戦国ちょっと悪い話33
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0995人間七七四年
2012/10/24(水) 16:24:49.71ID:SqIYoogS大御所(家康)より禁中御造営の奉行として、板倉内膳正重昌に上洛すべしとの旨があった。
彼は京都所司代伊賀守勝重の次男である。
今日、御雑談の折に武蔵の由良新六の従僕に、手足を使ってとにかく疾く走るものがあり、
山坂の嶮難であっても、1里、2里ほどなら馬に劣らぬほどに駆け抜ける、との話が出た。
大御所は露骨に怪しまれ、今度その者を見てやろうと仰った。
またこの頃、京都において奇異なことがあった。
一条裏辻幸阿彌長安というものがあったのだが、彼が死去して数日も過ぎない内に、
彼の居宅において、夕暮れ時になると山伏のような姿をした者達が数人、出現するようになった。
しかしこれらをはっきりと見ようとすれば、忽然と姿を消してしまう。毎夕、この様であった。
長安の弟がこれを怪しんで、数人の仲間とともに深夜までこの山伏のような姿をした者達の様子を
覗っていた所、彼らはいつの間にか増えていき、気が付けば幾千万とも知れぬほどとなり辺りに
充満した。
かの弟はあまりの恐ろしさに逃げ帰り、その翌朝死んだ。
この事があり長安の残された妻子や下人たちはもはや住むに耐えずと、他所に移り住んだのだという。
大御所はこれを聞かれて、狐か何かだろうと仰ったと云々。
一昨年の4月4日にこの様なことがあった。伏見城の賓殿の庭に見知らぬ者が立っていた。
手足に指がなく、弊衣、乱髪、そして口には青蛙を咥えていた。
どこから来たのかと問えば、手を以って天を指した。
人々は皆彼を叩き殺そうとしたが、大御所が「殺すな」と仰せになったので、城外に出した。
それから彼がどこに行ったのか、誰も知らないとのことだ。
(玉露叢)
この頃の家康が見聞きした、ちょっと怪しいお話。
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