朝鮮役の時のこと
小早川隆景は朝鮮開城府に在陣していたが、太閤秀吉へのご機嫌伺いのため、曽根兵庫を使いとして
名護屋の本営に参らせた。
曽根は太閤の御前に出て平伏し、隆景の言を伝える

『今十万の人数の渡海を仰せ付けられましたならば、それを朝鮮の占領した城々に入れおき、
現在朝鮮に在陣している十三万にてこの隆景が先手を仕り、朝鮮を押し払い大明に討ち入り、北京をも
攻め取りたいと思っています。この段、願い奉ります。』

秀吉はこれを聞いて大変機嫌を良くし
「隆景の気性、そうでなくてはならぬ!」と、傍らに居た徳川家康、前田利家を見て

「皆の者達、よく聞いてほしい!この秀吉が寿命を迎え、この戦争の最中に病死などしたとしても、
秀次を大将に立てて必ず大明攻めにとりかかるのだ!その時私の亡魂は悪神となって天に登り、
黒雲に乗って、日本軍の鉄の盾となるだろう!
四百余州の奴原(明国)を一々に蹴り殺すこと、思いのままである!」

と、快く語り、ふと

「そういえば、悪霊になって柘榴を食って火を吹いた小男があったが、名前を忘れてしまったぞ。」

これを聞いた施薬院森成
「畏れながら、それは菅丞相(菅原道真)と申し奉る、北野の天神の御事でございます。」

そう申し上げると秀吉
「それそれ!その菅丞相ですら我が念を通じて雷となったのだ。全くその男は、我が睾丸(キンタマ)の垢ほども
無き者である!」

と仰せられた。
この言葉に一座の大小名、皆興を醒ましたとのことである。

(武士道美譚)