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戦国ちょっといい話33

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0001人間七七四年2012/06/19(火) 17:58:50.16ID:mEG9ezWZ
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話32
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1336017262/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話32
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1339809373/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0202人間七七四年2012/07/01(日) 02:22:35.11ID:lC+a+hxf
福島の固定カメラに黄色い閃光が映ってる。
ttp://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=OMpZ-yYxMY0
炎でもなくライトでもない。なんだこれ。
0203人間七七四年2012/07/01(日) 10:50:09.24ID:XmckbJEX
あつちには何があるんんだろう?
源ハチからは離れてるようだけど
0204人間七七四年2012/07/01(日) 11:25:07.38ID:yxhD5vKi
>>201
>>183が実話だと思ったw
0205人間七七四年2012/07/01(日) 12:00:57.32ID:vddH01V5
安土には何があるんだろう
源八(源八郎為朝?)からは離れているようだけど

どういう意味だろう
0206人間七七四年2012/07/01(日) 13:32:42.99ID:hcC8H0Ai
>>204
たしかに>>183は占い師が一本とられた話として面白いw
0207人間七七四年2012/07/01(日) 14:12:19.25ID:Jp8Ke8at
>>182だけだと尻切れトンボでオチてない、4コマ漫画の3コマ目で終わってる感じだもんな
まあそもそもがエンタメ目的で書かれたもんじゃないというのもあるけど、当時の感覚では
広瀬の台詞のインパクトで十分オチになってたのかもしれない
0208人間七七四年2012/07/01(日) 20:08:47.66ID:5Gdm1uI+
大道寺友山とか山鹿素行あたりも門弟だったみたいだな
0209人間七七四年2012/07/01(日) 20:14:20.87ID:6G2dhB3w
本当に剛胆なら、人相をどう評されようと構わないはず
弱い犬ほど良くほえるってのが広瀬にはぴったり
0210人間七七四年2012/07/01(日) 20:52:32.89ID:hcC8H0Ai
弱い犬が吠えなかったらイジメられっ子になってしまうではないか。
武士は強さや剣の技術ではなく、心意気こそが大事という考え方の常朝さんは、
広瀬少年の気迫を好ましく思ったのだろうね

