戦国ちょっと悪い話33
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2012/08/14(火) 19:13:27.50ID:90iWq5dq戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話32
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1339809373/
姉妹スレ
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0068人間七七四年
2012/08/19(日) 18:35:59.81ID:BwQaCWrcところでロミオとジュリエットを日本で置き換えるとどことどこが相応しいかな?ガチで中が悪いというと三才さんのとことngmsとか津軽と南部とか、他あったっけ?
0069人間七七四年
2012/08/19(日) 20:37:21.36ID:FqR7YSwH飛騨の豪族たちは、時に争いながらも表面的には友好関係を保っていた
しかし越中から上杉謙信、信濃から武田信玄の脅威が迫ってくると、彼らもどちらかに付かざるを得なかった
南飛騨の三木氏が上杉氏と強く結びついたのに対し、北飛騨の江馬氏は主に武田氏寄りの立場を採った
江馬氏は執権北条氏の末裔を自称し、飛騨国高原郷(飛騨市神岡町)を中心に飛騨北部に勢力を持った。
戦国時代後期の当主・時盛は信濃から進出してくる武田氏と結び、三木氏と対抗していたが、息子の輝盛は越中国中地山城にあり、
上杉氏へ近づこうと考えていた
こういった考えの相違から、時盛は輝盛の弟・信盛を当主に据える動きを見せており、親子の対立は避けられないものとなっていた
天正元年、遂に輝盛は時盛を殺害して高原郷の本城を支配した
次いで弟の信盛を甲斐へ追放、他にも後継候補であった従弟の慶盛を攻め殺し、完全に実権を握った。
その後は三木氏と共に上杉氏に属した。
(武田信玄死去の情報を上杉氏へ伝えたのは江馬氏家中の者から河田長親へ宛てた書状である)
しかし、信玄と謙信の死、そして両氏の勢力減退、さらには織田信長の横死という激しく動く情勢は輝盛の野心に火を付けた
当時三木氏は織田氏と通じており、その織田氏という後ろ盾を失った三木氏に輝盛は決戦を挑んだのである
兵力の劣る三木氏は小島氏らと結んで迎撃、「飛騨の関ヶ原」とも言われる八日町の戦いとなった
父を殺し、従弟を討ち、弟を追った男の最期は、三木勢の放った銃弾であった
高原郷へは勢いに乗った小島時光が攻め寄せ、江馬氏は滅亡した
この抗争に打ち勝った三木氏は、これまで協力していた諸氏や自身の一族までも滅ぼし、飛騨国内の大半を手に入れるのであった
0070人間七七四年
2012/08/19(日) 21:21:06.58ID:nopW7FZ10071人間七七四年
2012/08/19(日) 21:35:19.84ID:7qY+8Hxyでもあんまり概説とかは主旨に反するよね
創作とかは言うまでもなく
0072人間七七四年
2012/08/19(日) 23:03:49.44ID:sareDJhY0073人間七七四年
2012/08/20(月) 00:50:45.88ID:k6Fhdk0nところで、小島って国司家の姉小路傍流なのかな?
それとも無関係の一族?
