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戦国ちょっと悪い話33

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0001人間七七四年2012/08/14(火) 19:13:27.50ID:90iWq5dq
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話32
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1339809373/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0773人間七七四年2012/10/10(水) 23:42:10.01ID:qbWa7p4Z
>>772
この黄金の鍋とその土鍋を交換してくれないか?
0774人間七七四年2012/10/11(木) 01:23:23.95ID:T1uxgLqf
「そなたのなくしたのはこの金の茶釜かな?それとも銀の茶釜かな?」

正直に金の茶釜って言ったらどうなるんだろう。
0775人間七七四年2012/10/11(木) 01:49:57.24ID:Vuga7j1z
綺麗なジャイアンが。。。
0776人間七七四年2012/10/11(木) 02:48:11.95ID:u5vuhp5b
素直な三河武士が…
0777人間七七四年2012/10/11(木) 02:51:27.66ID:ml726taz
素直な彦左が....
0778人間七七四年2012/10/11(木) 07:54:25.32ID:1lyNlHCI
綺麗な平蜘蛛の持ち主が…
0779人間七七四年2012/10/11(木) 14:57:07.67ID:gpdTQrSM
綺麗なラスボスが…
0780人間七七四年2012/10/11(木) 15:00:00.86ID:J10jAjET
秀吉はホント好きになれんよなぁ、端々に人間の嫌な部分が全部でてるというか。
逆にそこが人間臭くていいという人もいるんだろうが。
0781人間七七四年2012/10/11(木) 15:59:13.78ID:3GgRYgAY
江戸時代通じてネガキャンされた人のエピソードを真に受けるのもどうかと思うが…
0782人間七七四年2012/10/11(木) 16:05:17.69ID:5im0Zst0
普通に人気あるだろ。
なれんよなぁとか言って
個人の意見を一般化しないように。
0783人間七七四年2012/10/11(木) 16:54:12.82ID:up+DWCw2
江戸期に秀吉はむしろ理想化されてたよ。朝鮮役も、儒者とか知識階級は無益な外征と言っていたけど、
庶民レベルでは国威を発揚した痛快な外国退治として認識されていた。
秀吉のネガティブな面が表にでてきたのって、ホントにここ2,30年じゃないかな?
0784人間七七四年2012/10/11(木) 16:55:18.12ID:j9TGl7th
>>774
泉の神様に正直に申告したのに何故か毒殺されました

よく見たら泉の神じゃなくて宇喜多の和泉守でした。
0785人間七七四年2012/10/11(木) 18:05:01.86ID:up+DWCw2
>>727の池田市郎兵衛さんのお話

池田市郎兵衛と言えば度々の戦功を重ね、首供養(33人の首を獲った者のみが許される、自分が命を奪った者への
鎮魂の法要)をした程の武士であったが、牢人して困窮に陥った時、寺沢広高がこれを招き、茶料として四百石を
無役として与え、さらに鉄砲足軽20人を、「これは並の足軽ではないが、人数少なく色々と不便であろうから使われよ」
と言って預けられた。

ところでこの池田市郎兵衛は、かねてから黒田長政と細川忠興も召抱えたいと探していたのだが、
彼が既に寺沢広高の召し抱えられたことを知ると非常に残念がり、彼らはそれぞれ、市郎兵衛に対し
三千石で召抱えたいといってきた。

しかし市郎兵衛
「私が牢人し餓寒に及ぼうとしていた時に、主君広高の恩恵を蒙り、今にいたって妻子を豊かに育めております。
三千石はかたじけない事ですが、その高禄に心惹かれて他家に参るというのは、武士の本懐ではありません。」
と伝えて、両家の誘いを断った。

寺沢広高はこの話を漏れ聞き、「他人が高禄を以って池田市郎兵衛を招いたのに、彼は利を貪らず私に
義理を立てた。それを私が知らぬ顔で捨て置くというのは、道に背く行為である。」
そう考えて市郎兵衛に三千石を与えようとした。

が、これに市郎兵衛
「私はもとより、禄の多少を論じてはいません。ただ殿からの処遇の浅からざるを悦んでいるのです。
今頂いている所領にて、衣食の用は充分に足りています。ですからその他は毛頭望むところではありません。

