戦国ちょっといい話33
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0001人間七七四年
2012/06/19(火) 17:58:50.16ID:mEG9ezWZ戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0002人間七七四年
2012/06/19(火) 20:02:33.73ID:sSXHDhlzそのような時に三沢為虎が羽柴秀吉に通じているとの流言があった。
話を聞いた吉川元長は直ちに為虎の陣に向かった。
元長は為虎の側まで迫り、座して曰く
「あなたが秀吉と通じているとの噂だが真実か。真実ならば
今すぐ私の首を刎ねて秀吉に送るがいい」
これに為虎は大いに驚いて、
「まさか!事実無根の讒言です!」と言うと、直ちに誓紙を献じた。
この元長の行動によって将兵の動揺は収まった。
0003人間七七四年
2012/06/19(火) 20:06:58.06ID:TGDRJFLC0005人間七七四年
2012/06/19(火) 21:26:09.29ID:wgKWxrfBその日の夕暮れも、細川家の重臣・米田助右衛門の娘と、同じく重臣の牧左馬丞との婚礼が行われていた。
娘は重臣同士の婚姻を気遣った主君の肝煎りで、豪奢な女輿を三丁仕立てて嫁いで行った。
「近ごろは、物事も大げさになったもんだな。(当世ハ、物事結構ニ成タリ)オレのカミさんの親父殿は、
丹波一国と近江に一郡を知行する身分だったが、カミさんは今日と同じように輿三丁でオレのところに来たよ・・・」
主君こと細川忠興は、妻が嫁いで来た夕暮れのことを懐かしそうに語った。
0007人間七七四年
2012/06/19(火) 21:29:40.97ID:ta6kVe8E0008人間七七四年
2012/06/19(火) 22:24:52.66ID:bVwEYcPh0009人間七七四年
2012/06/19(火) 22:32:16.72ID:ALyUSo6K当時の日本には忍者という集団もいた。
伊賀忍者の藤林保武が編纂した「万川集海」の一文には、
同じ国とはいえ武士の道とはまた違う文化が見える
『人の知ることなくして巧者なるを上忍とするなり。
音もなく、臭いもなく、名を知られることもなく、勇名もなし。
その巧、天地造化の如し』
ちょっと老子っぽい忍者の言葉
0010人間七七四年
2012/06/20(水) 02:42:47.94ID:L9Mi+7VU0012人間七七四年
2012/06/20(水) 13:49:52.72ID:3TdD/X3s「仰る通りではございますが、それではズルになってしまいます。わたしはずるをしてまで褒美を得たいとは思わなかったのでございます」
後の親指武蔵こと新納忠元である
0013人間七七四年
2012/06/20(水) 14:46:54.99ID:DbwtBFYH0016人間七七四年
2012/06/20(水) 15:17:31.05ID:YKSpc3r6イエズス会宣教師たちが大坂に教会を作るために材木を発注したところ、うち5本が大坂城の工事用として石田三成に差し押さえられてしまった。
秀吉は宣教師たちにこうした負役を免除していたので、宣教師たちは秀吉に訴えた。
秀吉は面倒くさそうに「この工事では大名たちにも負担させているのだから、材木5本くらいどうということはあるまい」と言った。
そこで北政所は「そういった事をすると殿下の南蛮における評判のためによろしくございません」と言った。
秀吉はこれを受け入れ、材木を返却させた。
0019人間七七四年
2012/06/20(水) 18:11:18.08ID:VAIjFSU7「教如上人御清水潤いの水」と呼ばれる湧水が存在する。
この湧水は今から四百十二年前、教如上人が美濃で石田三成配下の兵に
追われていた時分に利用したことで知られている。
またこの際、狭い道を歩くため草鞋を脱いだ教如が石に足を突くとあら不思議、
何と石に足跡がくっきり残ったという。
そしてその石は御足跡石と呼ばれ下ヶ流遍光寺に現存している。
教如上人はこの一度の逃避行で
・辞世の句を記した鏡版
・「教如岩」と呼ばれる洞窟
・ゆかりの湧水
・足跡の残った岩
といったように、数々の「足跡」を現在に遺している。
逃げる東照大権現様にはさすがに及ばないものの、付近の民が
彼をそれだけ崇拝し縁を持ちたがった証拠といえるかもしれない。
0020人間七七四年
2012/06/20(水) 18:45:56.88ID:SnkS2fIP0022人間七七四年
2012/06/20(水) 20:17:51.21ID:3mwhdrwn0023人間七七四年
2012/06/20(水) 20:53:25.09ID:Wh2E6vYr0024人間七七四年
2012/06/20(水) 22:44:19.63ID:NvWFGong0026人間七七四年
2012/06/21(木) 12:05:40.74ID:nS8qbTqT話は変わるが管理人さん2〜3日更新できないって言ってるね
逸話たまってると編集も大変だろうから復帰するまでまったり行こう
0027人間七七四年
2012/06/21(木) 14:32:34.43ID:Ru2AXQFD上層部が組織的にやったんだから潰せよと怒りに思ったの覚えてるw
昔はともかく今は宗教分離をキッチリ分けて欲しい。
公明党の党首が池田の使いっぱしりとかアリえん。
0028人間七七四年
2012/06/21(木) 16:37:27.51ID:6e7hrSJW仕事がバレなきゃいいんだよ
ハットリくんもあんな顔してるが、
ケンイチ氏の知らないとこではなにやってるかわかったもんじゃないぞ
0029人間七七四年
2012/06/21(木) 20:42:46.20ID:8GMiVA+t0030人間七七四年
2012/06/22(金) 16:28:50.65ID:nocSikKj輿三丁でオレのところに来たよ・・・
が
褌一丁でオレのところに来たよ・・・」
に見えた俺はもうだめかもしれない
0031人間七七四年
2012/06/22(金) 22:46:14.06ID:glKi2lpD政教分離なら分かるが
宗教分離ってなんだ?
ユダ教⇒キリスト教⇒イスラム教
みたいなもんか?
それとも日本仏教みたいな↓みたいな事か?
密 教┬天 台 宗 ┬延暦寺(比叡山)
| ├園城寺(寺門派)
| └西教寺(真盛派)
|
└真 言 宗 ┬古義派┬金剛峯寺(高野山真言宗)
| ├勧修寺(山階派)
| ├泉涌寺(泉涌寺派)
| ├東寺(東寺派)
| ├仁和寺(御室派)
| ├大覚寺(大覚寺派)
| ├醍醐寺(醍醐寺派)
| └善通寺(善通寺派)
└新義派┬長谷寺(豊山派)
├智積院(智山派)
└根来寺(新義真言宗)
あと政教分離は「宗教家は政治に口を出すな」じゃなくて
「行政・司法・立法(国家機関)は宗教教義のみを国民に強制するな」って意味合いだぞ
例を言うと「12月25日はイエスキリストの誕生日だから祝日にし全国民で祝おう」とか
「牛は聖なる動物だから食べるのは禁止しよう」ってのが当たる
0032人間七七四年
2012/06/23(土) 02:47:35.14ID:Wimoc4cj要は公明党=創価ってのが良いのか悪いのかだろう。
選挙前になると住民票動かしたり
あのデッカイ建物の中で実は公明党の選挙活動してるとか
オウムをかばったり
そういうのがまことしやかに聞こえてくる。
公明党は日本のためじゃなくて創価のための政治をすると思われる。
少数野党ならスルーできるが、今は実際キャスティングボードを握っちゃってるからな。
公明党支持者の8割9割が創価の学会員ってのはまぁ異常だわな。
0033人間七七四年
2012/06/23(土) 08:28:48.20ID:586K6QHq0034人間七七四年
2012/06/23(土) 08:48:34.53ID:KTKFoVToシュミレーション、コミニュケーション、イマラチオとか、
そういうのよくある。
フィナボッチかフィボナッチかもよく分からなくなる。
0035人間七七四年
2012/06/23(土) 09:24:15.87ID:/Z9YzSVJアタッシュケースとかナルシズムとかあまり指摘されないし
0036人間七七四年
2012/06/23(土) 10:03:35.00ID:9lER671k日本にいるとさっぱりだけどね
0038人間七七四年
2012/06/23(土) 12:13:06.36ID:E+Y5tmlo有権者の意識なんてそんなもんよ
信長は比叡山焼いたけど、今悪名を轟かせて命を狙われてまでして宗教団体を潰そうとする政治家はいないだろうな
そもそもそんな強権を発揮できる体制じゃないし
信長も、やるんなら戦乱の世の今しかない、と思ったりしたんだろうか
0039人間七七四年
2012/06/23(土) 12:33:52.52ID:Q84WPWVB信長理想の統治モデルにその集団や思想が機能するかしないかって基準だと思う。
信長は超現実主義者であって、イデオロギー馬鹿ではない
0040人間七七四年
2012/06/23(土) 12:45:55.68ID:DfW/ZZA9単純に敵対者かくまってせめて中立でいてくれって頼んだのに拒否されたからだろ
敵を倒しただけだよ
0041人間七七四年
2012/06/23(土) 14:25:30.46ID:wO8699qx武装するは、
かってに田畑を私物化するは、
近所の農民をさらうは
近所の娘をさらうは
酒は飲むは
大名領主を無視して近所に課税するは・・・・
まあ、政教分離うんぬん以前に
「なくなればこれほどいいことはない」としか
思ってもらえない振る舞いしてたからね。
捕縛斬首焼却更地化なにされても文句はなかろう・・
0042人間七七四年
2012/06/23(土) 14:59:38.81ID:E+Y5tmlo腐敗した僧侶達が信長をナメて寺に篭っててやられたんだよな
巻き込まれた市民も僧侶に人間の盾にされた状態だったみたいだし
0043人間七七四年
2012/06/23(土) 15:11:17.01ID:6HtTLQ3l0044人間七七四年
2012/06/23(土) 15:16:39.01ID:Q84WPWVB公家にしろ武家にしろ今みたいな警察力も発揮できなかっただろうし
0047人間七七四年
2012/06/23(土) 15:32:20.99ID:UEYSoFyL0048人間七七四年
2012/06/23(土) 15:34:34.34ID:dUTd6hu7そもそも所領の支配形態も比叡山など畿内の寺社のほうが「先進的」であり、信長の支配下は過大な軍役と重税で
疲弊していて、一般的な民衆からは信長の政権はほとんど支持されていなかった。
本願寺もそうだが、比叡山に関しても、信長に対して一般民衆レベルで支持を集めている勢力を信長が軍事力で潰した、
と見たほうが正しい。
0049人間七七四年
2012/06/23(土) 15:55:01.20ID:hRp8yU7W信長に潰された一向宗と比叡山、秀吉に潰された高野山と紀伊の勢力はわかり易いけど
他の僧兵もってた勢力は秀吉政権下の大名が虱潰しに解体していったのかな
0050人間七七四年
2012/06/23(土) 16:00:42.23ID:Q84WPWVBグチュリと潰れた後の八で末広がり
吉祥だと理解するわ(笑)
比叡山がイカレたというより、もとから寺社って僧兵という傭兵置いてるし、
現代からみると生臭寺なだけなんじゃないか?
織田信長と利害の合わない集団が戦っただけでしょ
0051人間七七四年
2012/06/23(土) 18:10:53.53ID:8k8uCprTこの頃もやってることは仏教の人を救うという根本からずれてる希ガス
0052人間七七四年
2012/06/23(土) 19:16:59.59ID:gYWjqwiF0053人間七七四年
2012/06/23(土) 19:41:32.48ID:dUTd6hu7そういう紋切り型の解釈(しかも手垢のついた共産主義の発展論的歴史観)じゃなくて。
0054人間七七四年
2012/06/23(土) 19:55:36.76ID:Q84WPWVB銃刀法も全国にまたがる警察力もない時代に寺社勢力だけは丸腰でいろとか無理だろ
そもそも比叡山て反戦組織でも平和団体でもなかっただろ?(今の比叡山のことじゃないよ)
0055人間七七四年
2012/06/23(土) 20:03:56.34ID:dUTd6hu7宗教団体であると同時に、一種の複合的権力組織である「権門」だったわけだしね。
例えば中世に発展し近世の地域自治の要となった「惣村」は、比叡山の荘園内で特に多く確認されている。
比叡山は近世社会形成の一翼を担った勢力だったと考えることもできるわけだ。
0056人間七七四年
2012/06/23(土) 20:07:13.11ID:4GDzCyS+確実な取り立てと資本の防衛が出来る武力とネットワークがあったから。
京に約300軒あった金融業者のうち8割は延暦寺の資本だったとか。
さらに京の酒屋、米屋、油屋、そこに商品を供給する水運、馬借にも資本を出していた。
幕府や朝廷があの様なのに京が大都市として存在し続けたのは延暦寺のおかげ。
0057人間七七四年
2012/06/23(土) 20:27:16.81ID:hRp8yU7W強訴の多かった院政期は白河院の政治も酷かったし大寺院の僧兵もこんなだし
今から見ると酷い時代に思えてしまう
末法思想の流行りようを考えると当時の人達も絶望感強かったんじゃあるまいか
0058人間七七四年
2012/06/23(土) 21:36:17.45ID:Q84WPWVB庶民「わたしには南無阿弥陀仏がある!!」
人間は強い
0059人間七七四年
2012/06/23(土) 22:18:37.46ID:0Drf12UF0060人間七七四年
2012/06/24(日) 09:56:46.43ID:F/V7u639ライバルの荷止めやったり、傭兵雇ったりして、その上に戦国大名とも癒着してるのもいた
腐敗というか生存競争の手段?
0061人間七七四年
2012/06/24(日) 10:19:46.45ID:xLgXEpF3これからは織田家が責任もって保護してやるから余分な権益はいらないよな?よこせ
ナニ嫌だ?じゃあ敵か?敵なんだな?じゃあつぶすぞ?いいんだな?
宗教関係無くて一勢力に対する対応は堺衆とかと同じな気がする、現実見てた境衆は屈したけど
0062人間七七四年
2012/06/24(日) 11:11:43.58ID:8pgh7s4d0064人間七七四年
2012/06/24(日) 14:47:57.32ID:u+6N2JM6単純に日本を織田家の武力で統一するのか、
それとも日本の全てを武家文化で機能させるのか?
後者なら比叡山や本願寺の抵抗も、
京都での馬揃え、本能寺もより凄い意味を持ってくるよね
0065人間七七四年
2012/06/24(日) 14:53:32.76ID:26aRAo2S当時の「天下」=室町将軍の影響範囲である畿内近国の事。日本全国のことではない。
天下布武は「混乱している将軍の支配領域を私の武力で静謐にします」くらいの意味。
0066人間七七四年
2012/06/24(日) 15:13:01.79ID:u+6N2JM6と言う歴史学者もいるけど、京を押えているという限定的な意味で天下布武なのかって疑問がある。
天下布武が禅僧の沢彦から出た言葉ってのも禅僧が「天下」を限定的な意味で使うかな?と思うんだよね
ちなみに古語辞典で天下調べると、
@天の下に広がるすべての空間。全世界。また、この世。
Aその国全部。国中。
B全国土を支配すること。国を支配する権力・政治。
C江戸時代の将軍など、国の最高権力者。
D思いのままにふるまうこと。
E世間。世の中。世の人々。
0068人間七七四年
2012/06/24(日) 15:14:01.30ID:MvfOiOas0069人間七七四年
2012/06/24(日) 15:15:03.61ID:KtcYw5a2初めはそうだった。将軍機能してないから取って代わるぐらい。
終盤は部下をはじめ全国支配になってんだろう。
織田のままでも朝鮮征伐までいった気がする。軍を止めるのは難しい。
織田の焼き討ちはいつも全悪のように描かれるからなぁ。
見た目的におもしろいからなんだろうけど、視角を変えたのもやってほしい。
0070人間七七四年
2012/06/24(日) 15:15:51.56ID:8pgh7s4d0071人間七七四年
2012/06/24(日) 15:23:11.43ID:26aRAo2Sそもそも「岐阜」の地名も周の文王云々は後世のつくり話で、実際には信長以前から
あのあたりの禅寺で、稲葉山周辺を呼ぶのに使われていた、『長良川のほとり』を意味する言葉だった。
それを禅宗的教養に親しんでいた信長が採用したもの。
0072人間七七四年
2012/06/24(日) 15:29:34.82ID:u+6N2JM6春秋左氏伝からなんだろうけど、
禅僧は天上天下唯我独尊の自己解釈が激しいし・・・
ただでさえ日本語って歌でもなんでも様々な意味含ませること出来るしな
0073人間七七四年
2012/06/24(日) 15:44:32.81ID:26aRAo2Sただ、当時の常識で言えば「天下」といえば京都周辺くらいを指す言葉なのよ。
仮に信長に天下を日本全国とする意図があったとしても、世間は天下布武を見て常識的に、
信長は京都周辺を、具体的には義昭に反対する三好三人衆を討伐するんだな、というくらいにしか
受け取らないわけですよ。世間がそうなのに信長一人が日本全国のことだと思っていても、
それは意味が無いわけですね。
そもそも日本全国を意味するとすれば、信長は書状を出すたびに日本中の大名に
「あなた達はそのうち私が武力で潰します」と喧嘩を売っているに等しいわけで、
そんな無駄に敵を作る事を、いくら信長でもやるわけがない。
なので信長は少なくとも、世間が天下布武の天下を京都周辺位の事と考えていると認識していたし、
それを受容していた、と推測できるわけですね。
その証拠に、信長は上洛のあと京都の周りから三好三人衆を追い出すと、その時点で「天下静謐」を
宣言したりしましたし。
0074人間七七四年
2012/06/24(日) 16:24:30.19ID:u+6N2JM6武家として畿内を押さえてることを天下人と言うのが共通の認識だっただけで、
「天下」という単語が即畿内を指していたわけではないでしょう?
0075人間七七四年
2012/06/24(日) 16:36:45.96ID:26aRAo2S例えば、割合史料として信頼されている川角太閤記では、秀吉が小田原征伐から京に帰ってきた時
「上様天下へ御帰陣」と書いていたりする。
天下が地域の範囲として把握されていた事を表してると思うよ?
0076人間七七四年
2012/06/24(日) 16:54:03.58ID:u+6N2JM6天下人の根拠地を天下と呼ぶのと同時に、
オレが古語辞典で引いた天下という意味も確実にあるでしょ?
ってことを言いたい。
アナタは「天下」という単語が当時は「畿内」のみを指していたと言ってるの?
「天下布武」の「天下」が「畿内」を指していたという主張ならわかるが、
天下即畿内ってのは当時でも違うでしょ
0077人間七七四年
2012/06/24(日) 17:22:41.55ID:cfWXMFj40078人間七七四年
2012/06/24(日) 18:04:56.20ID:xLgXEpF30079人間七七四年
2012/06/24(日) 18:17:19.58ID:XlXEwLQXどっちか一方だけに決め付けなきゃいい
0080人間七七四年
2012/06/24(日) 18:21:40.07ID:3vvFVi5U0081人間七七四年
2012/06/24(日) 18:23:02.74ID:WV4MKx/e0082人間七七四年
2012/06/24(日) 18:26:11.47ID:DJqQQ3PP天下って「天皇の下」って意味じゃなかったのかな?
