戦国ちょっと悪い話34
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0001人間七七四年
2012/10/23(火) 19:20:04.34ID:FaZWZMUh戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/
姉妹スレ
戦国ちょっといい話35
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350554902/
【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0848人間七七四年
2012/12/22(土) 09:00:15.03ID:xpq9YhU6まぁ、言い過ぎだけどさwww
0850人間七七四年
2012/12/22(土) 10:11:20.32ID:0+mhat6C0851人間七七四年
2012/12/22(土) 10:17:30.42ID:yLbUWFHf0852人間七七四年
2012/12/22(土) 12:29:47.57ID:8PLO+WhI老人の中には戦時中これしか食べてなくて大嫌いになった人も多いな。
0854人間七七四年
2012/12/22(土) 17:18:33.80ID:Mv/KCpki0855人間七七四年
2012/12/22(土) 20:48:57.32ID:EwOjHy7l{{ ,. ------- .,γニニニヽ
у´: : --: : : : : : : :`ヾ {:_:_:_:ミト
,. ´ ̄` : : : : : : : : : : : : : : : : \: : : :ノ
/: : / : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ヾ¨´ ̄`ヾ
γ7: : : : : : : : : : : : : : : : : : : :|: : :|: : : : :゚。: : 、: : ミ
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|: ∨リヽ ィ'¨¨¨` 、 / }|: :..:|: ハ
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|八}: : : : : :ヽ ー‐′ /:.:.} :/:}ヾ/
⊂ニ''' 、 个:...ハ ィ:.:∧∧/
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′ 冫‐‐、! |ニヽ 〉≧r 、
i { ⌒ .} }ニニム /二=| |/ヽ
_|≦三ミ :, ⌒ {_ /ニニニ}ー―/二二| | }
}ニニニニ二∧'⌒´ }\ニニ}ニニ/ニニニニ| | ′
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0856人間七七四年
2012/12/22(土) 20:49:26.85ID:EwOjHy7l0857人間七七四年
2012/12/22(土) 20:52:38.26ID:fizCT++q関が原で便乗裏切りしたあげく所領没収された
影の薄い悲惨な赤座さんについて話せということか
0858人間七七四年
2012/12/22(土) 20:59:44.82ID:FDVrbrAB0859人間七七四年
2012/12/22(土) 21:07:18.93ID:kZ8VV+lG毛利家中から裏切り者呼ばわりされた吉川さん(読みは違うが)
…、一人足りない
0860人間七七四年
2012/12/22(土) 21:11:43.76ID:8YzjGYxRちなみに幕末に子孫が、水戸天狗党鎮圧行ってる。
0861人間七七四年
2012/12/22(土) 21:18:02.54ID:fizCT++q山田風太郎の天狗党をモデルとした小説で
自分が降伏をすすめたために無残に殺されてしまった、と精神を病んで死んだ
って書かれてて本気にしてた
0862人間七七四年
2012/12/22(土) 21:28:17.01ID:P/u3oaBx直保の息子も裏切りのイメージを嫌ったとか?
