高利貸で民衆を苦しめ続けた北条氏康 1560年には相模から夜逃げする民衆が続出、相模は死の町と化した そのあまりの悲惨な光景から翌年相模に遠征した越後軍の将兵は絶句し息を呑んだと いう「環隆聖人手記」より