だから畿内限定になっちゃったとか。
0083人間七七四年
2012/06/24(日) 18:27:14.46ID:dkLkoNgC大和も時間がかかってる
0084人間七七四年
2012/06/24(日) 18:31:17.76ID:XlXEwLQX0085人間七七四年
2012/06/24(日) 18:40:46.86ID:uFw888tO天皇を儒教の「天」にこじつけだすのは幕末の国学者くらいからだろ
0086人間七七四年
2012/06/24(日) 18:44:58.78ID:2998xCUq当時の意識で高野山より南を機内と認識していたかというと微妙なような気もするけど
0087人間七七四年
2012/06/24(日) 18:49:06.59ID:DJqQQ3PPいわゆる京阪奈ってことだね。
0088人間七七四年
2012/06/24(日) 19:06:40.36ID:2998xCUqでもつい機内=近畿って考えてしまう
0089人間七七四年
2012/06/24(日) 20:20:12.48ID:ei++JYwN0090人間七七四年
2012/06/24(日) 20:21:08.91ID:ei++JYwN0095人間七七四年
2012/06/24(日) 21:16:19.61ID:2998xCUq0098人間七七四年
2012/06/24(日) 21:33:29.08ID:KNx+oA6x0100人間七七四年
2012/06/24(日) 21:49:12.24ID:DJqQQ3PP0101人間七七四年
2012/06/24(日) 22:03:27.95ID:2bQdFUfL0102人間七七四年
2012/06/24(日) 22:11:14.87ID:L7BEoLx50103人間七七四年
2012/06/24(日) 22:18:44.21ID:zf7Fgzes0104人間七七四年
2012/06/24(日) 22:45:52.73ID:G4W9ko1k0105人間七七四年
2012/06/24(日) 23:02:24.62ID:u4KHU94P0106人間七七四年
2012/06/25(月) 10:51:52.31ID:Wsnr87z40107人間七七四年
2012/06/25(月) 14:41:31.98ID:9OpKfu3I0108人間七七四年
2012/06/25(月) 16:25:30.39ID:qJDtjjQY0109人間七七四年
2012/06/25(月) 16:37:18.49ID:1B8sxJ+d0110人間七七四年
2012/06/25(月) 17:51:49.93ID:I5042gq4管理人さんも毎日大変だろうし
0111人間七七四年
2012/06/25(月) 18:27:53.93ID:+eCRuhDv0112人間七七四年
2012/06/25(月) 18:49:28.38ID:Wsnr87z40113人間七七四年
2012/06/25(月) 18:50:16.61ID:bKPjUPGr0114人間七七四年
2012/06/25(月) 18:58:46.66ID:iVnGGrGo0115人間七七四年
2012/06/25(月) 19:04:29.87ID:YnBikQWY隆景「もう手遅れですわ(鉄拳制裁決定!)」
0116人間七七四年
2012/06/25(月) 19:07:14.13ID:boJI4vlX0117人間七七四年
2012/06/25(月) 20:51:20.66ID:XSPdJ4UF0118人間七七四年
2012/06/25(月) 21:25:50.81ID:EQh3PZnK0119人間七七四年
2012/06/25(月) 21:56:42.48ID:Wsnr87z40120人間七七四年
2012/06/25(月) 22:29:28.53ID:jHFxV7Ob0121人間七七四年
2012/06/25(月) 23:44:18.84ID:9OpKfu3I秀次「もう手遅れですわ(切腹寸前)」
義姫「(政宗に向って)もう手遅れですわ…」
政宗「(薬を飲んで)まだだ、まだ終わらんよ!」
小次郎「もう手遅・・・ぐふっ!」
0122人間七七四年
2012/06/26(火) 00:00:39.89ID:hXV0Xb2J0123人間七七四年
2012/06/26(火) 00:40:49.65ID:fS2uzXJpそこで、酒井忠次は考えた末、
「踊って紛らわせればよいのじゃ!」
ということになり、松平又七、松平又八の二人とともに「井杭」の狂言を演じて兵の疲れを紛らわしたそうだ。
なお、この松平×2はどちらも「松平家忠」という名前である。
又七が形原松平氏、又八が深溝松平氏で、日記職人は深溝の方。
0124人間七七四年
2012/06/26(火) 00:42:54.95ID:fS2uzXJp「お前も一緒に死んでは家が残らない。それでは忠義にならない。生命を全うして主家に尽くせ」
と言い残し、武田勢に突撃して討ち死にしたそうだ。
長篠の戦いにおける松平家忠の話でした。
0125人間七七四年
2012/06/26(火) 00:50:22.57ID:fS2uzXJp0126人間七七四年
2012/06/26(火) 00:59:24.00ID:EPc2kKnn0127人間七七四年
2012/06/26(火) 01:23:19.10ID:pr+8WZq90129人間七七四年
2012/06/26(火) 16:11:32.50ID:PWbTNTWN信玄「信長は小身の頃は三河・遠江・駿河の強兵を要する今川義元を全く攻める事ができなかった。
ところが義元の油断によりこれを討ち取ってからというもの、尾張を平定し、隣国の美濃も七年をかけてこれを切り取った。
それというのも、上方気質の弱兵ばかりたった信長の軍兵が、今川の東国武士と渡り合って鍛えられたからこそである」
by 甲 陽 軍 鑑
0130人間七七四年
2012/06/26(火) 16:55:11.39ID:OZnbw4w/0131人間七七四年
2012/06/26(火) 17:42:41.15ID:Vbq5sSgW0132人間七七四年
2012/06/26(火) 17:58:12.64ID:bQV1ps4c0133人間七七四年
2012/06/26(火) 19:20:48.61ID:8fFIMdFh0134人間七七四年
2012/06/26(火) 19:45:29.23ID:uNyv+qFC0135人間七七四年
2012/06/26(火) 20:01:23.77ID:Vbq5sSgW尾張兵と近江兵みたいに
0136人間七七四年
2012/06/26(火) 20:16:35.82ID:8FV9WQRU信長の上洛戦の時、山城に入ってから大略奪大会が始まって、織田軍と徳川からの援軍が略奪品をめぐって
争いになり、少数の徳川軍に織田軍が蹴散らされて、織田軍の連中が信長に泣きつきに行ったら逆に
信長に叱られた、って話があったな。
0137人間七七四年
2012/06/26(火) 20:17:02.38ID:uNyv+qFC0139人間七七四年
2012/06/26(火) 20:28:58.67ID:wOCCGGGh0141人間七七四年
2012/06/26(火) 20:50:24.70ID:iJQFR9O90142人間七七四年
2012/06/26(火) 20:51:28.93ID:xaPAhqyY0145人間七七四年
2012/06/26(火) 21:06:57.32ID:HY0CmJA3シナ戦線の作戦で「3と13がいるなら大丈夫だね」
と言われたとか。
近代では尾張兵は強かったようだ。
ちなみに三河は豊橋第十五師団。
0146人間七七四年
2012/06/26(火) 21:08:26.37ID:8e/o61JS0147人間七七四年
2012/06/26(火) 21:10:03.48ID:YR9GOeD60148人間七七四年
2012/06/26(火) 21:44:22.45ID:Vbq5sSgW河内源氏に楠木悪党も強いじゃん
なにより石山本願寺最強だし
0149人間七七四年
2012/06/26(火) 21:50:57.75ID:OKX/x9hxもちろん弱くはないけど
姉川で徹底的に名前を売ったという印象がある
0150人間七七四年
2012/06/26(火) 21:54:06.41ID:C2s0Bf4k0151人間七七四年
2012/06/26(火) 22:00:24.00ID:WsNjgq8D隣国の美濃や越中にすら4桁での動員は無理だろうけど。
武田の飛騨遠征時はあまり戦ってないのかな?
小説なんかだと、少数精鋭の飛騨忍軍ってたまに見るね。
0152人間七七四年
2012/06/26(火) 22:04:21.11ID:8e/o61JS0154人間七七四年
2012/06/26(火) 22:14:29.26ID:xaPAhqyY武士として見事かどうかだ
0155人間七七四年
2012/06/26(火) 22:25:31.35ID:F9iZz8Wh後ろのめりに倒れるほうが良くないか?
0156人間七七四年
2012/06/26(火) 22:29:41.11ID:tzB0u9t/ところで、この出典って甲陽軍鑑だったっけ
0157人間七七四年
2012/06/26(火) 22:30:53.86ID:Vbq5sSgWパソコンの前の思いつきで覆すのはよくないと思うよ
これはさすがに
0159人間七七四年
2012/06/26(火) 22:52:06.63ID:8e/o61JS家康が率いた軍は相当強かったろうね
0160人間七七四年
2012/06/26(火) 23:21:49.03ID:T4h89CuK前者は前線指揮官の采配と家康の判断で上野と相模からの挟み撃ちをしのいだことを言ってるのか?
黒駒合戦くらいしか直接衝突してなくない? あとは寝返りばっかり。
後者については山中城攻囲の一翼として落城に貢献した後、早々と小田原に着いたくらいでは?
上杉、武田、佐竹あたりなら対北条の戦果で比較できるんが
0161人間七七四年
2012/06/26(火) 23:33:06.61ID:pr+8WZq90163人間七七四年
2012/06/27(水) 00:27:59.88ID:s3GWM0pb0164人間七七四年
2012/06/27(水) 00:57:24.36ID:d6xIBFn00165人間七七四年
2012/06/27(水) 01:09:15.93ID:cOiRsS2g大坂落城の日、大坂方の将堀田図書助は深手を負い、城内に引き返した。
これは主君豊臣秀頼の御供をするためであったらしい。
ところが途中で加賀前田家の軍勢が殺到し、そのうちの1人と槍を合わせることとなった。
深手を負った図書助は勝てるわけもなく、あっさり負けてしまう。
0166人間七七四年
2012/06/27(水) 01:12:28.10ID:cOiRsS2gせめて相手の名前だけでも聞いておこうという意図だったのかもしれない。
図書助は「堀田図書助」と答えた。
すると、相手はとたんに槍をおろしたのであった。
0167人間七七四年
2012/06/27(水) 01:15:33.78ID:cOiRsS2g「おお、貴殿が我がいとこの堀田図書助殿か」と言ったのである。
なんと、相手は図書助のいとこの堀田与右衛門であった。
これまでは互いに文通をしていただけであり、実際に顔を合わせたことは今までなかったのである。
0168人間七七四年
2012/06/27(水) 01:18:09.50ID:cOiRsS2g「さて、縁者の手にかかって死ぬのは幸いである。首を取られよ」
と言い、そこにどっかりと胡坐をかいて座った。
与右衛門は助けたいと思ったものの、図書助の傷を見て泣く泣く首を打ったのであった。
0169人間七七四年
2012/06/27(水) 02:03:19.23ID:zVr+6kbs0170人間七七四年
2012/06/27(水) 22:46:43.28ID:ZTilXqH+ある日、連歌を学び始めたばかりの秀吉がこんな歌を詠んだ。
『奥山に 紅葉を分けて 鳴く蛍』
百人一首にも収録されている『奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の…』という歌をふまえたものだったが、
夏の「蛍」と秋の「紅葉」を組み合わせるのはおかしく、何より蛍は鳴いたりしない。
単に秀吉が知らなかったのかもしれないし、奇抜な歌を詠んでみたかっただけかもしれない。
その場には里村紹巴と細川幽斎がおり、紹巴は「蛍は鳴きません」と秀吉の間違いを指摘した。
不機嫌になりかけた秀吉だったが、そこへ幽斎がこう言って場をおさめた。
「蛍というものも、場所によっては鳴くことがあるようです。何という歌集だったか、
『武蔵野の 篠をつかねて 降る雨に 蛍よりほか 鳴く虫もなし』という歌がありました」
後で紹巴は、「あれは何という歌集に載っている歌なのか」と幽斎に尋ねた。すると幽斎は、
「あなたの首をつなげるために、私が創作したのです。以後はむやみに殿下に逆らわぬよう」と紹巴を諭した。
後日、秀吉は紹巴の前で
『谷かげに 鬼百合咲きて 首ぐなり』
と詠んだが、紹巴は「神妙な句です」と誉めたという。秀吉は、
「蛍は鳴かぬが、鬼百合は“ぐなり”とするか?」と紹巴に聞いた(やはり蛍の歌は知っていて詠んだのかも)。
紹巴は、「慈鎮和尚が『まくずが原に 風騒ぐなり』と詠んでいます」と答えた。
「騒ぐ」+「なり」なので「ぐなり」ではないのだが、秀吉が機嫌を損ねることはなかったという。
相変わらず抜け目ない幽斎さんと、反省した紹巴さんのいい(?)話。
「戦国武将の歌」という本で読んだ話で、出典は『続近世畸人伝』とのこと。
しかし、秀吉の歌のセンスは江戸時代の川柳や狂歌を先取りしているような気がしてならない…
0171人間七七四年
2012/06/27(水) 23:09:15.84ID:n7KUUKt0何となく紹巴と秀吉は反りが合わなさそう
0172人間七七四年
2012/06/27(水) 23:12:41.05ID:HK80yfd3この落語だと、公家の間で歌を詠むことになった秀吉が
「奥山に紅葉ふみわけなく蛍」
と詠んでしまい、貴族から笑われるが、曽呂利新左衛門に幽斎と同じアドバイスを貰い、
(万葉集に載っているってことされている)
「しかともみえず、須磨の関守」と呼んで公家から賞賛された、てことに
0174人間七七四年
2012/06/27(水) 23:50:51.37ID:pYkxG7xv0175人間七七四年
2012/06/28(木) 01:14:31.20ID:w2Mmfbqhもし訪ねていたら
秀吉「お前の首をそうしてやろう」...
0176人間七七四年
2012/06/28(木) 01:22:56.49ID:DFjGMWq70177人間七七四年
2012/06/28(木) 01:31:00.59ID:1kIJMIjL0178人間七七四年
2012/06/28(木) 08:42:16.81ID:VthakbDFぐにゃり?
0179人間七七四年
2012/06/28(木) 11:24:02.60ID:FiPbTtRk蛍鳴かないよ!
鳴かないから、ぴかぴか光って
アピールに務めるんだよ!
それにつけても幽斎先生は如才ねえなあ
0180人間七七四年
2012/06/28(木) 18:01:56.10ID:0E5TL1ZN0181人間七七四年
2012/06/28(木) 18:11:16.25ID:to5ZHlta0182人間七七四年
2012/06/28(木) 20:10:24.81ID:F1QoftM/門弟たちの一人一人、剛胆か臆病かと人相を見てもらった。
北条氏長
「剛と言われた者は今以上に武士の道に励め。
臆病と言われた者は命懸けで武士の道に励め。
臆病と言われたからとて生まれつきの人相であるから少しも恥ではないぞ」
と言い順番に一人一人見てもらっていたとき、
広瀬伝左衛門(12歳)の順番になった。
伝左衛門は人相占いの前に坐ると、声をいからせ、
広瀬伝左衛門
「おのれ、俺を臆病の人相などと判断したなら、一刀に斬り捨ててくれる」
と言ったとのことである
葉隠より
0183人間七七四年
2012/06/28(木) 20:23:37.00ID:f7oesujV広瀬「この人相占いの相をご覧あれ!これこそ臆病の相でございます」
0184人間七七四年
2012/06/28(木) 20:30:55.67ID:DdCRKXiK0185人間七七四年
2012/06/28(木) 20:33:12.68ID:A9vrUOyHその言葉を聞いて震え上がった占い師だが、
「あなたは臆病の人相でございます」
と、正直に言ったという
これをきいた広瀬伝左衛門、庭に躍り出て庭師を瞬く間に斬り捨ててしまった
後の細川越中守である
0187人間七七四年
2012/06/28(木) 21:21:35.52ID:WCV4SA700188人間七七四年
2012/06/28(木) 23:49:42.09ID:4s59c1jM斎藤利宗という、ちょっとマイナーな武将の紹介。
といっても、お父さんは有名です・・・
あの「斎藤利三」です。
0189人間七七四年
2012/06/28(木) 23:56:32.88ID:4s59c1jMそののち光秀に加担したとして捕えられ、細川忠興に預けられることとなった。
だが、その後、同族の斎藤兵部入道以密に訴えられ、北野天満宮で神意を問うことになった。
その方法とは・・・熱く熱した鉄を持ち、その火傷具合で非があるかないかを見極めるというものである。
0190人間七七四年
2012/06/28(木) 23:58:36.04ID:4s59c1jMその後の彼は小牧の戦いに従軍して活躍し、朝鮮の役では加藤清正に属して活躍。
役後そのまま清正に仕え、5000石で召し抱えられたのであった。
順調にいけば加藤家の重臣になったのだが・・・
0191人間七七四年
2012/06/29(金) 00:04:25.51ID:Z2hCvOqwそう、「馬方・牛方騒動」である
利宗はこれに直接かかわっていなかったものの、勢力を伸ばした加藤右馬允正方と対立し、ついに加藤家を飛び出してしまったのであった。
0192人間七七四年
2012/06/29(金) 00:08:14.13ID:Z2hCvOqw妹が於福=春日局であったからである。
そのつてを頼ったかは定かではないが、5000石で家光に召しだされ、幕府につかえることになった。
0193人間七七四年
2012/06/29(金) 00:13:15.00ID:Z2hCvOqw元主家である加藤家の改易の際には、土井利勝、ダブル酒井忠勝、同忠世に混じって密議に加わっている。
その密議ののち、甥の稲葉正勝が城受取に加えられている。
0194人間七七四年
2012/06/29(金) 00:17:52.54ID:Z2hCvOqwそして正保4年5月4日、81歳でこの世を去ったのであった。
なお、名乗りは伊豆守だったが、のち佐渡守に改めている。
0195人間七七四年
2012/06/29(金) 00:21:04.88ID:Z2hCvOqw出版された『寛政重修諸家譜』では、宗利(としむね、とルビがある)と誤表記されてしまっている。
原本はどうなんだろう・・・?
細切れで読みづらくてすみませんorz
0196人間七七四年
2012/06/29(金) 03:04:12.71ID:p3bJYqM80197人間七七四年
2012/06/29(金) 09:18:04.07ID:M2bMXRSn0198人間七七四年
2012/06/29(金) 09:38:07.07ID:7uclrbgO0199人間七七四年
2012/06/29(金) 10:57:43.12ID:HGN8hn2A0200人間七七四年
2012/06/29(金) 11:26:05.59ID:JDqW3Uy+0202人間七七四年
2012/07/01(日) 02:22:35.11ID:lC+a+hxfttp://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=OMpZ-yYxMY0
炎でもなくライトでもない。なんだこれ。
0203人間七七四年
2012/07/01(日) 10:50:09.24ID:XmckbJEX源ハチからは離れてるようだけど
0205人間七七四年
2012/07/01(日) 12:00:57.32ID:vddH01V5源八(源八郎為朝?)からは離れているようだけど
どういう意味だろう
0207人間七七四年
2012/07/01(日) 14:12:19.25ID:Jp8Ke8atまあそもそもがエンタメ目的で書かれたもんじゃないというのもあるけど、当時の感覚では
広瀬の台詞のインパクトで十分オチになってたのかもしれない
0208人間七七四年
2012/07/01(日) 20:08:47.66ID:5Gdm1uI+0209人間七七四年
2012/07/01(日) 20:14:20.87ID:6G2dhB3w弱い犬ほど良くほえるってのが広瀬にはぴったり
0210人間七七四年
2012/07/01(日) 20:52:32.89ID:hcC8H0Ai武士は強さや剣の技術ではなく、心意気こそが大事という考え方の常朝さんは、
広瀬少年の気迫を好ましく思ったのだろうね
ちなみに広瀬さんは弱い犬ではないぞ
0211人間七七四年
2012/07/01(日) 20:58:34.83ID:oW6lHdsL0212人間七七四年
2012/07/01(日) 21:00:12.15ID:O0ESjtZT0213人間七七四年
2012/07/01(日) 21:05:40.24ID:hcC8H0Ai思春期って現代でも喧嘩の強さとか気になる年齢だし、まして武士だからね
人相見に公開で門弟鑑定させる氏長さんの配慮が足らないような気もするw
0214人間七七四年
2012/07/02(月) 12:17:29.13ID:t4i/ojDP0215人間七七四年
2012/07/02(月) 16:48:14.35ID:tGONjg9K0216人間七七四年
2012/07/02(月) 17:08:24.78ID:pAZgF9/v0217人間七七四年
2012/07/02(月) 17:26:25.58ID:t4i/ojDP(^-^)「殿、見るだけにしといてくださいよ」
0218人間七七四年
2012/07/02(月) 22:37:19.22ID:ahYKAU7E敵の陣に突撃して討ち死にしてしまった。すぐそばで父の戦死を目の当たりにした
息子は走り寄って、遺体を肩にかついで、戦場から撤退しようとした。
0219人間七七四年
2012/07/02(月) 22:40:21.13ID:ahYKAU7E銃弾の飛び交う中を6〜7間ほどさがった時、息子はふと「これでは父親を
盾にして引きあげるようではないか。心得のある武士のすることではない」と
考えて、自分の家来に遺体となった父を囲ませて、敵の銃弾が当たらぬように気を配った。
0220人間七七四年
2012/07/02(月) 23:10:10.08ID:bO8stOccしかし父としては自分を盾にしていいから生還してほしいと願いそうな気も
0221人間七七四年
2012/07/02(月) 23:30:17.93ID:41/r/Fye0222人間七七四年
2012/07/02(月) 23:49:28.66ID:pAZgF9/v0223人間七七四年
2012/07/03(火) 00:03:30.79ID:HU9wdxzM部隊を率いる者としては一人前とは言えないなw
0224人間七七四年
2012/07/03(火) 00:04:15.19ID:IDaq8dwx0226人間七七四年
2012/07/03(火) 03:14:23.18ID:8jTMfKbXそれはどこの人海戦術軍かと。
地雷原?そんなの兵士を散開させて進ませればいーじゃん、ていう考えは北の大国では今も健在なのだろうか…。
0228人間七七四年
2012/07/03(火) 03:51:52.32ID:Zxzeslwzシベリアのスッカスカぶりに焦ってるらしいから、やんねーんじゃないな
その下の国(除くモンゴル)は、やりかねないけど
0229人間七七四年
2012/07/03(火) 12:57:51.83ID:8jTMfKbX下の国も一人っ子政策の影響で兵士が跡取りばっかでうっかり死なせられないって嘆いてるって聞いたな。
その割りにどっちの大国も人命軽視なエピに事欠かないような気もするが(汗
0230人間七七四年
2012/07/03(火) 13:28:04.70ID:sEZ18WdI両国とも結局は資本主義、自由経済に飲み込まれたけど人の命の重さもふくめていろいろと
『オマエラもう中〜近世じゃないんだからそろそろ慣れろよ・・・』って言いたくなる時代遅れっぷり
を感じることはよくある、地力はあるだけに隣人としては厄介この上ない
0231人間七七四年
2012/07/03(火) 13:40:15.97ID:wiZ0Tdq20232人間七七四年
2012/07/03(火) 14:15:16.27ID:Mo9SyXmXああいうのは資本主義を利用しても、理念には馴染まないから強いんだよ
マフィアの強さと同類(笑)
0233人間七七四年
2012/07/03(火) 20:11:14.99ID:IUnFH5m1そして今や資本主義は崖っぷちに立っている!
