天正17年(1589)7月7日
天気雨ふり。お城には政宗様への御礼を述べる人々が参りました。田村、原田左馬介、桑折殿、大枝殿を
初めとして、各々罷り帰った事を申し上げました。

その後政宗様は西の丸に御出になりました。夜に入ると大唐人が3人参って、花火をしました。
その後、歌も歌いました。

(伊達日記)

当時政宗は会津の黒川城を居城としていましたが、そこに中国人の一団が来て花火を上げたり
していたのですね。