戦国ちょっといい話37
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0001人間七七四年
2013/04/08(月) 06:40:28.41ID:3qR6cDS1戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話36
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1357367577/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話36
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1363877097/
【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0874人間七七四年
2013/08/12(月) NY:AN:NY.ANID:MkPOZj5f石川についてはそうだろうね
主家から見た傘下大名の処遇という点で
毛利を倣って二人の叔父(政景・昭光)を伴って参陣
していれば状況は変わっていたのかもしれない
政隆の厚遇については、政宗が慕っていた祖母・栽松院が
岩城家出身というのが大きいのでは?
また後年、亀田藩岩城氏が政隆の家系である、岩谷堂伊達家から
養子を迎えている等、旧大名の血筋を保護する事で勢力拡大の
チャンスを狙っていたのかもしれない
0875人間七七四年
2013/08/12(月) NY:AN:NY.ANID:sRHr9IkJ宗茂の家臣、伊藤某という者が、忠興にこんなことを質問した
「戦場において、往々に勇士と呼ばれた者が下帯を脱いだ醜状で、屍を晒していることがあります。
これはどうして、そのように成るのでしょうか?」
忠興答えて
「それは当然の事であり、特段不思議に考える程の事ではない。
総じて人の体というものは、血気充満している時に上帯も下帯も共に体に密着して
外れないようになっていても、勇士が戦いに斃れると、直ちに体はやせ細る。特に
刀剣の傷を追って斃れた者は、血液が一時に流出するため、たちまち身体が衰痩する。
それ故上帯はもちろん下帯も脱げ、見苦しい醜態を晒すことが多いのだ。
そうであるから、真の勇士はこのような状況を考え、下帯を肩から吊り下げて
落ちないように注意するのだ。
醜態を晒すのは、勇士と呼ばれるほどの者であっても、常に死ぬ覚悟がないから、
そういう注意もなく覚悟もないためなのだ。
これは、武士たるもの良く謹むべき事であるぞ。」
この言葉に、伊藤某はもちろん、宗茂も大いに感じ入ったとのことである。
(古雄逸談)
細川忠興の、フンドシの心得である。
0876人間七七四年
2013/08/12(月) NY:AN:NY.ANID:n2Ib811t0877人間七七四年
2013/08/12(月) NY:AN:NY.ANID:9yECAV+6>外れないようになっていても、勇士が戦いに斃れると、直ちに体はやせ細る
いくら科学が発達していないからって、経験的にありえないって分かるだろ(´・ω・`)
0878人間七七四年
2013/08/13(火) NY:AN:NY.ANID:EWgVWtBb俺はフンドシの死体をみたことがないから、経験的にはわからないなぁ
0879人間七七四年
2013/08/13(火) NY:AN:NY.ANID:JFDt+KEn0880人間七七四年
2013/08/13(火) NY:AN:NY.ANID:mECXmptMその結果ドラクロワの有名な絵「民衆を導く自由の女神」の倒れてる男みたいになる。
0881人間七七四年
2013/08/13(火) NY:AN:NY.ANID:gF9vDsen胸がはだけるのか
0882人間七七四年
2013/08/13(火) NY:AN:NY.ANID:R6kFwoiy時代が後になるとラテン語がおフランス語にかわったりする
0883人間七七四年
2013/08/13(火) NY:AN:NY.ANID:y6xeEluy如水の郎党・井上九郎左衛門と渡り合うことになり、討死を遂げてしまった。
里人は後に、石垣原の近所の別府という所の浜に石塔を立て、吉弘加兵衛尉と書き付けて安置した。
加兵衛尉は名高い武士であったので、心ある侍はこの石塔を拝しながら通ったという。
一方、近所の人たちは、瘧で震えが止まらなくなると塩垢離をとり(海水で身を清め)、洗米やお神酒などを供えて、石塔を拝した。
すると、瘧はたちまちのうちに治ったそうだ。
後に、加兵衛尉の子どもがこの話を聞いて別府に行った。
そして、父の石塔に向かって語りかけたのである。
「父上!手向けられた洗米や神酒のせいで、墓所がめちゃくちゃ見苦しいことになっているではありませんか!