0234人間七七四年
2012/07/03(火) 20:34:00.71ID:WQYpVNut聞いた福島正則は老臣の福島治重を使いにして基次を招いた。
基次は「三万石なら仕える」と言い、治重はそれを復命した。
正則は頭をふって曰く「勲功あるお前でさえ三万石に及ばない
というのに、又兵衛に三万石も与えられるわけがない」と。
0235人間七七四年
2012/07/03(火) 20:39:40.66ID:WQYpVNut「又兵衛を三万石で召しだせば私も(尾関)石見も武名が上がる
というものです。
世間はこう考えるでしょう。
又兵衛でさえ三万石で召されたのだから丹波、石見は世間に出れば
四万石の士だ。譜代故に小禄だったのだ、と。所詮、私一人の面目です」
治重はそう言って勧めたが、やはり正則は聞き入れなかったという。
0236人間七七四年
2012/07/03(火) 21:21:12.39ID:bzjMropD0237人間七七四年
2012/07/03(火) 21:28:28.05ID:tky2Bg/70238人間七七四年
2012/07/03(火) 21:32:23.14ID:HU9wdxzM結果的に歴史に名を残したけど、又兵衛本人は安泰な人生とどっちが良かったんだろうか
0239人間七七四年
2012/07/03(火) 21:45:39.27ID:ghqnfhMf0240美濃の陶工の話1
2012/07/03(火) 22:06:03.32ID:JXnmWD+J1600年、石田三成が決起して諸大名が東西に分かれた時、美濃でも岩村城主の田丸具忠が西軍につき、
東軍に味方している妻木城主の妻木家頼を攻めるために兵をあげた。
0241美濃の陶工の話2
2012/07/03(火) 22:10:01.96ID:JXnmWD+J一族のものたちに武器を持たせて、さえぎり戦った。一族の角左衛門景勝は弓をもって後陣の大将松原中兵衛を射落とし、
太郎衛門は鉄砲で敵の勇士である木原清八を撃ちとった。
0242美濃の陶工の話3
2012/07/03(火) 22:13:05.71ID:JXnmWD+J久々利に向かうことにした。久々利は東軍側の武将の千村良重がいるところである。山間の道を通って五斗蒔、大平、大萱を
経ると久々利に着くのだが、これらの地にはいずれも陶工の窯があった。
0243美濃の陶工の話4
2012/07/03(火) 22:17:00.12ID:JXnmWD+J乱射し、なおかつ岩を投げつけて攻撃してきた。これにはたまらず、田丸勢はすごすごと退却していった。
小なりとはいえ、れっきとした大名の軍勢を相手に陶工の一族が戦って撃退したのは前代未聞の手柄であった。
0244人間七七四年
2012/07/03(火) 22:33:52.45ID:ghqnfhMfまぁ、小山会議に参加してないって聞いたことあるんだがあの話は実に逸話っぽいから好きwww
0245人間七七四年
2012/07/03(火) 22:36:32.19ID:AqYG+ymVwikiでは隠居してすでに直昌に家督譲っていることになってるけど
0246人間七七四年
2012/07/03(火) 22:41:36.69ID:Mo9SyXmX隣の多治見と同じく。
多治見には新羅神社あるし渡来系の土地柄なのかもね
0248美濃の陶工の話訂正
2012/07/03(火) 23:05:12.16ID:JXnmWD+J×→角左衛門景勝
○→角左衛門景定
×→松原中兵衛
○→松原忠兵衛
0250人間七七四年
2012/07/05(木) 00:21:29.04ID:7EbYgKEA多米氏と大道寺氏は、http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2319.htmlの逸話にあるように北条家の古くからの家臣である。
・・・が、その後の処遇は大きく異なってしまう。
大道寺氏が1000貫以上の知行をもらったのに対し、多米氏は本家が約148貫+約42貫という知行であった。
(約42貫の方は血族関係が不明)
0251人間七七四年
2012/07/05(木) 00:31:46.39ID:7EbYgKEA多米氏は上州西牧城主(あるいは箕輪城主とも)になり、松井田城の大道寺政繁とともに上杉・前田家の攻撃を受けることとなった。
西牧城に籠ったのは多米周防守長宗、そしてその次子家元である。
ちなみに長宗の長男出羽守長定は伊豆山中城に籠っていた。
0252人間七七四年
2012/07/05(木) 00:41:53.94ID:7EbYgKEA奮戦むなしく、多米長宗(72歳!)・家元父子は討死してしまった。
山中城に籠った長定も、落城時に討死してしまう。
さらに、家元の兄弟である左近(実名不明)も4月に討死し、多米氏は滅亡してしまった。
0253人間七七四年
2012/07/05(木) 00:45:07.32ID:7EbYgKEAのちラスボスによって切腹させられてしまい、結局大道寺氏も滅びてしまう。
・・・が家康によって厚遇され、子孫は福井藩士・尾張藩士・旗本・弘前藩士になっている。
・・・さて、北条家に殉じた多米氏はというと・・・しっかりと再興を成し遂げたのであった。
0254人間七七四年
2012/07/05(木) 00:57:17.89ID:7EbYgKEA総右衛門は無事西牧城を脱出し、自分の故郷相模国三浦郡山口村へと避難したのであった。
一説によると、多米家元の妻はこの山口村を領有していた富塚氏の一族であったらしく、総右衛門はその縁で仕えていたらしい。
0255人間七七四年
2012/07/05(木) 01:10:34.95ID:7EbYgKEA一方次男時安の方はその後家康に召しだされ、松平忠吉に仕えることとなった。
忠吉の死後松平忠輝に仕える…が彼も改易。
改易後の元和3年に土井利雄に仕え、元和8年古河で没した。
その子孫は代々土井家に仕え、明治維新を迎えることになる。
0256人間七七四年
2012/07/05(木) 01:14:22.02ID:7EbYgKEAなんだかんだで子孫は武士にとりたてられているのでいい話に投稿しました。
0257人間七七四年
2012/07/05(木) 01:18:17.00ID:7EbYgKEA大道寺直繁(政繁子)と多米時安がもし会ったら、どんな言葉をかわすのでしょうかね…?
0258人間七七四年
2012/07/05(木) 01:23:55.14ID:bsrAZrfv0259人間七七四年
2012/07/05(木) 06:46:18.13ID:HMdk5ig+俄に間者を差し向ける必要が出来た。
さて、通常上杉家においては間者を派遣する時、まず毘沙門堂の前にその者を召しだして起請をさせるのであるが、
なにぶん緊急の際であるので、例に無く謙信の面前で起請をさせた。
これに上杉家の老臣たちは「家法に触ります!」と反対したのであるが、謙信は笑って承知をしなかった。
そしてそんな事をいう老臣たちに、不思議そうに
「私があればこそ、毘沙門天も用いられているのだ。つまり、もし私が無ければ、毘沙門天の威徳も無くなるのだ。
そういう事であるから、私が毘沙門天を百度拝めば、向こうも30度か50度くらいは私を拝み返している事だろう。
だから私を、直ちに毘沙門天だと思わせて起請させるのだ。」
こう、当然の事のように言った。
この謙信の言葉に、群臣目を見はって言葉を出すものもなかったという
(上杉謙信言行録)
0260人間七七四年
2012/07/05(木) 08:33:14.36ID:oVUUqFmV0261人間七七四年
2012/07/05(木) 09:48:07.90ID:y/Iub8OX0262人間七七四年
2012/07/05(木) 10:25:43.64ID:1s8iM5vv0263人間七七四年
2012/07/05(木) 13:10:54.34ID:kSgdZV6Z0264人間七七四年
2012/07/05(木) 15:59:49.18ID:fRaj87lq0265人間七七四年
2012/07/05(木) 16:11:22.33ID:1s8iM5vvこの味は!……クソのついている「味」だぜ……
0266人間七七四年
2012/07/05(木) 16:22:35.30ID:gH08OojO焼き味噌なんだよ
うわーん
0267人間七七四年
2012/07/05(木) 19:25:43.57ID:gOW61cH5馬に重荷を負わせて富士山を登らせた。すると馬は少しも疲れる様子がなかったので、
家康はこの馬を「富士の道芝」と名付けて寵愛した。
しかし道芝はかなりの暴れ馬で誰も手懐けることができなかった。そこで金悟秀秋の旧臣で
精騎と名高い村上吉正を乗せてみると、難なく乗りこなしたので感じ入った家康は吉正に
道芝を預け飼わせた。家康は後に吉正が道芝を反した時、馬具を与えその労を賞したという。
0268人間七七四年
2012/07/05(木) 19:29:12.37ID:yVQ3ULla0270人間七七四年
2012/07/05(木) 20:37:13.69ID:/Uhh2VQQ0271人間七七四年
2012/07/05(木) 21:13:47.79ID:S1vqZhYyもしくは「自分の馬術を過信して落馬するとか大将失格だよね」とか考えちゃうんだろうか?
0272人間七七四年
2012/07/05(木) 21:37:52.51ID:HMdk5ig+0274人間七七四年
2012/07/05(木) 22:30:57.69ID:GviUIa8o馬「鎧なしで人間ここまで重たくなれるものなのかとあのとき初めて思いました。」
0277人間七七四年
2012/07/06(金) 00:41:12.85ID:1UViccHM0278人間七七四年
2012/07/06(金) 02:23:29.80ID:V6YLX5Kl母シーヴァ
馬主ふじのなんちゃら
よし、馬名決まったな!
0279人間七七四年
2012/07/06(金) 09:09:22.46ID:sug5sgfjあれが道芝の墓だったのかな?
0280人間七七四年
2012/07/06(金) 20:25:21.77ID:tvLtD7va陸奥の南部氏領は、浄法寺塗に代表される漆の産地だった。
漆掻きが始まる頃、時の当主 南部利直は家臣の毛馬内三左衛門宛に宛てて書状を書いた。
『漆掻きに良い時期となったので、漆掻きの者たちを代官たちにつけて、急ぎ派遣しなさい。
最近は(量を取ろうとして)漆を深く掻かせてしまい、木を枯らせてしまう。枯れなかった木も傷んで、実がならなくなってしまう。
漆は一杯ニ杯少なくても良いから、木を枯らせないようにさせなさい、そう毎年申し付け、奉行にもそれを伝えているのに、奉行たちがそれを理解していない。
もし木が枯れたら、それは奉行の落ち度として処罰するから、よく申し付け、厳重に取り締まるように』
代官の悪い話の気もするけど、資源を大事にした年直のいい話ってことで。
0281人間七七四年
2012/07/07(土) 19:55:14.62ID:KL7roJ0U0282人間七七四年
2012/07/07(土) 19:55:58.08ID:KL7roJ0U0283人間七七四年
2012/07/07(土) 20:02:33.54ID:WZeXkCam0284人間七七四年
2012/07/07(土) 20:05:01.51ID:EPbOlz/G0285人間七七四年
2012/07/07(土) 20:08:32.11ID:tIwx5QfD0286人間七七四年
2012/07/07(土) 20:10:59.58ID:VdlAuKXN0287人間七七四年
2012/07/07(土) 20:40:49.99ID:zJGl1MAL0289人間七七四年
2012/07/07(土) 22:46:55.83ID:azH3NmH/お隣は津軽塗りもあるし、良い漆が取れるんだろうな
0290人間七七四年
2012/07/07(土) 23:26:48.37ID:4t36OVTS天文14年(1545年)、大田原資清が新たなる本拠地として建築していた前室城(大田原城)がついに完成した時のこと。
資清はこれまで城の築城に携わった城下6ヶ村の農民たちを労い彼らを招いて酒宴を開いた。
宴もたけなわ、興が乗ってきた所で酔っ払った石神村の藤兵衛という男が鋤や鍬を持ったまま奇っ怪な踊りを披露すると
これが会場で大受けしたが、これが領主資清の目にも止まった。
どうやら資清もこの踊りを気に入ったらしくその後、資清は毎年正月になると彼等を城中に招き、この踊りを演じさせたという。
最初は酔っぱらいの宴会芸に過ぎなかったこの踊りも次第に舞踊として形式が固まっていき、現在に城鍬舞として伝承され、
現在は栃木県の県指定無形民俗文化財となり、例年10月になると上石上温泉神社に奉納されている。
0291人間七七四年
2012/07/07(土) 23:30:22.47ID:zJGl1MALてっきり農民たち全員殺すのかと思った
0292人間七七四年
2012/07/07(土) 23:37:59.27ID:7vQC2XM10293人間七七四年
2012/07/07(土) 23:59:38.97ID:rKyNG4Yr0294人間七七四年
2012/07/08(日) 00:41:19.54ID:rJ7C71LD損得計算できるわけだからねぇ
0296人間七七四年
2012/07/08(日) 00:48:19.17ID:Gyn7CuHaここでは一定しててワロタw
0297人間七七四年
2012/07/08(日) 00:54:24.71ID:6i5dFhg30298人間七七四年
2012/07/08(日) 01:53:17.66ID:qE3zdK9J0299人間七七四年
2012/07/08(日) 09:28:54.67ID:XHsrjdf8大坂夏の役の後。
藤堂高虎は井伊直孝と共に、将軍秀忠から金・銀の分銅を1つずつ賜った。
金銀分銅は一万両の重さがあり、
秀吉が軍用にと大阪城に貯蔵していたものである。
この金銀分銅を領国から江戸へ運ぶ時は、
それはそれはたいした騒ぎであった。
真紅の組紐でこれを縛って金8人、銀4人で担ぎ、
それぞれ数百人が守備についた。
道中の見物人も両側にびっちりであった。
先に江戸にいた高虎は一行が品川に到着した日、
下着した問屋まで出迎えた。
さて、ここの問屋の子は、強力が自慢であった。
「おぬし、怪力自慢と申すか?
もし、この分銅を肩まで上げれば、それをくれてやるろう。」
高虎は試しにそう言ってみた。
よもや持ち上げられまいと思った分銅は、
問屋の子が
「むんっ、こりゃ重いなっ!」
と言うが早いか、肩まで持ち上げられてしまった。
一同、青ざめて問屋の子と高虎を交互に見た。
高虎はしれっとして言ってのけた。
「二つ重ねるのじゃぞー。一つは誰でも持ち上げるぞー。」
問屋の子は
「二つなんて、そりゃ、おらにはムリだー。」
と差し控えた。
一同ホッとして、
高虎のこのような急な切り替えしは神業で、
人知では計り知れない、と妙な讃え方をしたのであった。
「高山公言行録」
0300人間七七四年
2012/07/08(日) 09:37:23.41ID:oRCWVHb20302人間七七四年
2012/07/08(日) 09:54:15.64ID:HzSNf57R0303人間七七四年
2012/07/08(日) 10:13:08.39ID:617gvioD0304人間七七四年
2012/07/08(日) 10:16:26.95ID:GQ5gqTvO0305人間七七四年
2012/07/08(日) 10:22:45.35ID:xi1I8/AM0306人間七七四年
2012/07/08(日) 12:17:51.12ID:QdXWLxud0307人間七七四年
2012/07/08(日) 12:27:15.70ID:Y8HMUofu0309人間七七四年
2012/07/08(日) 12:51:29.86ID:CjATsCDz0310人間七七四年
2012/07/08(日) 13:01:40.35ID:gtbuKmxR0311人間七七四年
2012/07/08(日) 13:04:31.62ID:S65OeHS9金銀それぞれ5千両の190kg弱なら当時の在野のモンスターでも
上げる奴いてもおかしくはないなw
100kgくらいなら余裕そうな高虎が、若い頃の自分でもこれは無理と
判断したくらいの重さとしてはある意味妥当かもしれん
0312人間七七四年
2012/07/08(日) 19:36:18.43ID:Zx16X9vo手負いの猪が家康に向かって突っ込んできた。
その時、馳せ出たのが春田半兵衛将吉だった。
将吉は突っ込んできた猪を見事に組み止めてみせたのである。
その姿に気分を良くした家康は思いついた。
「お前、今日から猪之助に名を改めろ」
その日より将吉は春田猪之助と名乗るようになった。
安直な上に普通のネーミングっすね、権現様。
0313人間七七四年
2012/07/08(日) 20:26:36.87ID:LQjSos2g周りの奴らはダセェ!って思わなかったんだろうか
それよりも家康が変なセンスを発揮しなくてホッとしてたのか
0314人間七七四年
2012/07/08(日) 20:47:39.84ID:+SKwhbOx0315人間七七四年
2012/07/08(日) 20:49:03.93ID:xi1I8/AM0316人間七七四年
2012/07/08(日) 20:54:29.70ID:7HwaJRNq0318人間七七四年
2012/07/08(日) 21:00:01.30ID:yyV9t9gM権現様がこの話を知ったら
「おなごの身でありながら見事!これから小松姫をあらため猪姫となのるがよい!」
0319人間七七四年
2012/07/08(日) 21:28:20.03ID:4HxlL9p0いや、さすがあるまいて・・・
0320人間七七四年
2012/07/08(日) 21:28:53.17ID:sefzcYSH0321人間七七四年
2012/07/08(日) 21:30:28.70ID:2TynslHt0322人間七七四年
2012/07/08(日) 22:00:38.79ID:4HxlL9p0あとは蝶か・・・
0323人間七七四年
2012/07/08(日) 22:41:59.85ID:XX825fYu0324人間七七四年
2012/07/08(日) 22:42:41.49ID:LQjSos2gでも金って結構重いんじゃ、と思ってさらに計算してみたが
1万両=375kg、
運搬にかかった人数から単純計算でそれぞれの重さは金8:銀4=金250kg:銀125kg
銀はもちろん金の方もウェイトリフティングの記録を下回ってるから人間の力で持ち上げる事は不可能じゃないという結果に
うむ、もやっと来るw
いかにも昔話って感じの話なのにw
0325人間七七四年
2012/07/08(日) 22:49:47.00ID:FNk8734A0327人間七七四年
2012/07/09(月) 12:58:20.16ID:pibxpgLD信長「わたし鬼武蔵がすき‥世界でいちばん偉大で高貴な生物だと思うの」
・・・いやすまん。夜勤明けで疲れてるんだ。
0328人間七七四年
2012/07/09(月) 14:01:00.81ID:v1qOjcae志村「殿、冥土からは出られませぬ」
0329人間七七四年
2012/07/09(月) 16:38:00.94ID:DmjvTnK5家康のネーミングって、名前を聞けばどういう功績があったのか
すぐ思い出せるように自分のために付けてるよな。
人名をそのまま付箋紙かメモ帳代わりにしてるのか?
