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戦国ちょっと悪い話33

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0001人間七七四年2012/08/14(火) 19:13:27.50ID:90iWq5dq
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話32
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1339809373/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0716人間七七四年2012/10/04(木) 17:56:06.88ID:H5EgBvVS
>712、修羅の国、甲斐の法だしw
0717人間七七四年2012/10/04(木) 19:33:02.84ID:kO5vp65O
今川の真似だったと思うけど
0718人間七七四年2012/10/04(木) 20:46:54.73ID:+r+WOQwx
真似であって、自国流にアレンジはあるよ当然
0719人間七七四年2012/10/04(木) 21:59:42.51ID:FTj2+X6D
>>715
「甲斐の狂犬」と書くと、
ヤンキーか何かに見えてくるなw
0720人間七七四年2012/10/04(木) 23:57:54.42ID:EY7LAARa
富田さんが血走った目で見ている
0721人間七七四年2012/10/05(金) 06:29:34.92ID:7dNJWe3w
太田但馬守長知の謀殺
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3125.html

これの謀殺の内容が出ていたので書いてみる

上にあるように、家臣である太田但馬守長知に愛妾を寝とられた前田利家はこれを甚だしく怒り、
横山大膳長知、山崎長門長徳の二人に、太田但馬の誅殺を命じた。
しかし太田但馬といえば、前田家を代表する武勇の者として有名であった。

横山大膳は命を受けて、勝尾半左衛門と共に登城した。
この時太田但馬は既に登城しており、何事も無く座していた。横山大膳、席にすこうとするその時、
突然側に居た侍童を激しく叱りつけた!

この騒ぎに驚いた太田但馬は急いでその場にやってきて、「何事か?」と尋ねる。横山大膳

「私が先に、この者に命じて書類の文案を作らせたのですが、このように間違いだらけなのです!
これを見てください!」

そう言って懐中よりその書類を出して太田但馬に渡す。但馬は体を屈め手を伸ばしてこれを受け取ろうとする。
その時

横山大膳、すかさず刀を抜いて大膳の頭を斬りつける。しかし浅手。「何事ぞ!?」太田但馬叫び
刀を抜いて横山大膳を刺す!違わず腹の真ん中を貫いた。が、『ガキッ』刀弾かれる。
横山大膳は太田但馬が剣術の達人であることを知っていたため、懐中に金属の鏡を忍ばせていたのだ。

そして横山大膳は身を躍らせ再び斬りかかり、ついに但馬を殺した。

勝尾半左衛門も走りよって後ろから但馬の背中を斬りつけたのだが、却って但馬によって傷を負わされた。
この時前田利長も但馬の剛勇を気遣い、薙刀を取って彼に挑んだという。
山崎長門は期を失って、ついに斬りかかることが出来なかった。
時に慶長七年のことであったという。

太田但馬守長知謀殺、についての話である
(武士道美譚)
0722人間七七四年2012/10/05(金) 13:05:42.28ID:/mBoLR5g
>>21
>>上にあるように、家臣である太田但馬守長知に愛妾を寝とられた前田利家はこれを甚だしく怒り、

利家になってる
0723人間七七四年2012/10/05(金) 17:17:34.99ID:7dNJWe3w
うわ、完全に間違えてる、×利家 ◯利長 です。本当に申し訳ない。
0724人間七七四年2012/10/06(土) 18:06:43.48ID:S/s/koTS

醍醐の花見の折、関白は近臣らが君(徳川家康)を笑い種にしているのを聞かれ、
「家康には芸が三つある。常人の及ぶ所ではない。第一に武略は人より優れ、

第二に思慮深い。そして第三に金銀を多く持っている。この三つは人が笑うことの
できない大芸だ。お前たちは何を笑うのか!」と言われたところ、

近臣どもは「殿下は徳川殿の何が良くていつも贔屓なさるのだ」と言ったとか。
これも本文(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3333.html)と同じ様なことを
様々に伝えているのである。

――『徳川実紀』
0725人間七七四年2012/10/06(土) 19:13:21.15ID:s58dGmDO
畏れながら殿下、「ねえみんぐせんす」で御座いまする
0726人間七七四年2012/10/06(土) 19:49:10.08ID:5G/xRxxM
>>725
それは殿下もフォローできん
0727人間七七四年2012/10/06(土) 20:02:51.19ID:8YI+CqXD
高名な勇者であり、関ヶ原の後寺沢広高に仕えた池田市郎兵衛に、こんな話がある。

有るときの戦で大いに負け、市郎兵衛は殿として引き退いていた事があった。
その時池田がふと見ると、田の畦にかねてから知っているものが座っていて、市郎兵衛に気がつくと
声をかけてきた

