戦国ちょっと悪い話33
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0001人間七七四年
2012/08/14(火) 19:13:27.50ID:90iWq5dq戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0031人間七七四年
2012/08/17(金) 00:52:46.87ID:5Q/YZoeZ100年云々は朝鮮出兵が1592年だったから
0035人間七七四年
2012/08/17(金) 08:24:45.84ID:70AveL260037人間七七四年
2012/08/17(金) 09:12:21.31ID:s1NXtKt3やることやってもお腹が目立たなければ当人同士の秘密でなんとかなるけど・・・
まぁ、オレの勝手なイメージなんだけどなw
0038人間七七四年
2012/08/17(金) 09:31:27.52ID:b/bErpYT農家だって飢饉の時以外は貴重な労働力、只で手に入る奴隷。
0039人間七七四年
2012/08/17(金) 09:42:53.12ID:YzapWMBg0040人間七七四年
2012/08/17(金) 10:23:28.76ID:70AveL26多いに越したことはない、自分の家のためだけじゃなくて、
親類縁者の家の跡継ぎが居なくなったらそこに放り込まなければならない事もあるんだから
0041人間七七四年
2012/08/17(金) 11:56:19.03ID:3PfqAZyYてか、コンドームの語源って人名説があるんだw
0042人間七七四年
2012/08/17(金) 12:42:37.18ID:+RMGFM/e分かった、昨今流行(?)の笑って免疫力をあげようっていうアレだよ!(えー
0043人間七七四年
2012/08/17(金) 12:44:21.04ID:+RMGFM/e0044人間七七四年
2012/08/18(土) 11:02:23.63ID:vWaaEVUX人間だもの
0045人間七七四年
2012/08/18(土) 11:39:05.87ID:WXlhiGsE0046人間七七四年
2012/08/18(土) 14:04:03.68ID:q5nYetVq御他界なさるまでに百萬両に達する貯金を作られた。
その内から尾張殿と紀伊殿に三十万両づつ、水戸殿へ十万両を御遺金として進呈され、残りの三十万両は
江戸の御金蔵に入れておくべきか伺いを立てたところ、そのまま駿府に残しておくように、とのことであった。
大納言忠長卿(秀忠次男)が駿河を拝領された時、この三十万両はおそらくお城に付いているものであると
皆思っていたが、この資金の所属についての明言がなかったので、忠長は幕府の御金を預かるのは迷惑であると
申し入れ、久野の御宮に御金蔵を作りそこに移した。これを世間では久野の御金と呼んで莫大な額があるように
言っていたが、ただ三十万両ではなかった。
それは尾張殿の江戸上屋敷が失火で消失した時の普請料として十万両、紀伊殿の和歌山城普請の時に十万両、
水戸殿には三万両を、それぞれ拝借が認められ、その後少しずつでも返済いただきたいと、幕府の勘定方から
お願いすると、尾張殿からの返答は
「私が拝借した御金はもともと権現様がご隠居料の中から貯えられたものであり、ご他界された時、遺金として
我々兄弟三人への御譲金の残りであり、それを我々が拝借したのだから返納する必要はない!」
と拒否し、紀伊殿、水戸殿も拝借金に対しては沙汰無しとなってしまった。
当時はその他の大名衆にも拝借金が認められていて、それぞれの借金は決まった通りに必ず返済されていた。
ところが伊達政宗の借金返済が滞ったので、これまた幕府勘定方より催促したところ、陸奥守忠宗からは
「私の代では拝借をしておらず、亡父政宗の代に借金があったとのことですが、どういう経緯で借金をしたのか
今は解りません。親の代に借りた御金ですから、親が生存しているうちに返上を申し付けられるべきなのに、
その時は放置しておいて私に返上しろとは、全く迷惑な話です!」
そう言って返済しようとしない。
また譜代大名の松平越中守の方でも拝借金返済が滞っており、これにも勘定方から催促すると、越中守は
「前に拝借した時、私の方からさし上げた証文があるはずなので、それを見えてもらえるか?」
と言うのでこれを取り寄せると、越中守はそれを見て
「うむ!私の覚えているとおりだ!皆もここに見えているように、『御貸し下され有難く存じ奉る御金の事』と書かれている。
これは『拝借を仰せ付けられた』とは私の解釈では『拝領を仰せ付けられた』ということなのだと考え一言書いたものである。
従ってこれは、返上の必要はないと思う。」
と、これもまた返済しようとしない。
この様なことがあったので、幕府からは今後もう、諸大名への拝借金は認めない、と言うこととなった。
(駿河土産)
言を左右にして何とか借金から逃げようとする大名たちのお話である。
0047人間七七四年
2012/08/18(土) 14:15:07.86ID:XzgT6NJu0048人間七七四年
2012/08/18(土) 14:17:17.73ID:uY5jsbIY0049人間七七四年
2012/08/18(土) 14:30:28.20ID:HjX195iS借金を理由に伊達を取りつぶせばよかったのに
抵抗したら奥州征伐で。あの時代の武士って戦無かったからちょうどいい演習になるしな
0050人間七七四年
2012/08/18(土) 14:33:13.22ID:lBc6ZGAR戦を経験した人も少ない時代だろうし
0052人間七七四年
2012/08/18(土) 15:28:20.03ID:UpumMJAU0053人間七七四年
2012/08/18(土) 15:52:49.91ID:Wbfacg1H幕府が伊達とケンカして米の流通滞ったら物価経済の混乱で借金額なんぞとは
比較にならん損失出るんじゃね?