でもまあ家臣も自分の功績が一生モノになるわけだから利害が一致してるか。
0330人間七七四年
2012/07/09(月) 22:05:32.93ID:TAGPVkyK0331人間七七四年
2012/07/09(月) 22:09:17.92ID:Um77HLya0333人間七七四年
2012/07/09(月) 23:09:52.25ID:eINvvjVNそういや吉宗にも似たような逸話があったが・・・
あっちは家来(小笠原政澄)が失敗して、結局吉宗自らが倒してたな。
ただ、実紀には「うった」としか書いてないから鉄砲で殴ったのか「撃った」のかわからんが。
0334人間七七四年
2012/07/09(月) 23:13:18.81ID:eINvvjVN0335人間七七四年
2012/07/09(月) 23:31:14.35ID:hLB8/V2D権現さまは褒めてくれないんだよねorz
0336人間七七四年
2012/07/10(火) 00:10:28.47ID:X6TuHtkM>>325
ていうか立川文庫の山中鹿之助読んだら十勇士達のネーミングしたのが
鹿之助本人だったぞ
0338人間七七四年
2012/07/10(火) 01:59:49.05ID:YWbNCk+l0339人間七七四年
2012/07/10(火) 10:18:58.84ID:qeH6Y9Xu0340人間七七四年
2012/07/10(火) 19:34:50.60ID:DF+IZ1eTまあ権現様がつけたから有名になっているだけで・・なのかもしれんが。
0341人間七七四年
2012/07/10(火) 21:06:50.64ID:FxyZ0zqO0342人間七七四年
2012/07/10(火) 21:11:41.66ID:y1u+vsqr一切の 其の味ひを分ぬれば 酒をば不死の薬とぞいふ
二くさ(憎さ)をも 忘れて人に近づくは 酒にましたる媒はなし
三宝の 慈悲より起こる酒なれば 猶も貴くおもひ飲むべし
四らず(知らず)して 上戸を笑ふ下戸はただ 酒酔よりもおかしかりけり
五戒まで 酒をきろふもいわれあり 酔狂するによりて械せり
六神の 罪をも咎も忘るるは 酒にましたる極楽はなし
七など(質など)を おきて飲むこそ無用なり 人のくれたる酒ないとひそ
八相の 慈悲より起こる酒なれば 酒にましたる徳方はなし
九れず(暮れず)して 上戸をわらふ下戸はただ 酒を惜しむか卑怯なりけり
十善の 王位も我も諸友に おもふも酒の威徳成りけり
百までも なかろふ我身いつもただ 酒呑てこそ楽をする人
千秋や 万歳などと祝ふとも 酒無き時は寂しかりけり
(幽斎公歌集)
0343人間七七四年
2012/07/10(火) 23:15:03.15ID:pjHhYEGa要は「酒大好き!!」ってことでおk?
0344人間七七四年
2012/07/10(火) 23:18:04.12ID:Bki0xL3h0345人間七七四年
2012/07/10(火) 23:34:40.23ID:5Q6gNBqq二月は豆まきで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
三月はひな祭りで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
四月は花見で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
五月は子供の日で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
六月は田植で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
七月は七夕で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
八月は暑いから酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
九月は台風で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
十月は運動会で酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
十一月は何でもないけど酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
十二月はドサクサで酒が飲めるぞ 酒が飲める 飲めるぞ 酒が飲めるぞ
を風流な人がやると>>342になんのか
0347人間七七四年
2012/07/11(水) 05:11:29.40ID:baCQLYPq0348人間七七四年
2012/07/11(水) 23:15:43.47ID:WNCAMhGOそして将軍の御座所の建設に取りかかるため、各家に人夫と世話役を出すよう命じた。
ある時、信長が御座所建設の現場を視察していると、ある一人の世話役が目に付いた。
皆その日の仕事を終えて急ぎ早に帰るのに、その者だけは一番最後まで残り材木の切れ端などを
すべて掃除してから退出するではないか。
気になった信長は翌朝早くに現場を訪れると例の世話役が誰よりも早く出仕してもう仕事の段取りをしていた。
それから信長は現場にくる度にこの者の行動を注視していたが何度見ても決してその真面目な態度を崩すことがなかった。
信長は「こやつできる!」とビビッときて、この者の主君である細川藤孝に是非にもと頼み込んでこの者を譲ってもらった。
信長は早速この者を小姓として召抱え、数々の戦場で指揮をさせた。
するとどうだろう、この者は人一倍勇猛果敢で、その智謀も他より抜きん出ていたため行く先々の戦場で
無数の武功を積み上げて行き、あっという間にその名を知らぬものはないほどに有名になってしまった。
信長はこの者が武功を上げる度に千貫、二千貫とどんどん加増したが、それでも役不足と思ったのか
とうとう近江国の滋賀郡六万石の要衝を与えるまでに至った。
そう、信長がこの時召抱えたこの者こそ誰あろう明智日向守光秀その人である。
0349人間七七四年
2012/07/12(木) 00:18:07.08ID:ncI7Vfx30350人間七七四年
2012/07/12(木) 00:21:13.63ID:OgQFiKT20351人間七七四年
2012/07/12(木) 00:37:33.83ID:YfobpMyD0352人間七七四年
2012/07/12(木) 01:44:49.42ID:Onhss/RH0355人間七七四年
2012/07/12(木) 18:51:33.01ID:nZbiMRnX0356人間七七四年
2012/07/12(木) 19:23:26.65ID:i+1WFOep0357人間七七四年
2012/07/12(木) 19:27:34.34ID:78torYHO0358人間七七四年
2012/07/12(木) 20:42:39.97ID:/ZhxeEYf少し述べたいと思います。彼については既に堺から長い通信を発送しましたが、それは彼を実際に見たり
詳しく知ったりする以前のことでした。
この尾張の王は年齢は37歳。長身痩躯、ヒゲは少し。声は甚だ高く非常に武技を好み、粗野です。
正義及び慈悲の業を好み、傲慢にして名誉を重んじ、決断を秘し戦術に巧みにして殆ど規律に復せず、
部下の進言に従うことは稀です。彼は書人から異常な畏敬を受けており、酒は飲まず、自ら奉ずること
極めて薄く、日本の王侯をことごとく軽蔑しており、下僚に対するように、肩の上からこれに語ります。
諸人は至上の君に対するように、これに服従しています。
彼は良き理解力と明晰な判断力を有し、神仏その他偶像を軽視し、異教(キリスト教意外の宗教)の一切の
占いを信じません。表向きの宗旨は法華教ですが、宇宙の創造なく霊魂の不滅もなく、死語は何も存在しない
という事を明確に言っています。
彼の事業は完全にして巧妙を極め、人と語る時には、常に紆余曲折となるのを憎みます。
どんな諸侯であっても、彼の前に出る時は帯剣することはありません。
彼は常に二千余りの騎馬の小姓を引率しています。
彼の父は、ただ尾張一国の領主でしたが、彼には大変な才覚があり、またその努力によって
ここ4年ほどで17・8ヶ国をその命令に服従させ、主要なる8ヶ国、すなわち都の所在地である
山城全国、及び近隣諸国は7.8日のうちに征服しました。』
ルイス・フロイスによる、有名な信長の解説である
(日本耶蘇会年報)
0359人間七七四年
2012/07/12(木) 21:45:40.36ID:eXGx44pq王て
0360人間七七四年
2012/07/12(木) 21:56:22.86ID:5vEol3xs尾張くらいの大きさならなら「領主」でいいと思う
0361人間七七四年
2012/07/12(木) 22:00:59.97ID:iAZeGcEf他のところが領主で信長さんとこだけ王とかなら何か意図があるのか考えちゃうけど〜
0362人間七七四年
2012/07/12(木) 22:03:12.34ID:ZhO/vJec0363人間七七四年
2012/07/12(木) 22:06:58.41ID:zMTV6EhK上総守のことだとしたら信長の周辺には親王任国を知らないやつが多かったとか
0364人間七七四年
2012/07/12(木) 22:07:08.19ID:1QwBNHVq皇帝の地位がビミョーな所込みで
0365人間七七四年
2012/07/12(木) 22:08:18.60ID:W4ZurSRMヒデヨンシ
ミツヒンデ
イエヤンス
0366人間七七四年
2012/07/12(木) 23:03:22.77ID:iAZeGcEfまぁ、そう取れなくもないからな〜
0368人間七七四年
2012/07/13(金) 01:51:49.26ID:hJX29DlV0369人間七七四年
2012/07/13(金) 09:02:28.12ID:4bf1DGSo真夏の炎天下に、当時75歳ながら信長の墓のある大徳寺まで参って焼香した男がひとり。
その男は、本能寺の直後から所領の丹後に信長の菩提樹を建立し、
その後も豊前、肥後と領地が替わるたびに菩提樹も移して、毎月忌日には精進を欠かさなかったという。
このクソ熱い夏に、三歳様の暖かいい話。
0370人間七七四年
2012/07/13(金) 11:59:15.08ID:sRqLyuc50371人間七七四年
2012/07/13(金) 13:00:39.60ID:BpbQITHP「植えた」で良い様に思いますね。
「植樹」ではどうも合わないし、「建立」に「木を植える」って意味を
探してみましたけど、詳しい人、どうでしょう?
0372人間七七四年
2012/07/13(金) 13:33:57.29ID:HGlidSbK0373人間七七四年
2012/07/13(金) 15:05:10.89ID:lu8jwE5kあと君、37人目な。
0374人間七七四年
2012/07/13(金) 17:07:21.01ID:vZ+OKWof0375人間七七四年
2012/07/13(金) 17:19:27.57ID:vZ+OKWof0376人間七七四年
2012/07/13(金) 18:32:07.34ID:A/gpt0mcそこは菩提樹の方が間違いじゃないか?
↓これを見ると信長の菩提寺というのも間違いのようだが。
http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/odakuyou.html
0377人間七七四年
2012/07/13(金) 19:26:15.93ID:BpbQITHPなるほど了解しました。
0378人間七七四年
2012/07/13(金) 19:32:18.78ID:7cYMMjhkこの話最近観たような…
0379人間七七四年
2012/07/13(金) 20:06:53.24ID:C78wCGh4「博打をやれ、虚言を言え。
一町歩くうちに七度虚言を言うくらいでないと男は立たぬぞ」
と言っていた。
昔は武勇のみを心がけていたから、
正直者では大働きが出来ぬと思い、このように言われたのだ。
身持ちの悪い者がいても、知らぬふりして許しておき、
「よいことをしたな」
と言っておられた。
相良求馬及真なども、盗みや密通した家来どもをそのまま許しておいて、
少しずつ侍らしくなるよう鍛えていった。
「そのくらいの者でないと、ものの用には立たない」
と言っていたとのことだ
0380人間七七四年
2012/07/13(金) 20:08:47.79ID:j0rPLlDY0381人間七七四年
2012/07/13(金) 20:25:32.16ID:C78wCGh4高木某が、近所の百姓三人と口論になり、田んぼの中で打ちのめされた。
ボロボロになり帰ってきた旦那を見た女房が、
妻「アナタ様は、人が必ず死ぬということをお忘れになられたようですね」
と嘆いた。高木が、
高木「いや、忘れてはおらぬ」
と言うと、
妻「人は誰しもいつかは死ぬものでございます。
病死、斬り死に、切腹、縛り首・・・色々死に様はありますが、
見苦しい死に様をなさっては無念にございます」
と言い捨て家を飛び出していった。
やがて戻ってくると、二人の子供をよく寝かせつけておき、
松明を作り、日が落ちると身ごしらえをして、
妻「様子を見てきましたところ、
なにやら三人は集まって相談事をしているようでございます。
ちょうどよい頃合い。さあ、おいでなさいませ」
と、夫を先に立たせ、松明を灯し、自身も脇差をさして、相手方へと踏み込んだ。
そして夫婦で斬り立て、二人を斬り倒し、残る一人には手傷を負わせ追い散らしたという。
高木某はその後、切腹をおおせつけられた
0384人間七七四年
2012/07/14(土) 00:44:24.47ID:JW9kSSsF文章は淡白だけど、
百姓にフルボコられてショゲて帰ってきた侍が、
奥さんに励まされて、武士の名誉刑である腹切で最後を飾るいい話だぞ
0385人間七七四年
2012/07/14(土) 00:51:48.89ID:86dQHOtO0386人間七七四年
2012/07/14(土) 01:17:44.40ID:RHgNsXw+0387人間七七四年
2012/07/14(土) 01:19:10.56ID:tPNOtMYB0388人間七七四年
2012/07/14(土) 01:21:05.77ID:CLucpikP0389人間七七四年
2012/07/14(土) 01:23:39.73ID:JW9kSSsFムチャしてなんとか形を取り繕うかの二択か・・・
皆さんならどうするよ?
0390人間七七四年
2012/07/14(土) 01:26:30.32ID:JW9kSSsFどの道、百姓斬り捨てたら処分されるんだからそれが正解だと思う
まあ、百姓と口論しなきゃよかったんだが・・・
色々あるんだろうね当時も
0391人間七七四年
2012/07/14(土) 01:55:19.29ID:IywwDwj5あと自藩の百姓斬り捨てても切腹とか普通無い。
0392人間七七四年
2012/07/14(土) 02:04:38.40ID:u5qum9bB0393人間七七四年
2012/07/14(土) 02:10:02.26ID:clULgAfH最初の口論のときにボコられるがままで刀も抜かずに帰ってきてる時点で
高木に非があると思われて一方的に処分されかねないんじゃないか
しかし当時の武士も多かれ少なかれトラブルは経験してそうなものだが
そのたびに相手やら自分の腹やら切ってたら命がいくつあっても足りなさそうだ
どの辺が相手を斬っていいラインなのかね
0394人間七七四年
2012/07/14(土) 02:38:22.16ID:+fs4nR+b今と変わらない・・・と言うと明らかに言いすぎだろうけど
どんな相手だろうと基本相手を切った時点でアウトで
なんやかんやで切腹になる印象
0395人間七七四年
2012/07/14(土) 06:41:24.95ID:u1g3oh1kこれ時期にもよるし藩主の考えにもよる
戦国期なら百姓町人を切っても事情があれば許されたし褒められもした
江戸期に入ると、刀を抜いただけで処分もありえた
(更に刀を抜いて相手を殺せなかった場合は武家の対面という意味でも処分された)
たしか商人に呼ばれて、相撲取りと相撲しろと強要された侍が相撲取りを切り捨てた話があったはず
この人は処分されておらず、切ったのはもっともな話ってオチだったはず
0396人間七七四年
2012/07/14(土) 08:53:33.38ID:kj++Woj/あとからやったんじゃただの報復殺人
0397人間七七四年
2012/07/14(土) 09:12:38.30ID:u1g3oh1k正当防衛というより自力救済権だな
正当防衛だと守ったモノと守った結果生じたモノのバランスが問われるけど
自力救済権はそういうのはない
0398人間七七四年
2012/07/14(土) 09:30:31.36ID:85NjoChL0400人間七七四年
2012/07/14(土) 11:21:44.73ID:SFJv28dI0401人間七七四年
2012/07/14(土) 11:45:00.28ID:nHgw/Cs/wikipediaの「切捨御免」に結構よく書かれてるから勉強するといいよ
0402人間七七四年
2012/07/14(土) 13:28:57.15ID:ebc2hUti酒によって絡んできた浪人を相手のなまくら刀で撲殺した尾張藩家臣が出奔する羽目になったって
話もあったよな、確か
0403人間七七四年
2012/07/14(土) 15:24:54.56ID:z3rz8M+M0404人間七七四年
2012/07/14(土) 20:08:02.75ID:XG61SEK/武士は体弱いとやばい。弱そうな武士に因縁つけて
金せびる奴とかもいた(´・ω・`)
0406人間七七四年
2012/07/14(土) 21:40:30.23ID:z3/RZvqbたちの悪い相手に絡まれた武士ってのは決断に苦悶するんだろうな
0409人間七七四年
2012/07/14(土) 23:00:28.99ID:z3/RZvqb武士の世界には本人そうしようもない理不尽なイベント多いよね
まあ発生率は無視できるほど低かったんだろうが
0410人間七七四年
2012/07/14(土) 23:43:45.84ID:6Dbj7CmE背中に刀傷があるって理由で牢に押し込めとかマジ理不尽
0411人間七七四年
2012/07/14(土) 23:48:47.30ID:kvHodi21我々はこのことを感謝し尽くしても尽くせません
そこでこのご好意についてはこの元就・隆元親子は言うに及ばず、例え御家が没落したとしても忘れず
長きにおいて粗末な扱いをすることは決して致しません
もしこのことに嘘偽りがあれば、梵天帝釈・四天王・総ての日本国中六十余州の大小の神々
中でも厳島両大明神・八幡大菩薩・天満大自在天の各ご神罰を受けることを誓います
天文二十年 九月 二十八日
隆元 御判
元就 御判
乃美弾正忠殿
小早川家相続について毛利元就・隆元が前主君のアフターケアを小早川家家臣の乃美景興に誓約した
毛利家の真摯度の高さが伺える起請文である。
これにより小早川家中をまとめ傘下に入れることに成功した毛利家はさらなる飛躍を遂げることとなる。
それにしても日本国中の神様に誓約するあたり物凄く神様が大好きな一家である。
0412人間七七四年
2012/07/14(土) 23:57:05.58ID:z3/RZvqb18の時に5歳くらいの嫁もらったんだっけ
0413人間七七四年
2012/07/15(日) 01:12:17.16ID:68CsjlVo隆景さんとこは結局それで跡継ぎができなかったわけだけど。
0414人間七七四年
2012/07/15(日) 01:15:42.13ID:p3aX0lDKどうも正妻との接し方について、元就は三兄弟に特異な教育をしてたんじゃないかとも思ったw
0415人間七七四年
2012/07/15(日) 01:34:29.58ID:Lo5S5Bcf0416人間七七四年
2012/07/15(日) 01:35:39.72ID:eIIROuzv0417人間七七四年
2012/07/15(日) 01:58:01.30ID:lwkwn9m20418人間七七四年
2012/07/15(日) 02:04:54.00ID:fV1xfvIX全部が全部きちんと資料を収集して丹念に調べた上で書いているとはとても思えないが
0419人間七七四年
2012/07/15(日) 02:06:17.34ID:HL7mypb+八幡の大和男て名前としては完璧だね
大津出身の元官僚って以外どういう人なのか知らないけど
0421人間七七四年
2012/07/15(日) 08:15:05.39ID:SmZeOzs0彼は永禄11年9月の下旬に、武田家よりの密命を帯びて甲州長延寺の実了和尚と共に
和解勧告のため越後を訪れた事のある僧である。
この法興和尚が越後に参侯したある時のこと。謙信は自ら大きな栗を和尚に与え
「この九里(栗)に一里を足して、十里にして食われよ。」と云った。
和尚はそれを受け取ると
「皮を剥いて、五里五里と?み割らせて頂きたい。」と答えた。
この和尚の当意即妙の才に、謙信も嘆賞したのだという。
(上杉謙信言行録)
0422人間七七四年
2012/07/15(日) 08:22:48.05ID:Pc/b83PT僧「稚児の尻(四里)はむり(六里)ですかな」
謙信「三里に灸をすえなされ、七里以内にいると斬りますぞ」
0423人間七七四年
2012/07/15(日) 08:26:44.81ID:fxVkWU3x0424人間七七四年
2012/07/15(日) 09:02:52.43ID:S8Uc4zAO0426人間七七四年
2012/07/15(日) 10:44:20.22ID:/h/pNf3s0428人間七七四年
2012/07/15(日) 12:49:06.54ID:iinS7Ung____
/⌒輝⌒\
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ 反面教師にして子孫残すことを図ったんだお!
