摂津の勝久寺の住職頓恵(とんけい)は数千の門徒とともに本願寺に味方して織田信長と戦った。
1580年3月17日、長年あらそっていた本願寺と信長との間で和睦が成立すると、大勢の門徒たちは帰村した。

5月28日、その門徒たちが勝久寺に集まって法義談合を行っていると不意に信長軍が襲撃してきた。
信長軍は堂舎を焼き払い、多数の門徒たちを捕えて殺害した。そのため、辺り一面が血の海となり、
それ以後、寺の前のその場所を流れの馬場と呼ぶようになった。