細川三斎忠興が、立花宗茂の招きに応じ、一夕、共に会飲し、雑談も興に入る座で、
宗茂の家臣、伊藤某という者が、忠興にこんなことを質問した

「戦場において、往々に勇士と呼ばれた者が下帯を脱いだ醜状で、屍を晒していることがあります。
これはどうして、そのように成るのでしょうか?」

忠興答えて
「それは当然の事であり、特段不思議に考える程の事ではない。
総じて人の体というものは、血気充満している時に上帯も下帯も共に体に密着して
外れないようになっていても、勇士が戦いに斃れると、直ちに体はやせ細る。特に
刀剣の傷を追って斃れた者は、血液が一時に流出するため、たちまち身体が衰痩する。
それ故上帯はもちろん下帯も脱げ、見苦しい醜態を晒すことが多いのだ。

そうであるから、真の勇士はこのような状況を考え、下帯を肩から吊り下げて
落ちないように注意するのだ。

醜態を晒すのは、勇士と呼ばれるほどの者であっても、常に死ぬ覚悟がないから、
そういう注意もなく覚悟もないためなのだ。
これは、武士たるもの良く謹むべき事であるぞ。」

この言葉に、伊藤某はもちろん、宗茂も大いに感じ入ったとのことである。
(古雄逸談)

細川忠興の、フンドシの心得である。