先ず最初に身体の欠損が悪い話ではありません

近衛信尹の日記には修正部分が多いが、その中の透けて解読できる部分、天正19年3月の部分に
「毛利輝元は片目である、伊達政宗も片目である、殿下は(以前)小者だか今は殿上人で彼も小者である」
と記されている
この殿下は秀吉に相違なく、ここでは輝元と秀吉が片目だったとしている

信尹の日記は他にも欠損部分が多く、例えば関ヶ原合戦前後は丸々無くなっている
日記も正直に書きすぎると抹消されてしまうのである