0864人間七七四年
2012/12/22(土) 21:47:26.67ID:1bAaG98aつまりあの越前の狂犬とも同僚だったということだ。
0865人間七七四年
2012/12/22(土) 23:43:55.59ID:egkfmNX5弥吉は軍令に背いて勝頼の本陣へ打ち入り高名をあげた。
しかし、それは徳川家康を激怒させることとなり、弥吉は恐れて
本多忠勝の家に逃げ入って許しを祈ったが、許されず終いには
切腹を仰せ付けられた。
家康は何事にも心が広く情け深い人だったが、軍令に背く者に
対して厳しいことはこの類であった。
――『徳川実紀(柏崎物語)』
0868話の流れ上あえてこちらに
2012/12/23(日) 12:04:52.07ID:f+nHlxNe敵陣である西軍の彼方より散発的に銃弾が飛来するようになった。
この時にはまだ開戦には至っていない。
前衛三番隊に陣取っていた黒田隊に居た大道寺孫九郎が進み出て敵間を伺っていたが
如何にせんとも視界が完全に閉ざされている。
黒具足の武者が横合いから進み出、手綱をゆらりと打ち掛け心静かに敵方を見据えていた。
すると徐に振り返り独り言を呟いた。
「只今に戦は始まるべし」
これを聞いた孫九郎はその武者にそれは如何に、と問いかけた。
「敵間が近くなる程足軽はうろたえ、弾丸を筒の中へよく入れ得ぬ故に弾に力が無く
味方の足下へころころ落ちるものである。機は熟した」
と言って馳せ帰った。
後に聞けば、この黒具足の武者は井伊直政であった。
『名将言行録』
味方の展開状況と敵の状況視察のため
あえて目立たない黒具足を着て自ら物見に出ていた直政は急ぎ自陣へ戻り
家老の木俣守勝に戦機の切迫を告げ指示を出した。
機敏にいつもの朱具足に身を包み、今度は開戦の備えに駆け出したという。
0869人間七七四年
2012/12/24(月) 06:15:52.29ID:Tw8CTV1P視覚ではなく聴覚で足軽が時折放つ銃弾の落ちる音で戦機を計っていたということか
この後の抜駆けは…
口火を切る潮時の判断一つで勝敗が大きく左右する事実
徳川が天下を取る上での面目を大いに立てることになったし
市松と才蔵が更に奮発する足掛かりまで固めた
目付の対象であった市松の性格を考慮した上での全てが計算づくであったと考えると
家康も褒める事はあっても咎める事はないだろう
0870人間七七四年
2012/12/24(月) 07:04:00.27ID:dhTYqbHr直政の召替具足が黒?
メインがダメになったら赤備えで一人だけ黒に・・・と思ってググって見たら召替具足も赤だったでござる
0871人間七七四年
2012/12/24(月) 08:26:22.03ID:hhZVrk98二毛作、三毛作とやってたしヨーロッパ人から見れば
食料豊富に見えたのかも。あと向こうはギルド(日本でいう座)の力が強かったから。
安土城の楽市楽座を見た宣教師が安土の城下町は
楽園のようだと書いてたとか書いてなかったとか。
0872人間七七四年
2012/12/24(月) 12:06:43.44ID:P/+P0KzR0873人間七七四年
2012/12/24(月) 12:11:31.33ID:U9TsOr9h大谷好きからは忌み嫌われて悪名高くなる一方だしで散々だよね
0874人間七七四年
2012/12/24(月) 12:57:50.34ID:3ga+/rTp0875人間七七四年
2012/12/24(月) 13:50:20.56ID:Tw8CTV1P0876人間七七四年
2012/12/24(月) 17:59:47.06ID:FOSIncts0877人間七七四年
2012/12/24(月) 19:08:05.95ID:L6D772zb0879人間七七四年
2012/12/24(月) 20:06:44.17ID:F79U+TuQ9月4日、尼子晴久が着陣した夜、毛利元就は家臣たちとの物語の中に、
「敵兵の首を一時も早く実検したいものだ」
と言われた。これを児玉與八郎が聞いて、
『容易いことである。明日討ち取り、お目にかけよう』
と考え、破れた笠を付けて網を持ち夜中に城を出て、敵陣の前に多治比川と言う小川があったのだが、
ここに一人でいって魚を獲っていた。
そうしているうちに、敵よりこの川に小便をしに出てきて、各々用を済ませて陣屋に帰っていったが、
2名ほど残って未だ小便をしていた。
それを見た與八郎、今だ!と蓑の下から脇差を抜き、一刀で首を討ち落とし、これを掴んで逃げ出した。
敵陣はこれを見て、大勢が追いかけてきたが、與八郎はその頃若さの盛でもあり、難なく城に駆け込み
「御感に預かるべし!」
と申し上げた。
元就はこれを聞くと、しかし
「大敵を引き受けての籠城というこんな時に、若気とは言いながら、なんと要らぬことをするのだ!」
と、大いに怒り、與八郎は勘気を蒙ったとのことである。