ちなみに広瀬さんは弱い犬ではないぞ
0211人間七七四年2012/07/01(日) 20:58:34.83ID:oW6lHdsL
しかし結果として広瀬さんは師匠の顔を潰してないか?
0212人間七七四年2012/07/01(日) 21:00:12.15ID:O0ESjtZT
12歳の少年がやったならかわいいもんだろう。
0213人間七七四年2012/07/01(日) 21:05:40.24ID:hcC8H0Ai
>>211
思春期って現代でも喧嘩の強さとか気になる年齢だし、まして武士だからね
人相見に公開で門弟鑑定させる氏長さんの配慮が足らないような気もするw
0214人間七七四年2012/07/02(月) 12:17:29.13ID:t4i/ojDP
三河武士には最初からやらんだろうな。絶対面倒なことになるからw
0215人間七七四年2012/07/02(月) 16:48:14.35ID:tGONjg9K
信長「そんなことより相撲やろうぜ!」
0216人間七七四年2012/07/02(月) 17:08:24.78ID:pAZgF9/v
では早速山内一豊殿に支度を…
0217人間七七四年2012/07/02(月) 17:26:25.58ID:t4i/ojDP
(´・ω・`)「相撲、楽しそうだね」
(^-^)「殿、見るだけにしといてくださいよ」
0218人間七七四年2012/07/02(月) 22:37:19.22ID:ahYKAU7E
松平忠直の家臣の馬場三郎兵衛は息子とともに大阪冬の陣に参加したが、
敵の陣に突撃して討ち死にしてしまった。すぐそばで父の戦死を目の当たりにした
息子は走り寄って、遺体を肩にかついで、戦場から撤退しようとした。
0219人間七七四年2012/07/02(月) 22:40:21.13ID:ahYKAU7E
>>218の続き
銃弾の飛び交う中を6〜7間ほどさがった時、息子はふと「これでは父親を
盾にして引きあげるようではないか。心得のある武士のすることではない」と
考えて、自分の家来に遺体となった父を囲ませて、敵の銃弾が当たらぬように気を配った。
0220人間七七四年2012/07/02(月) 23:10:10.08ID:bO8stOcc
大阪冬の陣って事は下手すると初陣か・・・立派すぎる
しかし父としては自分を盾にしていいから生還してほしいと願いそうな気も
0221人間七七四年2012/07/02(月) 23:30:17.93ID:41/r/Fye
政宗「父を盾にする奴は父と一緒に撃ち殺してしまえ!」
0222人間七七四年2012/07/02(月) 23:49:28.66ID:pAZgF9/v
家来を遺体の盾にする分にはいいのね…
0223人間七七四年2012/07/03(火) 00:03:30.79ID:HU9wdxzM
言われてみればw
部隊を率いる者としては一人前とは言えないなw
0224人間七七四年2012/07/03(火) 00:04:15.19ID:IDaq8dwx
主君の遺骸を守るとか真の忠臣じゃないですか
0225人間七七四年2012/07/03(火) 00:40:45.54ID:wIlRQ0aT
>>222
人は城、人は石垣、人は濠
盾に使って何が悪い(´・ω・`)
0226人間七七四年2012/07/03(火) 03:14:23.18ID:8jTMfKbX
>>225
それはどこの人海戦術軍かと。
地雷原?そんなの兵士を散開させて進ませればいーじゃん、ていう考えは北の大国では今も健在なのだろうか…。
0227人間七七四年2012/07/03(火) 03:42:12.05ID:IUnFH5m1
>>225
「疾き事屁の如く 徐かなる事屁の如く 侵略する事屁の如く 動かざる事屁の如し」

旗印にどうぞ
0228人間七七四年2012/07/03(火) 03:51:52.32ID:Zxzeslwz
>>226
シベリアのスッカスカぶりに焦ってるらしいから、やんねーんじゃないな
その下の国(除くモンゴル)は、やりかねないけど
0229人間七七四年2012/07/03(火) 12:57:51.83ID:8jTMfKbX
>>228
下の国も一人っ子政策の影響で兵士が跡取りばっかでうっかり死なせられないって嘆いてるって聞いたな。
その割りにどっちの大国も人命軽視なエピに事欠かないような気もするが(汗
0230人間七七四年2012/07/03(火) 13:28:04.70ID:sEZ18WdI
共産主義っていうのはいろんなものを停滞させるのかな?
両国とも結局は資本主義、自由経済に飲み込まれたけど人の命の重さもふくめていろいろと
『オマエラもう中〜近世じゃないんだからそろそろ慣れろよ・・・』って言いたくなる時代遅れっぷり
を感じることはよくある、地力はあるだけに隣人としては厄介この上ない
0231人間七七四年2012/07/03(火) 13:40:15.97ID:wiZ0Tdq2
共産主義以前から、専制国家だった歴史が長いからだろ
0232人間七七四年2012/07/03(火) 14:15:16.27ID:Mo9SyXmX
>>230
ああいうのは資本主義を利用しても、理念には馴染まないから強いんだよ
マフィアの強さと同類(笑)
0233人間七七四年2012/07/03(火) 20:11:14.99ID:IUnFH5m1
共産主義こそが堕落した資本主義の一歩先をゆくのだ

そして今や資本主義は崖っぷちに立っている!
0234人間七七四年2012/07/03(火) 20:34:00.71ID:WQYpVNut
後藤基次が黒田家を去り、京へ上る途中に宮島に立ち寄ったと
聞いた福島正則は老臣の福島治重を使いにして基次を招いた。
基次は「三万石なら仕える」と言い、治重はそれを復命した。