もし殿に誘っていただいた時、その身上が不足だと考えていたら、たとえ餓死しても始めからそれに応じる筈も
ありません。
その上当家に参ってから、私には何の功労もなく、懸命な御奉公を勤めたいという気持ちばかり募りますが、
些かも御恩に報いることは出来ていません。そんな私が今更どうして、過分の御加増を受けられるでしょうか?」

池田市郎兵衛、なんと殊勝な物言いであろうか。ところが

「ただし」

市郎兵衛は続けた

「私のこれまでの武功に応じた所領を与えたい、とお考えなのなら、例えば御家では、御家老の平野源右衛門殿には
八千石を下されておりますね。しかし彼は、武功において私と同列に語れるような者ではありません。
もし源右衛門殿と同じ基準で武功を評価していただくのなら、私には一万石下されても、未だ充分だとは思いません。

殿?なまなかな気持ちで手をお付けなされては、私が成してきた功績に傷をつけてしまいます。
ですから却って今のままのほうがいいのですよ。」

そう言って断った。

家臣が主君に「仕えてやっている」とはこういう事か、と思わせる、池田市郎兵衛の自負である。
(武士道美譚)
0786人間七七四年2012/10/11(木) 19:00:04.64ID:UbHGOshQ
よりによって、主君が寺沢だしなぁ…
0787人間七七四年2012/10/11(木) 19:02:15.14ID:BnOD9kal
黒田と細川でも三千石なのにw
0788人間七七四年2012/10/11(木) 19:06:27.44ID:kqIHIRh5
前半だけならいい話なのになぁw
0789人間七七四年2012/10/11(木) 19:23:40.99ID:nYwPNFgq
まあ悪い話・・・と言う程でも無いんじゃないかw
0790人間七七四年2012/10/11(木) 19:26:50.12ID:ereW9tlm
いや茶道具なら古織じゃないのか?泥棒候補はw
0791人間七七四年2012/10/11(木) 21:36:09.80ID:8cksYRGk
この強烈な自負こそ天下に隠れ無きもののふの心意気
0792人間七七四年2012/10/11(木) 21:39:42.74ID:sPl7bEvn
>>790
実はそれが切腹の理由だったり
0793人間七七四年2012/10/11(木) 21:43:37.72ID:d6O9Qyuc
黄金の茶器では一物が萎えちゃう
0794人間七七四年2012/10/12(金) 00:28:56.15ID:/aoxo595
「どうです、良くないでしょう?」
0795人間七七四年2012/10/12(金) 01:25:54.22ID:+FBYIoEV

鍋島直茂は家臣が中央のことを知らないために万事不都合なので、
稲垣権左衛門という者を召抱えて二百石を与えた。

ある日、直茂が高伝寺に詣でると、門に張札があり、
『御譜第の者だに取らぬ地行をば、いながきが来て二百石取る』
と書かれていた。直茂は帰宅すると、

「譜代の者には何の沙汰もないのに、他方の者に知行を与えたのでは、
合点がいかないのも無理はない。私たちは誤りによって恐縮する
こともあるだろうが、公儀に対して不調法だったとしても国家の
害にはならないはずだ」と言い、

権左衛門に経緯を話して諭し、暇を賜ったという。

――『名将言行録』
0796人間七七四年2012/10/12(金) 09:19:43.48ID:v/isuBix
情報というものがいかに価値があるものか分からない悪い話ですね
0797人間七七四年2012/10/12(金) 09:28:49.35ID:q8NF8Dri
なんとも難しい国だな
0798人間七七四年2012/10/12(金) 10:22:39.99ID:R1hYhrwS
三河武士「嫉妬とは見苦しいな」
0799人間七七四年2012/10/12(金) 10:47:09.82ID:S09DAfZH
現代だって移民に職を奪われるって、国民はすぐ文句言うじゃん。
昔も今も、洋の東西も問わず同じ問題抱えてるだろ。
0800人間七七四年2012/10/12(金) 11:41:11.31ID:/aoxo595
移民ちうかヘッドハンティングしてきた役所にコネ持つ天下り組の高給取りに古株社員が嫉妬しとるだけちゃうんかと
0801人間七七四年2012/10/12(金) 13:24:12.12ID:FN00yU0A
二百石なんて鍋島の規模なら軽輩だろうに・・・
0802人間七七四年2012/10/12(金) 13:26:36.31ID:pCeATkzI
移民と一口に言っても誰でも出来る肉体労働をダンピングする連中と頭脳労働でリードする人たちじゃ別物だよね
0803人間七七四年2012/10/12(金) 15:51:22.41ID:NHOoK4PP
氏規「作法や格式なんて気にする必要ないさ」
0804人間七七四年2012/10/12(金) 17:01:16.56ID:l5NTSM9N
宗匠「左様」
0805人間七七四年2012/10/12(金) 17:07:04.98ID:ETcNIRlA
>>795
ハンティングされてFF12を任されるけど、
周りに引きずり降ろされる話ですね。
0806人間七七四年2012/10/12(金) 18:34:27.54ID:Oc+D15Pz
戦国時代ですら後半は
ソロバン得意>>>>>脳筋なのに
なんでそんな落書きで考えを翻すかな