0054人間七七四年
2012/08/18(土) 16:42:22.73ID:nlJ9mhVm0055人間七七四年
2012/08/18(土) 23:04:37.98ID:aSk0UUbR全部取潰してやればよかったのに
0056人間七七四年
2012/08/19(日) 02:10:15.36ID:v7aAzoIl幕府としても、金のことで揉めるのはみっともないという考えがあったのかもね。
現代の感覚だと借金はどんなことをしてでも返さないといけないって感じだけど
当時の感覚とは相当な隔たりがあるんだろうな。
0057人間七七四年
2012/08/19(日) 03:45:56.60ID:wK/xOXfA0058人間七七四年
2012/08/19(日) 04:00:28.72ID:VzY311M/0059人間七七四年
2012/08/19(日) 10:06:15.52ID:+GSIWw/p0060人間七七四年
2012/08/19(日) 10:53:47.82ID:7Kz0Em/i00611/2
2012/08/19(日) 13:17:21.55ID:YECCYDjF賭博の禁止を、厳重に申し付けた。
ところが桂菊右衛門と言う無足の者、法度にも関わらず毎晩他家に忍び出て博打を打っていた。
ある夜の事、菊右衛門は博打に勝って金・銀・刀・脇差など数多を取り、これらを雨羽織に包んで
打ち担いで帰る道、夜も明けようとしていた。
この道は如水が出仕のため通る道であり、行き合ってしまっては都合が悪い。如水が出仕の前に
帰ろうと道を急いだ。仮に行き合い、問い詰められたら、博打打ちに行ったわけではないと
言い訳しよう。その様に考えながら前の方を見ること無く急いでいたら、町の境目で
バッタリと行き合ってしまった。如水と。
菊右衛門大慌てである。心の準備もないまま出くわしてしまったのだ。パニックになった彼は
かの刀を担いだまま這いつくばり、聞かれもしないのに大声でこう叫んだ
「私は博打を打になんか行っていません!!!」
如水は、何も聞かなかった体で菊右衛門の横を通り過ぎた。
さて煩悶この上ないのが菊右衛門である。
「なんてことだ!あんなに取り乱してしまって、どうしようもないではないか!
この間法度を厳しく申し付けられたばかりだというのに…。きっと私は切腹を申し付けられるだろう!
こうなったらもう是非に及ばない。菊右衛門の奴は狼狽えてたわけたことをしたと、死後にきっと
馬鹿にされる!返す返すも無念だ。…どうしよう?」
そう思い悩んで長屋に帰り、すっかり草臥れていたのに寝入ることも出来ず、布団を打かぶって
まじまじとしていた。きっとガタガタ震えていたのだろう
さて、菊右衛門の大胆な告白を目の当たりにした、如水の出仕の時に供に付いていた者たちは
「おいおい何てことだ?コレはどうなっちゃうんだろう?」と、如水の出仕中座り込んで
囁きあった。
「絶対只じゃ済まないぞ。この間の博打禁止の法度は、普段よりも厳しく申し付けられた。
切腹は疑いようもないなあ…。」
そう考えると不憫に思い、供より帰ると直ぐに菊右衛門の部屋に我も我もと見舞い、さて、これからどうしよう
と話し合ったが、皆意見はまちまち
「とにかく逃げ出す以外はない!仰せ出される前に逃げろ!」という意見に菊右衛門
「いやいや、逃げ出すなんて出来ないよ。今朝すぐに逃亡しておけばどうって事も無く逃げ切れたの
だろうけど、あなた方が帰られ、こんなふうに相談してから逃げ出したら、あなた方が後から必ず
詮索を受けるよ。そうなったら私の逃亡先はバレて、またここに戻らされるだろう。
もう、とても逃れられない道だ。切腹を申し付けられたら外聞が良いように斬らせてくれ。」
そう行って逃げないことに決めた。傍輩達への信頼感はゼロである。しかし傍輩達
「そう思うのも理屈だけど、お前が逃げちゃえば、上から詮索受けても俺たち随分凌いでみせるぜ?