「そこを通るのは池田殿か!わしは深手を負ってもう退くことも出来ない。どうか助けてくれ!」

これに市郎兵衛は「心得た」と、彼を自分の馬に乗せ、自らは徒歩となり馬の口を取って退いた。
が、そこに敵三人が追いすがってくる。市郎兵衛は踏みとどまり、槍にて一人を突き殺し、
残り二人を追い払った。するとその後追ってくるものはなく、無事、本陣まで帰り着いた。

この市郎兵衛に助けられた男は後に黒田長政に仕え、この事を長政に話した。
長政はいたく感動し、ある時寺沢広高の元に訪問した時、この話をして池田市郎兵衛を呼び出してもらい
寺沢広高に向かって

「この様に強い働きをしたものがあるとは!寺澤殿、あなたはこの事を知っていましたか?」

そう問うと広高

「いやいや、この池田は抜群の戦功であってすら、常に自ら語るということをしない者でして、
その話は全く承知していませんでした。黒田殿、よく語っていただいた!」
と、大いに喜んだ。
ところが市郎兵衛は喜ぶどころか、困惑した顔をして申し上げる

「その話に関して私は、恥じ入るより他ありません。
実はあの時、『助けてくれ』と言ってくる声を聞いて、これは難儀なことだと、先ず驚き、困り果てました。
何故なら敵はしきりに後から追いすがってきていました。それに対して私に続こうという味方は
一人もおりません。

『ここに捨て殺しにしても、どうせ知る人はいないのだ。』

私はそう考え、助けを求める声も聞こえぬ体でその場を通りすぎようとしました。
ですが、そこでふと気がついたのです

『もしも私より後に残っている士があって、この男を助けるようなことがあったら、
見捨てたことが暴露され、武士として二度と男を立てることが出来なくなる。』

そう思い返し、どうしようもなく彼を助けたのです。」

長政はこれを聞くとますます感心し、「この腹蔵なき心中こそ、百人の首を斬るよりも難しいことである。」
と賞賛した。

そうして御前を退き次の間に下がった池田市郎兵衛に、寺沢家中の者達は集まり聞いた

「どうしてあのように、ありのままを答えたのか。その時の貴殿の心中など、知る者が居るはずもないのに。」

これに市郎兵衛
「私には若い頃から一つの嗜みがある。それは仮初にも表裏の言行あるまじき、という念願である。
そうであるので私は、未だかつて口に嘘を言わず身に偽りを行わずに生きてきた。
今日、両将の御前において些かでも欺くようなことを申しては、かねてからの念願の心に恥じる事に
なってしまう。だから、ああ言ったのだ。」

池田市郎兵衛の腹蔵なき心中、という逸話である

悪い(気持ちを告白した)話、ってことで
(武士道美譚)
0728人間七七四年2012/10/06(土) 20:05:30.75ID:wUcWyK27
>>726
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6806.html
ラスボス「かっこいいから日本とつけよう!」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6067.html
ラスボス「堀尾吉晴こそ日本無双の剛の者である!」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6405.html
ラスボス「宮部善祥坊こそ日本無双である!」
ラスボス「地味加藤こそ日本無双・・・あ、前に宮部で使っちゃったか」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2481.html
ラスボス「忠勝は東国無双、宗茂は西国無双である!」

ラスボス様はボキャブラリーが低いからどっこいどっこい
ところで、無双を連発しすぎてたら、誰かからちょうどいい褒め言葉があるのを聞いて
これなら誰にも使えるな、ってラスボスが喜んだ逸話があった気がするが思い出せない
0729人間七七四年2012/10/06(土) 23:28:43.96ID:qeLuIZFE
>>724
A「あそこに家康いるじゃん、あいつ三方が原で敵に追いかけられて
 糞漏らしながら逃げ回ったらしいよ、しかもその姿を家臣に目撃されたらしい」