0807人間七七四年2012/10/12(金) 18:37:31.58ID:yUbuChbJ
二百石という現実的な石高が、むしろ貧乏藩士の嫉妬心を刺激したのだと予想
0808人間七七四年2012/10/12(金) 19:13:32.27ID:Kl5I33N5
幕末の佐賀藩が現代の灘や開成も驚くエリート養成スパルタ藩になるなんて
この時はまだ誰も知らない...(´・ω・`)
0809人間七七四年2012/10/12(金) 20:07:27.39ID:vTG4OOsZ
小笠原秀政の居城に、彼が時々出向く矢倉があったのだが、そこの掃除を担当している侍に罪過があるとして、
秀政は家臣の鹿島宗全に、この者の召し捕りを命じた。

と、ここで宗全は思った。「あの侍は器量優れた者である。これは容易ならぬ捕物である。」
そして深く考えた。

宗全は矢倉に走ってゆくと、その侍を呼び出し急いでいる様子で言った

「間もなく兵部大輔殿(秀政)がこちらに御出である!掃除はできているか!?私はそれを確かめるため
こちらに参ったのだ!」

そして矢倉の中を見回しつつ、ふと上を見上げると

「あっ!あそこに蜘蛛の巣が!」

小笠原秀政は何故だか知らないが蜘蛛の巣が大嫌いであったのだ。その事はこの侍もよく知っていたので、
「なんだと!?」り言って上の方をじっと見る。

と、すかさず宗全、彼を後ろからむずと抱き上げ目の高さより上まで持ち上げると、板敷の上に、どうと
思いっきり投げつけた!そしてそのまま押さえつけ縄をかけた。

この侍
「さてさて無念のことかな!蜘蛛の巣と言われたのに打ち驚き、空を見上げたところを細腰を抱かれては
もうどうしようもない!」と口惜しがったという。

鹿島宗全矢倉の捕物、というお話
(武士道美譚)
0810人間七七四年2012/10/12(金) 20:42:52.12ID:NHOoK4PP
なんで器量優れた容易でない奴が清掃員やってるんだ。
0811人間七七四年2012/10/12(金) 21:30:25.72ID:/aoxo595
スープレックスかましてる光景が脳内再生された
0812人間七七四年2012/10/12(金) 21:34:03.25ID:6KZn9KQW
>>810
この場合清掃員ではなく、その矢倉の清掃員を統括する清掃責任者というようなポジションなのだろう
0813人間七七四年2012/10/12(金) 22:44:08.00ID:8tjL621S
クモの巣が嫌いとかちょっとかわいいな
0814人間七七四年2012/10/12(金) 23:37:02.30ID:6Yz0wme5
あっ、UFO!!みたいなネタは昔からあるんだな。
0815人間七七四年2012/10/13(土) 00:05:49.03ID:WROXocue
この後どうなったか気になる。
0816人間七七四年2012/10/13(土) 02:32:12.23ID:O/mAbsd+
細腰…
帯を締めるあたりの事を細腰というが一瞬何事かと吃驚しちまったぜ
0817人間七七四年2012/10/13(土) 08:21:36.65ID:aSy1wE8R
>>809
>すかさず宗全、彼を後ろからむずと抱き上げ目の高さより
>上まで持ち上げると、板敷の上に、どうと 思いっきり投げつけた!

