1591年、京にいる宣教師オルガンティーノは困った事態に陥っていた。彼は巡察師
ヴァリニャーノの一行が豊臣秀吉に謁見できるよう手続きをしていたのだが、秀吉は
巡察師の上洛を望んでいないだけでなく、不快の意向を漏らしていた。
 ある日、キリシタン大名の黒田官兵衛孝高が宣教師たちのために発言すると、秀吉は
「お前は性懲りもなくバテレンどものことを話すのか。お前がキリシタンであり、バテレンらに
愛情を抱いておったために、お前に与えようと最初に考えていたよりも低い身分にしたことを
お前は心得ておらぬのか」と言って黒田官兵衛の口を封じたので、黒田官兵衛はそれ以上、
発言することが出来なかった。
 それにも関らず、黒田官兵衛は宣教師たちの窮状を何とかしてやりたいと思い、同僚の大名
である 増田長盛に取りなしを頼んだ。長盛はその頼みを引き受けて、ただちに秀吉に進言した。
そのおかげで秀吉はインド副王の使節として巡察師ヴァリニャーノの一行の謁見を認めた。
(ルイス・フロイス書簡)