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戦国ちょっと悪い話34

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2012/10/23(火) 19:20:04.34ID:FaZWZMUh
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話35
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350554902/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0824人間七七四年2012/12/21(金) 01:01:27.50ID:pXRohuVd
キリストに関する記述がだいぶ盛られてる気が
0825人間七七四年2012/12/21(金) 01:07:21.99ID:zkMr7BhP
>>823
このころはまだ、欧州より東アジアの方が富んでいたということだね

このあと、植民地からの収奪で飛躍した欧州と差がついてしまうが。
0826人間七七四年2012/12/21(金) 01:24:22.05ID:VWOvGnvE
食文化が…
0827人間七七四年2012/12/21(金) 10:49:39.15ID:Q8qrY0HH
まぁ現地で活動する宣教師としては、本国のやる気をくすぐって、できるだけ支援
を引き出したいわけで
だから「ここは有望ですよ!」ってことをMAXアピール。人についても土地につい
ても、報告書では盛りまくったんじゃないかと

どうせ本国で報告書読む人には現地の実情なんて見えないわけだしw
0828人間七七四年2012/12/21(金) 13:30:38.60ID:OlFrgKA/
なんか九州とか、ともすれば肥前の中だけの話のような気もするぞこれ
0829人間七七四年2012/12/21(金) 13:39:23.52ID:llrH0Ssp
ヨーロッパに比べれば高温多湿なので物がよく取れるのは確かだが
明らかに盛ってるわなw
0830人間七七四年2012/12/21(金) 16:21:46.61ID:EscrAhuT
盛ってるのもあるだろうけど、ただ、当時のヨーロッパも相当にヒドイのも事実なのよね
いわゆる小氷期まっただなかだし
0831人間七七四年2012/12/21(金) 16:32:46.87ID:pWcyw876
小麦なんかも蒔いた量の10倍にもならないんだっけ、確か
0832人間七七四年2012/12/21(金) 17:02:32.28ID:9CyN3gnX
中世欧州だと、地域にもよるけれど、小麦の収穫量が1haあたり300〜700kgらしいね
ちなみに一反=一石を適用するならば、日本の場合は1ha(10反)だと1.5tの米が収穫できる
重さだけで考えると二倍以上〜五倍は違うからな・・・
0833人間七七四年2012/12/21(金) 17:11:43.58ID:71al5+CE
そんだけ作れても、収穫の8割がたを王家と領主と教会に持っていかれるんじゃ日本より悲惨だなあ
0834人間七七四年2012/12/21(金) 19:48:59.19ID:ITDBxvqF
だからパンは主食になれなかった
0835人間七七四年2012/12/21(金) 20:00:19.71ID:XjnCzKtJ
パンがないならケーキを食べればいいじゃない
0836人間七七四年2012/12/21(金) 20:03:35.67ID:RGQDRi8U
そこで讃岐が誇るうどんですよ!
0837人間七七四年2012/12/21(金) 20:26:01.53ID:9CyN3gnX
ジャガイモ様がアップを始めてます
貧者のパンは伊達じゃない!
0838人間七七四年2012/12/21(金) 20:51:44.99ID:rc3mURLw
おジャガ様は歴史が証明してるんだっけか・・・
まぁ、同時に梅毒まで撒き散らしちゃったのはご愛嬌ってかwww
0839人間七七四年2012/12/21(金) 21:40:59.84ID:cVnLvN3Q
天文3年、宍戸元源と和睦を果たした毛利元就は、当時服属していた尼子より離脱し、以前のごとく
大内に付くことを決心。大内義隆のもとに嫡男隆元を人質として送り、甘ことの手切れの準備は整った。

そこで元就は、出雲の月山富田城に人質として毛利家より出していた、光永中務少、赤川十郎左衛門と
密かに連絡を取り、尼子と手切れになること、よって隠密に尼子領より脱出するようにと伝えた。

これによって両人は相談し、夜中に忍んで脱出をはかったが、どこからか情報が漏れたのであろうか、
富田城の者たちが聞きつけ、脱出する両名を大勢で追いかけ、大楽というばしょにおいて、光永中務少は
共の者たち15人と、一所にて討ち死にしてしまった。

しかしその間に赤川十郎左衛門は切り抜け、無事吉田に帰還した。
(吉田物語)

