戦国ちょっといい話40
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0001人間七七四年
2014/05/20(火) 09:20:33.70ID:mfECj0EZ戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1388212891/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話39
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1397633133/
【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0040人間七七四年
2014/05/30(金) 19:44:46.75ID:QA3YBDljだったから、表立って宗茂が戦いに出るのはまずいって小野和泉が代わりに
戦ったんだよなあ
0041人間七七四年
2014/05/30(金) 19:53:42.42ID:86xlVFgA鍋島と立花は揉めたらダメ
なぜなら九州は修羅の国だから(笑)
0042人間七七四年
2014/05/31(土) 14:19:48.91ID:CcsG86Lwその後、二千石になって部将となる。
さらにその後、覚兵衛は清正の命に背くことがあって浪人し、
伏見に退居して草鞋や馬踏などを作って生計とした。
福島正則は以前から覚兵衛の武勇を知っていたので四千石で彼を
招くも、覚兵衛は正則に仕えなかった。その後、たびたび正則方から
使いが来た時、覚兵衛は答えて、
「それがしは清正の不興を蒙り、このように浪士の身となりましたが
二君に仕える心はありません。今にも清正が出陣するような時には
一番に馳せて付き従い、清正の馬前で討死いたす覚悟です」
と、言った。正則はこれを聞いて深く心を動かされ、さっそく清正に
その事を語ったので、清正はやがて覚兵衛を呼び戻して元の通りに
二千石を与えた。覚兵衛はその後、たびたびの武功によって六千石
にまでなった。
――『明良洪範続編』
0043人間七七四年
2014/05/31(土) 15:22:46.54ID:mCFaeIof0044人間七七四年
2014/05/31(土) 21:11:36.50ID:8zryTt9M「江戸において観世太夫に謡を習ってきた。観世太夫は、私の謡がとても良いと殊更褒めてくれた。
そこで、お前たちに歌って聞かせたいと思う。」
と、柏崎の一節を歌った。家老やその他の士はこれを聞くと皆、音曲の面白きことを褒め称えた。
ところが、毛利但馬だけは少しも褒めず、どころか頻りと落涙していた。長政はこれを怪しんで、
「但馬はどうして泣いているのか」
と聞いた。但馬はこれに
「鉢を開く(托鉢をすること。転じて乞食をすること)事になる悲しさに、泣いているのです。」
と答えた。
長政は「それはどういうことか?」と尋ねると、
「私が泣いたのは、殿の謡に感動したわけでは断じてありません!
よくよく聞いてみてください。殿の謡は節、拍子も間違っており、さらに面白くもなんともありません!
(我等泣申候事、更に御うたひを感じ申にては御座なく候。
能々御聞候へ。殿の御うたひ、節、拍子もちがいたる様にて、更に面白くも御座なく候。)
観世太夫が褒めたというのは、殿は大名でありますから、御意に入ろうとするためか、又は当座の挨拶として
褒めたのです。
それをまことの事だと思うべきではありません!
それなのにこの御列座の者共は、当家にては歴々の臣下であり、善悪共に正直に物を言い、殿を諌めるべき
者共であるのに、今、天下が無事となり面々の身の上も良くなって、保身ばかり考え、武勇も忠節も
忘れへつらいばかりを申している!