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
0430人間七七四年
2012/07/15(日) 17:27:35.50ID:N0wCnUmP/ _ノ \ まだ足らなかったようだなjk
| ( ●)(●)
. | (__人__) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ /⌒l
| ` ⌒´ノ ――--、 \――――----------ノ /
. | } ・ \ ヽ /
. ヽ } 「 )))――――――――< __
ヽ ノ ・ / / \ / ̄ 輝⌒\
\ ----―´ /--------―――――ヽ ヽi; ノ (●) \
\_______/ ヽ丿 (●)_人__)⌒::l
、 ノ:⌒ヽrっヽ:゚/ ぐぇあ
ヽ__ `〜'
/ .|
/ |
/ |
0432人間七七四年
2012/07/16(月) 20:21:02.68ID:WjR39epN0433人間七七四年
2012/07/16(月) 20:30:18.36ID:wTaK/TWy0434人間七七四年
2012/07/16(月) 20:49:01.89ID:cR1B2K2U0435人間七七四年
2012/07/16(月) 21:08:35.88ID:WjR39epNブヒブヒ言いながら見てるんです
俺は戦国無双ちょっとやってから本家信長の野望やって
改めてこの辺の歴史に興味をもってここに来たクチだけど
0436人間七七四年
2012/07/16(月) 21:53:41.64ID:/z881tdx資料とかやたら詳しい人もいるし
0437人間七七四年
2012/07/16(月) 22:29:38.30ID:LIVgW9Mf0438人間七七四年
2012/07/16(月) 22:36:20.81ID:cR1B2K2U逸話とイメージのギャップに大概はびっくりするだろうなw
0439人間七七四年
2012/07/16(月) 22:59:01.82ID:CtWg44600440人間七七四年
2012/07/16(月) 23:10:58.89ID:WjR39epNされてないよな
0441人間七七四年
2012/07/16(月) 23:50:41.12ID:kx+wRB9Hそれに美少女化されたら多分ある程度マイルドになって腐れ外道じゃなくなっちゃうからねーえ。
腐れ外道やどっかイカレた横暴野郎辺りばかりを集めて美少女化したようなのは見てみたい気がする、どのくらい逸話取り入れるかでw
0442人間七七四年
2012/07/17(火) 02:34:09.98ID:rvJNeATx0444人間七七四年
2012/07/17(火) 11:42:38.58ID:BE3NvtjEそう思っていた
0445人間七七四年
2012/07/17(火) 13:25:25.09ID:qO0HOYjV史実とそんなに違ってなくて驚いた
0448人間七七四年
2012/07/17(火) 18:40:22.33ID:DiOFImt+0449人間七七四年
2012/07/17(火) 18:43:32.97ID:j4gFWR0m陰陽師みたいな雰囲気の大きなお姉さんが好みそうな絵柄の超イケメンじゃなかったか
0450人間七七四年
2012/07/17(火) 20:38:45.86ID:1SuYoxlV0451人間七七四年
2012/07/17(火) 22:09:45.33ID:8z2iOeN4中国語でプーチーアンでますますプーチンぽかったのに
0452人間七七四年
2012/07/17(火) 22:36:03.05ID:1SuYoxlV顕如さんが墨入れて毛皮羽織ってるのも描写として面白い
0453人間七七四年
2012/07/17(火) 23:30:16.62ID:EG++Q5pE0454人間七七四年
2012/07/18(水) 02:24:06.08ID:bdjR7Vzrその頃は一般教養レベルの歴史しか知らなかったもの
0455人間七七四年
2012/07/18(水) 19:56:29.46ID:+dPjCF5H戦国BASARAと戦国コレクションで軽く知る
↓
ここのまとめサイトを見て感心したり驚いたり
↓
戦国コレクションのカード解説文と見比べてニヤニヤしてる
ってのがここにいる。
元々歴史は好きな方だけどさ。
0456人間七七四年
2012/07/18(水) 19:59:30.28ID:kcoXtoKE0457人間七七四年
2012/07/18(水) 20:09:24.37ID:fWTAZxLP徳川家康が狩りをしている時、ちょうど重頼が農民に命じて田代を
かかせているのを見かけた。
家康は「戯れに奴の馬鍬を取り上げて鼻をあかしてやろう」と思いつき
御供に命じてすべての馬鍬を奪い取ってしまった。
ところが重頼はものともせずに、さらい(竹製の農具)を取り出して黙々と田代を
かき続けた。小高い所から様子を見て興じていた家康は「逸物の万年かな」と
言って重頼をその辺りの代官とし、子孫は代々遠州の代官となり、
江戸に移ってからは後家人となった。
0458人間七七四年
2012/07/18(水) 21:18:15.79ID:JlY5Gguo0459人間七七四年
2012/07/18(水) 22:17:15.01ID:SLPHHkBL0460人間七七四年
2012/07/18(水) 22:52:49.86ID:Yqpiy80x0461人間七七四年
2012/07/18(水) 22:56:25.49ID:JlY5Gguoたしかに(笑)
維新後の状況みても地主ほど美味しい思いしてるよな
0462人間七七四年
2012/07/19(木) 02:32:50.17ID:RdvG09fR0463人間七七四年
2012/07/19(木) 11:56:09.11ID:eleMkNfs馬鍬っていう農具のことなのね。
0464人間七七四年
2012/07/19(木) 19:09:44.51ID:ZiRg7sapそれを見たある大名が言うに、
「ふむ・・・この演者の組み合わせなら、『杜若』の曲の太鼓はオレがやろう。」
「!? だ、伊達殿、それは・・・」
プロの楽師を押しのけ、自分が一曲太鼓を叩くと言い出し楽屋裏に入り込んだ伊達政宗に、主催者は狼狽、
観客はみな(また伊達殿のなさることよ)と眉をひそめた。
ところが意外や意外。曲目が始まるや、政宗の太鼓は序・破・急の理にかなうばかりか、逆に楽師たちのほうが
政宗の拍子に誘われる形で、一曲を見事に奏でてのけた。演奏を終えて戻ってきた政宗を、門跡は絶賛した。
「いや、驚きましたぞ!伊達殿がこれほどの芸をお持ちとは・・・」
「フフン、今の『杜若』はもちろん、『獅子』『姥捨』などの秘曲であろうとも、その辺の楽師では
オレの片腕のバチさばきにも足りますまい。」自慢げに答えた政宗は、しかしタメ息をついた。
「・・・とは言え、オレの師匠は太鼓に限らず、数多の芸に通じると有名だったが、己が芸を一生自慢することの
無い人でした。こんなマネや放言をせねば、それと知られぬようでは、オレの太鼓も人柄も、まだまだ師匠の足元にも
及ばぬということでしょうな。」(関原軍記大成他より)
名ドラマー伊達政宗、その師匠の名を細川幽斎という。
0465人間七七四年
2012/07/19(木) 20:15:50.90ID:CO0UcwPx0466人間七七四年
2012/07/19(木) 20:31:58.89ID:v/MZOqfBなんかこう、プロデュース能力で売れたアーティストが実力派に対して抱く劣等感的な妙なリアリティがw
政宗の場合はただの神輿じゃなくてセルフプロデュースだからそれはそれで大したもんなんだが
案外繊細な所あるし審美眼は持ってるだけに、ふと我に返ってこんな心境になることもあったかもねえ
0467人間七七四年
2012/07/19(木) 20:36:31.92ID:FQYaFi2F三歳さんは嫁以外のことではブレない感じ
まぁ、嫁のことでもブレてはないけどね
0468人間七七四年
2012/07/19(木) 21:22:14.56ID:xvE5VkqM芸事で幽斎さん超えるとか頭の回転で官兵衛超えるとかは無理ゲー
むしろ政宗はそいつらを親に持ってなかったからそんな慨嘆で済んだ
0470人間七七四年
2012/07/20(金) 00:41:49.82ID:iayw3Lcq0471人間七七四年
2012/07/20(金) 00:43:41.65ID:Hg0l0HvR0472人間七七四年
2012/07/20(金) 00:48:06.65ID:Hg0l0HvRDQNのデパート 伊達政宗
0473人間七七四年
2012/07/20(金) 00:49:53.69ID:Hg0l0HvR0474人間七七四年
2012/07/20(金) 01:10:39.66ID:2yROda390475人間七七四年
2012/07/20(金) 01:19:03.64ID:Hg0l0HvR0476人間七七四年
2012/07/20(金) 01:20:33.46ID:Hg0l0HvR0477人間七七四年
2012/07/20(金) 01:29:51.75ID:gtPt/EJX0478人間七七四年
2012/07/20(金) 01:33:52.70ID:2yROda390479人間七七四年
2012/07/20(金) 01:56:23.39ID:Hg0l0HvR0480人間七七四年
2012/07/20(金) 02:07:39.59ID:13YGG14u食品売り場 伊達政宗
0481人間七七四年
2012/07/20(金) 03:23:00.78ID:FjElpIL3細川忠興の石垣感
小倉城主になった忠興は小倉城を築城するにあたり当時主流になりつつある打ち込みハギ(加工石使用)ではなく野面積み(自然石使用)を多用した。
理由は「石を加工するのは誰でもできるが、美しく大きい石を集めさせることは権力者にしかできない」から
利休七哲と言われるだけあって変なところに価値観を見出したらしい
0482人間七七四年
2012/07/20(金) 03:32:13.54ID:FjElpIL3さて小倉城築城のため石集めに励む忠興さん。
大谷で巨岩を見つけて家来に引かせていたのだが、あまりの重さに途中で動かなくなってしまった。
そこで忠興さん、いつも通りカッとなって責任者の首を刎ねる。
恐れをなした足軽衆は必死になって石を運び、無事小倉城まで運び込んだ。
その後、細川氏が熊本へ移ってから小倉城主となった小笠原氏の4代、小笠原忠総がこれを聞き
「俺なら動かなくなった時点で二つに割った。それなら死人が出なくて済んだものを」
と嘆いたという。これを2人の性格の違いを示すものとして「細川の大石、小笠原の割石」と呼ぶ。
その石は今も小倉城内、八坂神社の前に残っている。
0483人間七七四年
2012/07/20(金) 03:34:05.01ID:zQe/DhUw>「俺なら動かなくなった時点で二つに割った。それなら死人が出なくて済んだものを」
そういう問題じゃねーよwww
0484人間七七四年
2012/07/20(金) 03:37:48.10ID:2yROda39なら最初から割って運ばせろよw
とりあえず動かなくなるまで運ばせるって、計画性なさすぎだろwww
0485人間七七四年
2012/07/20(金) 03:41:32.68ID:FjElpIL3細川は石の大きさで見栄を張るというか、権力の象徴としてデカい石を運ばせた
小笠原はそこまで石の大小は気にせず、家臣の命の方を取る
とかそういう意味の逸話なんだろうと思う
0486人間七七四年
2012/07/20(金) 03:44:12.94ID:7lfB08jb早速ありがとう
しかし忠興公はぶれないなー
0487人間七七四年
2012/07/20(金) 06:14:26.98ID:HDcb1mc0動かなくなった時点で家臣を割りつつ直進行軍で町まで割った工場長、
どちらにせよ決してケツは割らんのだ
0488人間七七四年
2012/07/20(金) 07:32:25.47ID:sD9Cgwd+0489人間七七四年
2012/07/20(金) 16:18:41.56ID:1UvJ3oDg細川家に男はいないのか?
一人くらい返り討ちにしてやれよ。
0490人間七七四年
2012/07/20(金) 17:09:41.54ID:y76OiWPeのちに家康公は、旗本におとりたてになった。
あるとき、権平が細川殿のお屋敷へ招かれ馳走になった。
そのおり細川殿が、
「権平殿の武勇は日本中に響き渡っている。
これほどの武勇の士を小身で召しかかえておかれるのは至極残念。
さぞかし、お暮らし御不自由しておられるでしょう。
もし我が細川の家中となられたなら、領地の半分は差し上げてもよいものを」
とおおせになると、
権平は何も返事をしないで、座を立ち縁に出て正面に立ちはだかり、
庭へ小便しながら、
「貴殿の家中になると、ここから小便できなくなる」
と言ったそうである 【葉隠より】
細川家は当時から仕えるのに、堅いというか難しい、
という印象は持たれていたみたいですね
0491人間七七四年
2012/07/20(金) 17:31:18.79ID:FGXS0tgB0492人間七七四年
2012/07/20(金) 17:46:35.16ID:92f8CM4Cそこはそんなに小便したくなる場所なのか?
0493人間七七四年
2012/07/20(金) 17:53:16.77ID:L+VSPN0fってことなんだろうけど気骨と礼儀を秤にかけるとかけるとどうなんだろね
0494人間七七四年
2012/07/20(金) 18:03:45.45ID:y76OiWPe権現様が人質の身でありながら今川家の庭で小便した前例がありますw
おそらく平野さんがその故事にならって意志を伝えた、
達人が即興で作る歌のような風流なエピソード
0495人間七七四年
2012/07/20(金) 18:34:01.99ID:iayw3Lcq0496人間七七四年
2012/07/20(金) 19:17:33.52ID:iu1KjriB0497人間七七四年
2012/07/20(金) 19:25:32.53ID:teG7bH2w0498人間七七四年
2012/07/20(金) 21:10:50.84ID:9CqAGcob0499人間七七四年
2012/07/20(金) 22:01:14.21ID:L+VSPN0f0500人間七七四年
2012/07/20(金) 22:24:26.88ID:1w6T348t0501人間七七四年
2012/07/21(土) 00:21:08.26ID:mD428EP+0502人間七七四年
2012/07/21(土) 00:26:20.97ID:cYKIMDRl文章が下手すぎるけど小倉市の見解が面白いからあえて看板内容そのまま転載
(小倉城と)津山城との関わり
当時の津山城築城に関しては、面白い逸話が残されています。
森忠政が慶長8年に美作津山へ入封し、12年の歳月をかけて平山城を完成させた。
津山城築城に際して、小倉城の縄張りに倣った。
忠政は家臣の保田惣右衛門らを密かに小倉へ遣り、密かに小倉城の城郭図を移そうとしたところ、それがばれてしまった。
しかし度量の大きい小倉城主細川忠興は以外にも城郭図を貸し与えたばかりか、城の完成にあたっては朝顔の半鐘と呼ばれる鐘を送った。
この話から、細川忠興が心の広い人物だった事が窺えます。
以上、小倉城天守閣内資料館の看板より、原文ママ。「贈る」が「送る」になってるのもママ。
設置者は確認できなかったけど、区役所か市教委あたりかと
0503人間七七四年
2012/07/21(土) 00:31:02.94ID:p4GgiwN10504人間七七四年
2012/07/21(土) 01:11:06.56ID:MziHLxEhこの話は前に出てる。細川忠興の5番目に。
871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 12:19:51 ID:kGf0eiUT
森忠政と細川忠興と言えば、小倉城の図面事件もいい話だな
874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 14:41:08 ID:0kJ/dWNR
>>871
どんなの?
876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 17:05:30 ID:g9utkbeq
>>874
忠興「こないだオレ、マイホーム(小倉城)建ててさ、それが…」
忠政「…この手の話ってやたら細かい上に長くてウザイよな」
あまり忠興が吹くのでくやしくなった忠政、家臣の薮田助太夫らに大工をつけて
小倉に派遣し、城の縄張りの絵図面を取らせた(平たく言えばスパイ)。
ところがこの一行、自分たちがヤバイ事をしている自覚はあったのか、
小倉沖で海上生活を送ったのは良いが、灯火が漏れてバレ、小倉城内に連行された。
一行の自白はたちまち城主に伝わったが、忠興は友人のオイタを笑って許したばかりか
本物の絵図面を土産に一行を解放してやった。
後に忠政がその図面を参考に居城・津山城を築いたとき、忠興は祝い品として
秘蔵の南蛮製の鐘を送り、鐘は津山城天守で長く時を告げたという。
↓ちゃーんと細川の九曜紋が入ってる
ttp://www.city.tsuyama.okayama.jp/chikujo400/history/chikujyo/index.html
0505人間七七四年
2012/07/21(土) 01:13:22.27ID:MziHLxEhhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-395.html
0506人間七七四年
2012/07/21(土) 01:19:05.30ID:UOXdqfaFttp://nakatake05.blogcoara.jp/photos/uncategorized/2012/05/12/img_4936.jpg
0507人間七七四年
2012/07/21(土) 01:22:40.11ID:MziHLxEhこの話も前にあった。
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ : (品の)悪いいい話 3/3、平野長泰と細川忠興
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1736.html
0508人間七七四年
2012/07/21(土) 01:24:26.07ID:WDdw/f5L0509人間七七四年
2012/07/21(土) 01:28:33.01ID:MziHLxEh0510人間七七四年
2012/07/21(土) 01:45:08.35ID:mD428EP+0511人間七七四年
2012/07/21(土) 01:53:46.22ID:cYKIMDRlざっと確かめたつもりだったけどさすがに三斎さんは多いからな
0512人間七七四年
2012/07/21(土) 04:00:40.06ID:MziHLxEh俺は四天王の話をたまに読み返すから気が付いたけど。
0513人間七七四年
2012/07/21(土) 08:34:00.98ID:U/bKkmPx0514人間七七四年
2012/07/21(土) 10:32:36.22ID:dHlN6gEoしかし逸話が飽和してきたせいか、結構かぶってきたな
ここに投下された逸話のうち、近頃かぶった割合と、まとめブログの逸話の総数を使えば
統計学的手法で戦国時代の逸話のおおよその総数がわかるのではないか
0515人間七七四年
2012/07/21(土) 14:40:36.77ID:/96g64qx0516人間七七四年
2012/07/21(土) 14:47:14.65ID:VclUP4Rl0517人間七七四年
2012/07/21(土) 14:55:33.12ID:ijSPW+5s西軍との戦いを決意し、籠城の準備を進めていた。
と、その頃宇治の茶師に上林竹庵(政重)というものがいた。
この竹庵が籠城の準備をしている伏見城にやってきて言った
「それがしこの数年来、内府様(家康)に御恩を被り奉りました。であれば、この度私もこちらに、籠城いたします!」
これには鳥居元忠も驚き、彼を説得した
「確かに其の方はかねてから当家のお茶の御用を承り、少しの知行を頂いておる。
だがそれは他の者を超えるほどの御恩というわけでは無いではないか。
そうであるのに今回ここで討ち死にすれば、其の方自身は無用なことをしたものだと言われ、また我々は、城中
無勢であるのに困って商売人までかき集めた、などと言われてしまうだろう。そうなってはお互い面目もないではないか。
とにかくそれは止めるのだ。」
そう、言葉を尽くして諦めるよう言ったが、竹庵はまるで納得せず、
「鳥居様の言うことはたしかに道理です。であれば強いてそれに反論しようとも思いません。
だからといって、先に言った一言を無かった事にして再び宇治に帰ってしまっては、それは私という男の恥でございます!