この時代の、人質というものの過酷さが現れた逸話であろう。
0840人間七七四年2012/12/21(金) 21:43:45.61ID:eWbjDVbY
>>838
挙句の果てがジャガイモ飢饉だよ
0841人間七七四年2012/12/21(金) 21:46:18.17ID:KhGRsx69
蕎麦最強伝説
0842人間七七四年2012/12/21(金) 22:18:08.99ID:rc3mURLw
ジャガイモ飢饉、知らなんだわwww
一極集中はいかんってことよね〜
0843人間七七四年2012/12/21(金) 23:49:44.62ID:M2rs5iG5
>>839
脱出を指示してくれる点は優しいね
無茶ぶりだけど
0844人間七七四年2012/12/21(金) 23:58:13.30ID:GMWQ4/Fj
>>840
そうなったら赤ん坊を食べればよい
0845人間七七四年2012/12/22(土) 00:47:24.68ID:Mv/KCpki
ジャガイモ飢饉はモノカルチャーの弱点がモロに出た形だからなぁ
でもこれが無かったらJFKが大統領になる事もなかったか
0846人間七七四年2012/12/22(土) 01:08:16.55ID:nLql3VZC
>>839
尼子なのに甘くなかったでござる
0847人間七七四年2012/12/22(土) 03:18:53.73ID:20g7S1XL
>>839
赤川って聞き覚えあると思ったら、
隆元暗殺(疑惑)の赤川元保の兄か。
ここで生き残った事で、息子が赤川元保の家を継ぐのか。
なんというか浮き沈みの激しい人生やな。
0848人間七七四年2012/12/22(土) 09:00:15.03ID:xpq9YhU6
>>847のような繋がりを見つけたりするのがこのスレってか、歴史の楽しさだと思うの・・・

まぁ、言い過ぎだけどさwww
0849人間七七四年2012/12/22(土) 10:03:15.12ID:lVRS0UXW
>>841
蕎麦は収穫量が少なくて…
実がなりにくいんだよねー自家受粉しない上に受粉しにくい変な植物で
0850人間七七四年2012/12/22(土) 10:11:20.32ID:0+mhat6C
さらに、小麦以上に食べるまで手間が掛かるし
0851人間七七四年2012/12/22(土) 10:17:30.42ID:yLbUWFHf
練って雑炊にぶっこむだけだから大差ない
0852人間七七四年2012/12/22(土) 12:29:47.57ID:8PLO+WhI
日本ならさつまいもの功績を忘れちゃいかん。
老人の中には戦時中これしか食べてなくて大嫌いになった人も多いな。
0853人間七七四年2012/12/22(土) 17:14:22.76ID:tI+m0WOd
>>850
引いて粥にすれば消化できないかな?
不味いだろうけど
0854人間七七四年2012/12/22(土) 17:18:33.80ID:Mv/KCpki
つ ガレット
0855人間七七四年2012/12/22(土) 20:48:57.32ID:EwOjHy7l
             {{
             {{   ,. -------  .,γニニニヽ
             у´: : --: : : : : : : :`ヾ {:_:_:_:ミト
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      γ7: : : : : : : : : : : : : : : : : : : :|: : :|: : : : :゚。: : 、: : ミ
      {z:′: : : : : : :|: : : : : : : : ∧ /\:j|: : : : : :゚.: : :У´
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        |八}: : : : : :ヽ     ー‐′    /:.:.} :/:}ヾ/    
          ⊂ニ''' 、 个:...ハ         ィ:.:∧∧/
         /   ヽ \ .=| |ニ¨¨¨¨¨´ {∨
            ′    冫‐‐、! |ニヽ       〉≧r 、
         i      { ⌒ .} }ニニム     /二=| |/ヽ
        _|≦三ミ :, ⌒ {_ /ニニニ}ー―/二二| |  }
        }ニニニニ二∧'⌒´ }\ニニ}ニニ/ニニニニ| |   ′
        }ア⌒ヾニr=ミ     }  \ }ニ/ニニ=- ´| | /
        |: : : : : /:{/   /    `ヽ、     | |イ
        |: :\ ィ: : \  /\   (X)}     | |彡
0856人間七七四年2012/12/22(土) 20:49:26.85ID:EwOjHy7l
ごめん、酷い誤爆をした……
0857人間七七四年2012/12/22(土) 20:52:38.26ID:fizCT++q
よくわからんが、
関が原で便乗裏切りしたあげく所領没収された
影の薄い悲惨な赤座さんについて話せということか
0858人間七七四年2012/12/22(土) 20:59:44.82ID:FDVrbrAB
氾濫した川を見に行って溺死という流れるようなフラグ回収をした直保さんがなんだって?
0859人間七七四年2012/12/22(土) 21:07:18.93ID:kZ8VV+lG
上杉から追放され自裁した舟見さん(字は違うが)
毛利家中から裏切り者呼ばわりされた吉川さん(読みは違うが)
…、一人足りない
0860人間七七四年2012/12/22(土) 21:11:43.76ID:8YzjGYxR
赤座さんがいつの間にやら加賀前田家に仕えたものの、息子の代に微妙公に永原と苗字を変えられた件。
ちなみに幕末に子孫が、水戸天狗党鎮圧行ってる。
0861人間七七四年2012/12/22(土) 21:18:02.54ID:fizCT++q
永原甚七郎か
山田風太郎の天狗党をモデルとした小説で
自分が降伏をすすめたために無残に殺されてしまった、と精神を病んで死んだ
って書かれてて本気にしてた
0862人間七七四年2012/12/22(土) 21:28:17.01ID:P/u3oaBx
武田耕雲斎は跡部勝資の子孫だけど、甲陽軍鑑のせいでイメージが悪い、てので武田にしたそうだが
直保の息子も裏切りのイメージを嫌ったとか?
0863人間七七四年2012/12/22(土) 21:43:53.01ID:MJXUrFOC
>>858
赤座さんが死んだ越中大門は高岡の隣か
0864人間七七四年2012/12/22(土) 21:47:26.67ID:1bAaG98a
なにげに朝倉家臣からスタートした赤座さん。

つまりあの越前の狂犬とも同僚だったということだ。
0865人間七七四年2012/12/22(土) 23:43:55.59ID:egkfmNX5
天正六年三月、武田勝頼が遠州へ出張した折、大須賀康高の甥、
弥吉は軍令に背いて勝頼の本陣へ打ち入り高名をあげた。

しかし、それは徳川家康を激怒させることとなり、弥吉は恐れて
本多忠勝の家に逃げ入って許しを祈ったが、許されず終いには
切腹を仰せ付けられた。

家康は何事にも心が広く情け深い人だったが、軍令に背く者に
対して厳しいことはこの類であった。

――『徳川実紀(柏崎物語)』
0866人間七七四年2012/12/23(日) 05:37:33.69ID:c6PTG4mL
>>865
市松「お宅の赤備えとか言うのが抜け駆けしやがったんでが…(震え声)」
0867人間七七四年2012/12/23(日) 07:34:23.99ID:5pjQbNKT
>>865
勝頼の首が取れてたら帳消しだったのにな。
0868話の流れ上あえてこちらに2012/12/23(日) 12:04:52.07ID:f+nHlxNe
関ヶ原は深い霧に覆われていた。
敵陣である西軍の彼方より散発的に銃弾が飛来するようになった。
この時にはまだ開戦には至っていない。
前衛三番隊に陣取っていた黒田隊に居た大道寺孫九郎が進み出て敵間を伺っていたが
如何にせんとも視界が完全に閉ざされている。
黒具足の武者が横合いから進み出、手綱をゆらりと打ち掛け心静かに敵方を見据えていた。
すると徐に振り返り独り言を呟いた。

「只今に戦は始まるべし」

これを聞いた孫九郎はその武者にそれは如何に、と問いかけた。

「敵間が近くなる程足軽はうろたえ、弾丸を筒の中へよく入れ得ぬ故に弾に力が無く
味方の足下へころころ落ちるものである。機は熟した」

と言って馳せ帰った。
後に聞けば、この黒具足の武者は井伊直政であった。

『名将言行録』

味方の展開状況と敵の状況視察のため
あえて目立たない黒具足を着て自ら物見に出ていた直政は急ぎ自陣へ戻り
家老の木俣守勝に戦機の切迫を告げ指示を出した。
機敏にいつもの朱具足に身を包み、今度は開戦の備えに駆け出したという。
0869人間七七四年2012/12/24(月) 06:15:52.29ID:Tw8CTV1P
最初読んだとき黒具足と赤具足を書き間違えたのかと思ったw
視覚ではなく聴覚で足軽が時折放つ銃弾の落ちる音で戦機を計っていたということか

この後の抜駆けは…
口火を切る潮時の判断一つで勝敗が大きく左右する事実
徳川が天下を取る上での面目を大いに立てることになったし
市松と才蔵が更に奮発する足掛かりまで固めた
目付の対象であった市松の性格を考慮した上での全てが計算づくであったと考えると
家康も褒める事はあっても咎める事はないだろう
0870人間七七四年2012/12/24(月) 07:04:00.27ID:dhTYqbHr
>>868
直政の召替具足が黒?
メインがダメになったら赤備えで一人だけ黒に・・・と思ってググって見たら召替具足も赤だったでござる
0871人間七七四年2012/12/24(月) 08:26:22.03ID:hhZVrk98
>>823
二毛作、三毛作とやってたしヨーロッパ人から見れば
食料豊富に見えたのかも。あと向こうはギルド(日本でいう座)の力が強かったから。
安土城の楽市楽座を見た宣教師が安土の城下町は
楽園のようだと書いてたとか書いてなかったとか。
0872人間七七四年2012/12/24(月) 12:06:43.44ID:P/+P0KzR
先祖は鉄砲の標的にならないよう、わざわざ黒具足に着替えてるのに、子孫ときたら…
0873人間七七四年2012/12/24(月) 12:11:31.33ID:U9TsOr9h
赤座さん小川さん朽木さんは裏切っても相手にされないし
大谷好きからは忌み嫌われて悪名高くなる一方だしで散々だよね
0874人間七七四年2012/12/24(月) 12:57:50.34ID:3ga+/rTp
申し訳ございませんお客様、裏切りは完全予約制となっております
0875人間七七四年2012/12/24(月) 13:50:20.56ID:Tw8CTV1P
脇坂「予約しといて良かった…」
0876人間七七四年2012/12/24(月) 17:59:47.06ID:FOSIncts
弾正「ゴールドカード会員なら予約も不要ですぞ」
0877人間七七四年2012/12/24(月) 19:08:05.95ID:L6D772zb
ノブ「ゴールド会員は入会費として九十九茄子が、年間料として土蜘蛛が必要となっております」
0878人間七七四年2012/12/24(月) 19:18:26.44ID:/NFacn01
>>877
それは「平」蜘蛛だっ
土蜘蛛だと妖怪になっちまうよ
0879人間七七四年2012/12/24(月) 20:06:44.17ID:F79U+TuQ
天文9年(1540)、安芸国は吉田郡山城の戦いの時のこと。

9月4日、尼子晴久が着陣した夜、毛利元就は家臣たちとの物語の中に、
「敵兵の首を一時も早く実検したいものだ」
と言われた。これを児玉與八郎が聞いて、
『容易いことである。明日討ち取り、お目にかけよう』
と考え、破れた笠を付けて網を持ち夜中に城を出て、敵陣の前に多治比川と言う小川があったのだが、
ここに一人でいって魚を獲っていた。

そうしているうちに、敵よりこの川に小便をしに出てきて、各々用を済ませて陣屋に帰っていったが、
2名ほど残って未だ小便をしていた。

それを見た與八郎、今だ!と蓑の下から脇差を抜き、一刀で首を討ち落とし、これを掴んで逃げ出した。

敵陣はこれを見て、大勢が追いかけてきたが、與八郎はその頃若さの盛でもあり、難なく城に駆け込み
「御感に預かるべし!」
と申し上げた。

元就はこれを聞くと、しかし

「大敵を引き受けての籠城というこんな時に、若気とは言いながら、なんと要らぬことをするのだ!」

と、大いに怒り、與八郎は勘気を蒙ったとのことである。
(吉田物語)


児玉興八郎、良かれと思ったのに怒られたというお話である。
0880人間七七四年2012/12/24(月) 20:09:50.04ID:3i1w+TmF
この手の軍令違反系の逸話は結果的に主人の構想に寄与するか否かで評価が決まるんだろうな
0881人間七七四年2012/12/24(月) 20:21:50.19ID:nyrf6heK
はやく首実検したいって文字通りのそういう意味ではないよなあw
0882人間七七四年2012/12/24(月) 21:13:25.43ID:a/gBLp+f
その場にいた人達の「そういう意味じゃねえよ」という心のツッコミが聞こえてきそうだw
0883人間七七四年2012/12/24(月) 21:18:14.66ID:zyxXrSJi
S野宗綱「若気の至りとは言うけど、お前ら空気読めって言いたい時も有るよNe」
0884人間七七四年2012/12/24(月) 21:44:20.04ID:PGi18RRf
アスペみてーだなw
0885人間七七四年2012/12/24(月) 21:52:34.08ID:njZY1X1U
>>880
下手に構想通りになっても「鶏肋」になりかねないしなぁ
0886人間七七四年2012/12/24(月) 22:29:52.66ID:6Fzkypgi
秀吉「敵前逃亡でも処罰無し余裕でした^^」
0887人間七七四年2012/12/24(月) 23:36:31.94ID:sFWww/rn
>>886
神子田「・・・・。」
尾藤「・・・・。」
仙石「・・・・。」
0888人間七七四年2012/12/24(月) 23:49:29.11ID:UoAYNgIu
美濃の住人に岩崎角弥という若侍がいた。主君は斎藤道三で多年膝元にて宮仕した。
ところが傍輩の嫉妬によって讒言され、道三はこれを信じて角弥の出仕を止めてしまった。
角弥は迷惑して「それがしの誤りは何でありましょう。承りたい」と人を介して尋ねるが、
道三の返事はなかった。角弥は「もはや主君との縁は尽きたのだ」と悟り別の縁を求めた。

その後、角弥は摂政殿に奉公することになった。彼は器量・骨柄・心様ともに人よりも
優れていたので、摂政殿は角弥を最も重用した。かくして角弥は二年の間御所にあった。
道三はそのことを聞きつけ、摂政殿に使者を送り「角弥を賜りたい」と申し上げた。しかし、
摂政殿は「呼び返す程欲しき者をどうして追い出したのだろう。叶えられないことだ」と断った。
道三は諦めずに千度百度頼んだが、摂政殿は「この者だけは出すことはない」と断固拒否した。

大いに立腹した道三は「それならば討手を上らせる」と決意し、山本伝左衛門と須田忠兵衛
という二人の大剛の者を京都に派遣した。二人は中々角弥を見つけられなかったが、
ある御節会の時、禁中に渡る摂政殿に角弥も供奉していた。この時、二人は角弥を見つけ、
角弥も見合わせてお互いに「あっ」と思ったが、摂政殿の警固は厳重で両人は手を出せず、
その日は空しく諦めた。それからの二人は角弥を討つ機会を毎日窺った。

一方の角弥は「あれは討手に違いない。殿下にこのことを申し上げたほうが善いのではないか」
と思い、ある時摂政殿の様子を窺ってその旨を申し上げた。摂政殿は直ちに奉行所へ
「かかる者が京都にいる。厳重に捜査して洛中より追い払え」と命じ、長高と貞親が洛中に
「この者を一時でも抱えた輩は処罰する」と触れを出した。この状況に両人は是非もなく帰国し
道三に報告すると、道三もどうしようもなく、そのまま角弥殺害を諦めてしまった。

――『室町殿物語』
0889人間七七四年2012/12/25(火) 11:37:26.26ID:ZPZHRHYb
>>887
>仙石「・・・・。」
あんたは復活できたから上2人よりはまだマシだろ。
0890人間七七四年2012/12/25(火) 13:57:31.25ID:/io3l886
仙石さんは徳川さんの後押しで復活出来たみたいだけど、なんで徳川さんは助けてくれたの?
0891人間七七四年2012/12/25(火) 14:10:21.46ID:Sx2pncVL
直政「ねえ殿…敵が伏せてると分かっていて突撃するなんて、天晴れじゃありませんか…?」
家康「しかしだな、結果的に味方は大損害を…」
直政「じゃあ、自ら敵に突っ込んでいくような男はお嫌い?」
家康「そ、そのようなことはないぞ///」
0892人間七七四年2012/12/25(火) 14:17:00.22ID:a5ZDCWX4
家康は陣借り許しただけ、後は自分で兵集めて勝手に手柄立てて復帰
何でって聞かれるほどの手間は掛けてないし
0893人間七七四年2012/12/25(火) 15:58:03.21ID:YlWUj1pp
仮にも大名を務めたほどの人物だし、復帰してくれれば自分のシンパにできるしね
総指揮官としてはアレだけど、現場指揮官としてはすこぶる優秀な人だし
0894人間七七四年2012/12/25(火) 20:57:29.83ID:vJy29klx
>>888
斉藤家は京都に刺客送ると失敗するフラグでも立ってるのか?
0895人間七七四年2012/12/25(火) 22:01:55.73ID:0wz/8eSZ
富永恭次「そうそう、大将のシンパなら大丈夫大丈夫」
0896人間七七四年2012/12/26(水) 00:27:24.19ID:f6/0IznD
>>891
クリスマスだったからっていちゃついてるんじゃねーぞw

あ、もう26日か
権現様お誕生日おめでとうございます
0897人間七七四年2012/12/26(水) 02:42:04.09ID:hvn5iwYX
仙谷は徳川の世になってからも優遇されるんだよな
大失態があったとはいえ、助けたくなる何かがあったんだろうな
0898人間七七四年2012/12/26(水) 07:18:06.93ID:vEVuEvQh
>>891
忠吉サンとか「だから(義)息子の前でイチャつくなよな…(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」
帯刀サンとか「|ω・`)……………。゚・(ノД`)人(´Д`)人(Д` )・゚。」
健全三河武士「∩(´・ω・`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・* もうどうにでもな〜れ」
08991/22012/12/26(水) 21:06:18.43ID:1lrPS9Ok
織田信雄、三老臣を成敗する


天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の仲が険悪となると、秀吉と通じたとして
信雄が三老臣(岡田重善・津川義冬・浅井多宮丸)を誅殺するのではないかという
風聞が流れていた。

3月3日、上巳の祝いのために鷹狩で獲った雁を与えると
三老臣へ使いがあったので、皆出仕した。
各々が饗膳の席に着いたころ、信雄は南蛮張の大筒を出して、
これは父祖より譲られたものであると言ったので、岡田・津川は謹んでそれを拝見した。

信雄はさらに岡田に対し、その大筒を持ってみよと言い、
岡田が畏まって大筒を取り手に持った所、土方雄久が飛び掛って抱きつき、
片手に短刀を持ち岡田を突いた。岡田は突かれながらも土方を引っ立て脇差を抜いた。
信雄は大左文字の刀を抜き、岡田を斬ってくれようと、
「雄久放せ!」と命じたが、
土方は、
「大事の役目なので放すわけにはいきませぬ、早く某もろとも斬りなされ!」と答えた。
0900人間七七四年2012/12/26(水) 21:12:51.10ID:LSyBy1dk
大阪夏の陣の時、

豊臣方の大野治房の軍勢が紀伊国に向かう途中、和泉国貝塚で、願泉寺卜半斎という物の出迎えを受けた。
卜半斎は軍勢に馳走を振舞い、貝塚の町や近在から集めた麦飯を集め、半切(樽状の桶)に入れて運び、
また酒も大いに振舞った。

大野治房軍の兵士たちはそれまで夜通しの行軍をしてきたこともあり、疲れ空腹であったので、彼らは
この振舞いを喜び受けると、たちまち酔っ払ってその場で寝てしまった。
さらに岸和田方面の抑えに出ていた、宮田七平の兵たちまで集まってきての酒盛りになった。

このため、この軍の行軍は甚だしく遅れ、戦場に間に合わず、これによって和泉樫井の戦いで
豊臣方は大敗を喫した。

実はこれらは全て、願泉寺卜半斎が豊臣軍の足を止めるための策略であり、彼らはそれに
まんまと引っかかったのである。
(大阪合戦口伝書書入)
0901人間七七四年2012/12/26(水) 21:13:41.26ID:LSyBy1dk
>>899
スマン、割り込んでしまった。
09022/22012/12/26(水) 21:14:31.99ID:1lrPS9Ok
しかし、信雄がしつこく放せと命じるので、短刀でもう二突きした上で放した。
すると信雄はすぐさま岡田を斬り、止めを刺した。

この有様を見た津川、
「そ、某をも誅されるおつもりか?」

信雄答えて、
「汝もどうして赦せようか?」

津川はこれに対して、
「なんと薄情な! 某の心底がお分かりにならないのか!?」

と言ったが、その時かねて討手と決められていた飯田半兵衛らが襲い掛って一太刀斬りつけ、
そこに信雄また続いて津川を仕留めた。

残りの一人、浅井多宮丸は未だ17歳にもならぬ若者だったので、
森勘解由が承って難なく斬り伏せた。
こうして三老臣を誅殺したので、残党を掃討するため岡田の星崎、津川の松ヶ島、浅井の刈安賀と、
三人の居城へそれぞれ討手を差し向けたのであった。

(伊勢国司記略)
0903人間七七四年2012/12/26(水) 22:26:21.74ID:3tvf34An
この話を読む限り、津川は岡田が斬られるのを抵抗もせず見ていたんだよな
仮に翻意があればさっさと刀抜いてそうなものだが
0904人間七七四年2012/12/26(水) 23:13:09.40ID:Jb6y8Dqs
うむ。
0905人間七七四年2012/12/27(木) 01:34:46.48ID:uwGaSoc4
17才にもならぬ老臣…
0906人間七七四年2012/12/27(木) 01:38:58.51ID:+pVjqYKa
若年寄?
0907人間七七四年2012/12/27(木) 05:52:58.78ID:7TE8nu7A
信長の野望とかでよくあったね、三歳髭面とか
0908人間七七四年2012/12/27(木) 10:35:43.04ID:MdLaw1F3
老臣やら大人とかは、老中とか若年寄とかと同じ役職みたいな感じで使われることが多いよね
0909人間七七四年2012/12/27(木) 11:02:50.04ID:bu3fi/5y
元老院も老人の集まりだと思われがちだが、20代の若者もいる
0910人間七七四年2012/12/27(木) 12:47:09.31ID:7VcFyRgh
世襲議員だな、小泉進次郎みたいな奴
0911人間七七四年2012/12/27(木) 13:32:55.98ID:LruDLFiG
身の程をわきまえてる奴なら別にいいんじゃね?
問題は口先だけで実行しない鳩山小沢の類で
0912人間七七四年2012/12/27(木) 15:13:02.10ID:6jii2X/e
オクタウィアヌスが20歳だったか
叔父のカエサルも30代だよな
0913人間七七四年2012/12/27(木) 21:35:37.30ID:hlwGoHLy
>>900
俺の中で大野治房は脳筋っぽいイメージだな
一度戦いになるとめちゃ強いけど頭が弱いせいで知略に長けた相手によくやられる印象
0914人間七七四年2012/12/27(木) 23:44:48.15ID:BFGZEA3B
松永貞徳が言った。

「相国寺の仁如和尚の御門弟に俗男の儒学を志して詩作を自慢する者がいた。
彼は入道して和尚に道号を求めたのだが、和尚は彼の心中をご存知だったのだろう、

『ただその方の思うように付けよ』と言ったところ宋の詩人、蘇東坡と黄山谷から
一字ずつ取って坡谷庵(はこくあん)と付けた。

しかし『はこ』は糞のことだから、人々に『汚い庵号だなあ』と笑われたのだ。
笑われていると知った彼はそれならばと庵を取って斎の字を付けてしまったもの
だから、ますます酷い呼び名になって人に笑われたそうだ。

とまあ、そんな話を由己法橋が語られていたのだ。大笑い、大笑い」

――『仮名世説』
0915人間七七四年2012/12/28(金) 00:00:24.15ID:n9mqw1bW
リアルで雲黒斎がいたとは
0916人間七七四年2012/12/28(金) 05:50:36.57ID:yhLVZSVl
このスレの年齢は数えでいいのかな?
そうすると17歳は満年齢だと15歳ぐらいだよね
歴史小説家は当時は成長早くていまの15歳と比べられないといってるけどどんなもんだろ
0917人間七七四年2012/12/28(金) 12:20:07.91ID:/VWf/rLz
毛利元就の大勝に終わった、天文24年(1555)の厳島合戦。
この時陶軍からの捕虜のうち、重見因幡守(通種)と言う者があった。
彼は伊予河野氏の一門・十八家の内にある者で、河野対馬守(法名・天徳寺)の近親であった。

しかし天徳寺殿が、嫡子弾正忠と父子不和となり、ついに合戦となった。
因幡守は父子の礼儀を重んじ、天徳寺殿の見方となり、遂には伊予を浪人し、大内義隆を頼って
周防へ亡命をした。

大内義隆はこれを許容し、陶尾張守(晴賢)に預けられ、安芸西条の桑原という場所に小知を与え、
浪人分として大内家に属した。そして今回陶晴賢と共に厳島に渡海した。
その様であったので、捕虜になった重見因幡守は毛利方に対し、「御検使を下されればそこで
切腹をしたい」との申し出をした。

これを聞いた毛利元就は、内々に彼を召抱えたいと考えていたので、
『一命を助けるので、御奉公申し上げるように』
と、児玉内蔵丞、兼重左衛門から申し渡された。

因幡守は承り、しかし、
「ありがたき御意、身に余り、忝く思っています。
ですが、切腹のことはもう決心しているのです。どうかそこを解っていただきたい。」
そう申し上げた。

これを聞いた元就は再び彼に伝えた

『もし自分の家臣になることを受け入れないというのなら、西条に居るそなたの倅達を召し捕らえ、
その方の面前で殺してやるぞ!それを憐れだと思うのなら、私の意に従い、切腹のことは
思い留まるように。』

因幡守はこれを承り
「重ね重ねの有難きお言葉、生々世々忘れがたき幸せです。
ですが私は、生国は伊予、河野一族の者であります。
さる仔細があって伊予を立ち退き、大内義隆を頼み山口に罷り越したいとしていた所を、
これを御許容下され、当国西条において小知を頂き、陶氏に預け置かれました。

そして入道(陶晴賢)は私に対して別して懇切でありました。ですからその報謝として、
この度厳島へお伴し、同じ場所で如何にも罷り成るべしと考えていたのですが、多勢に隔てられ、
あまつさえ生け捕りになってしまい、この様な有様で、もうどうしようもありません。

もし今、御厚恩をいただけるのなら早々に切腹を仰せつけて下さい。
子供については、どのように仰せ付けられても構いません。
その様なことは、常日頃から覚悟させております。」

これを再び児玉・兼重から報告された元就は、
『さてさて、惜しく思うが、この上は望みに任せて切腹を申し付けよう。
子供については取り立て、召し使いたい。』
との旨を伝えた。

これを聞いた重見因幡守は
「有難く存じ候」
と御礼申し上げ、厳島のありの浦にて切腹した。
彼の二人の子供は召しだされ、別して良く召し使われた。
兄は木原兵部、弟は木原二郎兵衛と申して、戦場での御奉公数度に及び、
そのためより一層重用されたという。
(吉田物語)

毛利元就、重見因幡守の決意を覆せず、という逸話である
0918人間七七四年2012/12/28(金) 14:04:36.05ID:GEFZpWAE
>>917
(´;ω;`)ブワッ
0919人間七七四年2012/12/28(金) 15:20:08.29ID:RK4YLfHe
死に場所を探してた老兵
0920人間七七四年2012/12/28(金) 21:54:08.75ID:D2nU7MF5
これで命乞いするようなら武士として使えないよなあ。
0921人間七七四年2012/12/28(金) 23:19:42.96ID:sPgezdbT
明智光秀は亀山の北、愛宕山から続く山に城郭を構えた。この山を周山と号す。
自らを周武王になぞらえ、織田信長を殷紂に比した。これは謀叛の宿志である。

羽柴筑前守は信長の手の者の様にて、その上度量が広く小事にこだわらない
気質なので人に対する言葉はいつもずけずけとしていた。それに比べて光秀は
外様の様に、その上つつしみ深く、まじめで温厚な人だったので言葉はいつも
うやうやしかった。

ある時、筑前守が「わぬしは周山に夜普請をして謀叛を企てていると人は皆言う。
実際のところはどうなんですか?」と尋ねた。これに光秀は「でたらめを言うものだ」
と笑ったのでその話題は打ち切られたのだという。

――『老人雑話』
0922人間七七四年2012/12/29(土) 01:59:03.27ID:9ljgyvp1
>>917
こういう人こそ召抱えたいものだが、何か方策はないものかね?
0923人間七七四年2012/12/29(土) 03:43:14.70ID:tZsoP29G
無理矢理貸しを造り奉公させ、時間を掛けて篭絡?
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。