それでもどうしてもダメだったら、ま、その時は出てきて腹を斬れ。
そうした方が武士の手柄としても上だろう。さあ、急いで逃げる準備をしろ!急げ急げ!」
そんな風にしている所に突然、如水より御側衆の緊急の呼び出しがかかった。
すわ何事か!?何が起こったのか、もしや早くも菊右衛門の切腹の事かと口々に悔やみつつ、
取るものもとりあえず駆け出し集合してみれば、何のことはない、中間たちに居間の庭に竹垣を結ばせたが、
その結び様の手際が悪く、あれをほどいて手際よく結び直せ、との仰せ付けであった。
さては菊右衛門の事ではないと何れも安堵した。
0062人間七七四年
2012/08/19(日) 13:18:12.04ID:YECCYDjFガタガタ震えていたが、一人走り戻ってきて
「博打のことじゃないぞ!垣を結べという事だ!」
と報告したので、菊右衛門、そして一緒に残っていた者たちはホッとして大息をついた。そして菊右衛門
「こういう仕事にはいつも出ている私が、ここで引き込んでいるというのも良くないだろう。
もう手討ちにあってもしょうがないさ。あなた方と一緒に行くよ。」
と言い出したので、傍輩たちも「それも尤もだ」として共に竹垣の直しに向かった。
さて、如水は居間の縁側からそれを見つけると「菊右衛門!菊右衛門!」と高々と呼んだ。
傍輩達はこれに
『すわ、博打の事だ!不安だなあ。だけども如水様は家来を手討ちにはしない人だ。その上
他家での手討ちをいつも批判しているほどなので、まさかここで私が手討ちにされることは
無いだろう。いつもみたいにしたたかに叱りつけると言う事なのだろう。
上手く行けばここで、この件に関しては埒が明くぞ!』
そう思いながら尻目に見ていると、菊右衛門はいかにも近くまで呼びつけられ何事か囁かれた。
傍輩達『これは博打のことではない。何か隠密の用でも仰せ付けられるのか?
それとも如水様は彼の常日頃の心立てをよくご存知なので、菊右衛門に直に申して、埒を明けて
下さるのだろうか?おや?菊右衛門も何か申し上げているぞ?多分博打のことだな。
如水様が申し開きを聞いてくださっているのだ。あら嬉しや』
そう囁き合っているうちに、如水から
「竹垣を直し終わり、掃除をしたら皆々帰って休め!よく骨を折ってくれた。上々の竹垣である。
これには気に入ったぞ!」と、悦びを伝えた。
彼らは庭を出るやいなや菊右衛門に「何事を囁かれたのか!?」と尋ねた。すると菊右衛門
「あの事ですよ。お前、昨夜は博打を打にどこに行ったのかと聞かれたんだ。
どこどこの殿の家中に参りましたと申し上げると、
『どうやら勝ったようだな。刀、脇差の他、金をどのくらい取ったのだ?』
私は五百目程取ったのだが、如水様の常日頃の気質を知っているので
『一貫目あまりだと思います。今朝からは殊の外悩み苦しんでいたので、金ももはや要らぬものと思い
打ち捨てていたので詳しくはわかりません』
と申し上げた。すると如水様は手を打って喜ばれ
『先ずは勝ったか!でかしたぞ!しかし小金を要らぬものと思うのも当然だ。法度を厳しく言いつけたのだから、
お前のやったのは近頃は危ないことだ。
まあ、お前が今朝のようなたわけた事をしたのも、法度を常々恐ろしく思っているゆえだろう。
それ程に思っているのなら、今後はいかなることも法度に背いてはならぬ。
良いか、何でも物事というのは、良い事の次には悪い事があるものだ。勝った時はしっかりとそこに留まれ。
お前の身体にとって昨晩の勝ちは重々しいことだ。今後お前の身代が擦り切れたと聞いたら、罰を
与えるぞ!構えて構えて、博打を打ってはならぬ。むざむざと物を人に与えて、身代が擦り切れないようにせよ。』
そう、念を入れて仰っられたのだ。」
菊右衛門ははその仰せを肝に銘じ、誓紙にするまでもなく、博打をやめた。
その後彼は如水より知行を与えられ、身体に過ぎる富貴を得、年老いて子に知行を譲り、一生楽をして
80歳に及んで死んだという。
桂菊右衛門が博打のバレた顛末、についての逸話である
(古郷物語)
0063人間七七四年
2012/08/19(日) 13:32:07.55ID:w2Dv+0c1http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-873.html
の詳細・別出典版というのかな。詳しくありがとう。
個人的には時間的に遠い被りは気にしないけど・・・
やっぱいい話なんじゃね?w
0064人間七七四年
2012/08/19(日) 16:13:47.86ID:0+MweGva0066人間七七四年
2012/08/19(日) 16:37:06.28ID:C2GDjp0Kなんて逸話ありませんかねえ・・・
0068人間七七四年
2012/08/19(日) 18:35:59.81ID:BwQaCWrcところでロミオとジュリエットを日本で置き換えるとどことどこが相応しいかな?ガチで中が悪いというと三才さんのとことngmsとか津軽と南部とか、他あったっけ?
0069人間七七四年
2012/08/19(日) 20:37:21.36ID:FqR7YSwH飛騨の豪族たちは、時に争いながらも表面的には友好関係を保っていた
しかし越中から上杉謙信、信濃から武田信玄の脅威が迫ってくると、彼らもどちらかに付かざるを得なかった
南飛騨の三木氏が上杉氏と強く結びついたのに対し、北飛騨の江馬氏は主に武田氏寄りの立場を採った
江馬氏は執権北条氏の末裔を自称し、飛騨国高原郷(飛騨市神岡町)を中心に飛騨北部に勢力を持った。
戦国時代後期の当主・時盛は信濃から進出してくる武田氏と結び、三木氏と対抗していたが、息子の輝盛は越中国中地山城にあり、
上杉氏へ近づこうと考えていた
こういった考えの相違から、時盛は輝盛の弟・信盛を当主に据える動きを見せており、親子の対立は避けられないものとなっていた
天正元年、遂に輝盛は時盛を殺害して高原郷の本城を支配した
次いで弟の信盛を甲斐へ追放、他にも後継候補であった従弟の慶盛を攻め殺し、完全に実権を握った。
その後は三木氏と共に上杉氏に属した。
(武田信玄死去の情報を上杉氏へ伝えたのは江馬氏家中の者から河田長親へ宛てた書状である)
しかし、信玄と謙信の死、そして両氏の勢力減退、さらには織田信長の横死という激しく動く情勢は輝盛の野心に火を付けた
当時三木氏は織田氏と通じており、その織田氏という後ろ盾を失った三木氏に輝盛は決戦を挑んだのである
兵力の劣る三木氏は小島氏らと結んで迎撃、「飛騨の関ヶ原」とも言われる八日町の戦いとなった
父を殺し、従弟を討ち、弟を追った男の最期は、三木勢の放った銃弾であった
高原郷へは勢いに乗った小島時光が攻め寄せ、江馬氏は滅亡した
この抗争に打ち勝った三木氏は、これまで協力していた諸氏や自身の一族までも滅ぼし、飛騨国内の大半を手に入れるのであった
0070人間七七四年
2012/08/19(日) 21:21:06.58ID:nopW7FZ10071人間七七四年
2012/08/19(日) 21:35:19.84ID:7qY+8Hxyでもあんまり概説とかは主旨に反するよね
創作とかは言うまでもなく
0072人間七七四年
2012/08/19(日) 23:03:49.44ID:sareDJhY0073人間七七四年
2012/08/20(月) 00:50:45.88ID:k6Fhdk0nところで、小島って国司家の姉小路傍流なのかな?
それとも無関係の一族?
