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戦国ちょっといい話39

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0001人間七七四年2013/12/28(土) 15:41:31.69ID:m9sYieeK
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話38
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1377700193/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話38
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1386399929/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0404人間七七四年2014/02/19(水) 20:09:33.52ID:pFw0VTHk
まだ吉統登場してないのに既に罵倒が始まっている件
0405人間七七四年2014/02/19(水) 21:02:54.68ID:VIWRN4+1
「ゲェ!立花宗茂!」にならなくて良かったな。
0406人間七七四年2014/02/19(水) 21:21:08.91ID:/rYhpsZn
安定の吉統ディスり。黒田家譜はぶれない
0407人間七七四年2014/02/19(水) 22:10:09.50ID:UIPUBk/8
自分がやった悪事も全部大友がやった事にしとけばOKだ。
0408人間七七四年2014/02/19(水) 22:41:16.18ID:jVvDkbWD
知恵なき臆病者か。
つまりこの戦いは知恵と勇気で決まると。
0409人間七七四年2014/02/20(木) 01:10:47.25ID:wZinM8o6
>>403
治部頑張れ、勝たなくていいから粘れくらいじゃないかなw
0410人間七七四年2014/02/20(木) 06:40:34.44ID:cbil7jZC
仮に長期化したら天下取りの予定だったからな
関ヶ原が100日続けば第三勢力として挙兵し漁夫の利を得る算段だった、そう聞かされた際の長政の顔をご想像下さい
0411人間七七四年2014/02/20(木) 06:58:18.05ID:ZWzjOELx
黒田家譜をノンフィクションだと信じ込むと痛い人になれる気がする。
0412人間七七四年2014/02/20(木) 07:12:17.55ID:6iBT1qaC
>>411
どこの家譜もそうだけど自家贔屓と対立勢力の誹謗が入ってることを念頭において見なければならない
0413人間七七四年2014/02/20(木) 08:27:12.43ID:FHYBFlt+
誹謗混じりだとしても
三成について近い時代の評価が聞けるのはありがたい。
0414人間七七四年2014/02/20(木) 10:37:18.21ID:+JvkXSg2
黒田家譜は史料としてはともかく物語として読むには面白いからいいわ
0415人間七七四年2014/02/20(木) 13:51:04.18ID:T5Wxlqfu
黒田家譜の貝原益軒や日本外史の頼山陽みたいに
文才のある人物が書いたものは真偽は別として
とにかく面白いから伝搬力がすごい。
近代なら吉川英治の三国志。
張遼の「遼来来」なんか吉川の造語なのに
21世紀のゲームやアニメでも出てくるからね。
本場中国人が遼来来ってどういう意味だ?と首をかしげてたわ。
0416人間七七四年2014/02/20(木) 14:14:59.21ID:BmUXqrDb
実際使われた遼来遼来を遼来来にしたのが広まっただけじゃん
孫夫人の弓腰姫の方が完全なオリジナルな分影響力の指標にならないか
0417人間七七四年2014/02/20(木) 14:37:29.89ID:7vkze9SN
まーくんといい酒が飲めそうだなクロカン
0418人間七七四年2014/02/20(木) 15:53:22.89ID:UaFBONA8
吉川オリジナルというと
寿亭侯の印綬を返してきた関羽に「漢」寿亭侯の印綬にして渡したら喜んで受け取ったという話もそうらしいな
0419人間七七四年2014/02/20(木) 16:14:51.48ID:BmUXqrDb
それは単に李卓吾版「三国志演義」では「漢寿亭侯」=漢+寿亭侯と解釈してたから載っけてた話を
現在普及している毛宗崗版では「漢寿亭侯」=漢寿+亭侯と正しく認識してるから省いただけ
0420人間七七四年2014/02/20(木) 17:34:06.61ID:UaFBONA8
>>419
そうだったんか。すまん
0421人間七七四年2014/02/20(木) 23:40:49.49ID:ZWzjOELx
>>412
南部と津軽のを並べると凄いことになるな
0422人間七七四年2014/02/21(金) 06:11:38.07ID:sezvsa4b
元亀3年10月中旬、武田信玄による、徳川領三河。遠江への侵攻が始まった。
信玄は遠州只来、飯田の両城を落とし、さらに久能城へと進んだ時、家康方の侍対象の率いる
4千あまりの兵が三ケ野付近に現れた。

信玄は「あれを逃さぬように討ち取れ!」と命じた。家康方は武田軍の攻勢を見て引き上げようとしたが、
武田勢はこれを食い止めようとする。家康勢がまさに危機に陥った時、家康の侍大将、内藤三左衛門(信成)
という者が言った

「我が軍の総兵力8千のうち、ここにいるのは5千人だけで、家康公もご出陣されていない!
この状態では信玄のような名称に率いられた、3万あまりの大軍と合戦しても敗北は目に見えている。
もしここで敗れようものなら、残った家康公直属の部隊だけで、どうして信玄と戦うことが出来るだろうか!
ここのところは、なんとしても退却して浜松へ帰り、改めて一戦を遂げよう。その時には織田信長公の
加勢も期待できるだろう。8千の三河武者にそれを加えて、無二の一戦を遂げようではないか!」

しかし、そうは言っても既に戦闘は起こっており、内藤三左衛門もその場から引き上げることの出来かねる
状況であった。

その時、本多平八郎(忠勝)は25歳で、家康の下で度々巧妙をあげていたことで、おいおい武田の家にも
知られていたが、この平八郎が黒い鹿の角の前立てを飾った兜をつけて、身命を惜しまず敵と味方の
間に乗り入れ、無事に徳川勢を引き上げさせた。

その様子は、かつての甲州の足軽大将であった、原美濃守(虎胤)、横田備中(高松)、小幡山城(虎盛)、
多田淡路(満頼)、そして山本勘助の5人以後は、信玄の家中でも多く見られぬ武者振りであった。
家康の小身の家には過ぎた、本多平八郎の働きである。

