信忠には領国支配実績となる行政文書もなければ
織田重臣を掌握していた証拠書状もない。
完全な操り人形。
しかも差出検地しかやってないし、
領国への分国法も存在してないので織田の支配も糞もない。
秀吉も柴田も信長に領地経営も軍動員も丸投げしているだけなので
織田重臣は軍閥化して独自経営していたので、
国人らも織田に仕えていたのではなく、秀吉や光秀に仕えていた。
だからこそ謀反や下克上や家の乗っ取りを阻止抑止する統治システムじゃなかった。
謙信や信玄が死のうが、家臣がその当主の座を簒奪しようとしなかったことからも
織田は組織作りをまったくしてなかったことの証拠で
幕府にコバンザメしてただけなので将軍を挿げ替えるのと同じ現象がおきた欠陥組織が織田。