このように君は昏く臣下のへつらいを好み、臣下は君にへつらって忠を忘れ、腰が抜け、御用に立たなくなって
しまった以上、御家は滅亡し、私も浪人となり鉢を開いて生きていくことに成るでしょう。
その悲しさに泣いたのです!」
長政はこれを着いてたちまち興の冷めた顔となり、奥に行ってしまった。
列座の家老たちは「但馬は軽はずみなことを言ってしまった。」と、彼を叱りつけた。
しばらくして長政が、奥より脇差しを一腰持って出てきた。これを見た一同は
『長政様は怒って但馬を斬るために脇差しを持ちだしたのだ!』
と恐怖した。
ところが、長政は但馬の傍に座ると、感涙を流し
「汝が只今の諫言、私のためにおいて甚だ忠節であると思った。父・如水公が蘇って仰られたとしても、
これ以上の諫言はなかったであろう。感悦の至である。それにより、この脇差しを褒美として与える。」
と言ったのである。
(黒田家譜)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2037.html
こちらで既出ですが、出典などが無かったので、詳しいバージョンということで。
0045人間七七四年
2014/05/31(土) 22:06:57.86ID:rBlRcv3Cこれ言い方がきっついけど長政とお家を心配してるから許されてるんだろうなw
0046人間七七四年
2014/05/31(土) 22:15:06.03ID:o8pEomZt0047人間七七四年
2014/05/31(土) 23:14:47.69ID:7dCdP+Rz0048人間七七四年
2014/05/31(土) 23:23:11.73ID:/QKZq8XW0049人間七七四年
2014/06/01(日) 00:35:16.98ID:iyZcRjC20050人間七七四年
2014/06/01(日) 01:04:11.80ID:v8C0BWn+0051人間七七四年
2014/06/01(日) 01:28:50.48ID:mrXMJj300052人間七七四年
2014/06/01(日) 01:33:08.36ID:X5B7lJCD0053人間七七四年
2014/06/01(日) 01:42:04.87ID:lIJDTgVk「長政とは違って下手じゃないので」
0054人間七七四年
2014/06/01(日) 02:15:07.31ID:VS/050wnよく官兵衛の野望を見抜けず阻んだって言われてるけど、
関ヶ原の時点で親の庇護を脱して自分の足で生きてくって決意してたから自分で手柄立てて最善を尽くしたんじゃないのか
0055人間七七四年
2014/06/01(日) 05:20:07.72ID:ep0TcIJC0056人間七七四年
2014/06/01(日) 11:43:16.22ID:0qWw9ecGだいたい!、官兵衛が狙い通り天下奪取に成功しても、そのあと秀吉や家康以上に「うまくやれる」とは思えないよ。
0057人間七七四年
2014/06/01(日) 11:45:15.94ID:+UuoJmDB0059人間七七四年
2014/06/01(日) 13:45:12.03ID:dqbyhizp「兵法などは習っても無益だぞ。
戦場では、目を瞑ってでも、一足でも、敵方へ踏み込んで討つようでないと、役には立たない」
と言っていた。
弥永佐助も似たようなことを言っていた 【葉隠】
0060人間七七四年
2014/06/01(日) 17:47:27.52ID:qH+TuziZ0061人間七七四年
2014/06/01(日) 20:43:32.56ID:6mUbps39読んでみるとなかなか面白いぞ
0063人間七七四年
2014/06/02(月) 00:21:02.60ID:puKI2+3V0064人間七七四年
2014/06/02(月) 00:27:39.64ID:VCD0XFdH0065人間七七四年
2014/06/02(月) 01:01:37.16ID:qvJCAb4L葉隠には降伏後の開城和睦破りの方法が書いてあるし、
新城主が入ってから旧主を国に戻す方法までもが書いてあるw
戦術と戦略は語ってるんだよね
和睦破りの方法とか書いてるから焼いて欲しかったんだろうな
0066人間七七四年
2014/06/02(月) 01:09:15.67ID:5iWkicFr0067人間七七四年
2014/06/02(月) 02:46:35.31ID:puKI2+3Vメルカトル図法でも北のヨーロッパの方が小さいんだから、現実では中国>>>ヨーロッパだよ。
というか日本でさえイギリスの二倍くらいの面積あるんだから。
0068人間七七四年
2014/06/02(月) 09:01:40.62ID:I1vq6IaVでも始皇帝の前に商鞅が居なかったらもっと統一は遅れてるような気もするが
0069人間七七四年
2014/06/02(月) 09:42:39.86ID:gxXuGcsJ0070人間七七四年
2014/06/02(月) 21:10:37.77ID:TMq+qp0i片倉小十郎景綱が幼女をたすけた話(政宗はでてきません)
「高玉合戦の際、いよいよ落城というときになって高玉太郎左衛門は妻子を殺そうとした。
しかし乳母が必死にいうので、生まれ年三歳の女児を抱いて脱出させた。
すぐに略奪にあい、乳母は切られたが、女児を下に敷き、ふせて倒れた。
夜になって軍がひきあげたところ、傷が浅かったので乳母はおきあがり、高倉近江の処へ駆け込み、
助けを求めた。
近江はかくまって何か問題があると困ると思い、片倉小十郎景綱に詳細を告げた。
小十郎は「一度切られた者であるから、助けましょう。
もし政宗から尋ねられたら、御前でのことは私がどうにかしましょう」と言った。
助けられた女児は成長後蒲生源左衛門家中の妻となったと聞いた。」
by 伊達成実『成実記』他
後世に書かれた『治家記録』では、近江が男児を女児であると誤魔化したとあり、
成長後新左衛門と名乗った男児だったと記されている。
どっちかわからん。
0071人間七七四年
2014/06/02(月) 22:35:45.49ID:7QTempDG「森蘭丸の兄で信長からは多少の罪があっても許される程愛され秀吉や家康をも恐れさせ、
近年の戦国ファンからは伊達政宗や細川忠興と同じくらいの評価を受けてる武将」
って言えばOKですかね?
