>>835
実際に、池田輝政一族の皆殺しも主張し、さらに徳川家康まで連座しようとしていたからね。
ついでに、池田輝政と徳川家康の婚儀は、秀次を陥れる際に家康まで嵌めようとした罠で、
流石に本多正信に見破られたが、秀吉の命でどうにもならなかった。

なお、秀次事件の際に、この督姫の処遇が池田家処置の思いっきりネックになった。
石田三成が督姫ごと池田家の皆殺しを主張したのに対し、増田長盛が督姫を徳川家に
送り返そうとして、大揉めに揉め、最後は秀吉に池田恒興の恩を思い出させる猶予を
与えてしまった。