そのうえ、三河武者は10人の内7,8人までは唐の頭(ヤクの毛)を兜につけていた。
これも家康には過ぎたものだというので、小杉右近助という信玄の旗本の近習が、歌に作って
見付坂(静岡県磐田市)に立てた。その歌は

『家康に過ぎたるものは二つあり 唐の頭に本多平八』

というものである。

(甲陽軍鑑)

有名な「家康に過ぎたるもの」の逸話である。
0423人間七七四年2014/02/21(金) 10:30:04.12ID:l2Tpa5dM
後には厭離穢土欣求浄土の旗を見ると甲州勢が逃げ出すようになるわけだから奢る風林火山も久しからずだな
0424人間七七四年2014/02/21(金) 15:04:23.94ID:VVpA5cFN
文禄元年、朝鮮陣の頃の話しである。
壱岐島の海辺に福島左衛門大夫正則、戸田民部少補氏繁、蜂須賀阿波守家政、生駒雅楽頭近世、長宗我部宮内少補元親の五大将が集まり
対馬への渡海について詮議していた。

この時、沖の方で鳥が飛び回っているのが見えたので
正則が「昔、本間孫四郎(南北朝期の武士)は沖の鳥を敵船へ射落としたそうだ。当世ではいかがであろう?」
と言ったところ、元親が「近代は昔と違い、弓の射手は少なくなりました。
しかし鉄砲ならば昔の射手に劣らぬ者がおりましょう」と答えた。

正則これを聞き「土佐の士には鉄砲の名人ありと伝え聞いています。いずれかを召して
あの鳥を撃たせて見せてくださいませんか?」と言い出した。
元親は「家中に鉄砲を撃つ者は数多いが、飛んでいる鳥を撃てる程の者は知りません」と断ったが
正則が「いやいや、たとえ外れたとしても苦しからず、ただ慰みに撃たせてみせてください」と重ねて言うので
元親はそれならば、と足軽の俵兵衛を呼び、あの鳥を撃ち落とせる者を呼んで来いと命じた。

すると俵兵衛「わざわざ人を呼ぶまでもありません。私にお命じ下さい。
常日頃飛ぶ鳥を撃っているので、あの程度の鳥ならば必ず仕留めます」と申し上げた。
元親は打ち笑い「諸将の前を憚らぬその心意気や良し、たとえ撃ち外したとしても恥辱にはあらず。やってみろ」と
命じた。
四人の大将を始めとして、その下の諸士がみな集まり見物となったので、これ以上の晴れがましさはなかったが
元親はもし外れたのならば恥辱とはならずとも、場が白ける事は必至であると内心穏やかではなかった。
                                                (1/2)
0425人間七七四年2014/02/21(金) 15:05:38.15ID:VVpA5cFN
さて、俵兵衛が飛び回る鳥を狙いを定め打つと、寸分の狂いもなく鳥の体の真ん中に当たり、白毛がばっと散り
沖の方の岩の上へと落ちていった。
大将を始め、皆一同に「やや!撃ち落としたぞ!」と叫び、その賞賛はしばらく鳴りやまなかった。
されば間(距離)を打たせるべしと縄を張らせたところ、おおよそ五十八間であった。

正則は感極まり、昔の那須与一にも劣るべからずとして着ていた羽織を俵兵衛に賜ったので
残り三人の大将もこれにならって羽織を下された。
元親も悦に堪えず、また諸将への返礼なればとして俵兵衛をその場で士分に取り立て
太刀一腰を与えたので、当家他家の面々でこれを羨ましく思わないものはいなかった。

