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【織田家】濃姫(帰蝶)と斎藤家 その7【家老?】

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0001人間七七四年2012/11/22(木) 01:23:06.16ID:kfnBpwj5
織田信長の妻。斎藤道三と明智光継の娘小見の方の娘。
明智光秀とは従兄妹同士という説がある。本能寺の変で薙刀を振るい戦死したという説があるが実際は不明。
「濃姫」という通称は「美濃出身の高貴な女性」という意味である。

道三が「信長侮れず」として政略結婚で妻とさせた女性で、
甘美な果実のようだが毒を含む、いわゆる毒苺的な役目も担ってたという説があります。
濃姫が道三の言う通り隙あらば信長を暗殺しようとする後世の作品・逸話もいくつか見受けられます。

このように濃姫は謎の人物で、史実云々を語るよりも時代小説・大河ドラマなどで
脚色された新たな濃姫像を語る方が多いかもしれません。
色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!

ついでに兄弟の斎藤利治(長龍)、利堯、日暁、日覚、末裔の徳元も語っておk。

濃姫(帰蝶)総合スレ その6
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1270089010/
0002人間七七四年2012/11/22(木) 21:00:16.49ID:grLuSIyQ
ふ〜む
0003人間七七四年2012/11/26(月) 23:03:21.16ID:nfUsMOln
斎藤利治:織田信忠の家老
斎藤利堯:織田信孝の家老
斎藤元忠:織田秀信の家老
斎藤元信:織田秀信の家老
0004人間七七四年2012/11/28(水) 22:09:43.22ID:WmRecIar
「濃姫」
濃姫という通称は、美濃国出身の高貴な女性という意味であり、
結婚後のものとされる。
0005人間七七四年2012/11/28(水) 22:17:12.37ID:WmRecIar
「帰蝶」
『美濃国諸旧記』より
天文4年に生まれる。父は秀龍、母は小見の方。
天文18年2月24日、織田上總介信長に嫁す。
帰蝶(きちょう)の方、鷺山(さぎやま)殿などと呼ばれる。
0006人間七七四年2012/11/28(水) 22:20:23.08ID:WmRecIar
「鷺山殿」
『美濃国諸旧記』より
小見の方が鷺山城に住んでいたので、
娘の濃姫も鷺山殿と呼ばれる。
0007人間七七四年2012/11/28(水) 22:24:45.90ID:WmRecIar
「帰蝶」
帰蝶は、信長に嫁す以前に土岐頼純(土岐頼武の嫡男とされる人物)へ
一度嫁いでいます。
1546(天文15)年、斉藤道三は主君・土岐頼芸を促して対立していた
前守護・土岐政頼(土岐頼純,土岐頼芸の兄)と和睦するため、
娘の『帰蝶』を土岐政頼の元へ嫁がせました。

このとき『帰蝶』は12歳で、正室というよりは人質の役割が大きかったと
思われます。この政略結婚で追放されていた土岐政頼は美濃へ戻ることに
なりますが、その土岐政頼は天文16(1547)年急死し、『帰蝶』は一反
斉藤道三の元に戻ります。
0008人間七七四年2012/11/28(水) 22:34:22.35ID:WmRecIar
「安土殿」「御局」「大方殿様」
『織田信雄分限帳』に
「安土殿」という女性が、600貫文の知行を与えられているのが
記載されており、女性としては信雄正室、岡崎殿に続き
三番目に記載され、信長生母と推測される「大方殿様」よりも
先に記載されていること、安土城の「安土」という土地を
冠されていることから、織田家における地位の高さがうかがえ、
織田信雄の亡き父・信長の正室にあたるのではないかとも考えられる。
また(「局」が「妻子の居住する空間」を示すことから、奥でもっとも
権威のあった正室を「御局」と称したとも考えられ)、『織田信雄分限帳』
に記載されているもっとも知行の多い「御局」という人物が濃姫という
可能性もある。あるいは、信雄から見て父信長の正室である濃姫は、
「大方殿様」の立場にあたるため、「大方殿様」が(土田御前ではなく)
濃姫だとも考えられる。
0009人間七七四年2012/11/28(水) 22:39:42.66ID:WmRecIar
「養華院殿」
『泰巌相公縁会名簿』より
養華院殿要津妙玄大姉 慶長十七壬子七月九日 信長公御臺