いたしかたない!ここで切腹いたす!!」
そう、顔色を変えて言い放ったので、流石の鳥居元忠も致し方なく、彼が城中にとどまることを許可した。
元忠は竹庵を太鼓丸の守備に当てた。竹庵は喜び、茶袋を集めて自分の指物にしたという。
そして8月1日、西軍の大軍勢に10日以上も持ちこたえた伏見城も、ついに落城の時を迎えた。
竹庵は兜の代わりに赤い鉢巻を着け、太鼓丸に攻め込んだ鍋島勢に一騎、突撃し、
そこで見事に討ち死にをした。
彼の首をとったのは、鈴木善八と言う者であったという。
伏見城で散った、一人の茶師についての逸話である
(関原軍記大成など)
0518小松山合戦の関東武者1
2012/07/21(土) 15:15:00.67ID:PJw4IN28遅れて到着した豊臣方の後藤基次の軍は小松山奪還のため攻めてきた。
猛将の基次の攻撃に耐えかねて徳川軍は退却したが、徳川方の奥田三郎右衛門のみは
悔しがって「彼も人 我も人なり、恐れるに足らず」と手勢を率いて突進した。
0519人間七七四年
2012/07/21(土) 15:15:40.74ID:k3vcaVJNそれにしても、宇治の人が三河武士のような性格になっている…
0520小松山合戦の関東武者2
2012/07/21(土) 15:21:08.91ID:PJw4IN28「撃て、鉄砲で打ち取れ」と鉄砲隊に一斉射撃させた。全身蜂の巣にされながらも
三郎右衛門は突進をやめなかった。これを見た徳川方は奮い立ち、「関東武者の意地を見せよ、
三郎を見殺しにするな」と後に続き、ついに基次の部隊は退却した。三郎は後を追おうと
したが倒れた。三郎の命はとっくに尽きていたのだ。
0521人間七七四年
2012/07/21(土) 15:51:35.71ID:qjCO7XlM0522人間七七四年
2012/07/21(土) 15:56:13.42ID:xokxdCNh0524人間七七四年
2012/07/21(土) 20:25:39.47ID:W2hkamTP0525人間七七四年
2012/07/21(土) 20:26:37.51ID:ijSPW+5s上林竹庵(政重)が経営する宇治の茶の生産地に、彼の招きに応じて千利休が訪問したことがあった。
利休の訪問に竹庵は大喜びし、自ら手前を立て接待したのだが、喜びの余り手先が震え、茶筅を倒してしまうという
失態を犯してしまった。
ところが利休は茶を喫した後、竹庵に 「日本一のお点前でした」 と、褒めた。
この事を不思議に思った、同席していた利休の門弟が、後でそのわけを聞くと、利休はこう答えた
「竹庵は私に手前を見せようとして招いたのではなく、ただ茶を飲んでもらおうとしただけである。
彼は、湯の冷めないうちにと一心に茶を立てていた。私はその心を褒めたのだ。」
千利休、上林竹庵の茶を褒める、というお話。
0526人間七七四年
2012/07/21(土) 22:18:55.89ID:yLabZzva0527人間七七四年
2012/07/21(土) 22:21:17.30ID:J2/QgrC60528人間七七四年
2012/07/21(土) 23:24:16.76ID:mD428EP+0529人間七七四年
2012/07/21(土) 23:33:31.13ID:MziHLxEhhttp://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/taian02.htm
0530人間七七四年
2012/07/22(日) 00:21:17.76ID:gNqDECaR0531人間七七四年
2012/07/22(日) 01:22:36.06ID:GWX0pATe敢闘賞に終わった竹庵の残念だった話
0532人間七七四年
2012/07/22(日) 01:29:24.33ID:ptyhgdzq0533人間七七四年
2012/07/22(日) 07:31:10.89ID:wwzD/tDe0534人間七七四年
2012/07/22(日) 07:43:20.76ID:/o+p1fpm0535人間七七四年
2012/07/22(日) 08:12:26.60ID:pTzDPTSg0536人間七七四年
2012/07/22(日) 08:57:34.54ID:NRG+DqRI0537人間七七四年
2012/07/22(日) 11:29:22.98ID:NW+GgggY客の来訪を喜んで一生懸命に茶を立ててくれる方が
後者の方が下手でも飲もうという気分にはなるね
0538人間七七四年
2012/07/22(日) 12:00:16.14ID:0gyyQntj0539人間七七四年
2012/07/22(日) 13:30:48.13ID:xNGl9GzNこの時代きっての文化人の方々も
癇癪起こして家臣を切ったり、文化財を平気でクラッシュしたり
他人の茶器すら盗んだり等々基本荒大名ばかりですからなw
竹庵さんは前の逸話と合わせても一本気な好漢でござるな
0540人間七七四年
2012/07/22(日) 14:39:22.04ID:xhLTZA020541人間七七四年
2012/07/22(日) 14:55:32.32ID:pm1metR10543人間七七四年
2012/07/22(日) 15:31:28.69ID:+AWEQHK50544人間七七四年
2012/07/22(日) 15:33:32.77ID:8WIJwihP呑むばかりなり 本を知るべし
千利休
0545人間七七四年
2012/07/22(日) 15:48:42.09ID:C++YEqWQ0546人間七七四年
2012/07/22(日) 19:53:31.75ID:FUJq/t4F慶長8年、御書院番頭、立花左近将監宗茂が5000石の加増を受け棚倉1万石に入部した。
城番より赤館城を引き継いだ宗茂は、城を一渡り検分すると若干の者を城番として残し、
麓の代官屋敷に入った。
その後、宗茂は、米の年貢を減免すると共に木材を年貢として徴収するなど、米の取れにくい
現地の実情と江戸城の大拡張と江戸城下の発展に伴う木材需要の増大を見込んだ政策を行い、
少しでも藩の財政を潤そうと努めた。領民にとっても米を年貢として搾り取られるより、日々の生活
で使う木材が年貢の代わりになるというのは思いもかけない話であり、新領主に対して安堵の思いを抱いた。
棚倉で1年を過ごした宗茂が、江戸に登ると棚倉藩の施政の評判が良いことを快く思わない三河者の某が
江戸城中で宗茂を詰問した。
「左近将監殿は、赤館の城に城番を置くのみで在城されないとのこと、津軽、南部の反目や上杉や伊達の
動きなど、奥州の世情が不安の折り、大樹様のご意向をどうお考えかか?ご存念をお伺いしたい」
「大御所様が大樹様に江戸をお譲りになってより、世はますます平穏となり蒲生様が会津に入り、厩橋に
榊原様が入られたことを考えれば、其れがし如き、小身が赤館に詰める意味はござらん」
「なんと申された!城を大樹様からお預かりする事をなんと考えられるのか!」
「赤館は押し出しの城にて詰の城ではござらん。思うに太樹様は、奥州に事あるときには、佐竹殿の前例に
基づき、水戸より大兵を赤館に送られ、会津の後詰を行われるはず。その折、速やかに城を明け渡すために
城番を置くだけにしたのでござる。我らは、代官所より電光のごとく発して会津への道を守るのが勤めと心得ており申す」
0547人間七七四年
2012/07/22(日) 19:55:57.77ID:FUJq/t4F宗茂の話は、某の口から瞬く間に江戸城中の大名の間に広がり、心得違いと難ずる者あり、
さすが西国無双と呼ばれただけはあると感心する者ありの有様になり、ついには忠義顔で
大御所家康に注進する者さえあった。
そんなある日、江戸より駿府に来た本多佐渡守が幕府の庶政について、ひと通り報告を終えると
家康が口を開いた。
「佐渡、それだけか?」
「最後に、この度の左近将監の働きにより上杉、伊達も静まり、蒲生の脊骨にも芯が通り申した。
この功を賞し、太樹様より、来年には左近将監に1万5500石を加増するとのことを大御所様に
言上せよとのことでございます」
「ふむ、大樹も左近将監の使い所を心得たようだの。加増の件、大樹の意のままにせよ」
そう言うと家康は、本多佐渡を下がらせた。
わずか一言で奥州に睨みを効かせた宗茂のちょっと良い話。
0548人間七七四年
2012/07/22(日) 20:06:48.94ID:pTzDPTSg0549人間七七四年
2012/07/22(日) 20:27:10.16ID:D36IGPfXわが主君が一番偉い、あとは雑魚って感覚で行動してる。
いわゆる徳川中華思想だ。
上層部が人間できててまともなのが救い。
0550人間七七四年
2012/07/22(日) 20:31:05.51ID:Sv8EYo6C0551人間七七四年
2012/07/22(日) 20:51:14.73ID:bPehA7+Z0552人間七七四年
2012/07/22(日) 20:53:49.72ID:9nK253+40553人間七七四年
2012/07/22(日) 20:59:28.00ID:7XCPUeURhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6450.html
「我が立花家には、三箇条の掟がござる。それに照らしあわせて処断したまでのこと」
「して、その三箇条とは!」
「国法に背き、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶものは斬、国法に背き、節義に欠けるものは切腹、
国法に背くものは放し討ちと決まっております。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6379.html
「当家にて、武士の風上におけぬとは、国法を破り、節義に欠け、表裏比興の振る舞いに及ぶ者のこと。
元ネタの本が同じなのか、それか立花家?の家訓が有名だったのか
三つとも一致してるな
0554人間七七四年
2012/07/22(日) 21:09:26.33ID:GWX0pATe小説から抜き出してる人もたまにいるんじゃないかな
0555人間七七四年
2012/07/22(日) 21:11:33.87ID:V2m2g6AR棚倉には宗茂が代官屋敷の草庵で茶会を催す際に、自ら屋敷付近の
桜木の下から湧き出る清水を汲みに出かけて客人をもてなしていたため、
その清水が桜清水と呼ばれるようになったって話もあるな。
0556人間七七四年
2012/07/22(日) 21:19:42.03ID:JrjtXvvt別に明記しなくてもいいんじゃない?
どっかで見たり聞いたりしたけど出典は忘れたっていう人もいるだろうし
0557人間七七四年
2012/07/22(日) 21:25:44.92ID:8WIJwihPホントに絵に描いたような理想の侍だよな。
ただ、古今東西の天下人に必要だと思われる強烈なコンプレックスがなさそう
0559人間七七四年
2012/07/22(日) 21:42:29.88ID:iYjPe3h0小説どころか他の逸話を家康版に改変してやったぜと堂々公言する人もいたりする。
まあそのへんは各自で判断してくださいってこと。
0560人間七七四年
2012/07/22(日) 21:51:40.81ID:m/b7Hi1D実父:島津義弘
祖父:島津貴久
祖父2:園田実明(貴久の忠臣)
叔父:島津義久ら優秀な人たち
DQNになる要素が・・・あれ?
0562人間七七四年
2012/07/22(日) 22:17:07.91ID:0gyyQntj(悪)の人は、戦場での指揮官としてはどうだったのかね?
0563人間七七四年
2012/07/22(日) 22:18:59.28ID:pTzDPTSg0564人間七七四年
2012/07/23(月) 00:14:38.54ID:+sKn9grY長男:高増
次男:資孝
三男:綱清
まぁ仕方あるまい
0566人間七七四年
2012/07/23(月) 00:44:50.11ID:TQBg7kCZいや、何でも無い
0567人間七七四年
2012/07/23(月) 00:53:35.60ID:N30iMXxQ0568人間七七四年
2012/07/23(月) 00:56:23.51ID:nGWEP6nZ養父:豊臣秀吉
従兄弟:坂崎直盛
秀家さん、まっすぐ育ち過ぎじゃね?
0569人間七七四年
2012/07/23(月) 01:35:48.60ID:9E24BlGw0570人間七七四年
2012/07/23(月) 02:13:08.17ID:s2FTi/pD0571人間七七四年
2012/07/23(月) 04:52:19.21ID:jHFm9IJN父:隆元
子:輝元
どうしてこうなった
0572人間七七四年
2012/07/23(月) 05:56:09.39ID:zplBjgZc0574人間七七四年
2012/07/23(月) 10:07:50.98ID:kRTDyVmi直家がもう少し長生きしてたら直家から謀略の指南受けてすごい武将になったのにな
天下も取れたかもしれんよ直家のような人物なら秀吉は相当警戒しただろうけどw
0575人間七七四年
2012/07/23(月) 10:23:08.27ID:s4fhGLHD0577人間七七四年
2012/07/23(月) 12:49:09.90ID:uPft2gzv・・・志村さんは抑え役だけど小十郎さんはむしろ煽ってそうだしw
0578人間七七四年
2012/07/23(月) 15:26:59.30ID:9E24BlGwDQNじゃないけど。
0580人間七七四年
2012/07/23(月) 21:00:54.39ID:s4fhGLHDそれが天下を取るってことなんだろうけど。
0581人間七七四年
2012/07/23(月) 21:44:58.26ID:h0Jx8QpT0582人間七七四年
2012/07/24(火) 16:25:49.16ID:Chx9nd01ある時、連歌師の里村紹巴が、他人より常に優れようとする病を持っていると見て取って、
「人というものは心より、形、言葉に至るまで全てへりくだるべきものであるぞ。
お主は能くその心に立ち返らねばならない。」
と、懇ろに教訓した。
またある時、蒲生氏郷がこ幽斎に出会ってこんな事を言った
「貴殿は芸能の誉れがあるためか、あなたの武功について語る人は少ないですね。
であれば、武士にとって多芸に長ずるというのは要らざることではありませんか?」
これを聞いた幽斎、うち笑って
「私は確かに芸を嗜みますが、みな口すさび手遊びばかりで、しかも他人より優れたものなどありません。
いわんや武士としての働きにおいては、一体誰が私に劣るでしょうか?」
そう、返事をしたそうだ。これは、この場面を側にいて聞いた人の物語ったものである。
(関原軍記大成)
氏郷への返事、いかにも京都人らしい、真綿に棘がしっかり入っている言葉ですねw
そんな幽斎様の人格についてのお話
0583人間七七四年
2012/07/24(火) 17:14:25.44ID:IbZESrud0584人間七七四年
2012/07/24(火) 17:16:32.10ID:ZhMUpG1o0585人間七七四年
2012/07/24(火) 17:56:12.38ID:aMTTgEaO0586人間七七四年
2012/07/24(火) 18:03:39.86ID:+1NTIAmg有力者に可愛がられて育ってきたエリートの世間知らずのようなものを感じるな。
0588人間七七四年
2012/07/24(火) 19:09:24.97ID:gthLpY0hいやいや、説教なんてヒトコトも言ってないだろ?
文字通りものすごくへりくだってるだけで。
これはへりくだるというのがどれだけ恐ろしい技術かを言ってるんだよw
0589人間七七四年
2012/07/24(火) 19:22:57.54ID:+siyYB5f前者の逸話のこといってるんですけど・・・。
まあ後者の逸話も言葉でへりくだっても心が全くへりくだってないので台無しっす。
0590人間七七四年
2012/07/24(火) 19:32:58.06ID:gthLpY0hああ、そのへんは、里村紹巴は同じ京都の古くからの教養人仲間という”ミウチ”で、
蒲生氏郷はミウチではない、という部分を感じないとわかりにくいかもしれないな。
ミウチにはちゃんと本音を言うのさw
0591人間七七四年
2012/07/24(火) 19:38:59.19ID:GW9DHHV30593人間七七四年
2012/07/24(火) 21:22:05.01ID:+Hk6Ulcz0594人間七七四年
2012/07/24(火) 22:24:58.52ID:cK+S3Ghl0595人間七七四年
2012/07/24(火) 22:31:17.50ID:i8gfB5xJただ感情の振幅が大きすぎるだけで
0596人間七七四年
2012/07/25(水) 00:37:13.42ID:fw9TA9L3ときに、ある刀鍛冶が金沢にやってきて評判になりました。
その鍛える刀は鉄石といえども泥のごとく両断せりと、言われたそうです。
ある人いわく「子の矛をもって、子の盾を突かば、いかに」
違うよ! 韓非子は『矛盾』の話じゃありません。
でも結局は似たようなことがあったんでしょう。甲冑師と刀鍛冶は互いに意識し、やがて公然とした不仲になりました。
さて、噂を聞いた加賀公…3代目前田利常ということですが…
( @π@)y─┛~~「「余が裁定してつかわす」
金沢城にて、両名のわざのほど、その対決を披露することになりました。
甲冑師、台の上に最高の出来の兜をすえ、刀鍛冶は同じく最高の出来の刀をもってそれに臨みます。
刀(;`д´)「ぬぅぅぅぅぅ……」
大上段に構え、一撃に全てを叩きつける思いで、気迫を込めてゆく刀鍛冶。
冑( ;゚Д゚)。。。(すげえ気迫だ。これは…負ける?)
刀(;;`д´)「てぇぇー」
冑( ;゚Д゚)「あいや! 兜が曲がっており申す。すえなおすので暫時お待ちを!」
刀(;;`д´)「えっ…?」
一時中断…兜をすえなおして…
刀( `д´)「てやー!」 ペチーン
渾身の気迫を削がれた刀鍛冶、とても兜を割ることはできず、弾かれてしまいました。
刀( `д´)「ふ、不覚…………ンヤーッ!」
憤りのままに、もう一度振り下ろした刀は、なんと、たまたまそばにあった青銅の大水盤を真っ二つに切り裂いてしまいました。
( @π@)y─┛~~「うむ。両名とも、見事である」
戦い暮れて…
冑( ゚Д゚)「戦いには勝ったが・・・勝負には負けた!」
甲冑師はその夜逐電してしまったそうです。
やがて甲冑師は刀鍛冶に転身、修行を積みなおし、近江は長曽根村で
その名を後世に伝えることになる長曽根虎徹として再登場したということです。
0597人間七七四年
2012/07/25(水) 01:07:25.43ID:dsY+zEn40598人間七七四年
2012/07/25(水) 01:09:13.49ID:2QVKN4HU0599人間七七四年
2012/07/25(水) 01:28:10.73ID:iQB5lcnJ0600人間七七四年
2012/07/25(水) 04:13:51.97ID:8GRbEXv0五月人形やフィギュア制作なんかでは生活に困るんだろうな
0601人間七七四年
2012/07/25(水) 05:36:31.34ID:dytNYmpf0602人間七七四年
2012/07/25(水) 07:40:39.84ID:v3ikj57y0603人間七七四年
2012/07/25(水) 11:14:19.47ID:Sk8GYf3pある日、勝重の近所で火事があり、焼け跡から一人の男の遺体が発見された。遺体はその家の住人のもので
官憲は火の不始末から火事を起こし、逃げ遅れたものと判断したが、勝重だけは「これは殺された後に
犯人が火をつけた」と主張した。(続く)
0604人間七七四年
2012/07/25(水) 11:17:07.98ID:Sk8GYf3p官憲がその理由を訊くと「生きている間に火事にあったのならば呼吸で鼻の中に煤が溜まっているはずだが全然ない。
殺された後に火をつけられたとしか考えられない」と勝重は答えた。
ほどなくして犯人が捕まり、勝重の推理どおりだったのが明らかになったので皆、その知恵に舌を巻いた。
0606人間七七四年
2012/07/25(水) 11:52:47.09ID:fpYmWtwa0607人間七七四年
2012/07/25(水) 11:56:48.90ID:8GRbEXv00608人間七七四年
2012/07/25(水) 12:03:44.61ID:x9Qp4SZD0609人間七七四年
2012/07/25(水) 12:19:40.91ID:S5hYxbOw官憲A「あーこれは火の不始末だね〜(たりーし手続き終えてさっさと一杯引っかけようや)」
官憲B「左様に相違ござらんな(しからばついでに茶屋じでも…ムフフ)」
勝重「だがちょっと待って欲しい
官憲AB「」
0610人間七七四年
2012/07/25(水) 12:38:05.77ID:Sk8GYf3pいつのまにか検死がうまくなってしまったそうだ。
0611人間七七四年
2012/07/25(水) 14:12:52.13ID:wg5p9qWP0612人間七七四年
2012/07/25(水) 15:34:19.45ID:ftSbaHiOとかく悪い話は少ないし
0613人間七七四年
2012/07/25(水) 16:45:44.59ID:rVKlpCgQ0614人間七七四年
2012/07/25(水) 16:50:10.03ID:8GRbEXv0豊臣家の不利になる情報を嗅ぎまわって大坂の陣を引き起こしたって事か
0615人間七七四年
2012/07/25(水) 16:51:53.44ID:F9+hV9Hu0616人間七七四年
2012/07/25(水) 16:52:10.69ID:CL8G2Bac元ネタは中国の公案(政談)だそうな
うろ覚えだが、豚を二頭、殺したのと生きたのとを小屋の中に入れて
それを焼いた後、鼻と口の周辺に煤がついているか調べたんだと
0617人間七七四年
2012/07/25(水) 17:06:56.26ID:Cn0qOEjH0618人間七七四年
2012/07/25(水) 17:59:43.12ID:txriBbjn0619人間七七四年
2012/07/25(水) 18:35:51.78ID:x9Qp4SZD中近世だと、中国は法医学が世界的に見ても進んでいたからな。
検死マニュアル「洗冤集録」が書かれたのは南宋(1247年)だったか。
0620人間七七四年
2012/07/25(水) 18:52:46.32ID:Ynb3pVaw立派な家や、住民の富んだ様子を見てとった。
「これは一体どうしたことだ。何故このように豊かなのだ」と地元の人に問うと、
「このあたりは土地が悪く、昔は雑穀さえ実らないほどの有様でしたが、
浅野弾正少弼殿(長政)が当国を治められた時、
『この地は耕作を止め、栗の実を育てて林にすれば利益が出る』と仰せられ、
その通りにしたところ、やがて樹林となりました。
そうして栗の実を食用に、木を材木として江戸に送るようになり、今ではこんなに
豊かになりました。まことに弾正殿はすばらしい仁者です」とのことだった。
0621人間七七四年
2012/07/25(水) 19:51:34.49ID:2RrZYhBW0622人間七七四年
2012/07/25(水) 20:10:55.91ID:/IrlmrJ4みんな武骨だったってことかなぁ・・。まあ豪族の領土だったのか。
0623人間七七四年
2012/07/25(水) 20:17:30.68ID:I1TaP2FN大きな要因はこの2つが生まれたことではなかろうか
0624人間七七四年
2012/07/25(水) 20:23:31.68ID:ck3bn+84「焼殺の実験」に
三国時代の呉の張挙の話として、妻が夫を殺した後、放火したのを実証するため、
生きた豚と死んだ豚を薪を積んで焼かせて
灰が口にあるか調べた、とある。
板倉勝重のwikiにも「棠陰比事」の影響をおそらく受けて、
彼を主人公とする政談ができた、とあるし
0625人間七七四年
2012/07/25(水) 20:29:41.09ID:HfGO6pVp0626人間七七四年
2012/07/25(水) 21:27:16.99ID:mnToEhOc0627人間七七四年
2012/07/25(水) 21:30:52.29ID:zT7VHnbA>優れた手腕と柔軟な判断で多くの事件、訴訟を裁定し、敗訴した者すら納得させるほどの理に適った
>妥当な裁きを見せ、大岡忠相が登場するまでは、名奉行と言えば誰もが板倉勝重を連想した
>勝重とその子重宗は奉行として善政を敷き、評価が高かった。
>勝重、重宗の裁定や逸話は『板倉政要』という判例集となって後世に伝わった。
>その中には後の名奉行大岡忠相の事績を称えた『大岡政談』に翻案されたものもある。
>三方一両損の逸話はその代表とされる。
>また、板倉政要も、中国の『棠院比事』『包公案』などから翻案された話が混入して出来上がっている。
名奉行の起源は板倉勝重、てのもあながち間違っていない気がするが
0628人間七七四年
2012/07/25(水) 21:53:15.68ID:+Z9wKWJX0629人間七七四年
2012/07/25(水) 21:54:08.04ID:Iy/DHkhq0630人間七七四年
2012/07/25(水) 22:31:49.16ID:8GRbEXv0仮想敵国の豊臣や牢人たちの粗探しをして
ポイント稼ぎしようとしていた他の同僚よりも
板倉は多少マシだったということかもね
0631人間七七四年
2012/07/25(水) 22:36:43.70ID:dsY+zEn40632人間七七四年
2012/07/25(水) 22:54:30.51ID:MhYrI14e0633人間七七四年
2012/07/25(水) 23:00:21.86ID:dsY+zEn40634人間七七四年
2012/07/25(水) 23:08:23.80ID:fpYmWtwa0635人間七七四年
2012/07/25(水) 23:13:57.93ID:dsY+zEn4絡むな死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
死ね
オマエの家族も死ね
0636人間七七四年
2012/07/25(水) 23:15:32.87ID:dsY+zEn4関係ないのに口出したオマエの罪として
関係のないオマエの家族が死ねばいい
0637人間七七四年
2012/07/25(水) 23:17:31.58ID:dsY+zEn4↓通常通り再開
0638人間七七四年
2012/07/25(水) 23:24:01.99ID:fw9TA9L30639人間七七四年
2012/07/25(水) 23:33:23.48ID:MhYrI14e兼山のは20歳くらいまでの逸話がスレの範囲内じゃないかな
0641人間七七四年
2012/07/25(水) 23:39:19.27ID:dsY+zEn4スルー出来ないオマエに命令されたくない
絡んでこなければなんも反応しないって言ってんだろ
なんの権限でそんな命令する?