「土佐物語」 (2/2)
0426人間七七四年2014/02/21(金) 17:36:03.92ID:xCa6m9ns
酔ってなくても気前のよい正則
0427人間七七四年2014/02/21(金) 19:12:26.24ID:n57Yst7q
並べるな危険!で一番やばいのってやっぱ津軽と南部?
0428人間七七四年2014/02/21(金) 19:37:09.59ID:3Cg7k0Cq
飛ぶ鳥を落とす勢いの出世だな
0429人間七七四年2014/02/22(土) 08:24:37.16ID:oTfYffaY
>>427
不通になってる大名は負けず劣らずだと思う
0430人間七七四年2014/02/22(土) 10:07:43.39ID:BHA/r5hE
森とその他
0431人間七七四年2014/02/22(土) 12:17:41.69ID:ALZChEIt
その他って蒲生くらいだろ仲悪かったのは
0432人間七七四年2014/02/22(土) 12:20:21.36ID:1dTZhzw9
100m越の狙撃とかすっごいやん!
0433人間七七四年2014/02/22(土) 12:52:47.65ID:xGyPtrxp
多久生まれの伝湖和尚には、兄の次郎兵衛と弟の某と母がいた。
九月に、母が次郎兵衛の子を連れて寺の説法を聞きに行った。
その帰り際、子が草履を取ろうとしたとき誤って横にいた男の足を踏んだ。
男は母と次郎兵衛の子を咎め立て、因縁をつけた末に脇差を抜き、子を突き殺した。
母が次郎兵衛の子を守ろうと男にしがみつくと、男は母をも突き殺し、帰って行った。
この男は、中島茂庵という浪人者の子で五郎右衛門、その弟に山伏の中蔵坊という者がいた。
茂庵は美作殿と交流があったので、息子の五郎右衛門は美作殿から知行を与えられていた。
やがて事件が次郎兵衛の家に伝わると、次郎兵衛の弟某は五郎右衛門へ仕返しに向かった。
五郎右衛門は内から戸を閉め出てくる気配がないので、訪問客のふりで柔らかい声をかけた。
すると戸が開いたので、すかさず名乗りをあげ斬り合い、ごみために落ちながら、五郎右衛門を突き殺した。
すると中蔵坊が駆け出してきて、次郎兵衛の弟某を斬り殺してしまった。
事の次第を聞いた伝湖和尚は兄の次郎兵衛のところへ行き、
「中島方は一人死んだだけなのに、こちらは女子供含む三人も斬り殺された。
無念千万この上ない。兄上、どうか中蔵坊を討ち果たしてください」
と仕返しをすすめたが、兄の次郎兵衛が首を縦にふることはなかった。
伝湖和尚は口惜しく思い、出家の身ながら母、弟、甥の敵討ちを決心した。(1/2)
0434人間七七四年2014/02/22(土) 12:57:31.30ID:xGyPtrxp
しかし、相手の後ろ楯を考えれば、こちらが平僧の身の程では美作殿から酷い仕打ちを受けると思い、
それから一心に仏道修行に励み、やがて竜雲寺の住職にまで出世をした。
そして佐賀の境伊予掾という刀鍛治のところへ、手習の弟子に与えると言い大小を注文し、
差料としてのこしらえまでして準備をととのえた。
翌年九月二十三日、寺に客が来ていたので、馳走を出すよう言いつけると、自らは方丈から忍び出で、
俗人の身ごしらえをして、大小を差し多久へと出かけた。
中蔵坊のところへ着いてみると、月待ちの行事で大勢の人が集まっていた。
その人数では手に負えそうもなかったが、もう延引することも出来ないので、
中蔵坊の親、茂庵を討つことで本望を遂げようと思い、茂庵の家に討ち入り、
寝間へ駆け込み名乗りをあげ、相手が起き上がったところを突きに突いて突き殺した。
近所の者たちが何事かと駆けつけ囲んだので、和尚はわけを話し、大小をその場に投げ捨て帰った。
そして事が佐賀にまで伝わり、伝湖の寺の檀家どもはすぐに駆けつけ、伝湖を守り寺へと引き上げた。
事件を知った美作殿はとてもお怒りになられたが、殿が御建立なさった寺の住職にどうにも手が出せない。
そこで鍋島舎人普周を通じて、高伝寺の湛然和尚に、
「あの者は人を殺した出家だから死罪にしてほしい」
と申し入れられると、湛然和尚は、
「宗門内の処置は高伝寺のやり方で行うから、お口出しはしないでいただきたい」
と返事をした。美作殿はますますお怒りになられ、
「ならば、どんな処置をなさると言うのか、お聞かせ願いたい」
とお尋ねになると、湛然和尚は、
「お聞きになっても無益であるが、どうしてもとお尋ねになるならお聞かせします。
出家の破戒は法衣を奪い追放するのが宗門の定めである」
と返事をした。
そして、伝湖は高伝寺で法衣を脱ぎ、追放されることとなったが、
追放の日には弟子たちみなが大小を差し集まり、数十人の檀家たちも同じく集まった。
そして、みなで伝湖を守りながら、轟木まで送った。
途中、猟師風の男たちがあらわれ、
「多久から来たのか?」
と問いかけてきたが、なんの手出しも出来なかった。
伝湖はその後、筑前に住んだが、町人たちが世話をし、侍たちとも友好な関係だった。
それは敵討ちの次第が伝わっていたので、武家も町人もみな親切に伝湖を世話したのである 【葉隠】(2/2)
0435人間七七四年2014/02/22(土) 14:46:46.21ID:QbYwAeyQ
美作殿って誰だよw
0436人間七七四年2014/02/22(土) 14:57:17.73ID:46enqYsO
美作の殿・・・あとは分かるな?
0437人間七七四年2014/02/22(土) 16:13:06.59ID:FB03ychG
相手が大勢でなければ何人殺して釣り合いとるつもりだったんだろうか
0438人間七七四年2014/02/22(土) 18:57:46.65ID:9RK3raC2
ヒャッハー
0439人間七七四年2014/02/22(土) 19:21:08.51ID:pZr0eyF6
| ∧∧
|(´・ω・`) これでも飲んで落ち着かれよ
|o   ヾ
|―u' 旦 <コトッ

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
0440人間七七四年2014/02/22(土) 20:06:06.55ID:GO9A0zPx
長宗我部元親、朝鮮の陣でのお話その二

長宗我部元親は全羅道の担当で、西南の方へ平押しに十四、五日ほど行くと、平々たる広野に出た。
そこには村もなく里もなく、また山もなく、ただ大きな川原があった。
東西の方向も定かではない広野にたたずんでいると、どこからともなく雷のような音が鳴り響いた。
一体なんだろうと、諸人が怪しみながら川端に近づくと、音も次第に大きくなる。
元親が「誰かある、あれを見てくるのだ」と言うと、若侍二人がかしこまって駆け走り
その後に別の三人が続いていった。
驚くなかれ、そこにはふた抱えほどある大木で、枝のない松のようなものが一丈ばかり立ち上っており、見るとそれは大蛇であった。
両の耳は唐犬の如く垂れ、目は日の如く光り、口広く耳の根まで裂け、紅のような舌をひらめかせて立ち上がった。
先の二人は驚いて立ち止まり見入ると、続いた三人も同様に立ち止まってしまった。
そこに土佐国韮生の住人小松左衛門が馬で駆け寄せ、鉄砲で狙いすまして撃つと、喉笛に発止と命中した。
大蛇とてこれは急所なので、仰傾けに倒れ川に入り、身悶えしてしばらく流れていたが
ついに沈んで見えなくなり、たちまちに川は紅色に染まった。
左衛門が川端に馳せ寄せみると、大蛇が倒れた際、石か何かに当たったのであろうか
大きな鱗が落ちているのを見つけたので、元親に差し出した。
元親は「これは日本では見たことのないものである。故郷への土産にせよ」と言い
そのまま左衛門に賜わったそうである。

「土佐物語」
0441人間七七四年2014/02/22(土) 20:45:31.03ID:f27vMd/J
コブラみたいなガラガラヘビの大きなやつかな?
0442人間七七四年2014/02/22(土) 22:39:05.06ID:QphLMAUJ
朝鮮に渡った諸将が散歩で遭遇するのは虎といにしえから決まっている
0443人間七七四年2014/02/23(日) 10:14:10.77ID:U2GCbk1u
耳のあるヘビ?
0444人間七七四年2014/02/23(日) 10:33:22.46ID:cWrDbmU5
コブラの腹の広くなってるところじゃね?
0445人間七七四年2014/02/23(日) 12:24:31.29ID:vrRx5zHc
コブラは熱帯の生物だから、半島じゃ寒すぎないかな?

