観世小次郎が、将軍徳川秀忠の殿中において初めて猿楽を仕った時のことである。
この時、ワキを務めたのはは高安彦太郎といって、その頃名高きものであった。

この日、ワキの見所はなく、ただ小次郎の様子がいかにも優れているように見えたため、
見物の者達からは「藝は上手に収まるというが、この事だ。さすがの彦太郎も
小次郎に気圧されて見る影もない。」と囁き合った。

ところが秀忠は、猿楽が全て終わった後このように評した

「私は、彦太郎が名人だということを、今日こそは知った。
何故なら、小次郎は今日はじめて藝を見せるので、彦太郎はそれがしやすいように構えて、
己の藝をあえて抑えていた。これは上手の更に上であり、並々の者に出来ることではない、
格別の技である。

小次郎もさすが幕閑の子らしく、よく演じた。」

(明良洪範)

徳川秀忠が藝について語ったお話。