正則は頭をふって曰く「勲功あるお前でさえ三万石に及ばない
というのに、又兵衛に三万石も与えられるわけがない」と。
0235人間七七四年2012/07/03(火) 20:39:40.66ID:WQYpVNut
これに治重曰く
「又兵衛を三万石で召しだせば私も(尾関)石見も武名が上がる
というものです。

世間はこう考えるでしょう。
又兵衛でさえ三万石で召されたのだから丹波、石見は世間に出れば
四万石の士だ。譜代故に小禄だったのだ、と。所詮、私一人の面目です」
治重はそう言って勧めたが、やはり正則は聞き入れなかったという。
0236人間七七四年2012/07/03(火) 21:21:12.39ID:bzjMropD
中国の有名な逸話をしらんのか福島は
0237人間七七四年2012/07/03(火) 21:28:28.05ID:tky2Bg/7
先ず隗より始めよ だっけ?
0238人間七七四年2012/07/03(火) 21:32:23.14ID:HU9wdxzM
ここで市松が又兵衛を召抱えていたら又兵衛の大阪での活躍はなかった訳だよな
結果的に歴史に名を残したけど、又兵衛本人は安泰な人生とどっちが良かったんだろうか
0239人間七七四年2012/07/03(火) 21:45:39.27ID:ghqnfhMf
先ず隗より始めよ はちょっと逆の意味っぽくなるのかな?

0240美濃の陶工の話12012/07/03(火) 22:06:03.32ID:JXnmWD+J
 美濃の陶工、加藤景延は久尻村(現 土岐市)で窯を開き、古田織部の支援のもとで多数の名品を生み出していた。
1600年、石田三成が決起して諸大名が東西に分かれた時、美濃でも岩村城主の田丸具忠が西軍につき、
東軍に味方している妻木城主の妻木家頼を攻めるために兵をあげた。
0241美濃の陶工の話22012/07/03(火) 22:10:01.96ID:JXnmWD+J
 西軍の田丸具忠の軍勢が久尻村を通過して妻木城を攻めることを知った加藤景延は、職人や使用人など
一族のものたちに武器を持たせて、さえぎり戦った。一族の角左衛門景勝は弓をもって後陣の大将松原中兵衛を射落とし、
太郎衛門は鉄砲で敵の勇士である木原清八を撃ちとった。
0242美濃の陶工の話32012/07/03(火) 22:13:05.71ID:JXnmWD+J
 怒った田丸勢は景延勢を追い払うと、久尻の窯屋を焼き払ってしまったが、これ以上の進軍をあきらめて、右折して
久々利に向かうことにした。久々利は東軍側の武将の千村良重がいるところである。山間の道を通って五斗蒔、大平、大萱を
経ると久々利に着くのだが、これらの地にはいずれも陶工の窯があった。
0243美濃の陶工の話42012/07/03(火) 22:17:00.12ID:JXnmWD+J
 田丸勢が山道を通っていると、大平の陶工加藤景豊が一族を率いて、一枚岩の断崖の上に待ち構えていて、弓矢、鉄砲を
乱射し、なおかつ岩を投げつけて攻撃してきた。これにはたまらず、田丸勢はすごすごと退却していった。
 小なりとはいえ、れっきとした大名の軍勢を相手に陶工の一族が戦って撃退したのは前代未聞の手柄であった。
0244人間七七四年2012/07/03(火) 22:33:52.45ID:ghqnfhMf
この田丸さんって、小山で西軍につくと言いに来た田丸さん?
まぁ、小山会議に参加してないって聞いたことあるんだがあの話は実に逸話っぽいから好きwww
0245人間七七四年2012/07/03(火) 22:36:32.19ID:AqYG+ymV
ググったらその田丸直昌さんの父親らしい>田丸具忠
wikiでは隠居してすでに直昌に家督譲っていることになってるけど
0246人間七七四年2012/07/03(火) 22:41:36.69ID:Mo9SyXmX
土岐は陶工多いんだよな。
隣の多治見と同じく。
多治見には新羅神社あるし渡来系の土地柄なのかもね
0247人間七七四年2012/07/03(火) 23:00:44.07ID:Rvoq3Uov
>>226


