、足利・本願寺をはじめとする畿内勢も蜂起する予定ですので、
織田は非常に苦境になる事が想定されるわけでございますしねえ。