0074人間七七四年
2012/08/20(月) 01:43:44.42ID:4RWe1OET0075人間七七四年
2012/08/20(月) 20:01:12.92ID:TvH0cv810076人間七七四年
2012/08/20(月) 22:34:44.64ID:k6Fhdk0n0077人間七七四年
2012/08/20(月) 22:45:48.38ID:MumgZtZW0078人間七七四年
2012/08/21(火) 07:29:28.62ID:A3Ki2MCkあーでもこの時代は食わんよな
0080人間七七四年
2012/08/21(火) 08:04:12.99ID:7GiGOlWx0081人間七七四年
2012/08/21(火) 08:32:24.20ID:VlFlRE4n0083人間七七四年
2012/08/21(火) 15:46:35.16ID:MQ1+/the0084人間七七四年
2012/08/21(火) 16:33:17.47ID:F9rxcNHt人口の割に収入はあるイメージだな。まあ、隣国などとの交易も大変そうだけど。
0085人間七七四年
2012/08/21(火) 16:39:45.00ID:QMn0xiiF当然の事、幅は狭いし、短い間隔で道路工事やってたもんだからトラックも結構通るなから、なかなかスリリングで楽しかったw
0086人間七七四年
2012/08/21(火) 17:07:16.77ID:hUkpucKK観光で行くにはなかなか素敵なところだけど、住むとなるといろいろ不便ではなかろう
か、と思ったり
俺が戦国武将だとして、もし、
「こたびの働き見事であった!加増してつかわす。○○国××郡に代わり、飛騨一国を与える!」
とか言われたら「ははぁ〜有り難き幸せ」とか言いつつ、内心ビミョーなんだろうなw
でも、外敵には強そうだな。勝手知ったる地元の兵を動員してゲリラ戦に持ち込んだら
多少の大軍は撃退できそうなイメージ
0087人間七七四年
2012/08/21(火) 17:13:16.00ID:YGXQo3yb小大名クラスならかなり美味しい話かも。
結局木材の安定供給のために木曽共々天領になっちゃたけど
0088人間七七四年
2012/08/21(火) 17:48:21.55ID:fo8flQkM0089!ninja
2012/08/21(火) 17:58:33.84ID:3RAewFho忠興「このDQNが!」
どっちかいうと、兼続さんの方がそんなん得意そう。
TERUさんでもいいけど。
5人目に返せと言われ、家臣が決死で酒飲んで死んで、許してもらう。
0090人間七七四年
2012/08/21(火) 22:23:34.59ID:Kci/xxnv0091人間七七四年
2012/08/22(水) 00:09:48.07ID:5xjuHDDUそんな禿山にしたり統治に必要な資料ないないしたりはしないよ
むしろ景勝にべったりで会津移封から米沢減封まで自領である米沢放置状態だったのが
米沢にとっては悪い話(一応父ちゃんが城代してたけど)
0092人間七七四年
2012/08/22(水) 01:11:38.52ID:vzhmPES2連戦連敗のどこぞの猫抱き爺よりも凄いおかたぞ
0093人間七七四年
2012/08/22(水) 01:52:47.69ID:PcqlKZI+まあ確かに「天嶮」だわw
保木脇に帰雲城を築き、とは向牧戸の看板に書いてあったけど、攻める気が起きなくてもおかしくないレベルだったんだろうなあw
でも越中西部の砺波まで勢力下にあったと書いてあったから天嶮に籠もってばっかりだった訳じゃないんだろうね
0095人間七七四年
2012/08/22(水) 09:58:04.87ID:gIVvrAPUある時、三の丸にて不義密通をしたものが出たので、鍋島直茂は詮議の上、男女とも死罪とした。
ところがその後、この男女の幽霊が毎晩現れるようになり、城の女中衆は怖ろしさのあまり、夜になると
部屋の外には出ないほどであった。
この様なことがしばらく続いたので、御前様(直茂正妻・陽泰院)に申し上げたところ、慰霊のため祈祷や施餓鬼などを
するよう仰せ付けられたが、これらをしても幽霊の出現は止まなかった。
そこでついにこの事を直茂公に申し上げると、直茂公はこれを聞かれて
「さてさて、なんと嬉しいことだろうか。
