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戦国ちょっと悪い話34

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年2012/10/23(火) 19:20:04.34ID:FaZWZMUh
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話35
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350554902/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0889人間七七四年2012/12/25(火) 11:37:26.26ID:ZPZHRHYb
>>887
>仙石「・・・・。」
あんたは復活できたから上2人よりはまだマシだろ。
0890人間七七四年2012/12/25(火) 13:57:31.25ID:/io3l886
仙石さんは徳川さんの後押しで復活出来たみたいだけど、なんで徳川さんは助けてくれたの?
0891人間七七四年2012/12/25(火) 14:10:21.46ID:Sx2pncVL
直政「ねえ殿…敵が伏せてると分かっていて突撃するなんて、天晴れじゃありませんか…?」
家康「しかしだな、結果的に味方は大損害を…」
直政「じゃあ、自ら敵に突っ込んでいくような男はお嫌い?」
家康「そ、そのようなことはないぞ///」
0892人間七七四年2012/12/25(火) 14:17:00.22ID:a5ZDCWX4
家康は陣借り許しただけ、後は自分で兵集めて勝手に手柄立てて復帰
何でって聞かれるほどの手間は掛けてないし
0893人間七七四年2012/12/25(火) 15:58:03.21ID:YlWUj1pp
仮にも大名を務めたほどの人物だし、復帰してくれれば自分のシンパにできるしね
総指揮官としてはアレだけど、現場指揮官としてはすこぶる優秀な人だし
0894人間七七四年2012/12/25(火) 20:57:29.83ID:vJy29klx
>>888
斉藤家は京都に刺客送ると失敗するフラグでも立ってるのか?
0895人間七七四年2012/12/25(火) 22:01:55.73ID:0wz/8eSZ
富永恭次「そうそう、大将のシンパなら大丈夫大丈夫」
0896人間七七四年2012/12/26(水) 00:27:24.19ID:f6/0IznD
>>891
クリスマスだったからっていちゃついてるんじゃねーぞw

あ、もう26日か
権現様お誕生日おめでとうございます
0897人間七七四年2012/12/26(水) 02:42:04.09ID:hvn5iwYX
仙谷は徳川の世になってからも優遇されるんだよな
大失態があったとはいえ、助けたくなる何かがあったんだろうな
0898人間七七四年2012/12/26(水) 07:18:06.93ID:vEVuEvQh
>>891
忠吉サンとか「だから(義)息子の前でイチャつくなよな…(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」
帯刀サンとか「|ω・`)……………。゚・(ノД`)人(´Д`)人(Д` )・゚。」
健全三河武士「∩(´・ω・`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・* もうどうにでもな〜れ」
08991/22012/12/26(水) 21:06:18.43ID:1lrPS9Ok
織田信雄、三老臣を成敗する


天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の仲が険悪となると、秀吉と通じたとして
信雄が三老臣(岡田重善・津川義冬・浅井多宮丸)を誅殺するのではないかという
風聞が流れていた。

3月3日、上巳の祝いのために鷹狩で獲った雁を与えると
三老臣へ使いがあったので、皆出仕した。
各々が饗膳の席に着いたころ、信雄は南蛮張の大筒を出して、
これは父祖より譲られたものであると言ったので、岡田・津川は謹んでそれを拝見した。

信雄はさらに岡田に対し、その大筒を持ってみよと言い、
岡田が畏まって大筒を取り手に持った所、土方雄久が飛び掛って抱きつき、
片手に短刀を持ち岡田を突いた。岡田は突かれながらも土方を引っ立て脇差を抜いた。
信雄は大左文字の刀を抜き、岡田を斬ってくれようと、
「雄久放せ!」と命じたが、
土方は、
「大事の役目なので放すわけにはいきませぬ、早く某もろとも斬りなされ!」と答えた。
0900人間七七四年2012/12/26(水) 21:12:51.10ID:LSyBy1dk
大阪夏の陣の時、

豊臣方の大野治房の軍勢が紀伊国に向かう途中、和泉国貝塚で、願泉寺卜半斎という物の出迎えを受けた。
卜半斎は軍勢に馳走を振舞い、貝塚の町や近在から集めた麦飯を集め、半切(樽状の桶)に入れて運び、
また酒も大いに振舞った。

