「久庵慶珠」
『崇福寺宛信忠文書』より
元亀2年(1571)奇妙の名で出された岐阜の崇福寺に一切の
諸役を免除するという判物、
天正5年(1577)6月に出した崇福寺が久庵慶珠の位牌所で
あると記され、崇福寺に諸役を免除する判物がそれぞれある。
通常判物が出せない元服前の奇妙(信忠)が寺に諸役免除の
判物を出していることから奇妙が元亀2年(1571)6月に
久庵慶珠の葬儀の喪主を務めたと考えられ
天正5年は回忌にあたり、崇福寺で7回忌法要を行ったことによる
優遇と考えることが出来る。
この久庵慶珠は信忠の実母と考えられ、更には濃姫の可能性もあると
考えられる。この説の場合は、濃姫は元亀2年死去となる。