戦国ちょっといい話37
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0706人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:w1rOqJDb高力与左衛門清長について、これは三河一向一揆の時のことである。
高力の家の領地、高力郷は、一向一揆の本拠地といっていい土呂郷の隣であり、
一揆の脅威の正面に在り、領内の騒擾甚だしく、家康からは濫妨の禁止を命ぜられたものの、
一揆方よりの狼藉を止めることは難しかった。
そこで高力は思案し、高力郷中の仏像経巻を全て一ヶ所に集め、安全な場所に保管した。
一向一揆が静まると、高力はそれらの仏像経巻を取り出して元の寺々に返した。
これに寺僧はもちろん、郷民たちも大いに喜んだ。
これより後、人々は高力清長の事を「仏高力」と呼ぶようになったという。
(徳川武士銘々伝)
「仏高力」の名の由来について、こういう話もあったんですね、という逸話。
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