当然この時の宗全の姿勢はきれいなブリッジですよねわかります。
0818人間七七四年2012/10/13(土) 10:48:51.90ID:L7i5fm+Z
強奪されることに定評のある自慢の弓に蜘蛛がいて掴んじゃったとか?
0819人間七七四年2012/10/13(土) 12:25:02.60ID:rWaEozQZ
>>817
ジャーマンスープレックスじゃねーかw
0820人間七七四年2012/10/13(土) 12:48:07.25ID:y8cm8NdD
カウント2.99で返そうとするも敢え無く捕縛
0821人間七七四年2012/10/13(土) 12:52:52.17ID:9Vn2I3qQ
>>809
何かやらかした自覚もなさそうな捕まり方だなw
0822人間七七四年2012/10/13(土) 13:15:40.31ID:SbcHpIHH
後の裏投げである
0823人間七七四年2012/10/13(土) 14:11:31.41ID:WD37+byV
>>809
>そしてそのまま押さえつけ縄をかけた。

きれいなフォール勝ちですねわかります
0824人間七七四年2012/10/13(土) 15:41:31.66ID:o0IUkIam
日本最古のジャーマンスープレックスホールドの記録か。感慨深いな。
0825人間七七四年2012/10/13(土) 15:55:44.47ID:WROXocue
鹿島宗全が青いタイツに虎の覆面姿でしか思い浮かばん。
0826人間七七四年2012/10/13(土) 22:49:27.35ID:8Ay9UkVa
「おん折紙、拝見せしめ候。よって榎並給人方の事、違乱を止めらるるの由、しかるべく存じ候。

長慶内証の様体、笑止に存じ候。心中をも存ぜず候いつれども、おのおの心得のため、申し候いき。

それについて給人方田地の事、そのかくれあるべからず候。さりながら、ご不審のこと候はば、
給人衆の帳をごらんあるべく候。なお寿清へ申し渡し候間、一二能わず候。恐々謹言。

九月十四日  松弾  菅若 」


(お手紙、拝見しました。榎並の侍衆の騒動を鎮圧されたこと、当然の処置であると思います。

長慶の内々の様子は、笑止千万と言えましょう。本人も、もう何を考えているのか分かりませんし、
皆さんにも(こんな状態だと)心得ておいて欲しいので、申し送っておきます。

それはさておき、榎並衆の土地争いについては経緯が明らかですが、ご不明の点があれば
連中の知行簿をご覧ください。その他については使僧の寿清に伝えてあるので、一々書きません。

九月十四日 松永弾正より 菅若狭守へ )



三好長慶の晩年、永禄六年前後に出されたと思われる、松永弾正久秀から野口(菅)若狭守冬長あて書状。

主君の末弟への手紙で、肝心の主君を呼び捨てにしたり「アイツ何考えてるやらww」とか
書いちゃう松永先生、マジ爆弾正。誰のせいで『笑止』な事になったんですかねぇ・・・
0827人間七七四年2012/10/13(土) 23:09:42.63ID:pMAA7Nd0
>>826
ここでの「笑止」は笑止千万じゃなくて、「困っている」と訳すべきだと思うよ?
つまり

「長慶の病状が思わしくなく困っている。」と解釈すべきかと。
「長慶」って言っているのも、野口冬長が長慶の末弟で、一門だからかと。

つまりこれは、身内で長慶の様子を心配している書状だと考えたほうが良いかと。
0828人間七七四年2012/10/14(日) 00:56:44.62ID:FGqlsFMT
なるほど
0829人間七七四年2012/10/14(日) 04:12:44.36ID:QlETwww8
山田有信の祖父、有親は島津宗家より独立を図った出水の島津実久に味方し、降伏後に切腹させられた。
有信の父、有徳は島津貴久に仕えるも家中では「逆臣の子」と蔑まれていた。
そして有信自身も「逆臣の係累」とよばれ家中では白眼視されていたのだった。

しかし有信はそんな事を気にせず忠勤に励む。その結果、宗家の信頼を勝ち得て各地の地頭職を任され勤め上げていく。
1577年には島津義久は有信を対大友の最前線、日向新納院高城の地頭に任命している。
「逆臣の係累」と呼ばれた有信だが、義久は信頼したからこそ最前線を任したのであろう。
そして有信自身、義久の信頼にしっかり答えていくことになる。