人間なんて10何億のトコは密集突撃で地雷原啓開だお。
0248美濃の陶工の話訂正2012/07/03(火) 23:05:12.16ID:JXnmWD+J
>>241の話で人名に入力ミスがあったので訂正します。

×→角左衛門景勝
○→角左衛門景定

×→松原中兵衛
○→松原忠兵衛
0249人間七七四年2012/07/03(火) 23:39:13.42ID:y0G7Djti
>>233
一歩先に崖から落っこちたのはどこのどいつだい?
0250人間七七四年2012/07/05(木) 00:21:29.04ID:7EbYgKEA
多米氏と大道寺氏

多米氏と大道寺氏は、http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2319.htmlの逸話にあるように北条家の古くからの家臣である。

・・・が、その後の処遇は大きく異なってしまう。


大道寺氏が1000貫以上の知行をもらったのに対し、多米氏は本家が約148貫+約42貫という知行であった。
(約42貫の方は血族関係が不明)
0251人間七七四年2012/07/05(木) 00:31:46.39ID:7EbYgKEA
そして、運命の天正18年。

多米氏は上州西牧城主(あるいは箕輪城主とも)になり、松井田城の大道寺政繁とともに上杉・前田家の攻撃を受けることとなった。
西牧城に籠ったのは多米周防守長宗、そしてその次子家元である。

ちなみに長宗の長男出羽守長定は伊豆山中城に籠っていた。
0252人間七七四年2012/07/05(木) 00:41:53.94ID:7EbYgKEA
依田兄弟の果敢な攻めに、西牧城は落城してしまう。

奮戦むなしく、多米長宗(72歳!)・家元父子は討死してしまった。
山中城に籠った長定も、落城時に討死してしまう。

さらに、家元の兄弟である左近(実名不明)も4月に討死し、多米氏は滅亡してしまった。
0253人間七七四年2012/07/05(木) 00:45:07.32ID:7EbYgKEA
一方の大道寺政繁は松井田城開城後、豊臣氏の北条攻めに協力。
のちラスボスによって切腹させられてしまい、結局大道寺氏も滅びてしまう。

・・・が家康によって厚遇され、子孫は福井藩士・尾張藩士・旗本・弘前藩士になっている。


・・・さて、北条家に殉じた多米氏はというと・・・しっかりと再興を成し遂げたのであった。
0254人間七七四年2012/07/05(木) 00:57:17.89ID:7EbYgKEA
西牧城が落城する前、長定は家臣の山口総右衛門に、孫2人(家元の子、家元は落城前に戦死した模様)を託したのであった。


総右衛門は無事西牧城を脱出し、自分の故郷相模国三浦郡山口村へと避難したのであった。

一説によると、多米家元の妻はこの山口村を領有していた富塚氏の一族であったらしく、総右衛門はその縁で仕えていたらしい。
0255人間七七四年2012/07/05(木) 01:10:34.95ID:7EbYgKEA
子供2人(忠時、時安)のうち、長男忠時は病弱であったため、仕官することなく山口村で没した。
一方次男時安の方はその後家康に召しだされ、松平忠吉に仕えることとなった。
忠吉の死後松平忠輝に仕える…が彼も改易。
改易後の元和3年に土井利雄に仕え、元和8年古河で没した。
その子孫は代々土井家に仕え、明治維新を迎えることになる。
0256人間七七四年2012/07/05(木) 01:14:22.02ID:7EbYgKEA
…スタートラインは一緒だったはずなのに、なぜここまで違ったのだろうか…?