図体でかいのに、鉄砲一発とは情けない。
0446人間七七四年2014/02/23(日) 12:39:48.99ID:3rGzu6Jd
落ちてた鱗はおそらく目の鱗だろうな。
現存してるのかな?
0447人間七七四年2014/02/23(日) 17:46:07.12ID:9GhmNLc7
真田安房守(昌幸)を、家老たちは
「とにかく家康公へ御付きになるのが適当です」と諌めた。

安房守はこれを受けて「いやいや、家康公へ付いても、
わしほどの者はたくさんいるので、重宝に思ってはくださらないだろう。

太閤へ付いたならば、重宝に思ってくださるだろう」と言って、
最後には太閤へ属した。そうではあるが、子息伊豆守(信之)を家康へ出した。

――『武功雑記』
0448人間七七四年2014/02/23(日) 20:56:20.44ID:vLF4YCSg
水戸頼房公は齢若し頃、殊の外男伊達をなされ、梅花皮鮫(かいらぎさめ)の皮のかかった
長刀に金鍔を打ち、衣服等にも紅裏をつけ、その他不行跡な事があり、江戸中の上下の取りざたとなり、
お付の家老、中山備前守(信吉)が、毎回色々と異見申し上げても、それを聞くことはなかった。

ある時、幕府の老中より備前守に奉書を以って『御用の義これ有り候。明四ツ時(午前10時頃)
登城候様に』との命があったので、備前守が登城した所、老中たちは彼に

「今日そこもとを召した御用に関しては、我々も存じていません。この後、公方様(秀忠)の御前において、
直接に御用を申し付けられる、とのことです。」

これを聞くと中山は
「皆様いずれもご存じない御用のことで、私が御前に召される、と言うことは、私にも存じ当たりが
あります。これはきっと、水戸殿(頼房)の行跡についてお尋ねになるのだと、推察いたします。
つまり、有り体に申し上げれば、主人の悪事を訴えろ、ということです。

しかし、『何事も私は知りません』と申し上げる、もしくは悪しき事をも宜しきように取りなして
申し上げるというのは、御上を欺く、後ろ暗いと申すものです。
ですので、私は御前に出てしまっては、もうどうしようもありません。
私が御前に召されるという件については、登城はいたしましたが、このまま退出させていただきます。
この場合、御上の御意に違うのは私のことであり、その御機嫌を損ないお仕置きなどを仰せ付けられても、
それは覚悟しております。」

老中たちはこれを聞いて何れも留まるように説得したが、備前守は承知せず帰宅した。
帰宅の途中、中山は水戸家の上屋敷に立ち寄った。そこでは頼房も、この日備前守一人が
御用として召されたことを納得できずに居たので、御用が済んで備前守が帰ってくるのを待っていたため、
早速召し出すと、備前守は江戸城内での次第を申し上げ

「私については、公方様より、今後どんなお咎めを受けるかわかりません。わたしは切腹と
覚悟を決めております。ですが、この上ながら残念なことが3つあります。

1つは、私に才知が無いため、御前様(頼房)のご行跡を聞くたびに、それをお改めなされるように
ご異見申し上げても、これを聞き入れて頂くことが出来ませんでした。

2つ目は、御前様はご若年でありますが、この備前守を付ければ気遣いもない、とご安堵なされた
権現様のおめがねを相違いになし奉ってしまい、これは今更申し訳も出来ないことです。

3つには、とくに考えていなかったわけではないのですが、かれこれと見合わせているうちに
すっかり引き伸びにしてしまいまい、御前様の不行跡の相手をする、不届きの奴原を成敗せずに
安穏に差し置いたまま私が相果ててしまえば、いよいよその行跡に差し障るのは必定です。

たとえ、私は切腹しこの身命が終わりましても、魂はここで、殿のお側を離れません!
願わくば、ご行跡をお改に成り、御上の思し召しにも叶いあそばされるようあってほしいと、存じ奉ります。
これは、私の今生の暇乞いですので、願わくば御酒を頂戴いたしたく、これを持ってくるように
申し付けさせて下さい。小姓衆!酒と盃を!」

そう備前守が言った所、頼房は小納戸衆を呼び集め、日頃用いていた伊達な拵えの刀、脇差、衣服等
尽く取り出し持ってくるように、と命じ、備前守の見ている前で、それらを小姓衆に残らず分け下し、
その上で挿していた脇差しの鍔元を小刀で打ち、
「今後は行跡を改める!であるので、備前守も気遣いせぬように!」
と言った。

ところでこの時の、中山備前守が無断で江戸城から帰宅したことについては、その内容が
老中達から秀忠の上聞に達し、秀忠は

「備前がそのような了見であるのなら、水戸の行跡もきっと治るであろう。重畳の事だ。」
と語ったそうである。
(駿河土産)

中山備前守、命がけで徳川頼房の不行跡を改めさせる、というお話
0449人間七七四年2014/02/23(日) 21:15:54.81ID:JJQL3nwu
これは誰もが格好の良い逸話だね。

命がけで諌める中山備前守
金打までして誓って見せる頼房
そして安定の秀忠クオリティ
0450人間七七四年2014/02/23(日) 21:42:39.19ID:09UbZrkJ
>>440
ありがとうございます。読みやすくなりました。
0451人間七七四年2014/02/23(日) 23:18:29.25ID:WFUz0RTY
やはり本気ってのは善くも悪くも人を動かすね
今回の話は善く動かす典型だ
0452人間七七四年2014/02/24(月) 17:16:24.28ID:kb6mO7pp
山鹿某(素行)という士は軍学諸流を兼学して一統を起こし、経学より論を立てて
武を講じ、孫子呉子三略の趣旨を今日の和法に用いて古の軍学者などの及ぶところではなく、
まことに常用の武備はこの人に在りと、世間はこぞってほめている。

ある人が池田光政にその山鹿某を推挙したところ、光政は次のように言ったということだ。

「軍法兵学は、旧家にはそれぞれその家の軍法がある。武田家に山本勘助の軍法が、
上杉家に宇佐美駿河守の軍法があるようにな。我が池田家にも軍法があって、
信長の代より数十度の戦場に一度もおくれを取ったことがない。だがら我が家においては
(軍学者を)召し抱える必要がない。

いまは太平の代だから軍学などと言うが、乱世に生まれた者の軍学は皆自己の鍛練だ。
それは加藤清正、小西行長などが、朝鮮までも切りなびいたことから知ることができる。
それに古来未曾有と言われた豊臣太閤が軍学をしたということを聞いたことがない。
また、神君(徳川家康)に軍学の師という者はいないが、このように天下を平治なさった。

いま太平の代に立身して大名となった人で、先祖よりの軍法がなく自身で立てた法令のために
心許なく思う人こそ、軍師を召し抱えて法令を定めるのがよい。我が家には先祖よりの
軍法があり、乱世を過ぎて治世にあって国家はよく治まっているので、軍学は家に伝わるもので
足りるのである。新たに師を召し抱える必要はない。

そのうえ『乱世には武を以てし治世には文を以てす』といって、治世に国家を治めるには
仁義の道こそ肝要だ。故に熊沢五郎八(二郎八、蕃山)を召し抱えている」

その後、山鹿を津軽信政が召し抱えたいと思ったが、家老の神保三右衛門が無理をおして
留めたということである。

――『明良洪範』
0453人間七七四年2014/02/25(火) 10:30:09.25ID:uo9gp8np
如水 (加藤+小西にしたせいで失敗したけどな。言ってやったのに!)
ーーくろだかふ
0454人間七七四年2014/02/26(水) 00:56:58.84ID:uosgN0Ft
蒲生氏郷はおおよそ夜話で化物話を好んだ。そのうえ武者話に
なったなら、かわるがわる退屈しないものと氏郷は思っていた。

化物話から武話になり移ると夜が白むので、とにかく蝋燭を
二挺に限って夜話を止めて退出した。

夏の短夜には二挺でも夜が更けるので、短夜には蝋燭を
短く切って風所に灯して置くなどし、夜話を止めたとのこと。

――『武功雑記』
0455人間七七四年2014/02/26(水) 01:01:03.95ID:3hl+ZanM
百物語で妖怪が出てきたら叩き斬って武辺の証拠にしたかったんでは
0456人間七七四年2014/02/26(水) 01:06:34.37ID:Qyp0wR8S
途中で小便しに行くと斬られるんだろ
0457人間七七四年2014/02/26(水) 02:06:32.45ID:WWij9+3n
>>455
灯火二つしかないってインスタントすぎませんかね
0458人間七七四年2014/02/26(水) 07:37:44.92ID:egPFUAPb
>>454
虎の出待ちか?
0459人間七七四年2014/02/26(水) 09:58:23.75ID:hO0IlIDZ
語り部は西尾維新だな
0460人間七七四年2014/02/26(水) 10:44:53.77ID:ETajhrlZ
化物語じゃないから、化物話だから
0461人間七七四年2014/02/26(水) 11:09:08.55ID:xt96hlO6
妖怪の話が好きとかちょっとかわいいな
0462人間七七四年2014/02/26(水) 11:18:49.74ID:W0eMqxU+
「殿いつ」の蒲生氏郷の妖怪ネタ、ホラー話ネタに元ネタがあったとは
0463人間七七四年2014/02/26(水) 12:00:18.21ID:XgRdAlGC
>>460
夜中に「真宵タン(*´Д`)ハァハァ」とか言ってる工場長を想像してしまったw
0464人間七七四年2014/02/26(水) 16:16:14.48ID:aiM0GJBc
長曾我部元親が朝鮮の唐島という所に在陣した時の話である。

この頃何処からともなく大きな虎が現れ
あまたの軍兵が食い殺されたので、陣中騒動すること甚だしかった。
浅野孫次郎親忠の家臣、下元勘助・興次兵衛兄弟は
隠れなき鉄砲上手、大胆不敵の勇者だったので
目に物みせん!と駆け出でて、勘助が狙いすまして虎を撃つと
弟興次兵衛もこれに続いて撃ち放った。

ところが虎はこれをものともせず、いよいよ猛狂って本陣へ近づいたので
大高坂七三郎(この時十五歳)が本陣へは入れさせぬと
小刀を抜いて一文字に駆け向かった。
虎は七三郎に飛びかかり、その胴体を横ざまに咥え、駆け出そうとしたので
吉田市左衛門政重、走りかかって虎の首の根を丁と切った。
[1/2]
0465人間七七四年2014/02/26(水) 16:18:59.16ID:aiM0GJBc
虎は七三郎を打ち捨てて、市左衛門の首にただ一口に食らいついたが
かたい鎧のために砕くことができず、市左衛門、虎の喉笛に手をかけて
七たび刀で突き刺した。