0074人間七七四年
2012/08/20(月) 01:43:44.42ID:4RWe1OET0075人間七七四年
2012/08/20(月) 20:01:12.92ID:TvH0cv810076人間七七四年
2012/08/20(月) 22:34:44.64ID:k6Fhdk0n0077人間七七四年
2012/08/20(月) 22:45:48.38ID:MumgZtZW0078人間七七四年
2012/08/21(火) 07:29:28.62ID:A3Ki2MCkあーでもこの時代は食わんよな
0080人間七七四年
2012/08/21(火) 08:04:12.99ID:7GiGOlWx0081人間七七四年
2012/08/21(火) 08:32:24.20ID:VlFlRE4n0083人間七七四年
2012/08/21(火) 15:46:35.16ID:MQ1+/the0084人間七七四年
2012/08/21(火) 16:33:17.47ID:F9rxcNHt人口の割に収入はあるイメージだな。まあ、隣国などとの交易も大変そうだけど。
0085人間七七四年
2012/08/21(火) 16:39:45.00ID:QMn0xiiF当然の事、幅は狭いし、短い間隔で道路工事やってたもんだからトラックも結構通るなから、なかなかスリリングで楽しかったw
0086人間七七四年
2012/08/21(火) 17:07:16.77ID:hUkpucKK観光で行くにはなかなか素敵なところだけど、住むとなるといろいろ不便ではなかろう
か、と思ったり
俺が戦国武将だとして、もし、
「こたびの働き見事であった!加増してつかわす。○○国××郡に代わり、飛騨一国を与える!」
とか言われたら「ははぁ〜有り難き幸せ」とか言いつつ、内心ビミョーなんだろうなw
でも、外敵には強そうだな。勝手知ったる地元の兵を動員してゲリラ戦に持ち込んだら
多少の大軍は撃退できそうなイメージ
0087人間七七四年
2012/08/21(火) 17:13:16.00ID:YGXQo3yb小大名クラスならかなり美味しい話かも。
結局木材の安定供給のために木曽共々天領になっちゃたけど
0088人間七七四年
2012/08/21(火) 17:48:21.55ID:fo8flQkM0089!ninja
2012/08/21(火) 17:58:33.84ID:3RAewFho忠興「このDQNが!」
どっちかいうと、兼続さんの方がそんなん得意そう。
TERUさんでもいいけど。
5人目に返せと言われ、家臣が決死で酒飲んで死んで、許してもらう。
0090人間七七四年
2012/08/21(火) 22:23:34.59ID:Kci/xxnv0091人間七七四年
2012/08/22(水) 00:09:48.07ID:5xjuHDDUそんな禿山にしたり統治に必要な資料ないないしたりはしないよ
むしろ景勝にべったりで会津移封から米沢減封まで自領である米沢放置状態だったのが
米沢にとっては悪い話(一応父ちゃんが城代してたけど)
0092人間七七四年
2012/08/22(水) 01:11:38.52ID:vzhmPES2連戦連敗のどこぞの猫抱き爺よりも凄いおかたぞ
0093人間七七四年
2012/08/22(水) 01:52:47.69ID:PcqlKZI+まあ確かに「天嶮」だわw
保木脇に帰雲城を築き、とは向牧戸の看板に書いてあったけど、攻める気が起きなくてもおかしくないレベルだったんだろうなあw
でも越中西部の砺波まで勢力下にあったと書いてあったから天嶮に籠もってばっかりだった訳じゃないんだろうね
0095人間七七四年
2012/08/22(水) 09:58:04.87ID:gIVvrAPUある時、三の丸にて不義密通をしたものが出たので、鍋島直茂は詮議の上、男女とも死罪とした。
ところがその後、この男女の幽霊が毎晩現れるようになり、城の女中衆は怖ろしさのあまり、夜になると
部屋の外には出ないほどであった。
この様なことがしばらく続いたので、御前様(直茂正妻・陽泰院)に申し上げたところ、慰霊のため祈祷や施餓鬼などを
するよう仰せ付けられたが、これらをしても幽霊の出現は止まなかった。
そこでついにこの事を直茂公に申し上げると、直茂公はこれを聞かれて
「さてさて、なんと嬉しいことだろうか。
あの者たちは首を斬っても足らないほど憎き者たちであった。そうであった所に、あの者たちが死んでも
