石川善助と言う者は、かつて三十貫の知行で徳川家康に仕えていたが、徳川家を出奔し、
加賀において三百貫の知行を得ていた。おそらく一向宗であったのだろう。

ところが、三方ヶ原の合戦で家康が敗北したことを聞くと、三百貫を捨てて家康の元に帰参してきた。
家康も不思議に思い

「どうして帰ってきたのだ?」

と尋ねると、善助は

「三方ヶ原にて御負けになったと承り、御用に立とうと罷り帰って参りました!
聞いた所によると、上方の誰々とか言うような名の通った者達を、80人ばかり召抱えて出陣した所、
その者達は皆、逃げ出したそうでは有りませんか!
だいたい上方者などというのは、何れもそういう連中なのですぞ!」

つまりまあ、そんな連中を召抱えるくらい困っているのであれば、自分が帰った方が役に立つ。
と言いたいのであろう。

これを聞いた家康は

「お前が居なくても、私が事欠くようなことなど有るものか!」

と強がったが、影では喜んでいたそうである。

(汝が無きとて御事欠らるべきやと御意成候へども、影にては御よろこび被成候由)
(紀伊國物語)

ちょっとツンデレな家康と三河者のお話である。