あの者たちは首を斬っても足らないほど憎き者たちであった。そうであった所に、あの者たちが死んでも
行くべき所にも行かず、迷い廻って幽霊となり、苦しみ続けているというのは実に嬉しいことである。
なるほど、かまわないからずっと幽霊としてこの城に居ればよい。」
すると直茂がこう言ったその夜より、幽霊は出なくなったそうである。
(葉隠聞書)
幽霊よりもずっと恐ろしいのが戦国大名なのだ
0096人間七七四年
2012/08/22(水) 10:16:10.99ID:IMOYF7SG0097人間七七四年
2012/08/22(水) 10:19:53.88ID:g0PnSKOFと言われたらどんな返しをしたんだろ
0098人間七七四年
2012/08/22(水) 11:51:51.30ID:P9b1b+0F0099名無しさん@お腹いっぱい
2012/08/22(水) 11:55:48.94ID:P4yn8byU>>97
鬼武蔵「そこへ直れ。この人間無骨の餌食にしてくれるわ」
三歳様「そこへ直れ。この歌仙兼定の餌食にしてくれるわ」
0100人間七七四年
2012/08/22(水) 12:01:35.89ID:PpggZvH7猫缶を準備する義弘様
0101人間七七四年
2012/08/22(水) 14:24:21.71ID:Hb83kX6S家久(悪)「正室とのみ愛し合わないといかんぞ!」
0102人間七七四年
2012/08/22(水) 17:45:58.08ID:8sNJcG3T0103人間七七四年
2012/08/22(水) 19:01:33.53ID:eIKmHs790104人間七七四年
2012/08/22(水) 21:05:50.29ID:GhOqlR3z0105人間七七四年
2012/08/22(水) 21:26:33.15ID:vchVMVkx0106人間七七四年
2012/08/22(水) 22:05:48.45ID:BEL8Vltyあと犬が自分以下だと判断した人間に対しては割と厳しい
0108人間七七四年
2012/08/22(水) 23:38:21.41ID:5d4D5QsUあれは農閑期だから兵を出したんじゃねーよ。謙信の書状にもあるが、古利根川の増水期を
避けだだけだ。増水期に大軍勢で無理に利根川渡るのは難しかったから、それを避けた。それだけの話。
帰国も農繁期に合わせたのではなく、再び増水期に入らないうちに帰っただけだ。
0109人間七七四年
2012/08/22(水) 23:38:56.38ID:jqfPcNhz家庭内で一番強くないと自動的に犬以下が確定しちゃう
0110人間七七四年
2012/08/22(水) 23:39:59.26ID:5d4D5QsU0112人間七七四年
2012/08/22(水) 23:54:32.57ID:+4lPlYtiどっちにしても命が危ないな
0114人間七七四年
2012/08/23(木) 17:42:28.64ID:0hZ60kwz用いなかったため、その領地を尽く失ったことは、尊師の既にご存知のところです。
彼はそれ以来五畿内のキリシタンに対し、心底からの憎悪の念を抱きました。
信長の死後、彼は大いに謙遜を示して羽柴殿(秀吉)に仕え、他の小姓と等しく茶の用を務めていました。
そして彼は海の司令官アゴスチニョ(小西行長)とその父が羽柴殿より寵を受けるのを妬み、
羽柴殿の前で密かに、また極めて巧みに彼らに対する重大なる偽の証言をしたのです。
彼が巧妙にこれを為したため、羽柴殿はこれを信じ、ジョーチンとアゴスチニョ父子の任を解き、
全キリシタンに大いなる打撃と恐怖の念を与えました。
ですが我等の主デウスは罪なきものに慈悲の目を向け給い、荒木は大いに信用を失い、
ジョーチンとその子アゴスチニョは最初に地位に復帰したのみならず、今はさらに恩寵を加えられ、その収入もまた
倍増するに至っています。
その荒木が羽柴殿と共に茶の湯の場にあった時、羽柴殿はジュスト(高山右近)の事について、その類い稀な
才知と善良なることを語り始めました。彼は荒木にとって甚だしき敵なので直ちにこれに答えました
「そうではありません。殿下が賞賛されている所は彼が外見を偽ったものであり、心中にそのような善良さは
持っていません。」
この言葉に羽柴殿は大いに怒り、彼を呼ぶのに再び「汝」という言葉を使って言われました
「去れ!かくの如き言葉を発してはならぬ!余は彼が内心も外見も異なる所がない事を良く知っておる!」
これによって荒木は直ちに羽柴殿の寵を失い、羽柴殿は再び彼を見ることを欲しませんでした。
荒木は多数の仲介者を通じて宥免を請いましたが、羽柴殿はついに彼を許しませんでした。
そして今度の戦争(小牧・長久手の戦い)において羽柴殿が多数の人を殺した時、荒木は都において彼を軽蔑する
発言をしました。この事が大阪にあった羽柴殿の夫人の耳に入り、彼女より使者を以って厳しく譴責されたのです。
荒木は羽柴殿が帰京した後、殺害されることを恐れて、妻と家を捨てて寺院に入り坊主となりました。
ですが果たして死罪を免れる事ができるかどうか、明らかではありません。
(ルイス・フロイス・天正12年次日本耶蘇会年報)
ルイス・フロイスによって伝えられる、天正12年(1584)ごろの荒木村重の動向である。
0115人間七七四年
2012/08/23(木) 19:24:16.36ID:ijGl90yK0117人間七七四年
2012/08/24(金) 07:48:53.20ID:tZ3UYXU1フロイスの記述は貴重な歴史なのに、もう少しフェアに記述されていれば・・・
0118人間七七四年
2012/08/24(金) 10:35:02.23ID:g66CsgaYもうちょっと長生きしてればジュストが追放されるのも
見れたのに
0119人間七七四年
2012/08/24(金) 10:51:45.73ID:38zWfZKr0120人間七七四年
2012/08/24(金) 14:09:12.72ID:5n2aqATQその男は極楽に入れるほどの善行を行っていなかったが地獄に墜ちるほどの悪行も行っていなかった。
閻魔帳を何度見直しても結論は出ない、そこで困り果てた閻魔は男に訪ねた。
閻魔「お前はこのままでは極楽にも地獄にも行けない。生前行った善行を言いなさい。」
男「はい、私は生前落ち度もない親族が無礼討ちの憂き目にあったので上役に訴えました。」
閻魔「なるほど、それで?」
男「一度は引き下がりましたが、勇気を振り絞って再び訴えました」
閻魔「それは勇気ある行動だ。で、それはいつの事だ?」
男「つい、四半刻前の事です」
0121人間七七四年
2012/08/24(金) 14:10:55.05ID:V3cF1bqR0122人間七七四年
2012/08/24(金) 14:13:07.09ID:zstQDjYa0123人間七七四年
2012/08/24(金) 14:20:37.14ID:38zWfZKr0124人間七七四年
2012/08/24(金) 15:40:43.57ID:5n2aqATQその男は、昔から本願寺法主の本願寺顕如に是非会いたいと念願していた。
あるとき、御尊顔を仰げる機会があると聞いた男はついに思い立ったか
長年の夢を果たそうと新しく誂えた着物を着て本山へ向かう
そして、待ちわびている群集の中に紛れ込んだ
拵えの良い着物を着て目立てば、法主が自分に気付いて話しかけてくれるのではないかと思ったのだ。
法主は、ゆっくりと(そして男に気づく気配もなく)人々の前を歩いて来た。
そして、ひとりの乞食にその慈顔を向けると、穏やかな笑みを浮かべて乞食に何か語りかけ、通り過ぎていったのである。
男はとても反省した。
いい服を着て法主に目を留めてもらおうなんて、自分はなんて汚い考えを持っていたのだろう。
貧しき者にこそ、仏は慈悲深き目を向けるのである。
「それでも一言でもお言葉を頂きたい」
一計を案じた男は、先程の乞食に頼んで、銀一枚で自分の服と乞食の服とを交換してもらうことにした。
次の日、また法主が人々の前に顔を見せた
すると法主は乞食の服を着た男に近づいてきたのである。
「念願が叶った!」
そして、男の耳に口を寄せると、優しい声でこう言われた。
法主「昨日、目障りだから失せろと言ったハズだぞ」
男「………………」
0125人間七七四年
2012/08/24(金) 16:11:52.35ID:jDRX58de0127人間七七四年
2012/08/24(金) 16:35:49.62ID:FFaXT/Jo0128人間七七四年
2012/08/24(金) 16:53:43.14ID:fiz2RSd40129人間七七四年
2012/08/24(金) 17:03:50.72ID:qI7xjC4zつか、何で庶民で信仰を広げた本願寺なのか謎
やるなら南都や比叡山じゃね?
0130人間七七四年
2012/08/24(金) 17:10:12.11ID:5n2aqATQ0131人間七七四年
2012/08/24(金) 17:29:50.20ID:fiz2RSd40132人間七七四年
2012/08/24(金) 17:54:16.15ID:zstQDjYaその中の一人は老年の身分高い武士に嫁ぎ、名をマグダレナと言います。
彼女は王妃の秘書であり、大いに妃に重んぜられ、他の2,3人よりも親愛を受けています。
彼女はデウスが城中に置かれた一の明星であり、その行動と模範によって他の全ての異教徒を照らしています。
彼女は常に霊魂のことに意を注ぎ、甚だ多忙であるにもかかわらず、毎日3回数珠を操り、筑前殿及び夫人の前においても
少しも恥ずること無く祈祷を捧げ、他の婦人達の嘲笑を受けても、少しも心を乱さず、賢明に、親しく彼女らと
交わっておられます。その様であるので宮殿の婦人たちは全て彼女を頭に立つものとして遇し、羽柴殿すらも
彼女の正しい行動を認め、また王妃は日々一人で彼女と相対し、常々我等キリシタンのことを語り、また聞くことを
喜び、キリシタンの教えについて賞賛されています。彼女は常々我々の聖堂に来て懺悔を行います。
マグダレナには最愛の娘が一人あり、筑前殿は大変にこの娘を信用し、金銀は尽く彼女の手を通り、収納も分配も
全て彼女の手に委ねられています。
娘はその徳においても母マグダレナに劣ることはありません。
ところでその母が我々に語った一つの事例があります。
これは実に驚嘆すべき事であり、またキリシタンに対するデウスの大いなる摂理の認められることであります。
それは羽柴殿がマグダレナ、そしてその娘に対して、今まで手を触れた事もなく、また邪悪と認められる言葉を
用いたことがない、という事実です!
彼は城中にある他の婦人に対しては戯れるのが常のことなのに!
日本における異教の婦人の名は笑うべきものであり、信長などは彼女らに男子の名前をつけていましたが、
羽柴は戦争に出る前に、マグダレナの勧めに従って、全てにキリシタンの聖人の名をつけました。
それは宮廷において今もなお使われています。
(ルイス・フロイス、天正12年次日本耶蘇会年報)
ルイス・フロイスの報告における、天正12年(1584)頃の秀吉の奥のキリシタン女性の模様である。
しかしフロイス、驚嘆すべきことがそれかよw
0133人間七七四年
2012/08/24(金) 18:19:59.83ID:jDRX58de0134人間七七四年
2012/08/24(金) 18:48:42.90ID:7BgePD+H0135人間七七四年
2012/08/24(金) 18:49:50.56ID:83IJIaEjこれって日本の史料にも残っているんだろうか。
信長ならありそうなきもするが。
0136人間七七四年
2012/08/24(金) 18:59:29.57ID:vHdPuoj/つまりルシファーか
0139人間七七四年
2012/08/24(金) 21:51:09.00ID:BBQXCVOo0140人間七七四年
2012/08/24(金) 21:59:21.50ID:Pf9MfB4zつまり洗礼名を受けて、それで呼び合う女子に対し
「バテレンに名付けられたがうれしいか。なら奴らよりさらに偉いわしが名を付けてやろう」
と男の名を付けたと。女性性の剥奪であり、凌辱に等しい、とある種の女性史家がいうかもしれん(憶測)
0141人間七七四年
2012/08/24(金) 22:06:51.61ID:38zWfZKrそれに権現様よりはマ…シ…いやいやいやいや…
0142人間七七四年
2012/08/24(金) 22:11:25.71ID:vHdPuoj/0143人間七七四年
2012/08/24(金) 22:34:04.47ID:jDRX58deフロイスから見て異教徒だからキリシタン以外の人の事じゃないか?
