戦国ちょっといい話38
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0681人間七七四年
2013/11/21(木) 23:28:00.00ID:m1yqi8VD圧倒的な兵力を持った薩州勢の前に阿蘇配下の平野部諸城はことごとく落城。筆頭家老甲斐親英も敵へ寝返ってしまう。
これを聞いた家臣団は大宮司惟光に身の危険が及ぶことを恐れ、惟光・惟善兄弟の目丸への避難を提案
先代当主惟種の近習坂梨弥吾助惟連、西源兵衛惟惟景、渡辺軍兵衛といった大宮司家へ忠誠を誓う家臣達がこれに付き添った。
その道中何者とも知れぬ者達が追いすがり、惟光・惟善兄弟を捕えようと襲いかかるが
渡辺軍兵衛は槍で突き伏せて退散せしめ、西源兵衛は肩に乗せた惟光をしっかりと離さず
坂梨弥吾助は先頭に立って10人あまりを切り伏せるなど家臣三人の武勇もあって無事目丸の隠れ家へ辿り着いた。
この後も阿蘇家は秀吉の九州征伐時に当主幼少を理由に参上しなかったため所領没収、肥後国人一揆や惟光処刑といった苦しい時期を送るが
関ヶ原を経て肥後を支配した加藤清正の配慮によって慶長六(1601)年弟惟善が社家として阿蘇家復興を許される。
その際最後まで惟善に付き従った坂梨惟連・西惟景は惟善より恩賞が下され
特に弥吾助こと惟連は忠勤功労第一であるとして阿蘇家家司・惣庄屋に任ぜられた。
惟連は慶安四(1651)年二月に80余年の生涯を閉じるが、以降も坂梨家は先祖同様阿蘇家を支え今日に至っている。
http://seiwabunraku.hinokuni-net.jp/play/play08/
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