翌年4月大友の大軍4万が南下し日向に殺到、有信の居城高城も包囲され3千VS4万の壮絶な籠城戦を戦うことになった。
籠城中に嫡男有栄誕生の知らせを聞いた有信は
「これで家が絶えずにすむ。おかげで城を枕に存分に戦い討ち死にすることができる」
と喜んだという。家中では「逆臣の係累」と呼ばれた彼だが忠義を守って討ち死にする覚悟であった。
11月まで籠城戦を戦い抜いた有信のもとに義久の援軍が到着、
耳川の戦いにより島津が九州の覇者となった。また有信自身も高名をあげている。

それから9年後、今度は豊臣秀吉の九州征伐軍を迎え撃つことになる。
このときは豊臣秀長率いる10万の軍勢を相手に籠城戦を戦い抜くのであった。
高城は主君義久が降伏するまで落ちず、義久からの使者に説得されて降伏開城と忠義を貫き通す有信。
この戦いは豊臣勢に激賞され秀吉本人から「天草4万石を与えるから直参にならないか」との誘いを受けている。
義久への忠義を尽くす有信はこの申し出を断っている。
そんな有信を義久は老中に抜擢、島津家中の最高職を任すのだった。

1609年老齢の義久が病に倒れると、有信は自分が身代わりになると自害して果てた。
病が言えた義久は有信の棺を内城に召し寄せ焼香し
「はちす葉のおきこぼしたる露の玉のおわりや君が為にすてけん」
との和歌を送っている。

「逆臣の係累」と呼ばれた男は「無二の忠臣」と呼ばれ死んでいったのである。
0830人間七七四年2012/10/14(日) 04:13:54.72ID:QlETwww8
山田有信の子、山田有栄もまた無二の忠臣である。

有栄は朝鮮出兵などで島津義弘の下で戦い戦功を立ててきた武将である。
そんな彼の主君義弘が関ヶ原の戦いのさい「我ら無人」と嘆くほど手勢が足りずに困っていた。
本国で前領主の島津義久が中立を唱え上方での参戦を禁じたからだ。
義弘の窮状を知り上京を決意した有栄は配下32人と共に義弘の下にはせ参じる。
昼夜を問わず駆け続け義弘の下にたどり着いたのは関ヶ原の戦いの2日前である。
義久はいわゆる「島津奔る」の結果駆けつけた有栄の手を取って喜んだという。
関ヶ原ではいわゆる「島津の引き口」において常に主君義弘の傍らにおり、「軍功並ぶものなし」と言われたのだった。

そして有栄は1630年には出水の地頭に任じられている。
山田家因縁の地、出水へ出向く有栄。
曽祖父の有親が出水の島津実久に味方し「逆臣の係累」と言われるきっかけを作ってより実に100年近い年月がたっていたのだった・・・

逆臣の係累から忠臣の係累になった親子の話でした。
0831人間七七四年2012/10/14(日) 04:29:53.11ID:QlETwww8
なんで悪い話かと言えばIDがwwwだから
0832人間七七四年2012/10/14(日) 07:44:49.87ID:OKRohXtu
>>826
諱の呼び捨てに関して最近面白いものをみた。

丸島和洋氏のつぶやきをtogetterで纏めたものの中で、
諱呼び捨てには敬意を表してるものもあるそうだ。

http://togetter.com/li/272725
0833人間七七四年2012/10/14(日) 09:42:21.59ID:rJj6x35+
政宗「やっぱりな!」
0834人間七七四年2012/10/14(日) 09:50:20.67ID:fI6j+dl6
>>827
当時の書状の、笑止は「困ったこと」、笑止千万は「非常に困ったこと」だからな
自分も知らなかった頃は意味が通じなくて困ったことがある
0835人間七七四年2012/10/14(日) 11:06:16.03ID:uIMmpfMc
日本語って難しいね
0836人間七七四年2012/10/14(日) 12:08:13.84ID:84GTKurf
今なら「笑えない」って言葉が近いのかな
0837人間七七四年2012/10/14(日) 12:33:11.37ID:65cOsElr
>>834
昔TERUが送った書状に「笑止千万」って出てるのを見て
「この状況で他人バカにするとかクズだなこいつ」って思ったけど
「非常に困った」の意で捉えればちゃんと意味の通る文章になったわ。
0838人間七七四年2012/10/14(日) 12:43:17.47ID:7B/3+ACs
昔と現代で意味の変わっちゃった言葉があるんだな
0839人間七七四年2012/10/14(日) 13:04:55.17ID:fI6j+dl6
今の辞書にも、笑止千万=2:たいそう気の毒な様。って書いてあるけどね

自分も忠興が小笠原親子戦死を国許に報じる書状に笑止千万って書いてあって
嫁さん憤死しちゃう><ってびっくりして調べて、非常に残念な事だと訳すんだと知った口だけど
0840人間七七四年2012/10/14(日) 13:11:54.14ID:L8DhVion
>>838
結構あるね。例えば微妙公の「微妙」は「極めて優れていること」という意味。
「遠慮」は「遠い先まで見通し深く考える」という意味。
「貴様」は「あなたさま」という丁寧な呼び方。
「留守」は真逆で「家を守るため外に出ない」こと。

このあたり現代の感覚で読むと混乱しやすい文字かも
0841人間七七四年2012/10/14(日) 13:18:56.58ID:7uyBR+Z9
留守政景が自宅警備員に
0842人間七七四年2012/10/14(日) 13:30:24.35ID:Lc9bBxPg
てめえ!(手前)も元は丁寧だしね
0843人間七七四年2012/10/14(日) 13:46:28.93ID:D0a7bFrJ
「奇妙」にもきっと別の意味が…
0844人間七七四年2012/10/14(日) 13:49:22.24ID:7uyBR+Z9
【奇妙】

3 非常に趣・おもしろみ・うまみなどがあること。また、そのさま。

奇妙丸もこれならいい意味
0845人間七七四年2012/10/14(日) 14:18:11.84ID:OKRohXtu
>>839
そういや崇伝が大仏供養延期について書いてたのもそっちの意味だったね。
0846人間七七四年2012/10/14(日) 15:48:46.09ID:7uyBR+Z9
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-811.html
ところでここに出てくる松永弾正の性ハウツー本だが、
曲直瀬道三が弾正に送った「黄素妙論」に
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/mg5/image/mg5shf/mg5sh0002.html
夫女人の淫念いたらざる間は男子しゐてまじはるべからず女人に淫慾の情念のいたるしるし五つあり。
一には男女ひそかに対面し物語などするに俄に女のおもて赤くなるは心中淫事の念きざすしるし也。其時男子の玉茎を女人の玉門にあてがふべし
ニには女人はなをすすらば慾念肺の臓にうごくと知るべし、即玉茎を少し入るべし
三には女人目をふさぎ口をあき舌をさましいき使ひあらく成は淫情脾の臓にいたるとしるべし。其時ゆるゆると玉茎を出入すべしあまりにふかく入べからず
四には女の玉門の中あたたかにうるほひゆたかにして津液外にながれは腎気のいたると心得て玉門の口へ玉茎をぬき出し左右をよこにつくべし
五には女の足にて男の腰をはさみ女の手にて男の背をいだきしめ口をすはんことをもとめば肝の臓の気いたると心得て玉茎をふかく玉門の奥さしつめてしづかに左右につくべし

殆ど同じことが書かれてるんだが
0847人間七七四年2012/10/14(日) 16:04:23.22ID:fI6j+dl6
松永弾正の性ハウツー本が黄素妙論だろ?
0848人間七七四年2012/10/14(日) 16:14:53.19ID:3qTu7GkG
弾正が性指南書書いたんだと思ってた
0849人間七七四年2012/10/14(日) 16:16:48.24ID:nJktpLb6
エロの伝道師w
0850人間七七四年2012/10/14(日) 16:34:25.03ID:HyL/b5Qb
>>840
「深謀遠慮」はこっちの意味だね。
0851人間七七四年2012/10/14(日) 17:18:28.48ID:kHMbetqx
ググったら弾正が書いたのは「五傷の法」ってやつらしい
内容的に道三のを参考にしたっぽいな
0852人間七七四年2012/10/14(日) 17:39:01.63ID:FGqlsFMT
>>826,837,839,845
松永、TERU、忠興、崇伝か
癖のある連中に使われて
裏のない神妙な意味だとは思われなくなったとか
0853人間七七四年2012/10/14(日) 17:40:16.38ID:A+cGN+Y6

関ヶ原本戦の直前、杭瀬川の戦いで有馬豊氏の家人・稲次右近は
敵方の横山監物に組伏せられたが、右近の若党が監物を引き倒して

右近にその首を取らせた。ところが、そんな時に何者かが現れて
若党の首を切って逃げ去った。後に糾明したところ、その者は
堀尾忠氏の家人ということが分かった。

まったくの味方殺しだったので右近は訴え出たが、徳川家康は
「何を言うか、軍が入り乱れている時にはそういうこともあるものだ。
そのまま捨て置け」と言ったということだ。

――『徳川実紀(天元実記)』
0854人間七七四年2012/10/14(日) 18:12:05.65ID:fI6j+dl6
正宗「うむ。」
0855人間七七四年2012/10/14(日) 18:42:12.26ID:GKguxXju
神保相茂「………」
0856人間七七四年2012/10/14(日) 19:54:47.54ID:+u0sR4k9
家人「あれ、右近って敵方の大将じゃ?」
右近「それは島左近だ!」
0857人間七七四年2012/10/14(日) 20:43:47.80ID:Lc9bBxPg
高橋紹運が宝満・岩屋城督、立花道雪が立花城督になって以降、
筑紫広門は常にこれらの城を攻略しようと策を練っていた。例えば…
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-856.html
立花城には計略を仕掛け、岩屋城には秋月種実とともに幾度と無く攻めるが、
その度に撃退されてしまっていた。そこで広門は一計を案じた。

↑のリンク先にも名前が出てくるが、筑紫方に武蔵城という城があった。
ここは宝満・岩屋城と、旧・大宰府の条坊があった広い平野(二日市など)を挟んだ
天拝山の麓にあり、その中腹の飯盛城とともに帆足弾正という武将が守っていた。
この山を越えるとすぐ肥前の筑紫居城・勝尾城に繋がり、
いわば筑前における筑紫方の前線基地である。
広門は帆足備後(弾正とも)に命じ、家臣を茶売りに変装させて岩屋城へと侵入させた。
戦時中の城とはいえ、城内には住居もあり、普段は商人なども行き交っていた。
まんまと侵入に成功した筑紫方の茶売りは、城内のいたるところに
「たまご火」を仕掛け、武蔵城へと逃げ帰ってきた。

この「たまご火」というのは、その名の通り見た目は卵なのだが、
卵の殻の中に一種の自動発火装置のようなものが仕込まれており、
それ自体に大した威力はないが、燃えやすいものの近くに置いておけば…
燃え移って延焼していくという仕組みだ。

岩屋城内は突然いたるところで起こった火事に大混乱。
この混乱に乗じて筑紫衆は観世音寺近辺まで詰め寄り、
このままでは岩屋城陥落も間近かと思われたが、
高橋方後詰の宝満山城の兵士たちが救援にかけつけたため、
筑紫方は自軍の損害も考えて、早々と引き返した。
しかし城内の家屋は残らず火災で焼け落ちてしまい、かなりの被害を受けたという。
0858人間七七四年2012/10/14(日) 20:46:35.86ID:Lc9bBxPg
攻め切れなかった筑紫勢、被害を蒙った高橋勢どちらにも悪かった話。


ちなみにその後も秋月・筑紫連合軍と大友軍の小競り合いは続く。
1584(天正12)年に立花道雪・高橋紹運が筑後へ出陣した隙を突いて
秋月種長(種実が前年に家督を譲る)が留守中の立花城を攻めるも、
立花統虎(宗茂)がこれを見事に撃退している。

しかしついに城攻めが成功する時がやってくる。
立花道雪が筑後の陣中で病没し大友軍が陣引きしようとしていた頃、
筑紫広門は今度は兵300人全員を山伏修験者の姿に変装させて宝満山に侵入、
不意を襲って山上の僧坊や城に放火して、これを占拠してしまった。
宝満山は元々修験道の霊場で山中いたるところに僧坊があり、
山伏の姿になって入れば怪しまれなかったのだろう。
広門さんは放火とか変装とか鉄砲盗人とか、そういう計略が得意みたいですね。