死ね
0643人間七七四年
2012/07/25(水) 23:48:59.25ID:dsY+zEn4関係ないオマエが絡んで来なきゃレスしないから
死ね
オマエの大事な人間も死ね
0644人間七七四年
2012/07/26(木) 00:16:28.37ID:h1Cv0iXF0645人間七七四年
2012/07/26(木) 00:19:13.03ID:exG2/FlA逮捕されてもブタ箱の中からでも言ってやる
オマエは死ね
0646人間七七四年
2012/07/26(木) 00:22:15.60ID:exG2/FlA死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね花ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
0647人間七七四年
2012/07/26(木) 00:27:23.57ID:CUVGuGcS0648人間七七四年
2012/07/26(木) 00:32:21.64ID:exG2/FlAオマエはオレを怒らせるより、
スレの秩序のために言いたいこと我慢するべきだろ?
それが大人の態度だろ?
死ね
0649人間七七四年
2012/07/26(木) 01:09:55.73ID:Q3DXuDNQ夏だなぁ・・・
0650人間七七四年
2012/07/26(木) 01:10:18.83ID:CUVGuGcS0652人間七七四年
2012/07/26(木) 01:25:50.20ID:exG2/FlAオマエの電話番号教えてよ
0654人間七七四年
2012/07/26(木) 01:37:52.59ID:eEQJ3T4B0655人間七七四年
2012/07/26(木) 01:39:05.12ID:exG2/FlAオマエそれ名誉毀損だぞ(笑)
こっちにも怒る理由があるんだから関係ないなら黙るか、
運営にアク禁依頼するなり正当な手段とれや
オマエもたいがい基地外な反応してんだよ
しっかりやれよレスだけ善人
0656人間七七四年
2012/07/26(木) 01:43:52.27ID:exG2/FlA関係ない奴がなにも言わなきゃこっちもレスしないんだから
0657人間七七四年
2012/07/26(木) 02:19:34.11ID:w6CT4mIv前まではこんなことなかったのに
0658人間七七四年
2012/07/26(木) 02:43:16.95ID:Q3DXuDNQ0660人間七七四年
2012/07/26(木) 02:48:33.51ID:exG2/FlA0661人間七七四年
2012/07/26(木) 02:51:44.80ID:exG2/FlAスルーすれば治まるのに
夏だからスルー出来ないか?
0662人間七七四年
2012/07/26(木) 04:15:12.71ID:w6CT4mIv自分があたまおかしいことは自覚しているんだな
オレが言うのもなんだけどID:exG2/FlAっていつまでもしつこいよな(笑)
スルーすれば治まるのに
夏だからスルー出来ないか?
0663人間七七四年
2012/07/26(木) 07:17:03.99ID:9y+9AtVu0665人間七七四年
2012/07/26(木) 17:38:49.75ID:exG2/FlAオマエずっと起きてたのか(笑)
頭おかしいオレ相手に必死すぎ(笑)
オマエもおかしいよ朝の四時まで
>>663
自演でないならオマエは黙ってろ
なにもなければ噛みつかない
0666名誉毀損発言
2012/07/26(木) 17:40:02.60ID:exG2/FlA>>652
精神異常者って初めて見たよ
二度と来るなよ
0667人間七七四年
2012/07/26(木) 17:41:53.93ID:exG2/FlAなんでいきなり頭おかしい奴が出てきたんだろう
前まではこんなことなかったのに
0668人間七七四年
2012/07/26(木) 18:00:21.71ID:uMDCdKr90669人間七七四年
2012/07/26(木) 18:04:00.35ID:Q3DXuDNQこのスレの適用範囲って終わりは大体島原だけど、
始まりっていつ頃かね
明応の変とか、応仁の乱あたりとか?
0670人間七七四年
2012/07/26(木) 18:05:53.10ID:iW9OmFev( ´・ω・) みなさん、お茶が入りましたよ・・・・。
( つ旦O
と直 家) 旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦
0672人間七七四年
2012/07/26(木) 18:17:05.93ID:FghsbONs『真田信之の晩年』とか、そういうのは多少時代ずれた所でよほど神経質な人以外は文句言わないよ
0673人間七七四年
2012/07/26(木) 18:55:05.11ID:eUUJ6iG50674人間七七四年
2012/07/26(木) 19:27:24.10ID:tkKQMCCS応仁の乱(1467〜)よりずっと早いしなw
まあ足利義政の時代くらいから戦国に入れていいんじゃないかと思う。
0675人間七七四年
2012/07/26(木) 20:35:32.60ID:ARHQDa+N応仁の乱はまだ室町真っ只中って感じがする。
やっぱり明応の政変あたりの人物からが妥当なような。
0676人間七七四年
2012/07/26(木) 20:40:01.66ID:px4YSSb4与太話なんだし厳密に期限にこだわる必要はないんじゃないかな〜
と個人的には思ってたり
0677人間七七四年
2012/07/26(木) 23:07:14.26ID:NOSs0RQrあり〜!。でもちょっと熱いので
この銀の扇であおることにしよう。
0678人間七七四年
2012/07/26(木) 23:51:00.91ID:WAs/PkaE今日は夏真っ盛りでござったな
ついでにその扇で松永弾正様より頂戴した茶にフタをしてみて下さらぬか?
0679人間七七四年
2012/07/26(木) 23:53:12.75ID:AbmUx3BSおぉ、それでは早速頂戴しよう。いやーそれにしても父が偉大だと気疲れいたしますなぁ、
うちゃあ弟らもがいに生意気じゃけ困っちょりますわ、今も月山に出張りよる最中じゃっ
たがよいよまぁ(クドクド…
0680人間七七四年
2012/07/27(金) 00:30:55.98ID:sgZiDIYP0681人間七七四年
2012/07/27(金) 13:28:53.78ID:Er1BtRa/『ある日、沢庵和尚は千代田城に赴いた折、名うての荒武者伊達政宗に会つた。
政宗が 「雨の降る日は天気が悪うござるが、どうしたものでござるな」
沢庵和尚はヂツと政宗を見た、政宗は瑞厳寺の和尚に參じて禅も出來た武士である。
「左樣、雨の降る日は天気が悪う御座るな」 と同じやうなことを沢庵も繰返した。
ある日鷹狩の帰りに一天俄かに掻き曇り、雨は篠を突くやうにザアザア降つて來た。
政宗も家来も濡れ鼠のやうに、眼もあてられない。すると今まで野良かせぎをしていたらしい百姓が
『雨の降る日にや天気が悪い‥‥』と大声で唄つて行つた。
その時、政宗は百姓の声を聞いて「ははあ、ここだな」と、初めて沢庵禅師の言葉の意味が分つた。
その時の彼の心持は家来共が雨に濡れて困つている樣子を見て気の毒に思ふ憐みの情以外の何物でも無かつた。
つまり我を捨てたのである、我を捨ててこそ会得が可能なのである。‥‥』
出展は青空文庫の土井晩翠 「雨が降る日は天気が悪い」 ※一部旧字体を新字体に読みやすく変更しました。
(土井自身の引用先 昭和五年十一月刊行、谷至道さんの著『禪の極致を洒脱に説いた澤庵和尚』から拜借)
自分も濡れて大変なのを顧みず、同じような状態の部下を心配する。 即ち『生仏一如』の境地の会得という事か
ことわざ『雨が降る日は天気が悪い』を調べてたら出てきて結構知られている話だそうですが、まとめになかったので
わかりやすい現代文は『雨が〜 伊達政宗』でggrば、親切な解説のサイトがたくさんヒットしますのでそちらをどうぞ
ことわざの意味は 当たり前のこと、わかりきったことのたとえ。
当然のことやわかりきったことをもっともらしく言う人に対し、皮肉を込めて言う場合に用いられる。
沢庵和尚は政宗に対して、禅の境地を説いたのか嫌味で返したのかは謎のまま…
0682人間七七四年
2012/07/27(金) 14:08:27.58ID:sgZiDIYP068337人目
2012/07/27(金) 14:21:28.74ID:/0XdNYsw0684人間七七四年
2012/07/27(金) 17:09:37.98ID:bvC0d4g50686人間七七四年
2012/07/27(金) 18:43:51.94ID:E/4W4USf0689人間七七四年
2012/07/27(金) 20:26:42.86ID:zjAUt8Dt0690人間七七四年
2012/07/27(金) 20:29:54.32ID:8rDevJZW0691人間七七四年
2012/07/27(金) 20:31:53.19ID:vMUBXukKいやウケ狙いでなく禅話としてもどうかなーて思ったから
あくまでも個人的な感想だけど、
自を忘れて他を思うじゃ片手落ちかなと
0692人間七七四年
2012/07/27(金) 20:33:08.35ID:vMUBXukKオマエいい加減しつこくね?
マジで死ねよ
0694人間七七四年
2012/07/27(金) 20:41:20.96ID:f+jiUPdO0695人間七七四年
2012/07/27(金) 20:43:32.40ID:vMUBXukKガキで結構(笑)
死ね
0696人間七七四年
2012/07/27(金) 21:04:57.56ID:vMUBXukK↓おれが憎いのはこの腰抜けオヤジのみ
690 人間七七四年 sage 2012/07/27(金) 20:29:54.32 ID:8rDevJZW
良くも悪くも夏休みだねえ
0697人間七七四年
2012/07/27(金) 22:19:47.38ID:AICw+2kW硬骨で厳格さと包容力を兼ね備えた人
師匠たる虎哉宗乙などドンピシャじゃないだろうか
沢庵さんは政宗にとってとても値踏み出来るようなタイプでは無さそう
個人的には素で禅問答になったような感想を抱いた
0698人間七七四年
2012/07/27(金) 22:52:28.13ID:DlPLVeFz0699人間七七四年
2012/07/27(金) 23:45:13.66ID:/0XdNYsw0700人間七七四年
2012/07/27(金) 23:55:28.73ID:OzNrzMCiある時に二人は約して兄弟の間柄となった。
秀吉が出世するに伴って長政は軍国の政務を掌り、吏民の心を得た。
文禄四年、秀吉が長政を甲斐に封じて曰く
「お前とは兄弟であるのに、こうして天下の君主になっても
大国を与えてやれないのは本当に恥ずかしく思う。
しかし、それも天が定めたことだから恨まんでくれよ」
長政は深くその恩を感じ涙を流したという。
0701人間七七四年
2012/07/27(金) 23:58:42.99ID:r171e/L+0702人間七七四年
2012/07/28(土) 00:21:08.87ID:62+fNDCc0703人間七七四年
2012/07/28(土) 00:36:03.23ID:v/Dk2uxP0704人間七七四年
2012/07/28(土) 00:36:46.88ID:EsVTMv8yおえら方が一席ぶちたいという欲望をかなえるために
血税で作製され関係部署に配布される
くだらないエッセイが載ってる冊子なんだが…
なぜか秀吉の話が載ってた。
後の太閤秀吉、木下藤吉郎は、信長の命を受け、竹を調達したり、炭を節約したりした。
職人を組に分けて競わせたり、余剰分を元手に自分の軍用を揃えたりして
その働きぶりは信長をして
「駿馬に荷駄を引かせるようなものであったな」と言わせた。
秀吉が天下を取ったあと、黒田如水が天下の取り方をたずねたことがあった。
秀吉「別に難しいことはない。目の前の仕事に懸命に取り組んでいただけのことさ」
ちょっと書き手の心情が見えていやらしい気もしますが、
秀吉が言ったと想像するとかっこいいので書いてみる。
0705人間七七四年
2012/07/28(土) 00:57:01.71ID:BdE5jZdf欲がないと笑われると、確実に実現できる目標を夢にして、それを繰り返して着実に上へ昇るんだとかなんとか
0706人間七七四年
2012/07/28(土) 01:04:29.50ID:hpvHk+eb別の所で仕えて上がヘボかったら『燕雀いづくんぞ〜』とかデカイこと言って出奔してたかもしれんし
0707人間七七四年
2012/07/28(土) 02:03:42.18ID:HsaQwquO0708人間七七四年
2012/07/28(土) 02:52:32.60ID:aw5KqHKH0709人間七七四年
2012/07/28(土) 05:44:39.01ID:tgIsd5+9あそこでそのまま傀儡に甘んじてたら問題だ
0710人間七七四年
2012/07/28(土) 08:47:16.28ID:AvJVL4yX0711人間七七四年
2012/07/28(土) 09:05:46.91ID:iByU6E0i0712人間七七四年
2012/07/28(土) 09:09:48.47ID:k0tuG//F0713人間七七四年
2012/07/28(土) 09:10:58.81ID:PcS3niN6http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-904.html
0714人間七七四年
2012/07/28(土) 09:23:19.48ID:s/bsdWtf目の前の仕事がなくなったので女遊びを始めました
0715人間七七四年
2012/07/28(土) 12:33:52.68ID:sMo/1Me70716人間七七四年
2012/07/28(土) 12:44:17.42ID:ylhSgVVb女遊びに関しては、目の前の仕事の合間を縫ってちょくちょく遊んでただろ―
じゃなきゃねねと信長の手紙が残らないからな
始めたのは女遊びじゃなくて、虐殺
0719人間七七四年
2012/07/28(土) 16:41:58.22ID:jKcdyXnU大規模なヒドイ虐殺やらかしてないの家康ぐらいじゃないか。って織田家じゃないけど。
0720人間七七四年
2012/07/28(土) 16:51:39.43ID:1QLSuGI0信長の部将でしかない秀吉たちの場合はそういう責任がないからね。信長に成果さえ見せればいい。
なので恐怖戦略を取りやすかった。
0721人間七七四年
2012/07/28(土) 17:04:16.12ID:ZtVjpC3O天守と本丸半分は再現できるみたいだ、楽しみ。
俺、これが完成したら美作の民をSAT○GAIするんだ…
0722人間七七四年
2012/07/28(土) 17:11:31.72ID:FIaPbqjl新しい国へ攻め込む時は、最初に恐怖を印象付ける必要があるから
どの大名も撫で斬りくらいはやるよ。
家康だって三河、遠江の頃にはやったしね。
0723人間七七四年
2012/07/28(土) 17:18:09.39ID:1QLSuGI0程度問題ね。家康はさすがに一郡や一国規模で死体だらけ、なんてなで斬りはやっていないし。
まあそこまでする権力も兵力もなかったから物理的に不可能でもあったがw
0724人間七七四年
2012/07/28(土) 17:35:57.59ID:KP1Dk9Iwここは一つ懐柔策として相撲大会でも開いてだな…
0725うっきー
2012/07/28(土) 18:36:51.20ID:20RfXR8e0726たかとら・かずとよ
2012/07/28(土) 18:45:11.98ID:TWC66/Xw0727人間七七四年
2012/07/28(土) 18:51:05.98ID:jKcdyXnUおお、これはありがたい・・。このような寂れた橋にこのような上等な茶とは!
むっ、あれに見える奥方は美しい・・あの由緒ある家紋は細川さまの奥方ですな。うむ・・十字架が美しい。
いやいや、このような寂れた橋といえども、天下の要所ゆえ皆が通る地・・これは良い物を見た。
まあ、そんな地であるからゆえに、こないだこしらえた・・橋の門の上にそれがしの木像を飾っておるわけですよ、ゲヒヒ。
秀吉公とてそれがしの股をくぐらねばならぬというわけですわ!ははは!
・・・なんじゃ、あの血走った武骨な侍は・・この橋馬で渡るはまかりならぬ!止めよ、止めよ!
