小田原の役の折、前田利家と上杉景勝は関東の諸城を降伏せしめ、
小田原に至り秀吉に謁見した。この時、秀吉はその功を賞さなかったので、
二将はとても不可解に思いながらも、自営に帰っていった。

その後、秀吉は近臣に「利家と景勝が敵の城営を降したことは
確かに功ではあるが、その内の堅城十二ヶ所は屠るべきだった。
これは一威一宥というべし。ただ降伏だけを待つのはよくない」と語った。

そして近臣は密かにこれを二将に告げた。
二将はこれを聞いて、直ちに八王子城を攻め屠った。

加藤嘉明はこれを聞いて「殿下の後裔は続かないだろう。
殺をもって威を立つとは、将校の武をもって喜ぶ者のやることであって
天下の長たる者のなすことではない。天下の長たる者は殺を止めることを
務めとするものだ」と、密かに人に語った。

後には果たしてその言葉の通りになった。

――『名将言行録』