>>672
少なくとも、家康の増す一方の権勢を抑えなければ将来豊臣家の禍根となる、と豊臣家臣の
一部が考えるのが狂っていることとは思わないし、大義名分としては十分過ぎる。
また、上記の読みが正しかったことは歴史が証明している。

一番の問題は、家康が危険な状態になった時、その事態は容易に予想が出来たにも関わらず、
その事態に対する備えが全くなかったことだ。準備がなかった故、三成が立たねばならなかった。
そこに西軍の不幸があった。