たとえば「信長公記」だと宇喜多の調略に関しては
天正六年に、宇喜多方の備前の八幡城主(これが具体的に誰かは諸説ある)を
織田方に寝返らせた功を賞して、信長が竹中重治(銀百両)と羽柴秀吉(黄金百枚)に
それぞれ恩賞を与えた、という記述がある
これは半兵衛自身が安土に行って、信長と直接対面・報告しているので
宇喜多寝返りの前年までは秀吉と竹中が宇喜多方の諸将の切り崩しに
従事していたのは確か

ただし宇喜多家そのものの織田への寝返りについては、信長は一貫して反対だったので
(もともと宇喜多に降伏も本領安堵も認めるつもりはなかった)
天正七年後半に入って半ば強引に、宇喜多の降伏を取次いで本領安堵まで
信長に認めさせた秀吉の力がやっぱり一番大きいと思うわ