大野治房軍の兵士たちはそれまで夜通しの行軍をしてきたこともあり、疲れ空腹であったので、彼らは
この振舞いを喜び受けると、たちまち酔っ払ってその場で寝てしまった。
さらに岸和田方面の抑えに出ていた、宮田七平の兵たちまで集まってきての酒盛りになった。

このため、この軍の行軍は甚だしく遅れ、戦場に間に合わず、これによって和泉樫井の戦いで
豊臣方は大敗を喫した。

実はこれらは全て、願泉寺卜半斎が豊臣軍の足を止めるための策略であり、彼らはそれに
まんまと引っかかったのである。
(大阪合戦口伝書書入)
0901人間七七四年2012/12/26(水) 21:13:41.26ID:LSyBy1dk
>>899
スマン、割り込んでしまった。
09022/22012/12/26(水) 21:14:31.99ID:1lrPS9Ok
しかし、信雄がしつこく放せと命じるので、短刀でもう二突きした上で放した。
すると信雄はすぐさま岡田を斬り、止めを刺した。

この有様を見た津川、
「そ、某をも誅されるおつもりか?」

信雄答えて、
「汝もどうして赦せようか?」

津川はこれに対して、
「なんと薄情な! 某の心底がお分かりにならないのか!?」

と言ったが、その時かねて討手と決められていた飯田半兵衛らが襲い掛って一太刀斬りつけ、
そこに信雄また続いて津川を仕留めた。

残りの一人、浅井多宮丸は未だ17歳にもならぬ若者だったので、
森勘解由が承って難なく斬り伏せた。
こうして三老臣を誅殺したので、残党を掃討するため岡田の星崎、津川の松ヶ島、浅井の刈安賀と、
三人の居城へそれぞれ討手を差し向けたのであった。

(伊勢国司記略)
0903人間七七四年2012/12/26(水) 22:26:21.74ID:3tvf34An
この話を読む限り、津川は岡田が斬られるのを抵抗もせず見ていたんだよな
仮に翻意があればさっさと刀抜いてそうなものだが
0904人間七七四年2012/12/26(水) 23:13:09.40ID:Jb6y8Dqs
うむ。
0905人間七七四年2012/12/27(木) 01:34:46.48ID:uwGaSoc4
17才にもならぬ老臣…
0906人間七七四年2012/12/27(木) 01:38:58.51ID:+pVjqYKa
若年寄?
0907人間七七四年2012/12/27(木) 05:52:58.78ID:7TE8nu7A
信長の野望とかでよくあったね、三歳髭面とか
0908人間七七四年2012/12/27(木) 10:35:43.04ID:MdLaw1F3
老臣やら大人とかは、老中とか若年寄とかと同じ役職みたいな感じで使われることが多いよね
0909人間七七四年2012/12/27(木) 11:02:50.04ID:bu3fi/5y
元老院も老人の集まりだと思われがちだが、20代の若者もいる
0910人間七七四年2012/12/27(木) 12:47:09.31ID:7VcFyRgh
世襲議員だな、小泉進次郎みたいな奴
0911人間七七四年2012/12/27(木) 13:32:55.98ID:LruDLFiG
身の程をわきまえてる奴なら別にいいんじゃね?
問題は口先だけで実行しない鳩山小沢の類で
0912人間七七四年2012/12/27(木) 15:13:02.10ID:6jii2X/e
オクタウィアヌスが20歳だったか
叔父のカエサルも30代だよな
0913人間七七四年2012/12/27(木) 21:35:37.30ID:hlwGoHLy
>>900
俺の中で大野治房は脳筋っぽいイメージだな
一度戦いになるとめちゃ強いけど頭が弱いせいで知略に長けた相手によくやられる印象
0914人間七七四年2012/12/27(木) 23:44:48.15ID:BFGZEA3B
松永貞徳が言った。