そしてこの5ヵ月後に、「筑紫の押しかけ姫」の逸話と繋がるのである。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6441.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-828.html
上の逸話では本当にいきなり姫が押しかけたように書かれているが、
筑紫広門は大友家との和睦の交換条件として宝満山城を手に入れておきたかったようだ。
島津軍が北上するという時に、すぐ後方に敵の城があっては
岩屋城を守ることもできないため、高橋紹運としても婚姻は渡りに船の話だった。
宝満山城はその後、筑紫家と高橋家の相城となる。そしてかの有名な岩屋城の戦いへ…。
0859人間七七四年2012/10/14(日) 22:05:02.78ID:TDtkLp3S
長繁「あれ?あいつら敵だっけ味方だっけ?・・・とりあえず攻めとくか」
0860人間七七四年2012/10/14(日) 22:27:12.93ID:xnTH6Cms
たまご火かぁ
そんなのが当時あったんだね
さすがノブヤボで知謀の数値高いだけのことはあるな
0861人間七七四年2012/10/14(日) 23:55:42.01ID:nJktpLb6
ええっと筑紫さんが秋月さんんを裏切った悪い話?
0862人間七七四年2012/10/15(月) 00:09:12.18ID:60ZXLO6g
自動発火ってどうやったんだろうか
火薬や硝石は輸入物使ってたから黄燐とかも手に入ったのかな?それなら可能かもしれないけど
夕方くらいに仕掛けておいて翌日、日が上って気温上昇とともに発火とか
0863人間七七四年2012/10/15(月) 00:21:44.97ID:z9QFnsn3
天かすとかでも応用すれば
0864人間七七四年2012/10/15(月) 00:24:45.31ID:RhmDVWTD
失礼します。

既出の戦国ちょっといい話・悪い話で、自分の好きな話などをいろいろ雑談したいと思いスレ立ててみました。
良かったら書き込みしたりして下さい。

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/

失礼しました。
0865人間七七四年2012/10/15(月) 00:47:44.52ID:IfDTvJXs
>>862
大友家の朝倉一玄も「留守の火縄」って
自動発火の計略をやってた話もあるし
そういう研究してる人は結構いたんじゃないかな
0866人間七七四年2012/10/15(月) 09:21:10.57ID:2uUmQsPB
幕末に鳥羽伏見で負けて幕軍が立ち退き、もぬけの空になった大坂城でも
器物目当てに町民が入り込むのを官軍はあえて制止せず
案の定幕軍が仕掛けていった地雷火が爆発して町民が吹っ飛んだのを確認してから入城したという。

地雷火ってどんなんだろう?砲術の伝書とかに書いてあるのかな。
0867人間七七四年2012/10/15(月) 15:59:22.12ID:DCFAPyWL
接触地雷はその当時もうあったよ。
確実性にかけるので、電線張っての
遠隔操作の地雷火の方が多かったけど。
0868人間七七四年2012/10/15(月) 18:16:55.99ID:pi3BwCFp

立花道雪は瀬高口の陣を引き払い、嘆いて曰く、

「天晴れ、鍋島は智仁勇の大将だ。わしは多年、肺肝を砕いて
謀ってきたが、彼は謀られなかった。運を天に任せて時を待とうとしても、
鍋島は若く健全であるのに比べ、この道雪は年老いたうえに病身だ。
口惜しき仕合だよ」と首を垂れて悔やんだ。

その苦労は日々積もり、道雪は高良山の陣中で死去した。
鍋島直茂はそれを聞いて落涙して惜しんだということだ。

――『名将言行録』
0869人間七七四年2012/10/15(月) 18:39:42.16ID:x0Hbw+K8
>接触地雷
火種が火薬に落ちて爆発みたいな装置かな?
0870人間七七四年2012/10/15(月) 22:08:01.15ID:2zrkV/YM
直茂さんはみんなから褒められるな
0871人間七七四年2012/10/16(火) 09:30:26.73ID:uMDhT37n
性格は悪いけどな…
0872人間七七四年2012/10/16(火) 10:53:28.71ID:PPMG4kC8
悪いっけ?
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