藤堂高虎の神業

大坂夏の役の後。
藤堂高虎は井伊直孝と共に、将軍秀忠から金・銀の分銅を1つずつ賜った。
金銀分銅は一万両の重さがあり、
秀吉が軍用にと大阪城に貯蔵していたものである。

この金銀分銅を領国から江戸へ運ぶ時は、
それはそれはたいした騒ぎであった。
真紅の組紐でこれを縛って金8人、銀4人で担ぎ、
それぞれ数百人が守備についた。
道中の見物人も両側にびっちりであった。


先に江戸にいた高虎は一行が品川に到着した日、
下着した問屋まで出迎えた。

さて、ここの問屋の子は、強力が自慢であった。
「おぬし、怪力自慢と申すか?
もし、この分銅を肩まで上げれば、それをくれてやるろう。」
高虎は試しにそう言ってみた。

よもや持ち上げられまいと思った分銅は、
問屋の子が
「むんっ、こりゃ重いなっ!」
と言うが早いか、肩まで持ち上げられてしまった。
一同、青ざめて問屋の子と高虎を交互に見た。

高虎はしれっとして言ってのけた。
「二つ重ねるのじゃぞー。一つは誰でも持ち上げるぞー。」
問屋の子は
「二つなんて、そりゃ、おらにはムリだー。」
と差し控えた。

一同ホッとして、
高虎のこのような急な切り替えしは神業で、
人知では計り知れない、と妙な讃え方をしたのであった。
                          「高山公言行録」