行くべき所にも行かず、迷い廻って幽霊となり、苦しみ続けているというのは実に嬉しいことである。
なるほど、かまわないからずっと幽霊としてこの城に居ればよい。」
すると直茂がこう言ったその夜より、幽霊は出なくなったそうである。
(葉隠聞書)
幽霊よりもずっと恐ろしいのが戦国大名なのだ
0096人間七七四年
2012/08/22(水) 10:16:10.99ID:IMOYF7SG0097人間七七四年
2012/08/22(水) 10:19:53.88ID:g0PnSKOFと言われたらどんな返しをしたんだろ
0098人間七七四年
2012/08/22(水) 11:51:51.30ID:P9b1b+0F0099名無しさん@お腹いっぱい
2012/08/22(水) 11:55:48.94ID:P4yn8byU>>97
鬼武蔵「そこへ直れ。この人間無骨の餌食にしてくれるわ」
三歳様「そこへ直れ。この歌仙兼定の餌食にしてくれるわ」
0100人間七七四年
2012/08/22(水) 12:01:35.89ID:PpggZvH7猫缶を準備する義弘様
0101人間七七四年
2012/08/22(水) 14:24:21.71ID:Hb83kX6S家久(悪)「正室とのみ愛し合わないといかんぞ!」
0102人間七七四年
2012/08/22(水) 17:45:58.08ID:8sNJcG3T0103人間七七四年
2012/08/22(水) 19:01:33.53ID:eIKmHs790104人間七七四年
2012/08/22(水) 21:05:50.29ID:GhOqlR3z0105人間七七四年
2012/08/22(水) 21:26:33.15ID:vchVMVkx0106人間七七四年
2012/08/22(水) 22:05:48.45ID:BEL8Vltyあと犬が自分以下だと判断した人間に対しては割と厳しい
0108人間七七四年
2012/08/22(水) 23:38:21.41ID:5d4D5QsUあれは農閑期だから兵を出したんじゃねーよ。謙信の書状にもあるが、古利根川の増水期を
避けだだけだ。増水期に大軍勢で無理に利根川渡るのは難しかったから、それを避けた。それだけの話。
帰国も農繁期に合わせたのではなく、再び増水期に入らないうちに帰っただけだ。
0109人間七七四年
2012/08/22(水) 23:38:56.38ID:jqfPcNhz家庭内で一番強くないと自動的に犬以下が確定しちゃう
0110人間七七四年
2012/08/22(水) 23:39:59.26ID:5d4D5QsU0112人間七七四年
2012/08/22(水) 23:54:32.57ID:+4lPlYtiどっちにしても命が危ないな
0114人間七七四年
2012/08/23(木) 17:42:28.64ID:0hZ60kwz用いなかったため、その領地を尽く失ったことは、尊師の既にご存知のところです。
彼はそれ以来五畿内のキリシタンに対し、心底からの憎悪の念を抱きました。
信長の死後、彼は大いに謙遜を示して羽柴殿(秀吉)に仕え、他の小姓と等しく茶の用を務めていました。
そして彼は海の司令官アゴスチニョ(小西行長)とその父が羽柴殿より寵を受けるのを妬み、
羽柴殿の前で密かに、また極めて巧みに彼らに対する重大なる偽の証言をしたのです。
彼が巧妙にこれを為したため、羽柴殿はこれを信じ、ジョーチンとアゴスチニョ父子の任を解き、
全キリシタンに大いなる打撃と恐怖の念を与えました。
ですが我等の主デウスは罪なきものに慈悲の目を向け給い、荒木は大いに信用を失い、
ジョーチンとその子アゴスチニョは最初に地位に復帰したのみならず、今はさらに恩寵を加えられ、その収入もまた
倍増するに至っています。
その荒木が羽柴殿と共に茶の湯の場にあった時、羽柴殿はジュスト(高山右近)の事について、その類い稀な
才知と善良なることを語り始めました。彼は荒木にとって甚だしき敵なので直ちにこれに答えました
「そうではありません。殿下が賞賛されている所は彼が外見を偽ったものであり、心中にそのような善良さは
持っていません。」
この言葉に羽柴殿は大いに怒り、彼を呼ぶのに再び「汝」という言葉を使って言われました
「去れ!かくの如き言葉を発してはならぬ!余は彼が内心も外見も異なる所がない事を良く知っておる!」
これによって荒木は直ちに羽柴殿の寵を失い、羽柴殿は再び彼を見ることを欲しませんでした。