0072人間七七四年
2014/06/02(月) 22:54:46.88ID:iREklhN7チェリーピッキングとは、以前ソメイヨシノの韓国起源説の事を書いたときにも少し取り上げましたが、複数の情報元の中から自身に都合のいいもののみを取り上げ或いは更にそこから部分的に改変し、内容を再構築して本来の意味とは全く別の内容にしてしまう詭弁です。
語源はさくらんぼの熟した部分のみをより分ける、或いは抓み食いする行為から。
0073人間七七四年
2014/06/02(月) 23:12:39.54ID:qvJCAb4L0076人間七七四年
2014/06/03(火) 00:32:23.45ID:Bg+hURHI0077人間七七四年
2014/06/03(火) 09:21:58.39ID:VVbkRbHlというか椿は春にさきがけて咲く花だから武士のイメージもっとあってもよさげ
椿は花が丸ごと散るから首が落ちることを連想して戦場では避けられたって俗説があるけど、
Wikipediaによると根拠のない俗説で椿自体は職分にかかわらず人気は高かったみたい
0078人間七七四年
2014/06/03(火) 09:58:20.47ID:upVIkkCR0080人間七七四年
2014/06/03(火) 21:14:22.74ID:HqctO1nh0081人間七七四年
2014/06/04(水) 00:15:10.68ID:kjB8zATs0082人間七七四年
2014/06/04(水) 19:54:47.23ID:8o5FeML3秩父の小鹿野町に、権現堂原と呼ばれる丘がある。
元はここに東国寺という、大きな修験道場があったと言われているが、
永禄12年、甲斐の武田軍が秩父に侵入し、寺社に対して焼き打ちを行った際に、
東国寺も戦火に遭い、幻の寺となってしまった。
村人たちは、燃え上がる東国寺をただ唖然と見つめているしかなかった。
その焼き打ちの際、武田軍の「風林火山」の旗にも火が燃え移りそうになったので、
近くの池に旗を浸してはまた旗を押し立てていたという。
寺を焼いて勢いづいた武田軍であったが、寺の焼け跡に立ち尽くす村人たちを見ると、
流石に気がとがめた。
そこで武田軍は、
「武田の天下になった時には、必ず立派な寺を立ててやろう。その証だ。」
と言って幟旗を池のほとりに埋めて立ち去ったという。この旗を埋めた塚は「旗塚」と呼ばれるようになった。
その当時、秩父を治めていた鉢形城主・北条氏邦は信仰心に厚く、寺社の修理や再建を行っていた。
この氏邦には東国丸という名の息子がいたが、惜しくも早死してしまった。
息子を失って嘆き悲しんでいた氏邦は、同じ名前を持つ東国寺が焼き払われたと聞き、
今の寄居町(鉢形城下)へ再建し、下吉田赤柴の金剛院4世・酒雲全伯和尚を招いて、東国丸の冥福を祈ったという。
「秩父の伝説」
0083人間七七四年
2014/06/05(木) 07:06:50.75ID:dNlZtKzI0084人間七七四年
2014/06/05(木) 10:12:45.86ID:hAmTCFwShttp://i.imgur.com/ptVOEXx.jpg
http://i.imgur.com/g0ds8UT.jpg
http://i.imgur.com/a5GMGhc.jpg
0085人間七七四年
2014/06/05(木) 16:25:19.08ID:8lLDvrMJ北条地黄八幡の旗を見れば上杉軍も身構えるだろ
0086人間七七四年
2014/06/06(金) 05:23:21.59ID:WQc45Zw+数人見舞いとして訪問し、そのまま晩の料理が出た。
この前にある方より川鱸が贈られていたので、長政はこれを見て、「見事な魚を贈ってくれた」と、
料理人を召し、「この魚を今晩の料理にして客人たちを饗し、その余りはよくよく塩に浸け置いて、
船中で用いる料理にせよ」と仰せ付けた。
座中の人々はこれを聞くと、「大名に似合わぬ、吝嗇なことを仰せに成るものだ」と思った、
さて、晩食も過ぎて長政は一人、奥の間に入っていた所、御代官衆の一人が参り、密かに申し上げた
「私は先年、御代官所の勘定が不足し、もはや身上滅亡しか無い、という時に、貴方様から
金子をお貸しいただけたたため、勘定滞り無く相整い、身上も安堵いたしました。誠に
ご厚恩であると考えています。しかしその後とやかくとしてしまい、金子の返納も今まで
引き延べにしてしまいましたが、ただ今ここに、ご持参いたしました。」
そうして懐中より金子を取り出し、長政の前に差し置いた。長政はこの話を聞いて
「さてさて、貴殿は愚かなる人ですな。この長政の身上で、その程度の金子を取ったからといって