『柳本織田家記録』より
京大徳寺中総見院ニ有之御石塔
(中略)
養華院殿要津妙玄大姉
信長公御寵妾也、慶長十七子年七月九日

(※寵妾が側室のことであれば養華院殿=濃姫では無いことになる)
0010人間七七四年2012/11/28(水) 22:42:43.51ID:WmRecIar
「信長本妻」
『言継卿記』より
同日記に斎藤義龍後家を庇う「信長本妻」の記述がある。
また、同年の日記に「姑(小見の方?)に会いに行く信長」
の記述も見られる。
0011人間七七四年2012/11/28(水) 22:50:55.39ID:RWXIhe9+
>>4
>>5
>>6
は史料的価値が乏しい

>>7
は横山氏の説だろうが史料的による根拠が無い
0012人間七七四年2012/11/28(水) 22:54:01.01ID:WmRecIar
「斎藤道三の娘」
『勢州軍記』には、信長の御台所である斎藤道三の娘に若君が生まれなかったため
側室が生んだ織田信忠(幼名、奇妙または奇妙丸)を養子とし嫡男とした、
などの記述も見られる
0013人間七七四年2012/11/29(木) 00:40:03.15ID:JfIVVogz
このスレはスレ立て主の「チラシの裏」っぽいな・・・
0014人間七七四年2012/11/29(木) 01:35:14.57ID:I5cd9rWS
濃姫のことが分かりやすくて楽しいです。
0015人間七七四年2012/11/29(木) 22:20:53.00ID:aIW+5s+2
「御台出産」
『近江國輿地志』にも、信長と御台所が共に成菩提寺に
止宿したと言う記述もあり、おそらく永禄11年(1568年)頃の
記述と思われ、前述の『言継卿記』の記事の前年である事から
帰蝶の事と考えられる。なお当該記事には、御台出産が書かれている。
0016保守2012/11/29(木) 22:39:06.46ID:aIW+5s+2
「久庵慶珠」
『崇福寺宛信忠文書』より
元亀2年(1571)奇妙の名で出された岐阜の崇福寺に一切の
諸役を免除するという判物、
天正5年(1577)6月に出した崇福寺が久庵慶珠の位牌所で
あると記され、崇福寺に諸役を免除する判物がそれぞれある。
通常判物が出せない元服前の奇妙(信忠)が寺に諸役免除の
判物を出していることから奇妙が元亀2年(1571)6月に
久庵慶珠の葬儀の喪主を務めたと考えられ
天正5年は回忌にあたり、崇福寺で7回忌法要を行ったことによる
優遇と考えることが出来る。
この久庵慶珠は信忠の実母と考えられ、更には濃姫の可能性もあると
考えられる。この説の場合は、濃姫は元亀2年死去となる。
0017人間七七四年2012/11/29(木) 22:44:39.36ID:aIW+5s+2
「なへ」
『崇福寺文書』
天正10年(1582年)に本能寺の変で信長が死去した後は、信長の側室の
代表的存在として行動し、織田家の位牌所を守ったとされている。
ただし、崇福寺に残る位牌所設置の書状の署名が「なへ」であるため、
興雲院の書状であろうとされているが、「なへ」は当時の一般的な女性名で
あるため、興雲院ではない可能性もある。

更には「なへ」が濃姫の実名の可能性もある。
0018人間七七四年2012/11/29(木) 22:47:33.48ID:aIW+5s+2
>>16の後半部分修正

久庵慶珠の葬儀の喪主を務めたと考えられ
天正5年は7回忌にあたり、崇福寺で7回忌法要を行ったことによる
優遇と考えることが出来る。

この久庵慶珠は信忠の実母と考えられ、更には濃姫の可能性もあると
考えられる。この説の場合は、濃姫は元亀2年死去となる。
0019人間七七四年2012/11/29(木) 22:49:01.72ID:ohKT2ni7
淒斬刃双臀 拿穢
セイザンパソウビ ナエ
0020人間七七四年2012/11/30(金) 18:13:50.15ID:a2LEen5n
>>17
>更には「なへ」が濃姫の実名の可能性もある。
それはまるで裏付けのとれていない事。

「なへ」が=側室小倉氏の通称お鍋の方」と、決めつけることも微妙だか
その「なへ」が濃姫の実名か? などどいうのは、2ちゃんでの意見に過ぎない
0021人間七七四年2012/12/07(金) 00:07:22.45ID:4tdNR+41
>>11
『美濃国諸旧記』より
天文4年に生まれる。
父は秀龍、
母は小見の方。
天文18年2月24日、
織田上總介信長に嫁す。
帰蝶(きちょう)の方、
鷺山(さぎやま)殿などと呼ばれる。

この7行のうち他の史料と一致しない(又は無い)部分はどれ?
0022人間七七四年2012/12/07(金) 20:34:05.07ID:+7rXLAov
「美濃国諸旧記」の類本(派生本)である「美濃明細記」、「斎藤軍記」等
を考慮したとしても、厳密にいえば
斎藤道三(秀竜の呼称も確定できない)の娘で織田信長の正室としか確定できない。

批評・検討されると一々、噛みついてくるのがいるけど「確認できない」と
「否定される」のは違うから
だから誰も意見を書き込まないし、空気が悪いからスレが廃れる
0023人間七七四年2012/12/07(金) 22:57:46.39ID:fXSchAX5
母の小見の方はどう?どこから来てどこに住んでたの?
0024人間七七四年2012/12/08(土) 01:11:07.01ID:NiLYj7JZ
>>23
またまた、21に続いていちいちに噛みつき中w
0025人間七七四年2012/12/08(土) 18:09:15.37ID:I/oHpvrU
などと意味の分からないことを申して、このスレの
一般住人に噛みつくのはどうかと思う
0026人間七七四年2012/12/09(日) 11:30:37.17ID:haXwPdjb
>>23
質問の意味がわかりづらいけど、出自ということなら一次史料には見られない。
「美濃国諸旧記」や系図類によれば明智氏の出身(父親については諸説あり)
という事になるが天文年間には死去したとあるので、「言継卿記」にある
姑は別人ということになる。
系図類の記事が誤りとも考えられるが、明智光秀の親類が美濃にいるという
事は「兼見卿記」で確認できるので殊更、否定する理由も無い。

態々「一般住人」とか使う人は「一般住人」でないし、大抵、なりすましだよね
0027人間七七四年2012/12/09(日) 18:41:23.40ID:2dWEN/9L
なにか悩みでもあるの?
0028人間七七四年2012/12/13(木) 00:30:39.80ID:Sdi7KRLb
>>11
ここの人たちは何か勘違いしているようだね。
他の史料に記されていない記述がある史料は、
偽書でない限り、普通は「史料的価値が高い」とされるよ。
美濃国諸旧記はその一例と言える。
0029人間七七四年2012/12/13(木) 17:31:32.68ID:ELmktpdu
小見の方は稲葉氏の遠縁出身と言う説もあると聞いた事があるがそれはどこから出て来た説?
0030人間七七四年2012/12/13(木) 18:01:30.07ID:a4z9tSF7
小見氏と麻績氏って同じ流れだよな
0031人間七七四年2013/01/01(火) 14:27:14.92ID:XihmzRXE
土岐氏に嫁いで未亡人になった道三の娘と帰蝶は同一人物か否か
気になる
0032人間七七四年2013/01/21(月) 00:37:26.74ID:ju+myeyL
何歳まで生きたんだろう?
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