さしもの虎も急所を刺され、鉄砲で撃たれてはかなわず、立ち竦んで死んだ。
七三郎も助かったので、元親大いに喜び
感状に康光の太刀を添えて市左衛門に与え、帰国後に加恩もあったそうだ。
「その虎の爪を取って、日本の土産にせよ」と元親が言ったので
市左衛門、畏まり候と虎の爪を切り取って国に持ち帰った。
その爪は子孫持ち伝えて、今も彼の家にあると聞いている。

「土佐物語」
[2/2]
0466人間七七四年2014/02/26(水) 19:21:47.80ID:V1cIhpSV
朝鮮てなんか動物しか存在しないサファリランドだな。
0467人間七七四年2014/02/26(水) 20:34:20.52ID:sCDBYhIN
「それがしは遂に功を挙げる事が出来ませんでした」
とある老武士が、話相手の老武士に言った。
二人は主従であり、話しかけたほうが従者である。
言われた側、即ち主人の方の老武士は怪訝な顔をした。
ともに隠居するまで、それはそれは数え切れぬほどの戦場に出ては生還してきた。
「功がないわけがなかろう」という主人の疑問である。

これに従者が笑って曰く
「兵と見れば殿が槍をふるって追い払い、将と見ればこれまた殿が御自ら討ち取っておられましたので」
大将が自ら陣頭に立って槍を振るう、従者としては頭と胃が痛くなるような悪癖が
「とうとう隠居するまで直りませんでしたなあ」と軽く皮肉ったのである。

これに主人はうまく返すこともできず「ああ、そうだったそうだった」と
苦笑いするばかりだったそうな。

関ヶ原も大阪の陣も過去となった泰平の世。
島津兵庫頭義弘と中馬大蔵重方主従の会話である。
0468人間七七四年2014/02/26(水) 21:00:26.04ID:xt96hlO6
>>464
朝鮮どんだけ虎の楽園なんだよ
0469人間七七四年2014/02/26(水) 22:20:38.43ID:QLVrXwlQ
黄色いお馬のおとのさま

山形市には次の様な話が残る

とのサマは
供も連ンれず
お寺参り
黄色い馬ッコが鈴を鳴らす

馬上のとのサマが今日も揺られていくヨ

黄色い馬に揺られているのは秀次事件で愛娘を失った最上義光

義光の山形城から専称寺へのお墓参りは
市井の民らも良く知るところだったと云う。

専称寺の境内内(本堂前)には現在も最上義光が寺を訪れた際に馬を繋いだとされる「駒(馬)つなぎの桜」が残る。
0470人間七七四年2014/02/26(水) 22:21:40.32ID:egPFUAPb
>>464
朝鮮武勇伝ネタで虎じゃないのはないのか?w
0471人間七七四年2014/02/26(水) 22:24:07.37ID:B1JE84mz
加藤清正の家臣が虎を退治して苗字が「金玉」になったり
虎退治は勇敢さを示すのに便利なんだなw
0472人間七七四年2014/02/26(水) 22:31:53.98ID:Zhf3pNOF
敵兵がそれほど強くなかった分、虎退治がより大きく扱われてるのもあるな
0473人間七七四年2014/02/27(木) 01:05:34.78ID:onJgSEDK
虎がいるのに平然と昼寝するジミー加藤の虎逸話もあるね
04741/32014/02/27(木) 12:02:38.03ID:F91xE93Q
池田光政の家老、池田伊賀守長明は加藤嘉明の外孫でもあり、父が早逝した長明は、一時期嘉明に
養われたこともあって、裸一貫から大大名にまでのし上がった祖父を大いに尊敬していた。

ある時、長明は嘉明にその武功を尋ねたが、嘉明の答えは「そんな昔のことは忘れたわい。」
と、そっけないものだった。

「ですが、おじい様は唐の島(巨済島)の海戦等で大手柄を立てた、と聞き及びますが……」

「十五〜六歳の小姓が敵船に乗り移ろうとして、矢に当たり海に落ちて死んだ。かわいそうな事をした。」
嘉明はそう言ったきり、口を閉ざしてしまった。
04752/32014/02/27(木) 12:04:50.57ID:F91xE93Q
慶長2年(1597)7月、日本軍は巨済島沖で朝鮮軍船団数百艘と対峙した。諸将は対策を話し合ったが、
加藤嘉明は「目に余るような大敵相手に、小勢で当たるのは如何なものか。」と主張した。

ところが肝心の嘉明隊から、敵船団に向かって行く船が現れた。

「あーこれはいかん。わが命に背くあの者共を止めてこい。」
嘉明の命により次々と船が漕ぎ出されたが、いっこうに先の抜け駆けした船に追いつかず、ついには
敵船団に迫ってしまった。

「うーむ。これは、わしが行って止めねば収まるまい。」そう嘉明が言い放つや否や、嘉明隊の全船が
動き出した。要するに、最初の嘉明発言からして仕組まれた、抜け駆けのための策である。
04763/32014/02/27(木) 12:07:05.87ID:F91xE93Q
河合庄大夫・庄次郎親子ら五人を連れた嘉明一行の船は、敵船団の中を進んでいった。
「殿、船はどちらに着けましょう?」「中央の大船に着けよ。」

船団の真ん中の大きな船に乗り移った嘉明一行を、敵は船内で剣を抜き、鏃を揃えて待ち構えていたが、
一行は恐れず敵中に飛び込んで斬りまくり、この船を乗っ取ることに成功した。
嘉明が船内から甲板に出ると、味方諸将の船団を追いついており、すでに火のついた敵船もあった。

嘉明一行は次の獲物を物色し、十六歳の河合庄次郎が真っ先に別の船へ飛び移った、その瞬間。
狙い撃ちされた庄次郎は海に落ち、そのまま浮かんで来なかった。(常山紀談より)