どれほどの役に立つでしょうか?しかし貴殿の身上では、この程度であっても、ひとかどの助けに
なるでしょう。
あなたは久しき友人であるのだから、身上が難儀に及ぶのを気の毒に思い、先の金子によって
勘定の不足を償っていただいたのです。ですから元より、返納していただくなど考えもしませんでした。
ですが、初めから差し上げると言ったならば、あなたも受け取りにくいと思い、あえて借用として
受け取っていただいたのです。ですのでこれは、早々にお持ち帰られよ。」
この言葉に代官は涙を流しその深志を忝なく思った。
長政がその後次の間に出た所、そこに居た人々は障子越しに、先の代官との事をほのかに聞いていて、
このように言った
「先程、鱸の余りを塩に着けおけと仰られた時は、あまりに吝嗇なことだと思いました。
ところがただいま、大分の金子をお受け取りにならなかった事、これらは大いに違っていますね」
長政これに
「それはあなた方の心得違いです。この長政の台所にも魚はいくらでもあり、少しも事欠くわけではありません。
先ほどの鱸は人の志にて贈られたものです。それ故今日のもてなしに用いたその余りを、塩に着け
船中に持って行かせ、何度も少しずつ料理に用いれば、それを食すたびに贈ってくれた人の志を
思い出して、少しの恩恵であっても忘れないためなのです。決して魚を惜しんでそうしたのではありません。
また、某の持参した金子を受容しなかったのは、先年、彼の生涯の一大事を救うために遣わした金子ですから、
その時から返納を望む気はありませんでした。私が平生倹約を専らにするのも、ああいう人の難儀を
救うためでもありますから、たとえ大文の金銀であっても、分に叶う限りは惜しむべきではありません。
その上、彼は一旦先の金子によって勘定の不足を補填しましたが、きっと自分の財貨もその勘定のために
用い尽くしたはずですから、それ以後自身は困窮していると推察します。そんな所に、今身上に過分なる
金子を返納のためといって出してしまっては、いよいよ困窮の度が増してしまいます。
そうなっては先に金子を貸した心入も無益なことになります。だからこそ、あの金子を受け取らなかったのです。
総じて倹約というものは、少しの費えもいとい、用に立つものは高額になっても惜しまず用いる事こそ、
道理に叶うのです。あなた方も、そのように心得られるべきです。」
これに満座の人々、さても名将のお心持ちは格別のことだと、各々感服したそうである。
(黒田家譜)
0087人間七七四年
2014/06/06(金) 06:16:45.13ID:HiHhG8ed0088人間七七四年
2014/06/06(金) 09:23:10.51ID:dGCBqO3V如水と日根野さんの逸話そっくりだなほんと
0089人間七七四年
2014/06/06(金) 12:21:12.29ID:luexEAcD0090人間七七四年
2014/06/06(金) 12:45:03.52ID:mJMqus830091人間七七四年
2014/06/06(金) 15:06:03.14ID:/uQ6tiSR0092人間七七四年
2014/06/06(金) 16:01:40.73ID:01lZ0Ze50093人間七七四年
2014/06/06(金) 19:32:17.31ID:9fNhDHhT0094人間七七四年
2014/06/08(日) 19:10:40.55ID:z+Y76WGw両刀を帯び、正座して思念を凝らしていた。
「帯を解いてくつろいで、平臥などしていては、思慮が放漫に流れて、
重大事案の勘考は成るものではない。」
そのように人に語っていたそうである。
(西島八兵衛留書)
0095人間七七四年
2014/06/08(日) 23:19:34.27ID:+gRhQzS30096人間七七四年
2014/06/09(月) 12:52:17.63ID:U5Pf77D7若いときの無茶飲みとかね
0097人間七七四年
2014/06/09(月) 23:43:51.66ID:A9aeiAEM0098人間七七四年
2014/06/10(火) 00:08:34.42ID:Xe1ie4AI0099人間七七四年
2014/06/10(火) 00:17:33.25ID:2n7CF6eh武田は家康にババ漏らさせたから神格化されてもいいけど、長宗我部も残って無かったよね
0101人間七七四年
2014/06/10(火) 01:36:02.13ID:cE66Xx8D元々の一門・譜代は毛利家に引き上げているから、隆景のいい話が伝わっているのかなぁ。
0102人間七七四年
2014/06/10(火) 01:48:21.20ID:Vi4Wh5hA0103人間七七四年
2014/06/10(火) 01:53:07.85ID:124LvAcB0105人間七七四年
2014/06/10(火) 04:20:01.65ID:8OXkcZh00106人間七七四年
2014/06/10(火) 08:58:49.23ID:P/HIkA3+秀就が毛利宗家への支藩の統制強めようとして、それに吉川や長府毛利が反発して独立騒動まで起こって、
この時の関係悪化が、毛利の方では後に関ヶ原の時まで遡らせて理屈付けされちゃう。
0107人間七七四年
2014/06/10(火) 09:50:26.03ID:71UMl7bS0108人間七七四年
2014/06/10(火) 18:42:03.62ID:3SWQ1Lw8召し出されて若狭守といい、剃髪して覚斎と号す。十郎は物語って、
「只今などに何事かでもあれば、それがしなどは弁慶くらいの働きさえも
することであろう。その理由は、それがしは年寄って命が惜しくないからだ。
一日も早く死にたいだけである。この心ならば比類の無い働きさえもする
ことであろう」
と笑ったそうである。
――『武功雑記』
0109人間七七四年
2014/06/10(火) 19:18:57.95ID:XRjFCw+N小早川家自体は秀秋死後に断絶して、江戸時代は消滅状態で明治に毛利から養子入れて復活したんじゃなかったっけ?
秀秋存命時代に毛利宗家と仲が悪かったって事?
0110人間七七四年
2014/06/10(火) 21:25:18.37ID:P/HIkA3+それに出席する会衆は、家老の他、思慮があり談合の相手に良き者、また主君の為をとりわけ思う者、
そういった人々で、5〜7名以上にはならなかった。
その物語のやりようは、他の人々を退けて、先ず長政がこう発言する
「今夜は何事を言ったとしても、重ねて意趣に残してはならない。また、他言してはならない。もちろん
この場で腹を立ててはならない。思っていることは、必ず発言を控えてはならない。」
このように誓言すると、一座の者も残らず、同じ誓言をする。
その後一座の者達は、長政の身の上の悪しきこと、諸士への対応や国中の仕置の道理に違っていること、
何れも底意を残さず語った。
あるいは過ちあって出仕を止められ、又は扶助を離れた者の詫び言、その他何事であっても、通常では
言いにくいことを言った。
また家老の間、傍輩の間に心にかかる事があり、それを言いたく思っても、もし相手の受け取りようが
悪ければ遺恨になり、そうなっては主君の為にも宜しからざる事だと遠慮して控えていたことも、
心に思うことを、相共に残さず言い合い、互いに心底に滞らないようにした。誠に心の底からの
議論である。
その場でもし、長政に少しでも怒るような雰囲気が見られると、他の者達は
「おやおやこれは一体どういうことですか!怒り給えるように見えますぞ!」
と申し上げる。すると長政は
「いやいや、心中には少しも怒りはない!」
と、顔色を和らげるのだ。
上下ともに、悪しき事は繰り返し、幾度も合点の行くように、互いの心を残さず言い出すので、
甚だ益のある会合と成るのである。
この会は、何日の夜という決まりがあるわけではなく、長政が思いついた時に、
「今夜は例の腹立たずの会をするぞ。会衆を呼ぶように。」
と、俄に申し付けるのである。長政もこの会合を甚だ益あるものだと考えていたため、逝去の前、
息子忠之への遺言の中にも
『我等致来候様に、異見会の儀、毎月一度釈迦の間にて催可被申候』
と書き置かせたのである。
(黒田家譜)
黒田長政の『腹立たずの会』についての記録である。
0111人間七七四年
2014/06/10(火) 21:26:55.11ID:dlkF3Qhg0112人間七七四年
2014/06/10(火) 22:17:36.48ID:PX050qQT>「おやおやこれは一体どういうことですか!怒り給えるように見えますぞ!」
ここが煽るようで腹立つなw
0114人間七七四年
2014/06/11(水) 01:28:12.69ID:/XylVbSE0115人間七七四年
2014/06/11(水) 05:15:14.59ID:aMrST7fsなにこの煽っていくスタイル
0116人間七七四年
2014/06/11(水) 07:48:54.43ID:O77Snhyu広家は終始、輝元を主君として尊重してる。
秀秋は秀吉死後には、毛利から貰った嫁を離縁したりして関係自体は切れてる感じ。
0118人間七七四年
2014/06/11(水) 10:53:04.32ID:Vi8l3I0T0120人間七七四年
2014/06/11(水) 20:19:27.82ID:XvoYaYGZ__ _,, -ー ,, / ⌒ ⌒ 丶| おやおやこれは一体どういうことですか!