今後は、手向けなど取らず、塩垢離のみで本復させるようになさってください!
さもなくば、瘧を治すようなことなど、一切お止めになってください!」
それ以降も瘧治しの御利益は続いたが、息子の言葉通り、塩垢離をとるだけで治るようになったという。
(播陽諸所古今物語)
0884人間七七四年
2013/08/13(火) NY:AN:NY.ANID:sbGLydInマテ。真ん中のオネエチャンじゃなくてその足元に倒れとるヤツのことやないかと。
血液だけで4〜5リットルあってその半分から三分の一が失われると失血死、
その他にも体液流れちゃうだろうからサウナで2〜3kg絞ったとき位はサイズ減るんかね?
+筋弛緩で緩んでもおかしくはないのかなー。褌使ったことないけど。あれどうなってんの?
0885人間七七四年
2013/08/14(水) NY:AN:NY.ANID:7ccVNWd2いつも槍を取り太刀を取っては勝つ事ばかりを考えている者だった。
ある時、小左衛門が朋友のところへ出かけた際に太刀勝負の事について
口論となった。実際に立ち会って小左衛門が勝ったが、続いて相手の父子
が一度にかかってきたので、今度は小左衛門が敗れた。
このやり方をもっての外だと怒った小左衛門はその場を立ち去り、相手を
討ち果たす覚悟を決めた。
小左衛門は一門に人を廻して「珍しい肴が到来したので料理して振る舞い
たい」と告げ、一門の者を呼び集めようとした。この事を横目が聞きつけ
様子をうかがっていたが、怪しい行動であったので家晴公へと報告した。
家晴公はすぐさま小左衛門を高城へと召し寄せられ、直接話を聞かれた所
この間の兵法勝負について憤懣がある事を知られた。「実際にあった事を
残らず申せ」との御意を受けて、松下は全ての事情を申し上げた。
その時、家晴公は「何事も私の為に堪忍せよ」と言い褒美として掛硯から
白銀3包を取り出して手ずから与え「この銀を急いで持ち帰り、一門の者
どもへ酒肴を調えて馳走せよ」と仰せられた。
この有難い措置によって小左衛門は遺恨を捨てた。
その後、家晴公が御近習の者へこの事をお話になられた事があり「この間
は安い値段で良い買い物をしたよ」と仰せられ、御近習の者が「いったい
何を買われたのですか」と尋ねると「役に立つ武士3人を銀3包で召し置く
事が出来たのだ」と仰せになられた。
小左衛門は高麗御陣にもお供してたびたび手柄を立て、帰陣後に家晴公が
他界された際には最初に殉死したと言う。
(古老咄聞書)
龍造寺家晴の良い買い物の話
0886人間七七四年
2013/08/14(水) NY:AN:NY.ANID:6CI0eY2o0887人間七七四年
2013/08/14(水) NY:AN:NY.ANID:WtnzsioH0889人間七七四年
2013/08/14(水) NY:AN:NY.ANID:B20Gs58+ちなみに龍造寺の家兼さんの親父さんは康家で家康の逆さまだったりする
0891人間七七四年
2013/08/14(水) NY:AN:NY.ANID:9Eku+TQl亀レスで申し訳ないが、その話は『細川三斎「パンツじゃないから」・いい話?』
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-996.html で紹介済みなんだけど、
>>875では伊藤某という立花宗茂の家臣となってるけど、上記リンクの中では
細川家の御用医師・伊藤三白と細川家の人間となってますね。
0892人間七七四年
2013/08/14(水) NY:AN:NY.ANID:p1kaldgK良き「人材」は財産、まさしく「人財」ですなー(^O^)/。
0893人間七七四年
2013/08/14(水) NY:AN:NY.ANID:TdjXKN36ある日、この二人が共に下城することがあり、宗茂は忠興を自邸に招き
自ら茶を点てて饗した。この折に、忠興が宗茂に尋ねた
「あなたは、自分の臣下を治めるのに苦慮することなど少しもないと仰っている。
それは果たして真のことであろうか?