B「まじで?そんな姿人に見られたら生きていけないわ。普通腹斬るしょ?」

C「道理でなんかここ味噌臭いと思ったわwwwww」

(一同爆笑)
0730人間七七四年2012/10/07(日) 00:14:06.57ID:12nGk6Rn
>>729
そら秀吉怒るわw
0731人間七七四年2012/10/07(日) 00:17:03.24ID:IpaxRQmO
焼き味噌話はセンゴクが上手かったな
武田はどうだった?→おっかなくてちびっちゃいました→そうか!俺も漏らしたぞ!ガハハ
って感じで、親しめる先輩キャラの逸話にしてた
0732人間七七四年2012/10/07(日) 00:40:23.31ID:JSBOe6u1
毎回そのネタあるけど、戦場で漏らすのって普通のことじゃないのか
敵兵にウンコするからちょっと待ってとか言うのか?
0733人間七七四年2012/10/07(日) 01:23:40.60ID:6Rzuog1r
>>732
家康が好きなのはわかるが苦情は糞漏らしの記録残した奴に言って下さいませです
0734人間七七四年2012/10/07(日) 01:32:01.87ID:qXWg96nB
>>733
家康が嫌いなのはわかるが必死すぎるわお前
0735人間七七四年2012/10/07(日) 02:05:30.34ID:392M8JX6
糞漏らしたりしたの残させたの家康じゃなかったっけ?
それはしかみ像だけ?
0736人間七七四年2012/10/07(日) 02:56:39.34ID:oqRi1/wQ
>>728
あと信長もセンスが独特過ぎてついていけない
三英傑は三人ともネーミングセンスが違うベクトルで残念だよな
0737人間七七四年2012/10/07(日) 05:47:44.94ID:o/ss4l/M
同時代史料で批判されてるならまだしも
現代の視点から残念呼ばわりはどうなんだろう。
0738人間七七四年2012/10/07(日) 08:35:13.95ID:Mr3L9O4/
三方原の脱糞の逸話って
家康「い、命からがら帰ってきたぞ!」
忠世「それはよかった(棒)、あっ殿、その茶色いのはもしや糞・・(ニヤリ」
家康「や、焼き味噌だ!」

って話じゃなかったか?つまり焼き味噌である可能性は残されている(って権現様が言ってた。
0739人間七七四年2012/10/07(日) 08:38:24.91ID:y2yf237G
実際に確認するまでは分からない
シュレディンガーもとい
家康の焼き味噌って事か
0740人間七七四年2012/10/07(日) 10:01:36.36ID:mPW4Ix+1
どんなに隠しても臭いで一発でバレると思う
0741人間七七四年2012/10/07(日) 10:04:25.80ID:yv13Q4PV
そして本当に焼き味噌なのかを確かめる役目を
誰がするかでもめる三河武士であった。
0742人間七七四年2012/10/07(日) 11:04:27.91ID:jYy4TFp5
小笠原秀政の家臣に、鹿島宗全と二木勘右衛門という剛の者があった。

ある時、秀政の屋敷に曲者が入った事があり、秀政はこの鹿島宗全と二木勘右衛門に追わせた。
勘右衛門は秀政秘蔵の布引という馬に乗って追ったが、宗全は徒歩であった。

二木は自分がいち早く曲者を打ちとってくれようと、青麦の畑を真一文字に乗り切ろうとしたが
畑のあぜ道を駆け抜けた宗全のほうが先に曲者に追いつき、たちまちに討ち取った。

そして両名、事の次第を秀政に申し上げる。
まず勘右衛門が出て、

「今度の曲者は、必ず私が討ち取ろうと思っていましたが、宗全に駆け抜けられてしまいました。
彼は馬よりも足が速い。」

これに宗全は

「いやいや、そうではありません。二木殿は青麦の畑を急いで越えられようとして、却って馬の足が
麦にからんで遅くなったのです。どうして私の足が馬に及びましょうか。」

と申し上げた。これに小笠原秀政は「いずれも隠し事のない申し立て、感心である。」と大いに褒めた。
この時二木勘右衛門は鹿島宗全に向かって

「この度のこと、いかにも口惜しい。この返報は戦場で争おう!」

と云った。

さて、この事から程なくして大阪夏の陣となった。
5月17日、鹿島騒然はまっさきに攻めかかり足軽に鉄砲など撃たせていた。ここに二木勘右衛門が現れ

「かねての約束、この場にて争い申すべし!」

そう叫ぶと敵の中に一騎駆け入り、討ち死にした。
これは大阪夏の陣における幕府方最初の討ち死にであったという。

二木勘右衛門の返報、という逸話である。
(武士道美譚)
0743人間七七四年2012/10/07(日) 15:15:08.83ID:DYe0YDIK
>>727もNGMSが好みそうな話しだな
0744人間七七四年2012/10/07(日) 15:38:57.35ID:XY9TJ6ms
三河武士って伝染するのかいな?
0745人間七七四年2012/10/07(日) 21:29:56.82ID:RHAQpMf4
畑って結構足取られるよね。
ていうかいつも思うんだけど、何で手柄立ててどやぁ!じゃなくて
討ち死にしてどやぁ!なんだろか。一騎駆けとか普通に死にに行ってないかい?
0746人間七七四年2012/10/07(日) 22:04:13.91ID:dIDunZJl
一番槍も生きて帰ってナンボだが、大坂の役では両軍死にたがり大量発生だな
0747人間七七四年2012/10/07(日) 22:05:32.03ID:XFHCdlP+
小規模な小競り合いが頻発してた時代じゃないから、気合入りすぎてたんだよ
0748人間七七四年2012/10/07(日) 22:05:40.83ID:o/ss4l/M
>>727
考え方はは↓の逸話と同じなんだな。当時の武士って、そういうもんだったのかねぇ

渡辺半蔵、三方原の撤退にて
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4991.html
0749人間七七四年2012/10/07(日) 23:02:06.03ID:IpaxRQmO
武士道とは死ぬことと見つけたり、だもんなぁ
死ぬことが身近な戦国武士から見れば「何を普通な事言ってんの?普通じゃない働きが手柄ってもんだろ?」って感じ?
0750人間七七四年2012/10/08(月) 00:02:39.36ID:ucQTLqwW
永禄八年(1565)のこと、上野国矢場郷(群馬県太田市)に住む、由良成繁の家臣・石橋与三衛門尉が、
平塚郷(群馬県太田市)の百姓から大豆を買い上げた。
ところがこの時石橋と百姓との間で、支払いを精銭(良銭)でするのか鐚銭(悪銭)でするのかで
対立した。そう、これぞ『撰銭問題』である。

この当時、同じ額面の銭であってもその種類や状態によって価値は大きく異なった。
精銭と鐚銭の価値の差は、5〜10倍ほどもあったとされる。
少し解りやすく説明すると、日本で日本円の他に、価値としては日本円のほぼ10分の1である
韓国のウォン(漢字表記は円)が額面としては同等の貨幣として流通している、というようなものだろうか。

この時石橋は、代金を強引に鐚銭で支払った。すなわち5〜9割引きで無理やり買い取ったということである。
百姓たちは石橋の地所まで出向き当然猛抗議をしたがなかなか会おうとせず、百姓たちは近隣にあった
長楽寺の住持・賢甫義哲に助けを求め、義哲は石橋に書状を送った。

ようやく帰ってきた石橋からの返事にはなんと、『精銭で支払って欲しいのなら計る升を大きいものに変えろ』
というものであった。こんな話に百姓たちも納得するはずもなく、義哲は再び石橋に、
『この地域では鐚銭での支払いは認められていないこと。升も過去から使い続けられてきたものである』
とのことを説明し、精銭での支払いを求めたが、かんばしい反応はなかった。

業を煮やした百姓たちはついに領主である由良氏の居城・新田金山城に押しかけた。これには由良氏の側も
驚き、役人を派遣し裁定を行うとした。しかし3ヶ月たってもこの問題の解決は一向に進まなかった。
そして、それ以後の記録は無く、これが一体どうなったのか、わかっていない。

関東における撰銭問題の実態を端的に表した、貴重な記録である。
(長楽寺永禄日記)
0751人間七七四年2012/10/08(月) 12:29:14.17ID:zZF9wQuo
あれだな、相撲大会
0752人間七七四年2012/10/08(月) 12:58:23.60ID:dvSpoWsP
そうだな揉め事の解決には相撲大会だな
0753人間七七四年2012/10/08(月) 13:57:54.80ID:PhOw4zrL
相撲大会なら円満解決
0754人間七七四年2012/10/08(月) 14:46:52.35ID:jB/Q2g6o
茶席を整えるようにと宇喜多さまが申しておりました
・・・というか西から信玄が攻めてきたからそれどころじゃなくなったのかもしれん
0755人間七七四年2012/10/08(月) 17:03:37.41ID:wpclnYUb

内藤某というとても狭量な者がいた。いつも人の言葉を咎めて、場合によっては
喧嘩に及ぶこともたびたびであった。ある時、徳川家康は彼を呼び出して戒めた。

「人は様々なことを口にするものだから、多い中には癇に障ることもあるだろう。
だが、そんなことを一々心にとめて咎めるのはよからぬことだ。

戦に臨んで明日は豪傑の某を討ってやるぞ、という心構えになれ。お前のいつも
人の言葉を咎める心と取り替えれば、無意味な言葉咎めなどする暇はないはずだ」

――『徳川実紀(君臣言行録)』
0756人間七七四年2012/10/08(月) 17:49:19.36ID:KIOp1hmP
この頃ってまだ貨幣を中国から輸入してたんだっけ?
暦も中国のパクリ。
現代でもいまだ中華暦パクリの悪影響が、まだ寒いのに立春、まだ暑いのに立秋で残ってる。
(大陸性気候の中国は日照時間の変化がすぐに気温に影響する。)
0757人間七七四年2012/10/08(月) 17:57:16.41ID:eiQoRDUO
>>756
日本の独自貨幣は江戸幕府が慶長11年(1606)に公鋳した慶長通宝で待たねばならない。
というかまともな通貨制度が出来たのは全部江戸時代に入ってからだな。

ちなみに慶長通宝は、日本で皇朝十二銭いらいおよそ600年ぶりに政府によって公鋳された通貨
0758人間七七四年2012/10/08(月) 18:01:50.34ID:Jaj5m+dt
この頃の良銭は永楽通宝だな。
暦は宣明暦ベースだが北条は三島暦だろうな。

気候に関しては戦国時分と現代は違うから、
今の感覚でどうこう言うのもおかしい話だ
0759人間七七四年2012/10/08(月) 21:03:20.50ID:xJLKEKT2
>>756
0760人間七七四年2012/10/08(月) 23:23:26.60ID:78zjey80
>>758
永楽通宝は西では悪銭、東では良銭
0761人間七七四年2012/10/08(月) 23:51:44.53ID:wzVNTHRI
>750
永禄年間に「鐚銭」なんて用語はまだ無いだろ。
原文でなんて書いてあるか興味が有るんだけど。
0762人間七七四年2012/10/09(火) 12:43:53.22ID:cHbghv6Y
>>永禄8年(1565)伊勢大湊の「船々聚銭帳」には、港の税金を納めるお金で、
>>永楽銭1枚は”ひた7枚”に値するとの記述があります(この『ひた』がビタ=鐚の言葉の初出とされています)。

ちょっとググったら出てきたが・・・
俺は研究者じゃないので本当かどうか知らんが。
0763人間七七四年2012/10/09(火) 20:09:16.02ID:hY1BN/XF
慶長14年(1609)1月15日、近日中に大御所様(家康)が清須に到着されるというので、
清洲城は大掃除をしていたのだが、殿守の上の段の戸が明かない。

不思議に思い無理に押し開けた所、なんと中に人が入っていた。
そのものは輪違いの模様の柿渋の着物を着て、槍の柄を2つ立てかけていた。

城の者達は彼を審問した所、尾張国内の者ではないと言った。
盗人というわけでもなかったので、即座に成敗はされなかったのだが、
監禁され14,5日ほどで死んだという。
(当代記)

当代記にある、清州城に隠れていた不思議な男の話である。
0764人間七七四年2012/10/09(火) 20:20:41.77ID:ijMjNP4r
家康を暗殺しようとして潜んでたとか?
0765人間七七四年2012/10/09(火) 21:56:34.95ID:sRAIjwt0
今川義元が三河表に発向するという時の事、不思議な夢を見たことがあった。
夢のなかに花倉(花倉の乱で義元と家督を争った玄広恵探)が現れ、義元に対し

『今度の出陣は止めるべきだ』

と云った。
義元はこれに

『貴様は私への敵愾心からそんな事を言うのだろう!そんな話を聞くことは出来ない!』

そう答えたが、花倉は更に云う

『今川の家が滅びるということを、どうして憂わざるか!』

そこで目が覚めた。

その後、駿河の藤枝を通った時、義元は突然刀に手をかけた

「町中に花倉が立っている!」

しかし周りの者達には何も見えなかった。
不思議な事である。

(当代記)
0766人間七七四年2012/10/09(火) 23:26:12.71ID:nHbFVm2X
>762
片仮名や平仮名で「ヒタ」「ひた」などと記述される銭種の呼称が
東海地方で1560年代に登場するのは間違いないけど、
しばらくは東海ローカルな用語なのよ。

その後畿内でもヒタ、比タ、比多といった用語の使用例が出てくるけど、
例えば奈良興福寺の多聞院日記だと初見が天正7年(1579)、
東大寺文書で初見が天正9年(1581)かな。
関東だと、例えば後北条氏領国だと永楽銭と対比される銭種は「並銭」などと
呼ばれていて、ヒタという用語の使用は家康の関東入部以降ではないかと思う。

さらに、ヒタに「鐚」の漢字が当てられるようになるのはおそらく17世紀に入ってからで、
今のところ文書での初見は慶長13年(1608)の江戸幕府の法令らしい。

だから永楽年間の上野に「鐚銭」は無いだろうと。
0767人間七七四年2012/10/09(火) 23:32:56.44ID:nHbFVm2X
あー、わかると思うけど最終行
×永楽年間 ○永禄年間
0768人間七七四年2012/10/10(水) 09:21:11.01ID:Rb3K20Cz
出典出してくれてるんだから調べてみればいい
0769人間七七四年2012/10/10(水) 18:36:06.44ID:RTVrpBdN
慶長12年(1607)2月29日、江戸を出立した大御所(家康)は相模国中原にて鷹狩をし、
そこに逗留したのだが、この時持ってきてあった黄金の茶具、釜、天目、水差し、柄杓、柄杓置き、茶杓以下が
尽く紛失した。

これは近衆の者達の仕業かと、共の衆は上下関わらず、その夜の宿泊の宿を捜査されたが、
事件を解明することは全く出来なかった。

その夜の警備責任者のあいば勝七、落合長作、岡部藤十郎の3人は責任を取らされ、方々の城預けの処分を受けた。
勝七は掛川城、長作は田中城、藤十郎は沼津城に預けられた。

翌朝、紛失した黄金の茶釜の蓋だけが藪の中に落ちているのが発見された。
これが報告されると、発見者に家康から褒美として、金三枚が下された。

その後もどうも謎のまま終わったらしい、家康の黄金の茶具一式紛失事件についての記録である
(当代記)
0770人間七七四年2012/10/10(水) 18:38:21.78ID:GWfFz1Tr
黄金の・・・ってのが、家康らしからぬwww
0771人間七七四年2012/10/10(水) 23:30:58.94ID:qbWa7p4Z
これこそ天狗の仕業じゃ...
0772人間七七四年2012/10/10(水) 23:36:24.37ID:f1R80uRQ
美味しんぼに家康がつくらせた黄金の茶器の展覧会が出てきたが
もしあれが本当なら、見つかった、てことかな
0773人間七七四年2012/10/10(水) 23:42:10.01ID:qbWa7p4Z
>>772
この黄金の鍋とその土鍋を交換してくれないか?
0774人間七七四年2012/10/11(木) 01:23:23.95ID:T1uxgLqf
「そなたのなくしたのはこの金の茶釜かな?それとも銀の茶釜かな?」

正直に金の茶釜って言ったらどうなるんだろう。
0775人間七七四年2012/10/11(木) 01:49:57.24ID:Vuga7j1z
綺麗なジャイアンが。。。
0776人間七七四年2012/10/11(木) 02:48:11.95ID:u5vuhp5b
素直な三河武士が…
0777人間七七四年2012/10/11(木) 02:51:27.66ID:ml726taz
素直な彦左が....
0778人間七七四年2012/10/11(木) 07:54:25.32ID:1lyNlHCI
綺麗な平蜘蛛の持ち主が…
0779人間七七四年2012/10/11(木) 14:57:07.67ID:gpdTQrSM
綺麗なラスボスが…
0780人間七七四年2012/10/11(木) 15:00:00.86ID:J10jAjET
秀吉はホント好きになれんよなぁ、端々に人間の嫌な部分が全部でてるというか。
逆にそこが人間臭くていいという人もいるんだろうが。
0781人間七七四年2012/10/11(木) 15:59:13.78ID:3GgRYgAY
江戸時代通じてネガキャンされた人のエピソードを真に受けるのもどうかと思うが…
0782人間七七四年2012/10/11(木) 16:05:17.69ID:5im0Zst0
普通に人気あるだろ。
なれんよなぁとか言って
個人の意見を一般化しないように。
0783人間七七四年2012/10/11(木) 16:54:12.82ID:up+DWCw2
江戸期に秀吉はむしろ理想化されてたよ。朝鮮役も、儒者とか知識階級は無益な外征と言っていたけど、
庶民レベルでは国威を発揚した痛快な外国退治として認識されていた。
秀吉のネガティブな面が表にでてきたのって、ホントにここ2,30年じゃないかな?
0784人間七七四年2012/10/11(木) 16:55:18.12ID:j9TGl7th
>>774
泉の神様に正直に申告したのに何故か毒殺されました

よく見たら泉の神じゃなくて宇喜多の和泉守でした。
0785人間七七四年2012/10/11(木) 18:05:01.86ID:up+DWCw2
>>727の池田市郎兵衛さんのお話

池田市郎兵衛と言えば度々の戦功を重ね、首供養(33人の首を獲った者のみが許される、自分が命を奪った者への
鎮魂の法要)をした程の武士であったが、牢人して困窮に陥った時、寺沢広高がこれを招き、茶料として四百石を
無役として与え、さらに鉄砲足軽20人を、「これは並の足軽ではないが、人数少なく色々と不便であろうから使われよ」
と言って預けられた。

ところでこの池田市郎兵衛は、かねてから黒田長政と細川忠興も召抱えたいと探していたのだが、
彼が既に寺沢広高の召し抱えられたことを知ると非常に残念がり、彼らはそれぞれ、市郎兵衛に対し
三千石で召抱えたいといってきた。

しかし市郎兵衛
「私が牢人し餓寒に及ぼうとしていた時に、主君広高の恩恵を蒙り、今にいたって妻子を豊かに育めております。
三千石はかたじけない事ですが、その高禄に心惹かれて他家に参るというのは、武士の本懐ではありません。」
と伝えて、両家の誘いを断った。

寺沢広高はこの話を漏れ聞き、「他人が高禄を以って池田市郎兵衛を招いたのに、彼は利を貪らず私に
義理を立てた。それを私が知らぬ顔で捨て置くというのは、道に背く行為である。」
そう考えて市郎兵衛に三千石を与えようとした。

が、これに市郎兵衛
「私はもとより、禄の多少を論じてはいません。ただ殿からの処遇の浅からざるを悦んでいるのです。
今頂いている所領にて、衣食の用は充分に足りています。ですからその他は毛頭望むところではありません。

もし殿に誘っていただいた時、その身上が不足だと考えていたら、たとえ餓死しても始めからそれに応じる筈も
ありません。
その上当家に参ってから、私には何の功労もなく、懸命な御奉公を勤めたいという気持ちばかり募りますが、
些かも御恩に報いることは出来ていません。そんな私が今更どうして、過分の御加増を受けられるでしょうか?」

池田市郎兵衛、なんと殊勝な物言いであろうか。ところが

「ただし」

市郎兵衛は続けた

「私のこれまでの武功に応じた所領を与えたい、とお考えなのなら、例えば御家では、御家老の平野源右衛門殿には
八千石を下されておりますね。しかし彼は、武功において私と同列に語れるような者ではありません。
もし源右衛門殿と同じ基準で武功を評価していただくのなら、私には一万石下されても、未だ充分だとは思いません。

殿?なまなかな気持ちで手をお付けなされては、私が成してきた功績に傷をつけてしまいます。
ですから却って今のままのほうがいいのですよ。」

そう言って断った。

家臣が主君に「仕えてやっている」とはこういう事か、と思わせる、池田市郎兵衛の自負である。
(武士道美譚)
0786人間七七四年2012/10/11(木) 19:00:04.64ID:UbHGOshQ
よりによって、主君が寺沢だしなぁ…
0787人間七七四年2012/10/11(木) 19:02:15.14ID:BnOD9kal
黒田と細川でも三千石なのにw
0788人間七七四年2012/10/11(木) 19:06:27.44ID:kqIHIRh5
前半だけならいい話なのになぁw
0789人間七七四年2012/10/11(木) 19:23:40.99ID:nYwPNFgq
まあ悪い話・・・と言う程でも無いんじゃないかw
0790人間七七四年2012/10/11(木) 19:26:50.12ID:ereW9tlm
いや茶道具なら古織じゃないのか?泥棒候補はw
0791人間七七四年2012/10/11(木) 21:36:09.80ID:8cksYRGk
この強烈な自負こそ天下に隠れ無きもののふの心意気
0792人間七七四年2012/10/11(木) 21:39:42.74ID:sPl7bEvn
>>790
実はそれが切腹の理由だったり
0793人間七七四年2012/10/11(木) 21:43:37.72ID:d6O9Qyuc
黄金の茶器では一物が萎えちゃう
0794人間七七四年2012/10/12(金) 00:28:56.15ID:/aoxo595
「どうです、良くないでしょう?」
0795人間七七四年2012/10/12(金) 01:25:54.22ID:+FBYIoEV

鍋島直茂は家臣が中央のことを知らないために万事不都合なので、
稲垣権左衛門という者を召抱えて二百石を与えた。

ある日、直茂が高伝寺に詣でると、門に張札があり、
『御譜第の者だに取らぬ地行をば、いながきが来て二百石取る』
と書かれていた。直茂は帰宅すると、

「譜代の者には何の沙汰もないのに、他方の者に知行を与えたのでは、
合点がいかないのも無理はない。私たちは誤りによって恐縮する
こともあるだろうが、公儀に対して不調法だったとしても国家の
害にはならないはずだ」と言い、