この武功等により十万石に加増され、大大名への足がかりをつかんだ嘉明だが、
己の無謀な策により海の藻屑と消えた若者たちがいたことを、生涯忘れていなかった。
0477人間七七四年2014/02/27(木) 21:28:12.41ID:g1JK3C+R
常山紀談も1の会話から回想シーンが始まるのか?
0478人間七七四年2014/02/28(金) 15:40:28.60ID:A/Vgrml8
雑談「兜がなければ死んでいた」

本日のGAMECITY/ニコニコアプリ版『のぶニャがの野望』
「兜がなければ死んでいた」アップデート

pbs.twimg.com/media/BhhldaSCQAARhr-.jpg

↑巨漢で突撃好きなところが描かれています

…どうせなら「戦国無双4」の新規プレイアブルで使いたかった…
0479人間七七四年2014/02/28(金) 15:56:45.44ID:A/Vgrml8
@oda_nobunyaga もがミー義光殿は慶長出羽合戦において、関ヶ原の勝報を聞き上杉方に猛追撃。あまりに突出しすぎて敵の火縄銃の弾が兜に命中したそうですが弾は兜にはじかれ助かったそうです。その兜、なんと織田のぶニャが様からの贈り物だったとか。
0480人間七七四年2014/02/28(金) 21:02:16.60ID:75UGw2mn
福島家の老臣の大橋茂右衛門重賢が、福島丹波守治重、尾関石見守らと相談して、
正則の行跡についての諫言を書状にして差し出した


      ∧_∧       近頃の殿のお振舞について申したき儀が…
      (,,゚д゚)       ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     / y/ ヽ         ∧_∧
     ヽ、ъc[_ノ        (゚Д゚ ,)⌒ヽ
      (ノノノ l l l )       □ ⊂‐U^(,,⊃'〜



それを聞くと正則は不機嫌となり、書付を見ずに席を立とうとした

    ∧_∧
    (#-д-)
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l | ミ



茂右衛門はそれに追いすがり必死に裾をつかんだ
        
    ∧_∧
    (#。 。)
   .ノ^ yヽl丶l丶   ガシッ!
   ヽ,,ノ==l (   )
    /  l と   i



すると正則は怒り刀を抜いて茂右衛門の首元に突きつけ叫んだ

         ,、        人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
          ‖       <                                 >
    ∧__∧‖      <  軽輩のお前を誰が取り立てて               >
    (#゚Д゚)ヽ      <  やったと思ってるんだ!                  >
   .ノ^ y l丶l丶    <  わしに向かって諫言するとは怪しからぬ奴め!    >
   ヽ,,ノ==l (   )     <                                 >
    /  l と   i       Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´



茂右衛門は少しも驚かず


さればでござる
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
    ∧∧  
   (゚Д゚,,)
   ⊂  ⊃ 
   (__(__っ




と一言
次のように続けた
0481人間七七四年2014/02/28(金) 21:04:00.40ID:75UGw2mn
「それがしのようなものをここまで取り立てていただきましたからには、
もしお眼鏡違いのようなことがありましてはと存じまして、
面と向かってお諫め申し上げておるのでござります
なにとぞ、諫言状をご一覧たまわりますように」

そういうと首を差し出した
茂右衛門の覚悟を見た正則は

         ,、
.         ‖
     ∧__∧‖  
     (#゚Д゚)ヽ
   .ノ^ y ノ 
   ヽ,,ノ==l  
    /  l | 


    ∧_∧
    (,,゚д゚) …
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |  \


    ∧_∧
    (TдT) ブワッ
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |  \



心を打たれはらはらと涙を流しながら刀を納めた


それなれば見ることにいたそう
 ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ∧_∧
    (T∀T)
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l | 



そういうと席に戻り書状をじっくりと読んだ


書状の一条一条、誠にもっともなこと。みな、そなたらが申すようにいたそう
 ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ∧_∧ 
      (,,゚д゚)
     / y/ ヽ 
     ヽ、b□[_ノ
      (ノノノ l l l )




と言ったので、茂右衛門はやっととらえていた正則の裾を離した
0482人間七七四年2014/02/28(金) 21:32:28.38ID:hrqRFxMJ
教訓:
瞬間湯沸かし器には率先して首を差し出し牽制せよ
さすれば後はただのおっさんを相手するだけですむ
0483人間七七四年2014/02/28(金) 21:55:22.16ID:sUUoIeUu
勝成「何故斬るのかだって?そこに首があるからさ。」
0484人間七七四年2014/02/28(金) 22:33:37.39ID:WPTBXxD9
水野家の勘定役の人かわいそうです・・・
0485人間七七四年2014/03/01(土) 00:39:14.86ID:1RLiU6mu
忠興「『ぶっ殺す』と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!」
0486人間七七四年2014/03/01(土) 01:23:32.48ID:d7dY7Lk6
正則は相手に凄まれるとしおらしくなっちゃう面があるよね。
0487人間七七四年2014/03/01(土) 07:27:14.23ID:03j6oYZr
正則は意外となだめることに成功すればそこそこ普通のおっちゃんだな
0488人間七七四年2014/03/01(土) 09:52:42.18ID:GFfIiZxC
でも、なだめる所までたどり着くのが大変だろ。
0489人間七七四年2014/03/01(土) 10:11:11.86ID:eZb0HtBf
切れる前に斬る!
0490人間七七四年2014/03/01(土) 13:14:28.54ID:E46mrwC0
西内喜兵衛という者は国中武辺の強力(ごうりき)であった。
長宗我部元親の土佐一国平定後、本山城の城任番として
七日詰めに行ったのだが、常に言うことには
「わしは小身なので、食糧を揃え、嶮岨(けんそ)な山坂を持ち運ぶのは
人馬の費えである。僅か七日間の逗留なれば、その間の飯は自分の家で食えば良い」
そうして七日分の飯を炊かせ、これを一度に食すと
「ああ、これで安心だ。家人共は勝手気ままにさせて良いぞ」と言い残し
馬にも乗らず立ち越えて、七日番を勤めて帰ってきた。
そうして「しばらく飯を食ってないので力が落ちたのか、草履が少し重く感じるわい」
と笑いながら人に語った。

