加藤清正が統治する肥後の国、八代の市中にある寺には金箔を施した仏像が置かれていた。
ある朝、その仏像は逆さまにされ、数本の指の部分が切断され、痛めつけられていた。
奉行の角左衛門はこれを知ると憤慨し、仏像にこんなひどいことをするのはキリシタンに
違いないと決めつけて、市中のキリシタンたちに元通りに仏像を補修するよう命じた。
キリシタンたちは無実であったので、そのようなことには応じない、と、きっぱりと拒否した。
この毅然とした返事に奉行はいっそう腹を立て犯人を見つけ出すために多数のキリシタンを
拷問にかけることにした。このことは市中に知れ渡った。しかし、日本人は自分が犯した
罪のために無実の罪の人間が苦しむことを不名誉と考えているので、すぐに加藤清正の家臣
である三人の男たちが奉行所にやってきて、自分たちが酒の勢いで仏像にひどい侮辱を
くわえたことを白状した。この仏像の一件がキリシタンのせいにされ、拷問されることを
阻止するため、真犯人である三人の男たちは罪に対する罰としてただちに切腹すると申し出た。
これを聞いた奉行はキリシタンに罪を着せていたことが間違いであると知った。そして、
真犯人の三人については切腹をさせないためか、あっさりと許した。(1605年イエズス会年報)