戦国ちょっといい話37
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0913人間七七四年
2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:y/DTOoie念斎は嘉明の頼みに応じて、松山市街創設の際に町家の地割を行い、その経営に尽力した。
また、独力で濠を堀り、これを念斎堀と称した。
この念斎はそそっかしい性質で失言することが多かった。妻はこれをとても憂慮して、
嘉明に夫の性質を正してほしいと求めた。
これに嘉明は「不覚は大事というわけではないから、それほど気にとめなくともよい。
一日に三回までの失言は許しなさい。それ以上の時は注意しなさい」と答書してその末に歌を附した。
「六十にあまりしまでのねんさいを、いまさらしめすつまのやさしさ」
――『加藤嘉明公(伝説、仲田文書)』
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