さてその頃、どういうことか国中の牛が悉く死んでしまい
農民は田を返す(※耕すこと)のに犁(すき)を使うことができなくなった。
仕方なく若者十人程が一つの犁に取り付き、牛に代わって田を返したが
これを見た喜兵衛、大いに笑って
「お前たち、そこをのけ。わしが引いて見せてやる」と言い
その犁を取って牛の如く往来し、田を返し始めたので
往来の男女は皆立ち留まり、呆れ果ててこれを見物した。
そこに元親が通りかかり、人が群がり集まってるのを見て
一体何事かと尋ねその理由を知ると、喜兵衛を召し出し
「士たる者が畜生の役をするとはどういうことだ。重ねてこの様な振る舞いはしてはならぬぞ」
と堅く制したので、喜兵衛は恐れ入って退去したということだ。

「土佐物語」
土佐侍の純朴でユーモラスな面が伝わってくる、ちょっといい話。
0491人間七七四年2014/03/01(土) 13:51:53.20ID:pUH9TpJ/
>さてその頃、どういうことか国中の牛が悉く死んでしまい

     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ 口蹄疫じゃ、口蹄疫の仕業じゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー----−' |__////
0492人間七七四年2014/03/01(土) 15:20:56.43ID:lwFTNeiw
>478,光安さん命がけだな
0493人間七七四年2014/03/01(土) 17:20:59.48ID:7GCf6foH
島原の陣の二月中に、松平信綱は連れてきた江州甲賀の者を呼んで、

「これまで諸将は敵城の様子を探らせようと忍びの者を遣わしたが、
敵城の守衛は堅固で忍びの者が城中へ忍び入ることができない。
御身らは忍び入って、様子を見届けて来てくれ」と言った。

甲賀の者たちはかねがね内々の願いの筋でもあれば功を立てようと思っており、
「畏まり候」と速やかに承知し、仲間の中から菅川七郎兵衛、望月与左衛門、
夏目角助、吉田五兵衛、鳥飼勘右衛門ら五人の者が暗夜に紛れて

塀下までは忍び寄ったものの守衛は堅く、城中へいまだ入らずに見合わせて
いたところ、城中より猿火を渡して塀下廻りを調べたので、その火を引き入れる時に、
引き続いて菅川と望月の両人が城中へ紛れ入った。あとの三人の者は入り遅れて
塀下で躊躇していた。

さて、忍び入った両人のうち望月は塀を越えて城内へ入ったところ、
塀裏の落とし穴へ落ちた。菅川は引き上げようとするが、穴が深いので上げられない。
とやかくする間に城兵たちは気付いたのか、「寄手が忍び入ったぞ、討ち取れ!」と
立ち騒いだけれども暗夜なので見分けがつかず、その間に菅川はどうにか望月を引き上げ、

闇夜に紛れて城内のあちらこちらを忍び廻り様子を見届け、やがて塀を越して
城外へ飛び出た。この両人は甲賀忍び組の中でも取り分けて忍びの名人であるとか
いうことだ。

――『明良洪範』
0494人間七七四年2014/03/01(土) 19:05:08.26ID:Us+HUH3X
城兵は明かり持ってこいよw
0495人間七七四年2014/03/01(土) 19:05:10.23ID:cxkJyzHN
落とし穴をもっと沢山掘ろう!
0496人間七七四年2014/03/02(日) 01:27:11.82ID:CxSCJIi/
最上義守、息子と京へ

永禄6(1563)年、最上義守は18歳になる息子の義光を連れて京に上り、将軍足利義輝に馬や太刀を献上した。

「6月14日、久しぶりに将軍(足利義輝公)の屋敷に伺ったら、丁度出羽の御所(屋形号)の山形殿父子(最上義守と義光)が来ておられた。
父子は将軍に馬と太刀を献上して、義光に頂いた義の文字や、常日頃からの感謝と御礼を申されていた。
将軍は二人をもてなす宴会を開かれ、私もそこに顔を出させてもらった。将軍から下された杯を、二人は「かたじけないことです」と言って頂戴した。私も深夜までご馳走になり、すっかり酔ってしまった」

「山科言継卿記」

公家の日記に書き残された、最上父子の京都旅行の一幕
0497人間七七四年2014/03/02(日) 01:59:44.64ID:CxSCJIi/
「姫武将政宗伝ぼんたん!」の義守と義光で脳内再生
0498人間七七四年2014/03/02(日) 04:08:18.84ID:CxSCJIi/
高湯(蔵王)温泉で義守は義光に笹切の名刀を与えたり、足利将軍から一字拝領出来る様大枚まで叩いたのに
いつから仲が悪くなったのやら
0499人間七七四年2014/03/02(日) 10:26:37.23ID:UTJyG6Sf
ちゃっかりしたやつだなと思ったが、山科言継なら納得
0500人間七七四年2014/03/02(日) 10:31:18.63ID:nv323lgY
うむ、言継なら仕方ない
0501人間七七四年2014/03/02(日) 10:38:44.71ID:aZwEZyei
言継が酔うって、どんだけ大量の酒が出たんだよ
0502人間七七四年2014/03/02(日) 10:46:17.46ID:tMbAxVxs
ところで義光の「義」は義輝から拝領したものとして
義守の「義」はどっから?
代々拝領してきたから、ほとんど通字になってたとしたら、
あんまりありがたみがないような
0503人間七七四年2014/03/02(日) 11:16:21.39ID:uiUgpBUc
官位と同じで、自称と公認の違いじゃないの。
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