あなたの家臣が善士に富むと雖も、一家を運営するというのはそれでも難しいものです。
いわんや一国の運営に到っては。
私はあなたに、治国の要を聞くことを請いたい。」
宗茂はこれに答えて
「別に、これといった秘訣はありません。
ただ何事も隠し立てをせず、閨中で家内に語るようなことも、臣下一般が知るように
望んでいます。
このようですので、臣下一般は私を信じ、何事も背くことはありません。
それ故に、国内も自然に治まりますので、何の苦心もありません。
私もまた、臣下一般を信じて、横目(監視官)など用いたことはありません。
外様の者であれ、譜代の者であれ、自分の家内同様に心得て、国を治めています。」
この宗茂の公明さに、忠興はいよいよ彼への尊敬を重くした、とのことである。
(古雄逸談)
0894人間七七四年
2013/08/14(水) NY:AN:NY.ANID:Rd9AfSFqこの話のコメントの逸話はこれだったのか
0895人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:IC86NBdk心のノートにメモぢゃ。
0896人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:SXl1NlBa0897人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:pR/+yBr7ある時眼前の敵にかまわず退いた事があり、神君は「半之丞はどうして
眼前の敵にかまわず退いたのか」と尋ねられた。
半之丞はこれに答えて
「我らに立ち向かってくる敵でならば、この身に矢が当たろうともその
敵を討ち取らずに退く事はありませんが、戦いを好まぬ敵は眼前にあろう
とも捨て置き退きます。
敵であろうとも従えば味方になります。ならば手向かいしない者を殺す事
は好まず生かして従える事こそ本意かと存じます。」と申し上げた。
神君は「知仁勇兼備である」として、ことのほか褒められたと言う。
(明良洪範)
0899人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:IjM0H9nU信濃、甲斐、駿河、上野等を尽く平定した。織田信長はたいへん喜んで、
福富平左衛門貞次を使いとし、信忠に父信秀の遺刀を授けて、
「お前が出陣することわずかに三十日で大敵を滅ぼし、数国を平定したことは、
先祖を辱めない活躍というべきである。今年の冬には必ず天下兵馬の権を譲ろう。
いま家伝の宝刀を授与してしるしとする」と、言った。(寛政重修諸家譜)
信忠は畏まってたいへん喜びながらも、天下を譲ることについては、
「いまだ若輩ですので思いも寄りません」と、返答した。(当代記)
0900人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:UlTecr3e0902人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:BxbQ080h0903人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:gQEbRXYh弟にあたる)が死去したため、秀吉は非常に盛大で荘厳な葬儀を行うことにした。
この葬儀には前田玄以の長男で、すでにキリシタンであった前田左近将監秀以も、他の人々と
一緒に招待されたので出席しなければならなかった。葬儀が始まってから秀以は、困ったことに
直面していることに気づいた。葬儀では仏教の形式に従って故人の像に敬意を捧げて
焼香しなければならないのだが、キリシタンである秀以がこれをすると背教者となってしまう
恐れがあるのだ。かといって立場上、拒否するわけにもいかずに悩んだ末、秀以は席を外して
自分の名前が呼ばれる時には その場にいないようにした。
葬儀で参加者たちを順番に呼び出す係の者は、秀以が退出した理由をすぐに察したので
わざと前田秀以の名前を小さく呼び、そして、すぐ後に次の者の名前を呼んだ。幸いなことに
参加者たちの人数があまりにも多かったため、前田秀以の不在は気づかれずに済んだ。
(イエズス会日本年報 ルイス・フロイス書簡)