0144人間七七四年
2012/08/24(金) 22:56:28.71ID:R0ZUuuZI日本みたいに亀だの花だのはおかしいんだろう
0145人間七七四年
2012/08/24(金) 23:53:52.11ID:yvZUVzP+かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ
くうねるところにすむところ
やぶらこうじのぶらこうじ
ぱいぽ ぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん ばきゅーん☆
しゅーりんがんの ぐーりんだい
ぐーりんだいの ぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの
ちょうきゅうめいのちょーおーすけ!
0147人間七七四年
2012/08/25(土) 00:06:57.86ID:BP1oUpaS0148人間七七四年
2012/08/25(土) 01:13:03.96ID:YHrjyWmz落語を期待してたら、ただの尻だしアニメだったというのが
0149人間七七四年
2012/08/25(土) 01:20:37.74ID:gUyDuL4R「荒大名の茶の湯」「真田小僧」「太閤と曽呂利」「狂歌比べ」あたりをだな
0150人間七七四年
2012/08/25(土) 01:34:02.61ID:Bzyfqp/l0154人間七七四年
2012/08/25(土) 03:04:17.39ID:kUlszAoq0155人間七七四年
2012/08/25(土) 13:38:06.23ID:yv4kpZeV0156人間七七四年
2012/08/25(土) 13:45:58.04ID:oh1wmKO7敵に対してケツを見せるのは勇者の証とか書いてた気がする
戦国時代の逸話にありそうだ
0157人間七七四年
2012/08/25(土) 13:51:08.91ID:nagH/188ってのがあるわな。
0158人間七七四年
2012/08/25(土) 13:55:21.93ID:oh1wmKO7榊原に野人扱いされた後にその行動ってことか
0159人間七七四年
2012/08/25(土) 14:10:53.11ID:M8PWV1s6この付近で合戦が起こった時、敵に追われた手負いの武士が清水にたどり着いて、そこで喉の渇きを癒している所を
追いついていた敵に後ろから刺殺された。後にその武士の慰霊のため作られたのが
この尻冷やし地蔵とされる。
尻冷やしの名の由来は、清水の上に置かれたので、こんこんと湧水により、いつも裾が濡れていたためだと伝わる。
ちなみにこの地蔵には正保4年(1647)の銘が有り、市内でも最も古い地蔵の一つとされている。
春日井に伝わる、尻冷やし地蔵のお話。
0160人間七七四年
2012/08/25(土) 14:38:34.44ID:HkrtFv0B0161人間七七四年
2012/08/25(土) 15:01:41.83ID:7azbN4jG0162人間七七四年
2012/08/25(土) 15:09:06.00ID:WaJ+vnKt0163人間七七四年
2012/08/25(土) 16:47:15.99ID:+wXBRpPWちと違うけど女陰は魔を払う力があると神代の昔から信じられてた
さらに阿片戦争で大砲不足に悩んでいた清軍は、苦肉の策として英艦隊に向けて魔除けの女陰代わりとして便器を延々と並べたんだそうな
ちなみに桃が魔除けになるのも女陰に形が似てるからなんだそうな
0164人間七七四年
2012/08/25(土) 18:16:48.32ID:YjKO5EB00165人間七七四年
2012/08/25(土) 18:23:40.32ID:NjyD/zAp■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています