織田信雄、三老臣を成敗する


天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の仲が険悪となると、秀吉と通じたとして
信雄が三老臣(岡田重善・津川義冬・浅井多宮丸)を誅殺するのではないかという
風聞が流れていた。

3月3日、上巳の祝いのために鷹狩で獲った雁を与えると
三老臣へ使いがあったので、皆出仕した。
各々が饗膳の席に着いたころ、信雄は南蛮張の大筒を出して、
これは父祖より譲られたものであると言ったので、岡田・津川は謹んでそれを拝見した。

信雄はさらに岡田に対し、その大筒を持ってみよと言い、
岡田が畏まって大筒を取り手に持った所、土方雄久が飛び掛って抱きつき、
片手に短刀を持ち岡田を突いた。岡田は突かれながらも土方を引っ立て脇差を抜いた。
信雄は大左文字の刀を抜き、岡田を斬ってくれようと、
「雄久放せ!」と命じたが、
土方は、
「大事の役目なので放すわけにはいきませぬ、早く某もろとも斬りなされ!」と答えた。