0904人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:Mvv5JElJ0905人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:AwzhUaBg0907人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:gQEbRXYh死去の年が関白豊臣秀次の切腹事件と同年なのでまぎらわしいな
0908人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:pR/+yBr70909人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:goy77eNo0911人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:7FJpiMexこれをそのへんの市井の民に言ってたらあほだけど
0912人間七七四年
2013/08/15(木) NY:AN:NY.ANID:zLCbihqK興味わいてきたので、なんか他の逸話があったら教えてください。
0913人間七七四年
2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:y/DTOoie念斎は嘉明の頼みに応じて、松山市街創設の際に町家の地割を行い、その経営に尽力した。
また、独力で濠を堀り、これを念斎堀と称した。
この念斎はそそっかしい性質で失言することが多かった。妻はこれをとても憂慮して、
嘉明に夫の性質を正してほしいと求めた。
これに嘉明は「不覚は大事というわけではないから、それほど気にとめなくともよい。
一日に三回までの失言は許しなさい。それ以上の時は注意しなさい」と答書してその末に歌を附した。
「六十にあまりしまでのねんさいを、いまさらしめすつまのやさしさ」
――『加藤嘉明公(伝説、仲田文書)』
0915人間七七四年
2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:yNmQ+qR70916人間七七四年
2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:imKNgb6q御相伴・御相客は板倉内膳(重昌)殿、柳生但馬守(宗矩)殿、内藤外記殿、その他
多数がおられた。
形式通りに酒宴も過ぎて、政宗が帰宅するという時、頼宣もそれを玄関まで見送りに出た。
政宗は振り返り、紀州屋敷の大広間に、老若がひしと膝を組んで詰めるほど、紀州家の家臣たちが
伺候しているのを見て頼宣に語った
「さてもさても、申すも愚かなことですが、あなたの歴々たる家中の者達の多さに、目を驚かせて
しまいました。これだけの内衆を持たれて、只今の若上様(家光)への御奉公は、少しも
抜かりがない事でしょう。
これだけの人数があれば、たとえ今から大国に攻め入っても、お手柄の御勝利は間違いないでしょう。
そうそう、ついでのことですが、申し上げます。
もし紀州において、御国の境目論(国境紛争)などがありましたら、早々に私にお伝え下さい。
我が手勢を二千も三千も召し連れ紀州まで罷り越し、少しもあなたには手をかけさせず、
この年寄りが参って、いかようにも取り扱いいたしましょう。
と、このように申し上げましたが、
もしあなたが、今の若上様を蔑ろにするようであれば、かく言うこの年寄り、日ごろ国元に秘蔵し
差し置いてある郎党共を召し連れて、真っ先に紀州に攻め入ります。
…左様にお心得候へ」
人々はこれを聞いて「言い難いことを何とはっきりというのか」と感嘆した。
後でこの場に居た板倉重昌からこのことを聞いた徳川家光は、殊の外機嫌が良かった、と、
これは後に板倉殿自身が語られたことである。
(政宗公御名語集)
伊達政宗、南龍公を脅しつける、という逸話である。
0917人間七七四年
2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:zDDjBTD6まあもちろん家光への接近はその失敗の反省込めてリサーチした上でやってたんだろうけどな。
0918人間七七四年
2013/08/17(土) NY:AN:NY.ANID:wo+M4z9Zここで「また政宗がかっこつけてしょーもないこと言ってるぞw」とならないのが不思議だわw
こいつはこういう奴だろw
0920人間七七四年
2013/08/18(日) NY:AN:NY.ANID:3j0TWzxv0921人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:R1/uJbW+数多召しだされ、終日自身で訴訟案件の処理を行った。
政宗は八つ過ぎ(午後3時頃)まで急速も取らず、種々様々なことを仰せ付けられていたが、
この御裁きの最中に、諸奉行たちに仰せられた
「私に少しいとまをくれ。皆々もその間、休息をしてくるように。」
そうして次の御座敷に立ち、四方の障子などを立てて、12〜14歳くらいの、奥小姓、御禿などを
7,8人呼ばれた。
周りが、何事だろうと思っていると、政宗はこの少年たちに色々可笑しい昔物語などをさせ、
一人で腹を抱えて大爆笑していた。
人々これを見て「何してるんだろう?解らん。(つひに覚え申さず候)」と言っていた。
ややしばらくして、政宗は元のように御座敷に出て、それから暮に及ぶまで種々様々な沙汰について
諮問し、処理していった。
後で政宗は
「気がくたびれては、思わぬ判断の間違いを犯すものだ。であれば、沙汰の判断に迷い
罪の無い者を罪としてしまっては不便な事である。
あのように息抜きし心持ちを晴らすのも、国のため、身のためなのだ。」
と話された。諸人は、誠に有り難いことだと感じ入ったとのことである。
(政宗公御名語集)
いい話になっているけど、多分途中で飽きちゃって、気分転換しただけなんでしょうねw
0922人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:iknAmSdJという事がいい話に思えるんだが。
0923人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:GzHOT4N5明石家さんまみたいなイメージだ。
よくしゃべるし、人前ではずっと冗談言ってるけど、ふとしたときに怖い表情しそう。
一人になったときに自分の言動チェックしてそう。
さんまは鬱期がないタイプの躁うつだとか言ってる人いるけど、政宗も躁うつっぽい感じがする。
0924人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:ZnzarL+L0925人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:DlVoeBWW0926人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:WZpK/JYx0927人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:8kqD3Adw0928人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:ZnzarL+L0929人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:dZERyMgW0930人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:DlKR9j+W0931人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:R1/uJbW+この時宗茂は、長政を伴い一日、鷹狩を行った。
ところが田園を探し尽くしても獲物を獲ず、たまたま飛ぶ鴨を見つけても、
鷹は普段は敏捷なこと無双なのに、この時は一羽も捕らえることが出来ず、
宗茂は甚だ不満な有様であった。
帰路、田の畦のはるか向こうに一羽の鴨を見つけると、宗茂は長政に向かって言った
「今日の狩りでは、鷹はその功を奏することができませんでした。
あなたの為に、あの一羽を獲りたいと思います。」
そうして矢を引き絞り、14,5間(約25〜27メートル)隔てた鴨に向かって射ると、
一発、直ちにその鴨を斃した。
浅野長政はその妙技に大いに驚いたが、なお一箭を残していた宗茂は、これを弓に当て
従者を呼んで
「鳥はいないか!?鳥はいないか!?お前たちどうして捜さないのだ!?」
そう次の獲物を捜させるが、長政はこれを止めて
「あなたの射術の妙技については、私は既にこれを理解しました。
しかし、もし今一度これを試みて万一失敗すれば、前功もたちまち虚しくなるというものです。
再び行うのは、止めた方がよろしいでしょう。」
しかし宗茂は笑って答えず、と、この時一羽の鴨を見つけた。
翩々としてススキの穂の上の方におり、頭と尾がわずかに見えた。これは「ほう白」であった。
宗茂はこれを見るや直ちに矢を放つと、左翼を貫き「ほう白」は地に落ちた。
長政は宗茂を喝采し、いよいよその妙技に感心したという。
(古雄逸談)
0932人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:To1S2tIh0933人間七七四年
2013/08/20(火) NY:AN:NY.ANID:rIV2E+ot内容が「この夏、東西に分かれ天下二分する戦いが繰り広げられる、さてこの戦いで将軍の座につくのは誰だ?」というで
「夏の陣って孤立無援の裸城を根城にした浪人軍と幕府軍の勝ち目の解った戦いじゃないの?そういうのを模した内容なの?」って聞くと激おこプンプン丸だった
もちろん見に行ってない。
0935人間七七四年
2013/08/20(火) NY:AN:NY.ANID:WRdv2agFほかにもスレあるだろうに
0936人間七七四年
2013/08/20(火) NY:AN:NY.ANID:rIV2E+ot0937人間七七四年
2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:jTES72Z1「私は若年の頃より軍陣に臨み、幸いにして勝利を得てきたが、それは私の武道のお陰ではなく、いわば、時の運なのだ。
というのはな、勝利を確信した上で押し懸り、それで勝利を得るのが正道の弓矢というものである。
一方、負けるのが解っていて、それでも戦おうとするのは、目が見えぬまま何かを行うのと同じで、愚かの至である事
勿論である。
ところが私は、必ず負けると見ても、無二無三に攻めかかって、それで勝利を得てしまったことが度々有る。
何とも時の幸いとしか言えないではないか。
だがな、私が『撤退するのは卑怯だ』などと思って無理な働きをしようものなら、それこそ敗亡は一瞬のうちであろう。
信玄公は名誉の戦上手であった。信長さえ彼を神のように恐れ、一度も甲州に出兵することはなかった。
しかし彼の才能は天禀の致す所で、真似ようとして真似できる智慧ではない。
ところが勝頼は身の程を知らず、父の形ばかりを真似し、今度の長篠の大敗を招いたのだ。」
そして一息ついて
「こうなってはもう、勝頼も信長に対抗するような元気は無く、幕下の侍大将も、次第に彼を見限るだろう。
この隙を狙って我が旗を出せば、信州から西上野は言うに及ばず、甲州までも手に入れるのは容易である。
しかし年若い勝頼を辛い目に合わせるのは、私の本意ではない。
まあ、今に見ておれ。捨てておいてもやがては、私の幕下に従いに来るだろう。」
そのように言われたのである。
(上杉謙信言行録)
0938人間七七四年
2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:ULY3rSq+軍神様、予言が外れてます
いい話じゃない気がする
0939人間七七四年
2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:UbioZX+F0940人間七七四年
2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:Cg/D/ibc0941人間七七四年
2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:5C4XOeBD0942人間七七四年
2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:Cg/D/ibc0944人間七七四年
2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:MigaQOcQ北条が織田と武田のどっちかを選ばざるを得なかった?
何を言ってんだこのアホはw
0945人間七七四年
2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:6zA7awEo0947人間七七四年
2013/08/21(水) NY:AN:NY.ANID:zZxhS/2r「尊齢すでに知命に及ばれたのですから、今よりは何事もすこし御ゆるみになられて、
御心のままに御遊びなどなさってはいかがですか」と申し上げた。
これに秀忠は「お前たちのような立場なら年老いた後に何事をしたからといって
妨げもないだろうが、わしは恐れ多くも太政大臣の地位にあって、天下の多くの人々が
仰ぎ見ているのだから、死ぬまで慎んでもなお足りないのだ」と言った。
高虎は恐れ慎んで、秀忠が老いても謹慎を怠らないことに感銘を受けたということである。
――『徳川実紀(武家閑談)』
0949人間七七四年
2013/08/22(木) NY:AN:NY.ANID:A+4h7HRK国に帰り、家政を見舞った。しかし家政は喜ばず、近臣を介して、
「参勤は公事であって私的なことではない。一度国を出れば、生死はわからないものだ。
武士の出門は常に決別と知れ。故に今になって対面することは不要。早く帰って公事を怠るな」
と告げて、ついに忠英と会わなかった。
――『蜂須賀蓬庵』
0950人間七七四年
2013/08/22(木) NY:AN:NY.ANID:NHyKSG+7正勝(小六)、家政、至鎮と初代阿波藩主っぽいのが三人いるからややこしい
0951人間七七四年
2013/08/22(木) NY:AN:NY.ANID:Dz5fdAGkそれは光茂さまの御代のこと、
光茂さまがにわかに能を習おうと御思いになられたとき、
城内に能に心得のある者がいなかったので、
あちらこちらとお探しになられると、
安住権右衛門の養子の源七という者が、
藤島清左衛門の弟子で、能をよくするということがわかった。
源七は、そのとき台所仕事をしていたのだが、
光茂さまに召しだされ、お側で能の相手を勤められるように、
召しだされたその場で、その日から武士として取り立てられることになった。
予想もしない急な御取り立てで武士となったことで、
源七は城内ではひどくまわりに気を使い緊張するばかりであったという。
千左衛門はそれを見て、
「そなたはさぞかし気を使っていることだろう。
急な御取り立てゆえ無理もないとは思うが、
失礼ながら心の落ち着けかたをそなたに教えようと思う。
いきさつはどうあれ、一度御取り立ていただきそれを受けたなら、
武士としての立身の本望をそなたは達したわけだ。
このあと、浪人を仰せつけられても、
また、切腹を仰せつけられようとも、
もはや立身を成し遂げたあと、心残りはないはずである。
一度立身したからには、心に思う武士の働きをして、
それで浪人になろうとも、一身の面目であろう」
と言った。
この一言で、源七の覚悟がきまり、
無用の緊張がとけ、安らかな心で奉公出来るようになったとのことだ 【葉隠】
0952人間七七四年
2013/08/23(金) NY:AN:NY.ANID:nQGgdFhz0953人間七七四年
2013/08/23(金) NY:AN:NY.ANID:CVNQNxzlその上お殿様の傍で働くなんて誰だってビビるわなw
0954人間七七四年
2013/08/23(金) NY:AN:NY.ANID:0AzTc+dD徳川家康ゆかりの浜松には家康由来の地名が多いが、浜松駅近くの肴町もその一つ。
先日某番組で放送していたところによると当時は浜町駅の近くまで海が迫っており、付近では魚市場が栄えていたため、家康が肴町と名付けたのだとか。
駅前の繁華街となった今でもその名残を残す卸問屋があり、その歴史を伝えている。
なお、その肴町を整備したのは本多・高力・天野の三奉行である。
約100年後の寛文8年には時の浜松藩主・太田資宗より家康由来のため専売の権利がある旨再確認された。
ちなみに浜松の茄子町・小豆餅についても取り上げられていて、茄子町はもう茄子は作られていないが、小豆餅は今でも美味しいお店があるらしい。
家康公の威光が100年続いたいい話?
0955人間七七四年
2013/08/23(金) NY:AN:NY.ANID:kI/piEBj嫌がる人など居るはずも無い
0956人間七七四年
2013/08/23(金) NY:AN:NY.ANID:IxPvfyLU0957人間七七四年
2013/08/23(金) NY:AN:NY.ANID:jVzGwDvdところが葉隠には農民になりたいと主君に訴えでるも、
なかなか武士辞めさせてもらえない人物の話もあるんだなこれが
0958人間七七四年
2013/08/23(金) NY:AN:NY.ANID:CVNQNxzl普通追いつかれないだろw
0959人間七七四年
2013/08/24(土) NY:AN:NY.ANID:v48JZHfQ0960人間七七四年
2013/08/24(土) NY:AN:NY.ANID:FYzGJQbF至鎮は始終じっと聞いているだけで、まったく明弁しなかった。
正則は退いて至鎮の老臣に向かい「私はこれまで多くの人を見てきたが、
威徳の備わっている人を見たことがない。将来、天下の名将となるであろう者は、
唯々、長門守である」と語って、痛く感嘆したという。
――『峻徳公略伝』
0961人間七七四年
2013/08/24(土) NY:AN:NY.ANID:s3ENaWub杯を挙げ、宗茂にこの様に言った
「今日以後、お主は道雪の子である。夢にもこの紹運の子であると思ってはならない。
もし明日にも、不幸にして武道において私が道雪と相戦うことに成るかもしれない。
一旦戦端が開かれれば、お主は道雪の先陣として、この紹運と戦うのだ。
あの道雪は、いささかの未練であっても嫌悪する豪勇の士である。
お主がいささかでも未練の念を発し躊躇する様子があれば、道雪は直ちにお主を義絶するであろう。
もし道雪に義絶されるようなことがあればそれは、武士の恥辱であり末代までの笑い草と成る。
その時は、この刀を以って潔く腹を切れ。
誓って、ここに帰ってきてはならんぞ。」
そう語ると長光の一刀を与えた。
宗茂は涙を流して、これを受け取ったという。
(古雄逸談)
高橋紹運と立花宗茂の、父子の別れについての逸話である。
0962人間七七四年
2013/08/25(日) NY:AN:NY.ANID:pQVN68TX馬よりも速く走る老婆がいたからだろ。
不可解なことだが、武田の騎馬武者より速く走る老婆に追われたら焼味噌くらい漏らしてもおかしくはない。
0963人間七七四年
2013/08/25(日) NY:AN:NY.ANID:cbKLJFzI「仮初に人に振る舞いをするときは、料理こそ第一の物である。
どんな時でも、その亭主が勝手に入らず、もし料理が悪く虫気(食中毒)でも起こすようなら、
その後どれだけ気遣いをせねばならないか。そうなっては、その人を呼ばぬことよりも
はるかに劣る事態となってしまう。
昔は誰をもてなしに招待するにも、その人のつてを以って、嫌うものを聞き届けてから
もてなしをしたので、非常に心安かったものだが、最近はそういった習慣も無くなってしまい、
気遣いが一層多くなってしまった。
人をもてなす時は身分の上下によらず、馳走のために多くの道具を揃えるのは無用である。
さしたる物ではなくても、1,2種求め、それに何か品をつけ、目の前で料理するか、
あるいは亭主自らが料理して盛ったなら、そのまま座敷に持って出すのがいい。
これこそ一種の、御取り成しと申すものである。
これは何々と言うような珍物を数多く出すよりも、ずっと優っているのだ。
そして食事の場を、涼やかで清潔にしていることが馳走なのだ。
それから、種々様々、百品千品取り揃えて一度に振る舞うよりも、なんてことのない物、一種二種づつでも
折々にもてなすことの方が優っているのだぞ。
友は馴れるほど親しくなるものだ、一度に持て成すなどというのは、仕方なくやる事であり、
その奥意には、その人をおざなりにしている気持ちが有るのである。
これはあらゆる事に当てはまる。
理の無い所に力を入れて、人ごとに、むやみに我が理を立てようと言い立てるのは、
結局はその者の無分別さ、臆病さが致す所なのである。」
(政宗公御名語集)
伊達政宗の、もてなしの心についての言葉である。
0964人間七七四年
2013/08/26(月) NY:AN:NY.ANID:wvaqXLaT0965人間七七四年
2013/08/26(月) NY:AN:NY.ANID:hmMyPALh直家「もてなしかたならまかせろー」
0967人間七七四年
2013/08/26(月) NY:AN:NY.ANID:vLA1EGRy恒興は輝政を試してみようとして「この栗が欲しいか」と尋ねると、輝政は「欲しいです」と言った。
そこで恒興は火箸で火の中にある焼栗を取り出して、そのまま差し出した。輝政は栗を手に受けて
押し戴き、何気ない様子で食べた。
――『名将言行録』
0968人間七七四年
2013/08/26(月) NY:AN:NY.ANID:U43fJV3M0969人間七七四年
2013/08/26(月) NY:AN:NY.ANID:T+mlkPFf0970人間七七四年
2013/08/26(月) NY:AN:NY.ANID:2J+/Kijn0971人間七七四年
2013/08/26(月) NY:AN:NY.ANID:NdSD+sXp0972人間七七四年
2013/08/26(月) NY:AN:NY.ANID:n5dbDePS0973人間七七四年
2013/08/26(月) NY:AN:NY.ANID:LnviN91zレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。