「相国寺の仁如和尚の御門弟に俗男の儒学を志して詩作を自慢する者がいた。
彼は入道して和尚に道号を求めたのだが、和尚は彼の心中をご存知だったのだろう、

『ただその方の思うように付けよ』と言ったところ宋の詩人、蘇東坡と黄山谷から
一字ずつ取って坡谷庵(はこくあん)と付けた。

しかし『はこ』は糞のことだから、人々に『汚い庵号だなあ』と笑われたのだ。
笑われていると知った彼はそれならばと庵を取って斎の字を付けてしまったもの
だから、ますます酷い呼び名になって人に笑われたそうだ。

とまあ、そんな話を由己法橋が語られていたのだ。大笑い、大笑い」

――『仮名世説』
0915人間七七四年2012/12/28(金) 00:00:24.15ID:n9mqw1bW
リアルで雲黒斎がいたとは
0916人間七七四年2012/12/28(金) 05:50:36.57ID:yhLVZSVl
このスレの年齢は数えでいいのかな?
そうすると17歳は満年齢だと15歳ぐらいだよね
歴史小説家は当時は成長早くていまの15歳と比べられないといってるけどどんなもんだろ
0917人間七七四年2012/12/28(金) 12:20:07.91ID:/VWf/rLz
毛利元就の大勝に終わった、天文24年(1555)の厳島合戦。
この時陶軍からの捕虜のうち、重見因幡守(通種)と言う者があった。
彼は伊予河野氏の一門・十八家の内にある者で、河野対馬守(法名・天徳寺)の近親であった。

しかし天徳寺殿が、嫡子弾正忠と父子不和となり、ついに合戦となった。
因幡守は父子の礼儀を重んじ、天徳寺殿の見方となり、遂には伊予を浪人し、大内義隆を頼って
周防へ亡命をした。

大内義隆はこれを許容し、陶尾張守(晴賢)に預けられ、安芸西条の桑原という場所に小知を与え、
浪人分として大内家に属した。そして今回陶晴賢と共に厳島に渡海した。
その様であったので、捕虜になった重見因幡守は毛利方に対し、「御検使を下されればそこで
切腹をしたい」との申し出をした。

これを聞いた毛利元就は、内々に彼を召抱えたいと考えていたので、
『一命を助けるので、御奉公申し上げるように』
と、児玉内蔵丞、兼重左衛門から申し渡された。

因幡守は承り、しかし、
「ありがたき御意、身に余り、忝く思っています。
ですが、切腹のことはもう決心しているのです。どうかそこを解っていただきたい。」
そう申し上げた。

これを聞いた元就は再び彼に伝えた

『もし自分の家臣になることを受け入れないというのなら、西条に居るそなたの倅達を召し捕らえ、
その方の面前で殺してやるぞ!それを憐れだと思うのなら、私の意に従い、切腹のことは
思い留まるように。』

因幡守はこれを承り
「重ね重ねの有難きお言葉、生々世々忘れがたき幸せです。
ですが私は、生国は伊予、河野一族の者であります。
さる仔細があって伊予を立ち退き、大内義隆を頼み山口に罷り越したいとしていた所を、
これを御許容下され、当国西条において小知を頂き、陶氏に預け置かれました。

そして入道(陶晴賢)は私に対して別して懇切でありました。ですからその報謝として、
この度厳島へお伴し、同じ場所で如何にも罷り成るべしと考えていたのですが、多勢に隔てられ、
あまつさえ生け捕りになってしまい、この様な有様で、もうどうしようもありません。

もし今、御厚恩をいただけるのなら早々に切腹を仰せつけて下さい。
子供については、どのように仰せ付けられても構いません。
その様なことは、常日頃から覚悟させております。」

これを再び児玉・兼重から報告された元就は、
『さてさて、惜しく思うが、この上は望みに任せて切腹を申し付けよう。
子供については取り立て、召し使いたい。』
との旨を伝えた。

これを聞いた重見因幡守は
「有難く存じ候」
と御礼申し上げ、厳島のありの浦にて切腹した。
彼の二人の子供は召しだされ、別して良く召し使われた。
兄は木原兵部、弟は木原二郎兵衛と申して、戦場での御奉公数度に及び、
そのためより一層重用されたという。
(吉田物語)

毛利元就、重見因幡守の決意を覆せず、という逸話である
0918人間七七四年2012/12/28(金) 14:04:36.05ID:GEFZpWAE
>>917
(´;ω;`)ブワッ
0919人間七七四年2012/12/28(金) 15:20:08.29ID:RK4YLfHe
死に場所を探してた老兵
0920人間七七四年2012/12/28(金) 21:54:08.75ID:D2nU7MF5
これで命乞いするようなら武士として使えないよなあ。
0921人間七七四年2012/12/28(金) 23:19:42.96ID:sPgezdbT
明智光秀は亀山の北、愛宕山から続く山に城郭を構えた。この山を周山と号す。
自らを周武王になぞらえ、織田信長を殷紂に比した。これは謀叛の宿志である。

羽柴筑前守は信長の手の者の様にて、その上度量が広く小事にこだわらない
気質なので人に対する言葉はいつもずけずけとしていた。それに比べて光秀は
外様の様に、その上つつしみ深く、まじめで温厚な人だったので言葉はいつも
うやうやしかった。

ある時、筑前守が「わぬしは周山に夜普請をして謀叛を企てていると人は皆言う。
実際のところはどうなんですか?」と尋ねた。これに光秀は「でたらめを言うものだ」
と笑ったのでその話題は打ち切られたのだという。

――『老人雑話』
0922人間七七四年2012/12/29(土) 01:59:03.27ID:9ljgyvp1
>>917
こういう人こそ召抱えたいものだが、何か方策はないものかね?
0923人間七七四年2012/12/29(土) 03:43:14.70ID:tZsoP29G
無理矢理貸しを造り奉公させ、時間を掛けて篭絡?
0924人間七七四年2012/12/29(土) 04:14:34.36ID:9Lcwdn0n
>>922
この時点では、出来たとしても生かしておくのが精一杯じゃないかな。
0925人間七七四年2012/12/29(土) 04:19:06.54ID:n0F+FKxn
>>921
岐阜を知らない明智じゃあるまいし、自らを周の武王になぞらえるなんてしないだろ
0926人間七七四年2012/12/29(土) 19:43:45.36ID:fYL989m6
光秀ってちょくちょく野望むき出すよな
0927人間七七四年2012/12/29(土) 20:24:21.01ID:vSVJvJim
そうしないとお話しにならないから
0928人間七七四年2012/12/29(土) 21:05:26.53ID:K1iLnD6M
ていうか秀吉はこんなウカツなこと言わないだろ
0929人間七七四年2012/12/29(土) 21:15:59.48ID:2NW3m/4U
>>926
あー、「野ぼうの城」てやつだな
0930人間七七四年2012/12/29(土) 23:00:41.27ID:9Lcwdn0n
>>929
ザブトンの代わりに首を置いていけ
0931人間七七四年2012/12/30(日) 00:37:49.57ID:eTQ1sVGQ
織田家はもっとこう、、、殺伐としないと
0932人間七七四年2012/12/30(日) 01:15:16.68ID:E04ZgmIH
秀吉が仲間になりたそうにこちらを見ている。
どうしますか?
0933人間七七四年2012/12/30(日) 08:54:06.12ID:f1go1rkc
>>931
問いたい、問い詰めたい。手紙で小一時間折檻したい
0934人間七七四年2012/12/30(日) 09:32:19.00ID:Q0BFbw83
>>916
亀だけど釣られる。
成長という言葉の意味が、いっぱしに大人の仲間入りできるか否かという事なら、その通りだと思うが。
現代人の15歳、そりゃ平均身長は高くなってるだろうよ。100メートル走の日本記録だって伸びてるさ。
しかし中流階級の平均値となると、当時の満15歳と戦って勝てる現代っ子は、野生児か格闘技選手じゃねーの。
知力にしても、元服前の小童でも人体の急所とか自害の手順ぐらいは常識だからな。日常で謀殺の
危険にさらされるケースもあるだろうし。
現代のヌルさが戦国と比べ物になるわけない。
0935人間七七四年2012/12/30(日) 09:58:44.75ID:5PXD0suK
現代は一般家庭基準で考えているのに
当時は武士(1割に満たない特別な環境の人物)で考えるふしぎ
0936人間七七四年2012/12/30(日) 10:20:26.40ID:gA08ZAGa
そもそも中近世と現代じゃ成人の年齢が違うんだし
子供が15歳で一人前の大人になるように教育されてる戦国時代と
20歳で一人前の大人になるように教育されてる現代を比べる事がナンセンスじゃないの
0937人間七七四年2012/12/30(日) 10:28:52.64ID:71xstaYY
社会システムもそうだけど、幼児死亡率が異様に高い中世と、そうでない現代を
いっしょにしてる時点でなんだかなぁ
0938人間七七四年2012/12/30(日) 10:34:40.09ID:Q9CrYugm
当時は15歳で社会人だったから、
現在の大学新卒と高卒四年目の社会人を比べても
考え方目つき顔つきまったく違うように過去現在の15歳もちがうだろう。
ましてや農民でも気を抜けば死んじゃう当時の状況を考えれば、的な話だろ
09392012/12/30(日) 11:07:35.22ID:SxEis8ev
何で未だに城を残してるの?
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1356831130/
0940人間七七四年2012/12/30(日) 16:48:41.04ID:jGus6LDt
生物的な意味での成熟速度も早かったというような話もあったな
0941人間七七四年2012/12/30(日) 16:52:13.74ID:7xxOFoqG
むしろ今の女児のほうが夜間光を浴びているせいかメラトニン分泌が抑制されて、
初潮年齢が下がってきているとか
0942人間七七四年2012/12/30(日) 17:43:40.48ID:5cduvKbb
15年くらい前のデータにサンプル平均12歳前後というのがあったような記憶がある
どういった経緯でそういったレポートを出したかは忘れたが、まあ身近な例からもそんなとこだろうな
0943人間七七四年2012/12/30(日) 17:56:10.58ID:XZQzdEQK
小学、上がる年の正月に元陸軍大尉の爺様から切腹の作法教わったわW
0944人間七七四年2012/12/30(日) 17:58:24.40ID:6swtotlv
佐々陸奥守は柴田などと同じく織田信長譜代の家である。信長の死後、
太閤を討つも降参して坊主になり大津へやって来た。この時、太閤は
大津城にいて陸奥守の礼を受ける。

さて陸奥入道は、大津の城中で武道の談話があった時に浅野弾正殿を
散々に叱った。「武道の事はお前などが知ることではない」とのことで、
聞いた人は皆「後々不味いことになるだろう」と言った。

太閤は肥後半国を陸奥守に与えた。入部の後に一揆があって状況は
悪くなり遂に陸奥守は身を滅ぼした。弾正殿の妨げもあったという。
陸奥守の入道号は道閑、尾崎の寺にて自滅。尾崎に石塔があるという。

――『老人雑話』
0945人間七七四年2012/12/30(日) 18:30:24.49ID:jGus6LDt
日本人が他人の間違えを訂正するときついでに人格否定になってしまうのはいつからの伝統なんだろう?
0946人間七七四年2012/12/30(日) 19:58:17.71ID:gA08ZAGa
古今東西、いらぬ人格否定を挟む奴はいくらでもいたんじゃないか
0947人間七七四年2012/12/30(日) 20:16:11.34ID:d2XjDVlS
「日本人は〜」って言う人は一体日本人以外のことをどれ程知っているというのだろうか
0948人間七七四年2012/12/30(日) 20:51:26.49ID:OgB2jqau
日本人のことを話題にしてるのに、日本人以外のことをどうのこうのいう必要性を感じないんだが・・・
0949人間七七四年2012/12/30(日) 22:30:46.02ID:z5Xbx46G
日本人を特別扱いしてるときには他との比較は必要だろw
0950人間七七四年2012/12/30(日) 22:39:28.80ID:LlHyKvV7
何この流れ
0951人間七七四年2012/12/31(月) 00:57:32.14ID:nQWz7N9p
揚げ足取り合戦だな。
つまんない事書いた挙句、屁理屈こねるとこうなる。
0952人間七七四年2012/12/31(月) 08:53:24.82ID:XmcM5dOL
流れの始まり読むとああ冬休みって感じた。
まあ皆お茶でも飲んで落ち着かれよ( ´・ω・`)っ【毒】
0953人間七七四年2012/12/31(月) 08:53:40.44ID:i/jmB30T
浅野さん宇都宮でも何かやらかしてるし
権勢をかさに着たこの種の横柄な公私混同は豊臣の家風なのかね?

昔懐かしい某大河ドラマだと豊臣の天下が終わった途端
恨みを我慢してた伊達さんから出入り禁止食らってたじゃん
0954人間七七四年2012/12/31(月) 09:10:08.90ID:FQuRrf3p
伊達が逆恨みしてただけじゃねーのw
0955人間七七四年2012/12/31(月) 09:14:22.76ID:yEczM5Nn
内匠頭の事を考えると、家風ってのも納得できちゃう
0956人間七七四年2012/12/31(月) 15:15:03.10ID:GPkwHloS
浅野って北条攻めで小勢ばっかり攻めて恩賞貰えなかったり、九戸に圧倒的兵力で歯が立たなかったりで戦ではろくなイメージが無いな

挙げ句宇都宮の件に加えて佐々まで・・・
0957人間七七四年2012/12/31(月) 16:33:27.76ID:di0KPi6D
長政ってどういうわけか地味に嫌われてるよな
0958人間七七四年2012/12/31(月) 16:43:39.54ID:xzIqKjG7
長政自身の問題もあるかもだけど
立ち位置的に恨まれやすい立ち位置だったという気もする
0959人間七七四年2012/12/31(月) 16:51:10.22ID:hcZfLqjy
伜どもの活躍で浅野家に悪いイメージはない
0960人間七七四年2012/12/31(月) 17:03:09.32ID:di0KPi6D
思えば奥州仕置あたりも汚れ役もいいとこだよなぁ
「とりあえず奴のせいにしておけば丸く収まる」的ポジションだったのかねぇ・・・
0961人間七七四年2012/12/31(月) 17:25:51.52ID:c0om2kDi
>>953
それだけ豊臣という権力が急進且つ不安定だった、というのもあったとは思う。
制圧する手段に信服させる段取りが追いついてなかったというか。
0962人間七七四年2012/12/31(月) 17:29:20.71ID:rsk1zaCt
豊臣風なんてものはない、全て誰かの猿真似なんだから。
0963人間七七四年2012/12/31(月) 17:57:39.65ID:pay35FP+
戦国時代の浅野家に悪いイメージは無い
だが赤穂浅野テメェーはダメだ、知れば知るほど殿様は擁護できなくなる
0964人間七七四年2012/12/31(月) 19:11:14.54ID:SeZsMtLu
電柱に子猿、電柱に子猿!
0965人間七七四年2012/12/31(月) 19:19:01.75ID:bsCCajT9
お前ら、何度も既出だが「長政」って略すなw
0966人間七七四年2012/12/31(月) 19:22:16.19ID:ForaGXAd
ちくしょうw
うちの方リアルに猿ときどき出るから普通に電柱に登る子猿想像しちまって「?」てなったw
0967人間七七四年2012/12/31(月) 19:23:13.97ID:Df2MEhDu
黒田のほうはNGMSと略すと決まっているし、
木沢や山田はほとんど出てこないし、
浅井は浅井でだいたい出てくるし、
弾正を使うとだとこのスレでは爆死と決まってるから長政でおk
0968人間七七四年2012/12/31(月) 19:32:48.82ID:SeZsMtLu
高坂「…」
真田「…」
保科「…」

決めつけイクナイ
0969人間七七四年2012/12/31(月) 19:41:30.56ID:Df2MEhDu
その三人は弾正だと三弾正の誰かわからないから、
受け弾正、攻め弾正、槍弾正で弾正単独では出てこない
0970人間七七四年2012/12/31(月) 20:02:24.06ID:4iQqPB/V
>>969
逃げの弾正さん…
0971人間七七四年2012/12/31(月) 20:18:56.25ID:aJFP4uiP
受けだったのか・・・
0972人間七七四年2012/12/31(月) 20:29:50.26ID:nQWz7N9p
量産型長政から脱出する為に、長吉と呼ぼう。
人生の大半が長吉だったんだし
0973人間七七四年2012/12/31(月) 20:46:29.18ID:bsCCajT9
浅野弾正少弼長吉、略して弾吉で
0974人間七七四年2012/12/31(月) 20:53:47.00ID:nQWz7N9p
>>973
まともな略だと「浅弾」はあるな。
0975人間七七四年2012/12/31(月) 22:04:41.78ID:aJFP4uiP
浅弾だと別の方と勘違いしてしまう可能性も・・・
0976人間七七四年2012/12/31(月) 22:05:52.29ID:bsCCajT9
>>956
恩賞を出す立場のラスボスは長い付き合いおまけに親戚だから
浅野さんがどんな人間かよーく知ってたんだろう
0977人間七七四年2012/12/31(月) 23:26:55.90ID:PVhpX9Zh
>>969
受け弾正なんていたっけかw
0978人間七七四年2012/12/31(月) 23:51:42.33ID:6xUnJYwa
>>977
分かってないな〜
0979人間七七四年2012/12/31(月) 23:54:14.75ID:Rl+4GUZd
信玄のほうが受けだったかも
0980人間七七四年2013/01/01(火) 00:23:59.61ID:N569VcYa
受け弾正
攻め弾正
槍弾正

新年早々卑猥すぎますぞ、お館様
0981人間七七四年2013/01/01(火) 00:25:50.78ID:o9FxWBXx
受け弾正
責め弾正
ヤリ弾正
0982人間七七四年2013/01/01(火) 00:26:06.06ID:/1QRb4qP
とりあえず新年初スレ立てしてみる
0983人間七七四年2013/01/01(火) 00:29:05.12ID:/1QRb4qP
>ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。
>またの機会にどうぞ。。。
出来んかった。どなたか頼みます…

↓スレタイ
戦国ちょっと悪い話35

↓テンプレ
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

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姉妹スレ
戦国ちょっといい話35
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【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0984人間七七四年2013/01/01(火) 00:38:44.48ID:eGqTxKD/
新スレ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1356968224/
0985人間七七四年2013/01/01(火) 00:44:31.11ID:ZhR91yuf
>>984
乙!そして明けましておめでとうございます

ささこの餅と茶でゆるりと一服されよ
0986人間七七四年2013/01/01(火) 01:34:35.98ID:02MPR2uP
>>984
スレ立て乙
さあ、我が軍勢とともに厳島詣に参ろうではないか
0987人間七七四年2013/01/01(火) 11:59:03.64ID:2/ycnmwH
那須惣領家の那須資親には男子がなく、甥である白川結城政朝の次男、資永を養子とし、後継ぎとして迎えた。
が、その後に資親には実子・資久が産まれた。

永正11年(1514)、資親はその臨終の刻に、宿老である大田原胤清・資清親子に対し、実子・資久を家督とするよう
遺言して死去した。
これにより大田原親子は、金丸・大関・芦野・伊王野氏といった有力家臣と共に、資久の邪魔となる資永を滅ぼすため
挙兵し、総勢300騎で蛭田ヶ原(現・栃木県湯津上村)に陣を敷いた。
しかし資永は屈せず、わすか50騎ながら箒川を挟んで決戦を挑むが、勝敗は決することがなかった。

夜になり、資永は福原城で討ち死にを覚悟した。しかし最後の手段と、大雨を幸いに家臣を、那須資久の居城
山田城に密かに派遣し、資久の身柄を捕らえ、福原城へと拉致した。

8月3日、資永は捕らえた資久の首を刎ね、自ら城に火を放ち自害して果てた。
ここに那須惣領家(上那須家)は滅亡したのである。
(那須記)

以上、那須記より、那須惣領家滅亡の顛末である。
0988人間七七四年2013/01/01(火) 13:57:04.96ID:z66QIb7/
資清の逸話の詳細版だね

汚いな大田原さすが汚い
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