なんだかんだで子孫は武士にとりたてられているのでいい話に投稿しました。
0257人間七七四年2012/07/05(木) 01:18:17.00ID:7EbYgKEA
投稿した後に気付いたのですが、wikiの大道寺政繁のページを見ていたら、彼の子孫も松平忠輝に仕えていたみたいですね^^;

大道寺直繁(政繁子)と多米時安がもし会ったら、どんな言葉をかわすのでしょうかね…?
0258人間七七四年2012/07/05(木) 01:23:55.14ID:bsrAZrfv
髪切った?
0259人間七七四年2012/07/05(木) 06:46:18.13ID:HMdk5ig+
ある年のこと。上杉謙信の統治する越後の隣国で一揆が蜂起し、その状況を調べるため
俄に間者を差し向ける必要が出来た。

さて、通常上杉家においては間者を派遣する時、まず毘沙門堂の前にその者を召しだして起請をさせるのであるが、
なにぶん緊急の際であるので、例に無く謙信の面前で起請をさせた。

これに上杉家の老臣たちは「家法に触ります!」と反対したのであるが、謙信は笑って承知をしなかった。
そしてそんな事をいう老臣たちに、不思議そうに

「私があればこそ、毘沙門天も用いられているのだ。つまり、もし私が無ければ、毘沙門天の威徳も無くなるのだ。
そういう事であるから、私が毘沙門天を百度拝めば、向こうも30度か50度くらいは私を拝み返している事だろう。
だから私を、直ちに毘沙門天だと思わせて起請させるのだ。」

こう、当然の事のように言った。
この謙信の言葉に、群臣目を見はって言葉を出すものもなかったという
(上杉謙信言行録)
0260人間七七四年2012/07/05(木) 08:33:14.36ID:oVUUqFmV
拝む人が居てこその神ですけえの
0261人間七七四年2012/07/05(木) 09:48:07.90ID:y/Iub8OX
自分を拝ませる為に総見寺に仏像を集めた信長
0262人間七七四年2012/07/05(木) 10:25:43.64ID:1s8iM5vv
拝むためのご本尊を自国に移動させた信玄
0263人間七七四年2012/07/05(木) 13:10:54.34ID:kSgdZV6Z
権現様を拝めばよいのです
0264人間七七四年2012/07/05(木) 15:59:49.18ID:fRaj87lq
何かこの権現臭くね?
0265人間七七四年2012/07/05(木) 16:11:22.33ID:1s8iM5vv
ベロンッ 
この味は!……クソのついている「味」だぜ……
0266人間七七四年2012/07/05(木) 16:22:35.30ID:gH08OojO
焼き味噌だよ
焼き味噌なんだよ
うわーん
0267人間七七四年2012/07/05(木) 19:25:43.57ID:gOW61cH5
徳川家康が大切にしていた駿馬がいたのだが、ある時、家康はその実力を試してやろうと
馬に重荷を負わせて富士山を登らせた。すると馬は少しも疲れる様子がなかったので、
家康はこの馬を「富士の道芝」と名付けて寵愛した。

しかし道芝はかなりの暴れ馬で誰も手懐けることができなかった。そこで金悟秀秋の旧臣で
精騎と名高い村上吉正を乗せてみると、難なく乗りこなしたので感じ入った家康は吉正に
道芝を預け飼わせた。家康は後に吉正が道芝を反した時、馬具を与えその労を賞したという。
0268人間七七四年2012/07/05(木) 19:29:12.37ID:yVQ3ULla
クソもミソも一緒にするってこれが由来なのかな?w
0269人間七七四年2012/07/05(木) 19:34:13.58ID:gOW61cH5
>>267
なんだ反したって…
返したの間違いですorz
0270人間七七四年2012/07/05(木) 20:37:13.69ID:/Uhh2VQQ
馬「人生は重き荷を負うて遠き道を駆けてゆくがごとし」
0271人間七七四年2012/07/05(木) 21:13:47.79ID:S1vqZhYy
権現様は「実はワシなら乗りこなせるけど大将が駿馬に乗ってもしょうがないし」とか
もしくは「自分の馬術を過信して落馬するとか大将失格だよね」とか考えちゃうんだろうか?
0272人間七七四年2012/07/05(木) 21:37:52.51ID:HMdk5ig+
権現様は基本的に合理的でドライな考え方だよね。
0273人間七七四年2012/07/05(木) 22:26:00.28ID:C+cOl4Xe
>>269
金吾もな
0274人間七七四年2012/07/05(木) 22:30:57.69ID:GviUIa8o
家康「どれ実力を試してやろう。よいしょっと。」