(吉田物語)
児玉興八郎、良かれと思ったのに怒られたというお話である。
0880人間七七四年
2012/12/24(月) 20:09:50.04ID:3i1w+TmF0881人間七七四年
2012/12/24(月) 20:21:50.19ID:nyrf6heK0882人間七七四年
2012/12/24(月) 21:13:25.43ID:a/gBLp+f0883人間七七四年
2012/12/24(月) 21:18:14.66ID:zyxXrSJi0884人間七七四年
2012/12/24(月) 21:44:20.04ID:PGi18RRf0886人間七七四年
2012/12/24(月) 22:29:52.66ID:6Fzkypgi0888人間七七四年
2012/12/24(月) 23:49:29.11ID:UoAYNgIuところが傍輩の嫉妬によって讒言され、道三はこれを信じて角弥の出仕を止めてしまった。
角弥は迷惑して「それがしの誤りは何でありましょう。承りたい」と人を介して尋ねるが、
道三の返事はなかった。角弥は「もはや主君との縁は尽きたのだ」と悟り別の縁を求めた。
その後、角弥は摂政殿に奉公することになった。彼は器量・骨柄・心様ともに人よりも
優れていたので、摂政殿は角弥を最も重用した。かくして角弥は二年の間御所にあった。
道三はそのことを聞きつけ、摂政殿に使者を送り「角弥を賜りたい」と申し上げた。しかし、
摂政殿は「呼び返す程欲しき者をどうして追い出したのだろう。叶えられないことだ」と断った。
道三は諦めずに千度百度頼んだが、摂政殿は「この者だけは出すことはない」と断固拒否した。
大いに立腹した道三は「それならば討手を上らせる」と決意し、山本伝左衛門と須田忠兵衛
という二人の大剛の者を京都に派遣した。二人は中々角弥を見つけられなかったが、
ある御節会の時、禁中に渡る摂政殿に角弥も供奉していた。この時、二人は角弥を見つけ、
角弥も見合わせてお互いに「あっ」と思ったが、摂政殿の警固は厳重で両人は手を出せず、
その日は空しく諦めた。それからの二人は角弥を討つ機会を毎日窺った。
一方の角弥は「あれは討手に違いない。殿下にこのことを申し上げたほうが善いのではないか」
と思い、ある時摂政殿の様子を窺ってその旨を申し上げた。摂政殿は直ちに奉行所へ
「かかる者が京都にいる。厳重に捜査して洛中より追い払え」と命じ、長高と貞親が洛中に
「この者を一時でも抱えた輩は処罰する」と触れを出した。この状況に両人は是非もなく帰国し
道三に報告すると、道三もどうしようもなく、そのまま角弥殺害を諦めてしまった。
――『室町殿物語』
0890人間七七四年
2012/12/25(火) 13:57:31.25ID:/io3l8860891人間七七四年
2012/12/25(火) 14:10:21.46ID:Sx2pncVL家康「しかしだな、結果的に味方は大損害を…」
直政「じゃあ、自ら敵に突っ込んでいくような男はお嫌い?」
家康「そ、そのようなことはないぞ///」
0892人間七七四年
2012/12/25(火) 14:17:00.22ID:a5ZDCWX4何でって聞かれるほどの手間は掛けてないし
0893人間七七四年
2012/12/25(火) 15:58:03.21ID:YlWUj1pp総指揮官としてはアレだけど、現場指揮官としてはすこぶる優秀な人だし
0895人間七七四年
2012/12/25(火) 22:01:55.73ID:0wz/8eSZ0896人間七七四年
2012/12/26(水) 00:27:24.19ID:f6/0IznDクリスマスだったからっていちゃついてるんじゃねーぞw
あ、もう26日か
権現様お誕生日おめでとうございます
0897人間七七四年
2012/12/26(水) 02:42:04.09ID:hvn5iwYX大失態があったとはいえ、助けたくなる何かがあったんだろうな
0898人間七七四年
2012/12/26(水) 07:18:06.93ID:vEVuEvQh忠吉サンとか「だから(義)息子の前でイチャつくなよな…(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」
帯刀サンとか「|ω・`)……………。゚・(ノД`)人(´Д`)人(Д` )・゚。」
健全三河武士「∩(´・ω・`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・* もうどうにでもな〜れ」
08991/2
2012/12/26(水) 21:06:18.43ID:1lrPS9Ok天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の仲が険悪となると、秀吉と通じたとして
信雄が三老臣(岡田重善・津川義冬・浅井多宮丸)を誅殺するのではないかという
風聞が流れていた。
3月3日、上巳の祝いのために鷹狩で獲った雁を与えると
三老臣へ使いがあったので、皆出仕した。
各々が饗膳の席に着いたころ、信雄は南蛮張の大筒を出して、
これは父祖より譲られたものであると言ったので、岡田・津川は謹んでそれを拝見した。
信雄はさらに岡田に対し、その大筒を持ってみよと言い、
岡田が畏まって大筒を取り手に持った所、土方雄久が飛び掛って抱きつき、
片手に短刀を持ち岡田を突いた。岡田は突かれながらも土方を引っ立て脇差を抜いた。
信雄は大左文字の刀を抜き、岡田を斬ってくれようと、
「雄久放せ!」と命じたが、
土方は、
「大事の役目なので放すわけにはいきませぬ、早く某もろとも斬りなされ!」と答えた。
0900人間七七四年
2012/12/26(水) 21:12:51.10ID:LSyBy1dk豊臣方の大野治房の軍勢が紀伊国に向かう途中、和泉国貝塚で、願泉寺卜半斎という物の出迎えを受けた。
卜半斎は軍勢に馳走を振舞い、貝塚の町や近在から集めた麦飯を集め、半切(樽状の桶)に入れて運び、
また酒も大いに振舞った。
大野治房軍の兵士たちはそれまで夜通しの行軍をしてきたこともあり、疲れ空腹であったので、彼らは
この振舞いを喜び受けると、たちまち酔っ払ってその場で寝てしまった。
さらに岸和田方面の抑えに出ていた、宮田七平の兵たちまで集まってきての酒盛りになった。
このため、この軍の行軍は甚だしく遅れ、戦場に間に合わず、これによって和泉樫井の戦いで
豊臣方は大敗を喫した。
実はこれらは全て、願泉寺卜半斎が豊臣軍の足を止めるための策略であり、彼らはそれに
まんまと引っかかったのである。
(大阪合戦口伝書書入)
09022/2
2012/12/26(水) 21:14:31.99ID:1lrPS9Okすると信雄はすぐさま岡田を斬り、止めを刺した。
この有様を見た津川、
「そ、某をも誅されるおつもりか?」
信雄答えて、
「汝もどうして赦せようか?」
津川はこれに対して、
「なんと薄情な! 某の心底がお分かりにならないのか!?」
と言ったが、その時かねて討手と決められていた飯田半兵衛らが襲い掛って一太刀斬りつけ、
そこに信雄また続いて津川を仕留めた。
残りの一人、浅井多宮丸は未だ17歳にもならぬ若者だったので、
森勘解由が承って難なく斬り伏せた。
こうして三老臣を誅殺したので、残党を掃討するため岡田の星崎、津川の松ヶ島、浅井の刈安賀と、
三人の居城へそれぞれ討手を差し向けたのであった。
(伊勢国司記略)
0903人間七七四年
2012/12/26(水) 22:26:21.74ID:3tvf34An仮に翻意があればさっさと刀抜いてそうなものだが
0904人間七七四年
2012/12/26(水) 23:13:09.40ID:Jb6y8Dqs0905人間七七四年
2012/12/27(木) 01:34:46.48ID:uwGaSoc40906人間七七四年
2012/12/27(木) 01:38:58.51ID:+pVjqYKa0907人間七七四年
2012/12/27(木) 05:52:58.78ID:7TE8nu7A0908人間七七四年
2012/12/27(木) 10:35:43.04ID:MdLaw1F30909人間七七四年
2012/12/27(木) 11:02:50.04ID:bu3fi/5y0910人間七七四年
2012/12/27(木) 12:47:09.31ID:7VcFyRgh0911人間七七四年
2012/12/27(木) 13:32:55.98ID:LruDLFiG問題は口先だけで実行しない鳩山小沢の類で
0912人間七七四年
2012/12/27(木) 15:13:02.10ID:6jii2X/e叔父のカエサルも30代だよな
0913人間七七四年
2012/12/27(木) 21:35:37.30ID:hlwGoHLy俺の中で大野治房は脳筋っぽいイメージだな
一度戦いになるとめちゃ強いけど頭が弱いせいで知略に長けた相手によくやられる印象
0914人間七七四年
2012/12/27(木) 23:44:48.15ID:BFGZEA3B「相国寺の仁如和尚の御門弟に俗男の儒学を志して詩作を自慢する者がいた。
彼は入道して和尚に道号を求めたのだが、和尚は彼の心中をご存知だったのだろう、
『ただその方の思うように付けよ』と言ったところ宋の詩人、蘇東坡と黄山谷から
一字ずつ取って坡谷庵(はこくあん)と付けた。
しかし『はこ』は糞のことだから、人々に『汚い庵号だなあ』と笑われたのだ。
笑われていると知った彼はそれならばと庵を取って斎の字を付けてしまったもの
だから、ますます酷い呼び名になって人に笑われたそうだ。
とまあ、そんな話を由己法橋が語られていたのだ。大笑い、大笑い」
――『仮名世説』
0915人間七七四年
2012/12/28(金) 00:00:24.15ID:n9mqw1bW0916人間七七四年
2012/12/28(金) 05:50:36.57ID:yhLVZSVlそうすると17歳は満年齢だと15歳ぐらいだよね
歴史小説家は当時は成長早くていまの15歳と比べられないといってるけどどんなもんだろ
0917人間七七四年
2012/12/28(金) 12:20:07.91ID:/VWf/rLzこの時陶軍からの捕虜のうち、重見因幡守(通種)と言う者があった。
彼は伊予河野氏の一門・十八家の内にある者で、河野対馬守(法名・天徳寺)の近親であった。
しかし天徳寺殿が、嫡子弾正忠と父子不和となり、ついに合戦となった。
因幡守は父子の礼儀を重んじ、天徳寺殿の見方となり、遂には伊予を浪人し、大内義隆を頼って
周防へ亡命をした。
大内義隆はこれを許容し、陶尾張守(晴賢)に預けられ、安芸西条の桑原という場所に小知を与え、
浪人分として大内家に属した。そして今回陶晴賢と共に厳島に渡海した。
その様であったので、捕虜になった重見因幡守は毛利方に対し、「御検使を下されればそこで
切腹をしたい」との申し出をした。
これを聞いた毛利元就は、内々に彼を召抱えたいと考えていたので、
『一命を助けるので、御奉公申し上げるように』
と、児玉内蔵丞、兼重左衛門から申し渡された。
因幡守は承り、しかし、
「ありがたき御意、身に余り、忝く思っています。
ですが、切腹のことはもう決心しているのです。どうかそこを解っていただきたい。」
そう申し上げた。
これを聞いた元就は再び彼に伝えた
『もし自分の家臣になることを受け入れないというのなら、西条に居るそなたの倅達を召し捕らえ、
その方の面前で殺してやるぞ!それを憐れだと思うのなら、私の意に従い、切腹のことは
思い留まるように。』
因幡守はこれを承り
「重ね重ねの有難きお言葉、生々世々忘れがたき幸せです。
ですが私は、生国は伊予、河野一族の者であります。
さる仔細があって伊予を立ち退き、大内義隆を頼み山口に罷り越したいとしていた所を、
これを御許容下され、当国西条において小知を頂き、陶氏に預け置かれました。
そして入道(陶晴賢)は私に対して別して懇切でありました。ですからその報謝として、
この度厳島へお伴し、同じ場所で如何にも罷り成るべしと考えていたのですが、多勢に隔てられ、
あまつさえ生け捕りになってしまい、この様な有様で、もうどうしようもありません。
もし今、御厚恩をいただけるのなら早々に切腹を仰せつけて下さい。
子供については、どのように仰せ付けられても構いません。
その様なことは、常日頃から覚悟させております。」
これを再び児玉・兼重から報告された元就は、
『さてさて、惜しく思うが、この上は望みに任せて切腹を申し付けよう。
子供については取り立て、召し使いたい。』
との旨を伝えた。
これを聞いた重見因幡守は
「有難く存じ候」
と御礼申し上げ、厳島のありの浦にて切腹した。
彼の二人の子供は召しだされ、別して良く召し使われた。
兄は木原兵部、弟は木原二郎兵衛と申して、戦場での御奉公数度に及び、
そのためより一層重用されたという。
(吉田物語)
毛利元就、重見因幡守の決意を覆せず、という逸話である
0919人間七七四年
2012/12/28(金) 15:20:08.29ID:RK4YLfHe0920人間七七四年
2012/12/28(金) 21:54:08.75ID:D2nU7MF50921人間七七四年
2012/12/28(金) 23:19:42.96ID:sPgezdbT自らを周武王になぞらえ、織田信長を殷紂に比した。これは謀叛の宿志である。
羽柴筑前守は信長の手の者の様にて、その上度量が広く小事にこだわらない
気質なので人に対する言葉はいつもずけずけとしていた。それに比べて光秀は
外様の様に、その上つつしみ深く、まじめで温厚な人だったので言葉はいつも
うやうやしかった。
ある時、筑前守が「わぬしは周山に夜普請をして謀叛を企てていると人は皆言う。
実際のところはどうなんですか?」と尋ねた。これに光秀は「でたらめを言うものだ」
と笑ったのでその話題は打ち切られたのだという。
――『老人雑話』
0923人間七七四年
2012/12/29(土) 03:43:14.70ID:tZsoP29G0926人間七七四年
2012/12/29(土) 19:43:45.36ID:fYL989m60927人間七七四年
2012/12/29(土) 20:24:21.01ID:vSVJvJim0928人間七七四年
2012/12/29(土) 21:05:26.53ID:K1iLnD6M0931人間七七四年
2012/12/30(日) 00:37:49.57ID:eTQ1sVGQ0932人間七七四年
2012/12/30(日) 01:15:16.68ID:E04ZgmIHどうしますか?
0934人間七七四年
2012/12/30(日) 09:32:19.00ID:Q0BFbw83亀だけど釣られる。
成長という言葉の意味が、いっぱしに大人の仲間入りできるか否かという事なら、その通りだと思うが。
現代人の15歳、そりゃ平均身長は高くなってるだろうよ。100メートル走の日本記録だって伸びてるさ。
しかし中流階級の平均値となると、当時の満15歳と戦って勝てる現代っ子は、野生児か格闘技選手じゃねーの。
知力にしても、元服前の小童でも人体の急所とか自害の手順ぐらいは常識だからな。日常で謀殺の
危険にさらされるケースもあるだろうし。
現代のヌルさが戦国と比べ物になるわけない。
0935人間七七四年
2012/12/30(日) 09:58:44.75ID:5PXD0suK当時は武士(1割に満たない特別な環境の人物)で考えるふしぎ
0936人間七七四年
2012/12/30(日) 10:20:26.40ID:gA08ZAGa子供が15歳で一人前の大人になるように教育されてる戦国時代と
20歳で一人前の大人になるように教育されてる現代を比べる事がナンセンスじゃないの
0937人間七七四年
2012/12/30(日) 10:28:52.64ID:71xstaYYいっしょにしてる時点でなんだかなぁ
0938人間七七四年
2012/12/30(日) 10:34:40.09ID:Q9CrYugm現在の大学新卒と高卒四年目の社会人を比べても
考え方目つき顔つきまったく違うように過去現在の15歳もちがうだろう。
ましてや農民でも気を抜けば死んじゃう当時の状況を考えれば、的な話だろ
0939あ
2012/12/30(日) 11:07:35.22ID:SxEis8evhttp://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1356831130/
0940人間七七四年
2012/12/30(日) 16:48:41.04ID:jGus6LDt0941人間七七四年
2012/12/30(日) 16:52:13.74ID:7xxOFoqG初潮年齢が下がってきているとか
0942人間七七四年
2012/12/30(日) 17:43:40.48ID:5cduvKbbどういった経緯でそういったレポートを出したかは忘れたが、まあ身近な例からもそんなとこだろうな
0943人間七七四年
2012/12/30(日) 17:56:10.58ID:XZQzdEQK0944人間七七四年
2012/12/30(日) 17:58:24.40ID:6swtotlv太閤を討つも降参して坊主になり大津へやって来た。この時、太閤は
大津城にいて陸奥守の礼を受ける。
さて陸奥入道は、大津の城中で武道の談話があった時に浅野弾正殿を
散々に叱った。「武道の事はお前などが知ることではない」とのことで、
聞いた人は皆「後々不味いことになるだろう」と言った。
太閤は肥後半国を陸奥守に与えた。入部の後に一揆があって状況は
悪くなり遂に陸奥守は身を滅ぼした。弾正殿の妨げもあったという。
陸奥守の入道号は道閑、尾崎の寺にて自滅。尾崎に石塔があるという。
――『老人雑話』
0945人間七七四年
2012/12/30(日) 18:30:24.49ID:jGus6LDt0946人間七七四年
2012/12/30(日) 19:58:17.71ID:gA08ZAGa0947人間七七四年
2012/12/30(日) 20:16:11.34ID:d2XjDVlSレス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。