荒木は多数の仲介者を通じて宥免を請いましたが、羽柴殿はついに彼を許しませんでした。
そして今度の戦争(小牧・長久手の戦い)において羽柴殿が多数の人を殺した時、荒木は都において彼を軽蔑する
発言をしました。この事が大阪にあった羽柴殿の夫人の耳に入り、彼女より使者を以って厳しく譴責されたのです。
荒木は羽柴殿が帰京した後、殺害されることを恐れて、妻と家を捨てて寺院に入り坊主となりました。
ですが果たして死罪を免れる事ができるかどうか、明らかではありません。
(ルイス・フロイス・天正12年次日本耶蘇会年報)
ルイス・フロイスによって伝えられる、天正12年(1584)ごろの荒木村重の動向である。
0115人間七七四年
2012/08/23(木) 19:24:16.36ID:ijGl90yK0117人間七七四年
2012/08/24(金) 07:48:53.20ID:tZ3UYXU1フロイスの記述は貴重な歴史なのに、もう少しフェアに記述されていれば・・・
0118人間七七四年
2012/08/24(金) 10:35:02.23ID:g66CsgaYもうちょっと長生きしてればジュストが追放されるのも
見れたのに
0119人間七七四年
2012/08/24(金) 10:51:45.73ID:38zWfZKr0120人間七七四年
2012/08/24(金) 14:09:12.72ID:5n2aqATQその男は極楽に入れるほどの善行を行っていなかったが地獄に墜ちるほどの悪行も行っていなかった。
閻魔帳を何度見直しても結論は出ない、そこで困り果てた閻魔は男に訪ねた。
閻魔「お前はこのままでは極楽にも地獄にも行けない。生前行った善行を言いなさい。」
男「はい、私は生前落ち度もない親族が無礼討ちの憂き目にあったので上役に訴えました。」
閻魔「なるほど、それで?」
男「一度は引き下がりましたが、勇気を振り絞って再び訴えました」
閻魔「それは勇気ある行動だ。で、それはいつの事だ?」
男「つい、四半刻前の事です」
0121人間七七四年
2012/08/24(金) 14:10:55.05ID:V3cF1bqR0122人間七七四年
2012/08/24(金) 14:13:07.09ID:zstQDjYa0123人間七七四年
2012/08/24(金) 14:20:37.14ID:38zWfZKr0124人間七七四年
2012/08/24(金) 15:40:43.57ID:5n2aqATQその男は、昔から本願寺法主の本願寺顕如に是非会いたいと念願していた。
あるとき、御尊顔を仰げる機会があると聞いた男はついに思い立ったか
長年の夢を果たそうと新しく誂えた着物を着て本山へ向かう
そして、待ちわびている群集の中に紛れ込んだ
拵えの良い着物を着て目立てば、法主が自分に気付いて話しかけてくれるのではないかと思ったのだ。
法主は、ゆっくりと(そして男に気づく気配もなく)人々の前を歩いて来た。
そして、ひとりの乞食にその慈顔を向けると、穏やかな笑みを浮かべて乞食に何か語りかけ、通り過ぎていったのである。
男はとても反省した。
いい服を着て法主に目を留めてもらおうなんて、自分はなんて汚い考えを持っていたのだろう。
貧しき者にこそ、仏は慈悲深き目を向けるのである。
「それでも一言でもお言葉を頂きたい」
一計を案じた男は、先程の乞食に頼んで、銀一枚で自分の服と乞食の服とを交換してもらうことにした。
次の日、また法主が人々の前に顔を見せた
すると法主は乞食の服を着た男に近づいてきたのである。
「念願が叶った!」
そして、男の耳に口を寄せると、優しい声でこう言われた。
法主「昨日、目障りだから失せろと言ったハズだぞ」
男「………………」
0125人間七七四年
2012/08/24(金) 16:11:52.35ID:jDRX58de0127人間七七四年
2012/08/24(金) 16:35:49.62ID:FFaXT/Jo0128人間七七四年
2012/08/24(金) 16:53:43.14ID:fiz2RSd40129人間七七四年
2012/08/24(金) 17:03:50.72ID:qI7xjC4zつか、何で庶民で信仰を広げた本願寺なのか謎
やるなら南都や比叡山じゃね?
0130人間七七四年
2012/08/24(金) 17:10:12.11ID:5n2aqATQ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています