今日、陣儀(公卿が政策決定を行う会議)があり内府家康公が将軍ならびに
右大臣に補任された。
上卿(陣儀の最上位者)は広橋大納言兼勝卿。奉行職事は烏丸左中弁光広
朝臣。参仕弁は坊城左中弁俊昌朝臣。淳和奨学別当、源氏長者、牛車兵仗
等も宣下される。

辰刻、山科内蔵頭(言緒)、冷泉中将為満朝臣が紗狩衣を着用して共に伏見
城内府亭へ向かった。(彼らの役割は家康の装束関係と思われる)

午未下刻、上卿他諸役衆が伏見に向かわれた。

内府は皆が佇立している間に御対面所へ御出でになり上段中央へ南向に
着座された。御装束は左折の折烏帽子、香(紅色の)直垂、露(直垂の袖口から
垂れている紐)は萌黄、前後の腰帯は白生絹。

土御門左馬助久脩が御身固(身体の堅固を祈る儀式)に参り、久脩が退いた後、
上卿・奉行職事・参仕弁等が前に進む。上卿が着座する前に勅使右大弁宰相
(勧修寺光豊)が前に進んだ。

続いて官務(壬生)右大史孝亮が将軍宣旨を葛蓋(文箱)に入れて持参。大沢侍従
(基宿)が受け取り、家康公の御前に置いて披覧。それから御座の脇に置かれた。

西の縁の方に砂金袋が置いてあり、永井右近(直勝)が砂金を葛蓋に入れて大沢
侍従に渡し、大沢侍従は葛蓋を壬生孝亮に返した。

次は(中原)大外記師生が右大臣宣旨を葛蓋に入れて持参。その様子は将軍宣旨
と同じであった。

次は壬生孝亮、氏長者宣持参
次は中原師生、源氏長者宣持参
次は壬生孝亮、淳和奨学両院別当の宣旨持参
次は中原師生、牛車宣持参
次は壬生孝亮、牛車宣持参
次は中原師生、兵仗宣旨持参
その都度、砂金をたまわる。

次は上卿に黄金十枚を台に乗せて給わり鞍置馬も給わる。次は勅使に黄金五枚
並びに鞍置馬を下され、次は奉行職事に黄金五枚を下され、次は参仕弁に、金
五枚枚を下された。各々は御礼を申しあげ、すこししてから座を立った。

上卿と勅使は太刀を折紙にて進上して御礼申された。次は奉行職事と参仕弁は
太刀で御礼申され。次は大外記、官務、少史安陪盛勝、小外記三善英芳、出納職、
清同、職忠、外記、使部重昌、官使部、告使はそれぞれ太刀にて御礼申され。
次に陣官人は太刀は進上せず、それぞれ御礼を申しあげた。

御礼の後は(饗応の為に)常の座敷に上卿以下が入られ平伏する間に、家康公が
お入りになられ予(舟橋秀賢)冷泉(為満)山科(言緒)等もお供して移った。

地下録物(葛蓋に入れられた金額)
将軍宣旨砂金二十両、右大臣宣旨金十両、氏長者宣録、外記、官務へ両宣旨
十両ずつ、牛車両宣旨十両ずつ、淳和奨学両院別当宣録、十両、兵仗宣録、十両
以上、金九枚

少史、小外記、出納、使部、告使、陣官人等へは銀子三枚ずつ下され、
各々に差はつけられ無かった。

(慶長日件録 慶長八年二月十二日条)

家康の将軍宣下の様子である