馬「鎧なしで人間ここまで重たくなれるものなのかとあのとき初めて思いました。」
0275人間七七四年2012/07/05(木) 23:07:05.63ID:WP9uoxZZ
>>267
権現様のネーミングの割には普通じゃないか
0276人間七七四年2012/07/05(木) 23:29:01.60ID:BfWlqBwk
>>275
あ、ほんとだ。しかも道芝って道案内の意味もあるんだ。
洒落てやがる・・・!?
0277人間七七四年2012/07/06(金) 00:41:12.85ID:1UViccHM
馬「クソ漏らすのだけは勘弁してくださいよ!!」
0278人間七七四年2012/07/06(金) 02:23:29.80ID:V6YLX5Kl
父アドマイヤフジ
母シーヴァ

馬主ふじのなんちゃら

よし、馬名決まったな!
0279人間七七四年2012/07/06(金) 09:09:22.46ID:sug5sgfj
そういや久能山東照宮に家康の愛馬の墓もあったな。
あれが道芝の墓だったのかな?
0280人間七七四年2012/07/06(金) 20:25:21.77ID:tvLtD7va
南部利直 代官を叱る

陸奥の南部氏領は、浄法寺塗に代表される漆の産地だった。
漆掻きが始まる頃、時の当主 南部利直は家臣の毛馬内三左衛門宛に宛てて書状を書いた。

『漆掻きに良い時期となったので、漆掻きの者たちを代官たちにつけて、急ぎ派遣しなさい。
 最近は(量を取ろうとして)漆を深く掻かせてしまい、木を枯らせてしまう。枯れなかった木も傷んで、実がならなくなってしまう。
 漆は一杯ニ杯少なくても良いから、木を枯らせないようにさせなさい、そう毎年申し付け、奉行にもそれを伝えているのに、奉行たちがそれを理解していない。
もし木が枯れたら、それは奉行の落ち度として処罰するから、よく申し付け、厳重に取り締まるように』

代官の悪い話の気もするけど、資源を大事にした年直のいい話ってことで。
0281人間七七四年2012/07/07(土) 19:55:14.62ID:KL7roJ0U
どうやら教育委や学校には未確認非行物体らしい。
0282人間七七四年2012/07/07(土) 19:55:58.08ID:KL7roJ0U
誤爆した。スマン
0283人間七七四年2012/07/07(土) 20:02:33.54ID:WZeXkCam
漆に実がなるのかよとぐぐったらろうそくの原料の原料か…
0284人間七七四年2012/07/07(土) 20:05:01.51ID:EPbOlz/G
欲は身を滅ぼす、っていう事の好例だな
0285人間七七四年2012/07/07(土) 20:08:32.11ID:tIwx5QfD
どっかの記事で森を守るには独裁者が適してるというのを読んだ
0286人間七七四年2012/07/07(土) 20:10:59.58ID:VdlAuKXN
森を守るのは、信長。
0287人間七七四年2012/07/07(土) 20:40:49.99ID:zJGl1MAL
もうりまもる、は宇宙飛行士
0288人間七七四年2012/07/07(土) 22:44:45.24ID:10mCiz8Z
>>286
TERU「信長さんは身を挺して毛利(もり)を守ってくれたんだね。ありがとう!」
0289人間七七四年2012/07/07(土) 22:46:55.83ID:azH3NmH/
>280
お隣は津軽塗りもあるし、良い漆が取れるんだろうな
0290人間七七四年2012/07/07(土) 23:26:48.37ID:4t36OVTS
城鍬舞


天文14年(1545年)、大田原資清が新たなる本拠地として建築していた前室城(大田原城)がついに完成した時のこと。
資清はこれまで城の築城に携わった城下6ヶ村の農民たちを労い彼らを招いて酒宴を開いた。

