加藤嘉明は府中屋念斎夫妻と仲が良かった。念斎は財産家でいわゆる御用商人である。

念斎は嘉明の頼みに応じて、松山市街創設の際に町家の地割を行い、その経営に尽力した。
また、独力で濠を堀り、これを念斎堀と称した。

この念斎はそそっかしい性質で失言することが多かった。妻はこれをとても憂慮して、
嘉明に夫の性質を正してほしいと求めた。

これに嘉明は「不覚は大事というわけではないから、それほど気にとめなくともよい。
一日に三回までの失言は許しなさい。それ以上の時は注意しなさい」と答書してその末に歌を附した。

「六十にあまりしまでのねんさいを、いまさらしめすつまのやさしさ」

――『加藤嘉明公(伝説、仲田文書)』