(/ "つ`..,: (●) (●) 丶 怒り給えるように見えますぞ!
:/ :::::i:. ミ (_●_ ) |
:i ─::!,, ハッ ミ 、 |∪| 、彡____
ヽ.....::::::::: ::::ij(_::● ハッ / ヽノ ___/
r " .r ミノ~. ハッ 〉 /\ 丶
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:`.| ::::| :::|_: /⌒_)
:.,' ::( :::}: } ヘ /
:i `.-‐" J´ ((
0121人間七七四年
2014/06/12(木) 17:08:24.61ID:VJRjT6Db0122人間七七四年
2014/06/12(木) 17:53:06.52ID:5z/NxK9u0123人間七七四年
2014/06/12(木) 18:13:23.53ID:YFPK8zkC0124人間七七四年
2014/06/12(木) 18:33:54.08ID:VJRjT6Db0125人間七七四年
2014/06/12(木) 20:09:50.29ID:fE22LjaL途中から恒例のロシアンルーレット酒宴に移行する島津家
参加者からお1人様、当主の深夜個人レッスン(むしろコレがメイン)が待ってる大内家
大乱闘スマッシュmikawa's発展の徳川家(浜松時代)
議長の説教だけで9割9分が終わる毛利家(元就時代)
ブラック企業もビックリ吊るし上げ織田家
0126人間七七四年
2014/06/12(木) 21:18:57.40ID:NWxk2prC不平不満を述べた奴をきっちり覚えておいて後日、東郷重位をデリバリー。
0128人間七七四年
2014/06/12(木) 23:00:17.12ID:BMAorBTt0130人間七七四年
2014/06/13(金) 10:27:11.24ID:pNswNdi70131人間七七四年
2014/06/14(土) 00:02:15.14ID:xjLwZ/tj用件を聞こうか・・・
0132人間七七四年
2014/06/14(土) 16:04:01.80ID:bFC8NySHその時、秀頼公が大坂城から神君の御在所の二条の城へ行く途中、
加藤清正と浅野長政とが高股立ちの姿で秀頼公の乗輿の左右に付いた。
二条の城から御迎いとして神君の御子息の義直卿、頼宣卿の御両人が
途中まで出られたのだが、日傘を使っておられたのを清正は見て、
「無礼です。その日傘をお止めなさい」と言って止めさせた。
当時、神君の御威勢に向かってそんな事を申す者が他に誰がいるだろうか。
万一申す者がいるとしても両卿がどうしてその言葉に従いなさるだろうか。
清正だからこそ、そのような事をも申し、両卿もその言葉に従いなさって
日傘を止められたのである。
この一事で清正が尋常ではないことを万事察知できる。
だからこそ、神君も常に清正を御褒めになったのである。
――『明良洪範続編』
0133人間七七四年
2014/06/14(土) 16:44:56.69ID:Fbc8clkM0134人間七七四年
2014/06/14(土) 20:26:44.94ID:Nz+VFiolそこを実地検分し、「”おたぎ”とは何と書くのか?」と問うと、里の翁が
「仔細は知りませんが、昔より”小瀧”と書きます。」と答えた
出雲守はこれを聞いて「小を捨て大を取ると古人も言っている。前々はそうであっても
今からは”大瀧”と書くべし!」と申し付けた。このため領主の考えに従い
大瀧と書くようになった。在所の者達も、「確かに小より大が勝る」と言っているとか。
(慶長見聞集)
0135人間七七四年
2014/06/14(土) 20:33:30.53ID:MOyKLytE0137人間七七四年
2014/06/14(土) 23:29:51.97ID:PqZO9B7B息子の代に字を変えたのか
0138人間七七四年
2014/06/15(日) 00:46:36.05ID:c8509mK30139人間七七四年
2014/06/15(日) 00:53:55.56ID:6+OL2oYZ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています