「仏の嘘を方便と言い、武士の嘘を武略と言う」と言っていた明智光秀。
そんな光秀が本能寺の変で天下を取った。

摂津衆の一人中川清秀は去就を決めかねていた。
光秀と戦うべきか味方すべきか。
というのも情報が錯綜し、本当に信長が討たれたのかよく分からなかったのだ。

そんなところへ秀吉が大返しで戻ってくる。
そして秀吉から受け取った書状には驚くべきことが書いてあった。


「信長公は生きておられる。」


「マジで!?」と思った清秀にさらに秀吉の書状は畳み掛ける。
「信長公配下の福富秀勝が比類なき活躍を見せて明智軍を撃退し、再興の機を窺っておられる。
某はただちに信長公にお味方し、光秀を討つつもりだ。そなたも我に協力致せ。」
もちろんこの情報は嘘で福富秀勝は討死しているのだが、
これに乗った清秀や池田恒興ら摂津衆は秀吉に付き、光秀は敗れ去ることになる。

自ら武略だと公言した武士の嘘によって滅びたというのは皮肉ではなかろうか。