宴もたけなわ、興が乗ってきた所で酔っ払った石神村の藤兵衛という男が鋤や鍬を持ったまま奇っ怪な踊りを披露すると
これが会場で大受けしたが、これが領主資清の目にも止まった。
どうやら資清もこの踊りを気に入ったらしくその後、資清は毎年正月になると彼等を城中に招き、この踊りを演じさせたという。

最初は酔っぱらいの宴会芸に過ぎなかったこの踊りも次第に舞踊として形式が固まっていき、現在に城鍬舞として伝承され、
現在は栃木県の県指定無形民俗文化財となり、例年10月になると上石上温泉神社に奉納されている。
0291人間七七四年2012/07/07(土) 23:30:22.47ID:zJGl1MAL
大田原スケキヨさんなのにいい話だと
てっきり農民たち全員殺すのかと思った
0292人間七七四年2012/07/07(土) 23:37:59.27ID:7vQC2XM1
領民に対しては割とフランクで慕われてたりしたんだろうか

0293人間七七四年2012/07/07(土) 23:59:38.97ID:rKyNG4Yr
那須でスケキヨってw
0294人間七七四年2012/07/08(日) 00:41:19.54ID:rJ7C71LD
謀将策士といわれるタイプの人は民虐げるの少ない印象が

損得計算できるわけだからねぇ
0295人間七七四年2012/07/08(日) 00:44:18.40ID:a2+ZtMI9
>>290
てっきり酒宴の後に城の築城に携わった城下6ヶ村の農民たちを口封じのために殺すのかと思ったw
0296人間七七四年2012/07/08(日) 00:48:19.17ID:Gyn7CuHa
大田原資清なんて普通の人は知らないであろう人物の評価が、
ここでは一定しててワロタw
0297人間七七四年2012/07/08(日) 00:54:24.71ID:6i5dFhg3
ここはいい話スレなんだからそんな身構えるなよw
0298人間七七四年2012/07/08(日) 01:53:17.66ID:qE3zdK9J
そりゃ、まず罠だと疑うでしょwww
0299人間七七四年2012/07/08(日) 09:28:54.67ID:XHsrjdf8
藤堂高虎の神業

大坂夏の役の後。
藤堂高虎は井伊直孝と共に、将軍秀忠から金・銀の分銅を1つずつ賜った。
金銀分銅は一万両の重さがあり、
秀吉が軍用にと大阪城に貯蔵していたものである。

この金銀分銅を領国から江戸へ運ぶ時は、
それはそれはたいした騒ぎであった。
真紅の組紐でこれを縛って金8人、銀4人で担ぎ、
それぞれ数百人が守備についた。
道中の見物人も両側にびっちりであった。


先に江戸にいた高虎は一行が品川に到着した日、
下着した問屋まで出迎えた。

さて、ここの問屋の子は、強力が自慢であった。
「おぬし、怪力自慢と申すか?
もし、この分銅を肩まで上げれば、それをくれてやるろう。」
高虎は試しにそう言ってみた。

よもや持ち上げられまいと思った分銅は、
問屋の子が
「むんっ、こりゃ重いなっ!」
と言うが早いか、肩まで持ち上げられてしまった。
一同、青ざめて問屋の子と高虎を交互に見た。

高虎はしれっとして言ってのけた。
「二つ重ねるのじゃぞー。一つは誰でも持ち上げるぞー。」
問屋の子は
「二つなんて、そりゃ、おらにはムリだー。」
と差し控えた。

一同ホッとして、
高虎のこのような急な切り替えしは神業で、
人知では計り知れない、と妙な讃え方をしたのであった。
                          「高山公言行録」
0300人間七七四年2012/07/08(日) 09:37:23.41ID:oRCWVHb2
ちょっとズルい話
0301人間七七四年2012/07/08(日) 09:51:03.31ID:gO6wCZpT
>>299
嘉明「そんなセコイ嘘が神業かよwまあ高虎のような小物程度には神業なのかもしれんがw」
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