戦国ちょっといい話37
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0262人間七七四年
2013/05/12(日) 16:38:22.90ID:I8hjgfPM重臣集まり、これは由々しき事態である。敵が近づく前に先ず大磯・小磯に人数を出し防衛戦を形成して
ここで交戦を行う。その上で江戸城、河越城の人数を出して敵を挟撃しよう、などと評議していた。
ここに大屋形である北条氏康が、老臣たちを呼び寄せて言った
「今度の長尾景虎発向の事をよくよく考えてみたが、確かにそなたたちの作戦案も尤もである。
であるが、今度の敵である景虎という人物は、天性健やかなる若者で、血気盛んであり、
腹を立て怒る時には、火の中にも飛び込もう、鬼であっても掴みひしごうと考える、短気な勇者である。
であるが、怒りの時が少し過ぎれば、その勇猛さは醒め、万事に思い悩むような傾向があると聞いている。
今回彼は上杉憲政より職を譲られ関東管領を名乗り、諸侍を配下に付けたため、彼らが自分を見ていることを
意識し、一層強さを見せようとするだろうし、その上多勢である。
であればその勢とぶつかるよりも、人数を出さず籠城し、彼の血気を悩まし、その塩を抜くのだ。
向かってくる鋭鋒を避けてその惰気を討つ、というのはこの事だ。
勇気疲れ数日対陣し、食に飢えたところを、討つべし。
私は一日片時も枕を泰山の安きに置かず、粉骨をなし私欲を去り、士卒の労に変わって身を苦しめ、
現在の乱世を治めて日本の衰えた政道を興し、永遠に仁政が行われる事を欲する者である。
そして、進退にあたってはその機に応じて変化させることも、勇者の心とする所である。
今度の合戦、手を下したとしても、進むべきを知って進むのは時を失わざるためである。
退くべきを見て退くのも、後を全うして国を治めるためである。
先ず籠城の用意をし、敵を外に引き寄せてその馬の足を疲弊させよ!矢弾を尽きさせよ!
此の方から人数を出すべからず!」
この氏康の仰せを、北条氏政を始め重臣の面々も、尤もであると感心し、籠城の用意を始めた。
(關侍傳記)
小田原籠城を決めた、北条氏康の演説である
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