権左衛門に経緯を話して諭し、暇を賜ったという。

――『名将言行録』
0796人間七七四年2012/10/12(金) 09:19:43.48ID:v/isuBix
情報というものがいかに価値があるものか分からない悪い話ですね
0797人間七七四年2012/10/12(金) 09:28:49.35ID:q8NF8Dri
なんとも難しい国だな
0798人間七七四年2012/10/12(金) 10:22:39.99ID:R1hYhrwS
三河武士「嫉妬とは見苦しいな」
0799人間七七四年2012/10/12(金) 10:47:09.82ID:S09DAfZH
現代だって移民に職を奪われるって、国民はすぐ文句言うじゃん。
昔も今も、洋の東西も問わず同じ問題抱えてるだろ。
0800人間七七四年2012/10/12(金) 11:41:11.31ID:/aoxo595
移民ちうかヘッドハンティングしてきた役所にコネ持つ天下り組の高給取りに古株社員が嫉妬しとるだけちゃうんかと
0801人間七七四年2012/10/12(金) 13:24:12.12ID:FN00yU0A
二百石なんて鍋島の規模なら軽輩だろうに・・・
0802人間七七四年2012/10/12(金) 13:26:36.31ID:pCeATkzI
移民と一口に言っても誰でも出来る肉体労働をダンピングする連中と頭脳労働でリードする人たちじゃ別物だよね
0803人間七七四年2012/10/12(金) 15:51:22.41ID:NHOoK4PP
氏規「作法や格式なんて気にする必要ないさ」
0804人間七七四年2012/10/12(金) 17:01:16.56ID:l5NTSM9N
宗匠「左様」
0805人間七七四年2012/10/12(金) 17:07:04.98ID:ETcNIRlA
>>795
ハンティングされてFF12を任されるけど、
周りに引きずり降ろされる話ですね。
0806人間七七四年2012/10/12(金) 18:34:27.54ID:Oc+D15Pz
戦国時代ですら後半は
ソロバン得意>>>>>脳筋なのに
なんでそんな落書きで考えを翻すかな


0807人間七七四年2012/10/12(金) 18:37:31.58ID:yUbuChbJ
二百石という現実的な石高が、むしろ貧乏藩士の嫉妬心を刺激したのだと予想
0808人間七七四年2012/10/12(金) 19:13:32.27ID:Kl5I33N5
幕末の佐賀藩が現代の灘や開成も驚くエリート養成スパルタ藩になるなんて
この時はまだ誰も知らない...(´・ω・`)
0809人間七七四年2012/10/12(金) 20:07:27.39ID:vTG4OOsZ
小笠原秀政の居城に、彼が時々出向く矢倉があったのだが、そこの掃除を担当している侍に罪過があるとして、
秀政は家臣の鹿島宗全に、この者の召し捕りを命じた。

と、ここで宗全は思った。「あの侍は器量優れた者である。これは容易ならぬ捕物である。」
そして深く考えた。

宗全は矢倉に走ってゆくと、その侍を呼び出し急いでいる様子で言った

「間もなく兵部大輔殿(秀政)がこちらに御出である!掃除はできているか!?私はそれを確かめるため
こちらに参ったのだ!」

そして矢倉の中を見回しつつ、ふと上を見上げると

「あっ!あそこに蜘蛛の巣が!」

小笠原秀政は何故だか知らないが蜘蛛の巣が大嫌いであったのだ。その事はこの侍もよく知っていたので、
「なんだと!?」り言って上の方をじっと見る。

と、すかさず宗全、彼を後ろからむずと抱き上げ目の高さより上まで持ち上げると、板敷の上に、どうと
思いっきり投げつけた!そしてそのまま押さえつけ縄をかけた。

この侍
「さてさて無念のことかな!蜘蛛の巣と言われたのに打ち驚き、空を見上げたところを細腰を抱かれては
もうどうしようもない!」と口惜しがったという。

鹿島宗全矢倉の捕物、というお話
(武士道美譚)
0810人間七七四年2012/10/12(金) 20:42:52.12ID:NHOoK4PP
なんで器量優れた容易でない奴が清掃員やってるんだ。
0811人間七七四年2012/10/12(金) 21:30:25.72ID:/aoxo595
スープレックスかましてる光景が脳内再生された
0812人間七七四年2012/10/12(金) 21:34:03.25ID:6KZn9KQW
>>810
この場合清掃員ではなく、その矢倉の清掃員を統括する清掃責任者というようなポジションなのだろう
0813人間七七四年2012/10/12(金) 22:44:08.00ID:8tjL621S
クモの巣が嫌いとかちょっとかわいいな
0814人間七七四年2012/10/12(金) 23:37:02.30ID:6Yz0wme5
あっ、UFO!!みたいなネタは昔からあるんだな。
0815人間七七四年2012/10/13(土) 00:05:49.03ID:WROXocue
この後どうなったか気になる。
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