ああ、オハナシの途中でしたな。その相撲大会はそれがしも楽しみにしておるよ・・。
0728人間七七四年
2012/07/28(土) 20:49:37.58ID:y+0Fu6GA0729人間七七四年
2012/07/28(土) 20:53:06.45ID:BdE5jZdf水戸に入ったとき、一揆を起こした連中を一村皆殺しにしたらしい
ほとんど記録が残ってないと嘆いてるサイトを昔見たな
0730人間七七四年
2012/07/28(土) 20:59:46.62ID:pkMYXoN50731人間七七四年
2012/07/28(土) 21:23:04.23ID:pJJSAUj+0732人間七七四年
2012/07/28(土) 23:28:02.34ID:YPs5bNeK先に一揆勢が他を撫で斬りにしてるから一揆勢を潰すと何も残らなくなる。
天草の時は他の村が頑張って撃退したから完全に無人にならずに済んだ。
0733人間七七四年
2012/07/28(土) 23:39:09.26ID:pJJSAUj+それはない。明確な敵対関係に入っている場合以外は他宗派の権利や財産を侵害する高位は
行わないのがルール。加賀一向一揆も国内の他宗派を、信仰や布教の自由も含めて完全に保護している。
他宗派というだけで攻撃したのはキリシタンのみだよ。
0734人間七七四年
2012/07/29(日) 10:39:33.92ID:bRps1Hqa0735人間七七四年
2012/07/29(日) 10:55:47.19ID:dZETt6C6法華宗がどういう教えを説いているか知れば
啓典の民の宗教と同じ振る舞いをしても不思議ではない
それ以前に法華一揆(天文法華の乱)は宗教闘争という側面があるから
>宗教系の一揆は他宗派の村を襲うからな。
みたいな一般論化はできないよ
0736人間七七四年
2012/07/29(日) 11:10:23.60ID:bQCh8446他の諸宗派に対して攻撃・破壊活動はしていない。
後に細川晴元や木沢長政に扇動された比叡山に攻撃されるが、これは宗教というより実際には京都の経済利権をめぐる
争い(比叡山が大資本として支配している京の流通・金融業vs法華の新興商人層)という面が大きかったりする。
0737人間七七四年
2012/07/29(日) 11:48:33.03ID:yhS3fnrOただ弾圧してくる政治家には断固戦うけど
0738人間七七四年
2012/07/29(日) 12:48:51.24ID:gOZG/EXP0739人間七七四年
2012/07/29(日) 16:47:36.73ID:IxhoET8D藤堂高虎も晩年には和歌をたしなみ、意欲的に創作に取り組んだ。
ある日、帰城した高虎はゴキゲンであった。
「ずっと心に思いとどめておったが、今日、ついに十分に整ったぞ。」
八十嶋道除にそう言うと、四句詠んだ。
そしてさらに
「これは伊達殿に聴いてもらうんだ。」
と、もう一句詠んだ。
なけ聞かん わが領分のほととぎす
これを聞いた伊達政宗は、古今比べるものがないと、再三感心した。
気を良くした高虎は、これを発句に百韻(連歌の一種)を催おし政宗に見てもらおうと八十嶋に提案、
夕食時から初更(午後八時頃)まで八十嶋と二人で吟じあって、記録させた。
さて翌日、脇坂淡路守がやって来た。
「できたてじゃぞー。」
さっそく百韻を見てもらうと、脇坂もひとかたならず感心し、書き写して持っていった。
数日後、脇坂がまたやって来て高虎に言うには、
「あの百韻、花の本昌琢殿にお見せしたところ、
古今にない生きた作品であると頭を振って感心されましたぞ。
句作の参考にと、すべて書き写して持ち帰られた。」とのこと。
高虎はそりゃもう大喜びで、
「で、どの句をそんなに誉めておったのかの??」と
さらに突っ込んだという。
(玉置覚書)
手持ちの史料にはこうあるが、ただこの「ほととぎす」は
どう調べても加藤清正の作になっている。真偽のほどはよくわからない。
0740人間七七四年
2012/07/29(日) 20:39:32.95ID:FWAfCW3I0741人間七七四年
2012/07/29(日) 20:47:27.01ID:FWAfCW3I藤堂の 鼻高々の発句して 虎狩武者に 首(しゅ)とられける
0743人間七七四年
2012/07/29(日) 21:14:18.94ID:3BMsO3c2鼻高々の→高き鼻して
首とられける→とられける首
な感じで「高」「とら」は最初においたほうがいいかもしれない
自分ではうまく捌ききれなかったけど
0744人間七七四年
2012/07/29(日) 21:24:17.30ID:tM1AqnF1なかぬならば なかせてみよう」
0745人間七七四年
2012/07/30(月) 01:49:09.15ID:5bfu0Q5kこうですか?太閤様
0746人間七七四年
2012/07/30(月) 06:38:42.75ID:ayx0Ezqt「じゃあ鳴かせちゃるわ!」
と聞こえるのに、豊臣秀吉だと>>745にしか聞こえない!不思議だね!
0747人間七七四年
2012/07/30(月) 17:05:11.63ID:m2Ls1l1C「広家は尋常の者ではない。五万、三万の大将となっても不足はあるまい。
元春が最近、武威を振るっているのは当然であろう。
毛利元就は吉川元春、小早川隆景を先鋒として西国に武威を震わし、
また元春は元長、広家を先陣として敵を破った。
わしは弓箭においては元就、元春の十倍であるが、良将の器ある子を
持つという点では劣っておる。
ああ、もし男子が三人おれば一人に天下を譲り、二人は関東と関西の
鎮として置くのだがなあ」
世の人もまた、たとえ隆景死すとも広家がいる限り、毛利の政道に
邪法なく、弓箭も前代に劣ることはない、と語った。
0748たかとら・かずとよ
2012/07/30(月) 18:07:22.20ID:PHP5Wd49然り気無く太閤様が元春様disってる気もするが、最後に広家のみにしか触れてないの
が元春、元長死後の評かな?
0749人間七七四年
2012/07/30(月) 19:00:41.98ID:7Ci8/Lj30750人間七七四年
2012/07/30(月) 19:41:07.13ID:qrNaWWrXまあTERUは天然なのか策士なのか、野心家なのかそうでないのかよくわからんところがあるしなあ。
つかみどころがない点では元就以上。
0751人間七七四年
2012/07/30(月) 19:46:48.06ID:Aa25Wzxv関ヶ原は一門や重臣の、当初の反対意見ばかり取り上げられるが、どうも輝元の近習たちは
積極的に参戦に賛成していたっぽいのね。野心あふれる当主近習と保守的な一門重臣という、よくある対立が
毛利家でも起こっていたっぽい。
0752人間七七四年
2012/07/30(月) 22:48:43.14ID:Sv9YTkEF0753人間七七四年
2012/07/30(月) 23:43:46.70ID:JcTh/gHK上杉と狙いは一緒なんだよね
0754人間七七四年
2012/07/31(火) 00:58:44.02ID:PqUseq/E0755人間七七四年
2012/07/31(火) 01:03:03.14ID:mgl8fCwQ0756人間七七四年
2012/07/31(火) 01:06:55.47ID:BrrjkW2h城を取ったり取られたりが続くと思ったんだろうね
0757人間七七四年
2012/07/31(火) 01:27:27.24ID:UeWVt17Jあっさり大阪城明け渡したのがマイナスかも。
0758人間七七四年
2012/07/31(火) 02:04:41.66ID:ZLNmB6t4「輝元様ご謀反の風聞が立っておりますぞ!至急上阪なさいませ!」
なんてだまされて大阪に引っ張ってこられたあの人に
やる気なんてあるわけがない
0759人間七七四年
2012/07/31(火) 02:53:45.13ID:NN47ay0t家康に家臣たちは皆「各地に関所を設けて大坂に人が集まるのを食い止めるべきだ」と言ったのだが
家康は「その必要はない」と言って取り合わなかった。
そして「今の日本では景勝なら私の意見に同意するだろう」と言うので
本多正信は上杉に使いを送って景勝の意見を聞いてみた。
すると景勝は「関所など必要ない。大身の者の動向にだけ注意していれば良い。
中心となって率いるべき人間がいなければ烏合の衆など少人数なら取るに足りず
数が多ければ必ず意見がまとまらず対立しあい蹴散らすのはたやすい」
と答えた。
なんでそこで景勝だったんだろう。
0760人間七七四年
2012/07/31(火) 07:58:54.00ID:kqikBUUh0761人間七七四年
2012/07/31(火) 07:59:46.03ID:fRaNXw5O0762人間七七四年
2012/07/31(火) 09:42:08.95ID:UeWVt17J>中心となって率いるべき人間がいなければ烏合の衆など少人数なら取るに足りず
つまり俺は豊臣には行かねってことかな?それとも関が原の皮肉か。
0763人間七七四年
2012/07/31(火) 09:53:08.16ID:SHqZ/elM0764人間七七四年
2012/07/31(火) 10:33:06.12ID:NN47ay0t景勝はそういう「国を纏める事」には慣れてそうだからかな?と思ったけど
なんで大名連中のなかピンポイントに景勝に…と思ったので
0765人間七七四年
2012/07/31(火) 10:52:29.09ID:NPlztew/0767人間七七四年
2012/07/31(火) 11:14:03.88ID:10uOKFPf0769人間七七四年
2012/07/31(火) 11:38:41.19ID:neGBq095幕府視点で見れば、権現さまや景勝のような歴然の武士じゃなくともおいしいと思うはず
しかも大阪方は人が欲しいばかりなんだから
三方ケ原以降の権現さまは軍神
0770人間七七四年
2012/07/31(火) 11:44:08.72ID:yrIAWaaI負けてから俺には負けるのがわかってた上がバカだから〜とか言い出す人は
古今東西よくいるからねえ
酷いのになると戦前は戦煽りまくってといてとかさ・・・
0771人間七七四年
2012/07/31(火) 12:22:34.21ID:D1ARJBNX政宗だと、内心は家康に賛成でも、ひねくれて変なこと言うかも知れない。
秀家は島まで聞きに行く人がかわいそうだし、輝はしょせんTERU。
藤堂、黒田は「なぜピンポイントで俺に聞く?」と変に裏を勘ぐってくる。
三斎様、スーパー宗茂様は指揮官としては優秀だけど、こっち方面はあまり得意でなさそうだし、
島津の人たちは何行ってるか聞き取れない上、「関所作りまくれ」とかきっと言う。
鍋島さんは多分忘れられてた。
その点、景勝なら必要なことだけ、素直に答えてくれそうだ。安心の景勝クオリティー。
0772人間七七四年
2012/07/31(火) 12:30:57.33ID:TODWIQHa0773人間七七四年
2012/07/31(火) 15:51:00.46ID:r9Ht9tNkなんというか過不足無い感じ
義父のエキセントリックさが反面教師になったんかね
0774人間七七四年
2012/07/31(火) 16:18:15.77ID:fP6t7Xxr0775人間七七四年
2012/07/31(火) 16:19:17.56ID:dL+82e8W0777人間七七四年
2012/07/31(火) 18:22:59.77ID:jcvCqkK7その行装を見物しようと尾張の人々が城門の辺りに集まって騒がしくなった。
この時、長刀を持って供奉していたわずか十四歳の本多平八郎忠勝が
「元康が両国のよしみを結ぶためにやって来たというのに、汝ら何故このような
ふざけた真似をする!」と一喝すると、その猛威に恐れて群衆は静まった。
本丸へ入るという時、植村新六郎が刀をかかげて家康の後に従っているのを見た
信長の家人が「そのような物を持って入ってくるとは、一体何者だ!」と咎めたところ、
新六郎は「松平の家臣、植村新六でござる。主君の刀を持って従っているだけだ。
何を咎めるか!」と反論した。それを聞いた信長は「新六が参ったか。彼の者は
かくれなき勇士だ。くれぐれも無礼があってはならぬぞ」と言った。
その後、同盟がなった後の様々な催しの時、信長は新六郎を呼び出し「今日初めて汝の
勇気を見たが、鴻門の会の樊カイにもまさっておったぞ」といたく賞賛したという。
新六郎は幼年より多くの戦功をはげみ忠勤も怠らず、御家号を賜るかというほどであったが、
植村の姓は他国にも知られ、徳川にとっても誇るべきものだったので、一字を与えられて
家政(のち家存)とし、軍扇と一文字の刀を与えられ、直参の徒三十騎を付けられたという。
0779人間七七四年
2012/07/31(火) 20:31:27.53ID:8bb2Lu8j本多正信→本多政重→直江兼続
身内に聞くだけで終わるし
0782人間七七四年
2012/07/31(火) 20:45:53.06ID:SHqZ/elM0784人間七七四年
2012/07/31(火) 21:37:01.71ID:NN47ay0t本多政重は1612年には上杉家を離れて前田家に行ってるけど
それなら直接正信→兼続の方が早くないかね?
0785人間七七四年
2012/07/31(火) 22:52:48.70ID:C5u+QLJlその書状は毛利家や黒田家が編纂した文書にはなく吉川家にしかないから、怪しい面があるんだとさ。
常識的に考えると確かにあの文章では広家は失脚どころか即粛清されてもおかしくない。
0786人間七七四年
2012/07/31(火) 23:01:39.02ID:ISwUyTeO当時の文書でもアレだけど、後世吉川家の人間が創ったんならそれはそれでTERUに対しての色々積もるモノがあったんだろうなあ
0787人間七七四年
2012/07/31(火) 23:05:53.58ID:NzXCzY+k戦国生き残りで関所の事なら、福島正則に聞きに行けば良かったのにな。
伊奈家の誰かを使者にして。
0789人間七七四年
2012/08/01(水) 00:25:38.89ID:tn5qtDWNバカ呼ばわりするならまだしも主君を討ち取る宣言しちゃってるからなあ
家康側からしてもこいつヤバイとしか思えない
0791人間七七四年
2012/08/01(水) 12:58:06.93ID:Zy5iW0+P0792人間七七四年
2012/08/01(水) 13:16:48.42ID:Ljew9wdW兼続「それは誤解だ、と殿はおっしゃっております
0794人間七七四年
2012/08/01(水) 15:21:13.45ID:1H29ZaN/三国同盟の善得寺会盟と一緒やね。
0795人間七七四年
2012/08/01(水) 16:15:19.52ID:dj1Fvg5z戦国時代の見物客だからな・・・・
『みきゃーのとのさんがきとるらしーわ
おださんよりはちいーさー家らしーよーニヤニヤ
ちょーと見にいったろみゃーかニヤニヤ』
な態度丸出しでジロジロ見てたとか
0796人間七七四年
2012/08/01(水) 17:10:42.69ID:ObEW6HMJ0797人間七七四年
2012/08/01(水) 17:21:48.81ID:y0v6k/8/真理・真実・現実・事実・史実は一つだけ
怒り・憎悪・悲しみ・嫉妬は自然な感情
戦争・テロ・犯罪・虐め・差別は無くならない
子供の躾に体罰は必要
学校を何度変わっても虐められるのは、虐められる側に原因がある証拠
死刑には殺人の抑止力がある。死刑を廃止すると殺人が増える
自己チューな人間ほど自己愛が強い
などの論理的間違いをビシッと解説ちう m9(`・ω・)<ビシ
義務教育では教えない 感情自己責任論
0798人間七七四年
2012/08/01(水) 19:18:07.70ID:t6XsuW3Iこれについて浅野長政が、
「讃岐の領地を召し上げることは致し方ないことと存じます。
しかし、御旗本の中でも杉原七郎左衛門、荒木平大夫、仙石権兵衛らは
世人に三人衆と称され、武名高き者たちです。
不知案内の地でのことですから、利を失うということは不覚悟ではありますが、
それも勝負の常でありましょう。
いままでの軍功をお考えになって帰参を許されれば、あなた様はもちろん、
天下の武士たちも勢いを得ることでしょう」
と諫言したという。その甲斐あってか、やがて秀久は赦免され、
信州小諸五万石を賜ることとなった。
0799人間七七四年
2012/08/01(水) 19:28:17.63ID:GrmdYFno0801人間七七四年
2012/08/01(水) 21:03:36.56ID:6k0p+BC8早くから家老になって京都所司代にもなった人だから重鎮中の重鎮だけど
この人はもう少し長生きしてたらどこか1国貰って大身になってたんじゃないかなあ
0802798
2012/08/01(水) 21:52:08.24ID:t6XsuW3I>武名はそんなに無いんじゃないか?
申し訳ない、そこ間違いました。↓が正しいです。
>世人に三人衆と称されたほどで、(権兵衛は)武名高き者です。
0804人間七七四年
2012/08/02(木) 12:35:25.00ID:XTePmMCp0807人間七七四年
2012/08/02(木) 15:52:34.91ID:3lO6nt6p080937人目
2012/08/02(木) 18:49:24.81ID:J1mbkMnD0813人間七七四年
2012/08/03(金) 06:10:00.74ID:ycMj0A4v0815人間七七四年
2012/08/03(金) 13:21:10.26ID:HfDf/b5Eそれとも権現様のネーミングセンスは死亡フラグに匹敵すると言う事なのか
0816人間七七四年
2012/08/03(金) 14:40:23.07ID:rCIZx4JN「浪人ということの意味がわかりません。
それは山の中に蟄居しろという命令なのでしょうか。
そうならば私は蟄居などする気はありません。
不届き者とお思いならば、殺してください。」
と申し上げたところ、お構いなしですんだ。
この家来、後に暮らしが苦しくなり御蔵の米を盗み、死罪ときまったとき、
「そういえば以前から狂歌を詠んでいたな。最後のこの場で一首詠んでみるか?」
と言われ、
『ほのぼのとあかしかねたる世の中に
しまかくれざる米ほしぞ思ふ』
と詠み、許されたとのことである 【葉隠より】
0817人間七七四年
2012/08/03(金) 14:51:21.86ID:rCIZx4JN『ほのぼのと明石の浦の朝霧に
島がくれゆく舟をしぞ思ふ』
にインスパイアされたもので、
『しまかくれざる米』と『志摩が呉れざる米』がかかっている歌。
家来の逆ギレなのか、盗みに入るほど米を与えなかったのかはどうなんでしょな話
0818人間七七四年
2012/08/03(金) 15:21:35.56ID:NL7dFSAK0820人間七七四年
2012/08/03(金) 17:02:54.65ID:04flXWcx神様ならそんな俺の心意気をわかってくれて泥棒と区別してくれるはずだから問題ない」
0821人間七七四年
2012/08/03(金) 17:06:03.74ID:Pk4Pks/a0823人間七七四年
2012/08/03(金) 20:58:49.25ID:BxSqh2A+【審議中】
|∧∧| (( ) ) (( ) ) ((⌒ )
__(;゚Д゚)___ (( ) ) (( ⌒ ) (( ) )
| ⊂l l⊃| ノ火.,、 ノ人., 、 ノ人.,、
 ̄ ̄|.|. .|| ̄ ̄ γノ)::) γノ)::) γノ)::)
|.|=.=.|| ゝ人ノ ゝ火ノ ゝ人ノ
|∪∪| メラッ ||∧,,∧ ||∧,,∧ || ボォオ
| ノ火., ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
| ゝ人ノ ( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
~~~~~~~~ | U ( ´・) (・` ). .と ノ
u-u ( ) ( ノ u-u
`u-u'. `u-u'
0825人間七七四年
2012/08/04(土) 18:44:53.28ID:ER64TAbUついに当時の秀吉の本拠地、播磨へと入った。
播磨の首府である姫路の近くまで来ると、秀吉の配下は上下を問わず、私宅に帰って一宿したい、と望んだ。
さらには秀吉すらもそのように考えているようであった。
この時黒田官兵衛は秀吉に言上する
「姫路に寄ることなく、直に上方に向かって上られるべきです。
たとえ仮初の旅であっても、家を出立するのはグズグズと遅くなってしまうものです。あまつさえこの度は戦です。
大和の筒井順慶、細川与一郎(忠興)などは日向守(光秀)昵懇の者たちです。特に細川に至っては
その婿です。もし彼らが光秀の味方に付けば、これは難しいことになります。
たとえ彼らが心底、光秀に味方しているのだとしても、合戦の場に乗り込まないうちは、双方の勝負を
見守ることになるでしょう。
また、光秀に時間を与え、しっかりと備えを固められてしまっては、これも重大なことになります。
この度は少しでもお急ぎなさること。それが肝要です!」
秀吉はこれを聞いて「よく言った!私もそのように思うぞ!」と賛同し、『下々の一人たりとて姫路に寄れば、討ち捨てる』
との軍令を出した。
さてその時勘兵衛、実は1日前に姫路に飛脚を出していた。彼は姫路の町人たちに
『河原に出て、粥をこしらえ、諸軍勢に残らず食わせることは可能か?』と尋ねた。
これに町人たちは
「筑前様は新しい領主であるので、我々も何か御馳走を行うべきだと考えていたところです。
何故なら、第一に筑前様は末頼もしきお殿様です。その上今回は、勘兵衛様のご差配でございます。
いよいよ以って、願うに幸いの所にございます!」と大いに喜んだ。
そして彼らは鍋・釜・諸道具を河原に持ち出し、事々しく粥を調理し、数万の軍勢に残らず食わせた。
もちろん町人のうち顔役の者たちは、酒樽に折紙を付け、恭しく秀吉に捧げた。
秀吉は馬上にてこの酒を飲み、
「今回のお前たちの心付け、別して満足に思っている!よって姫路町中の地子(固定資産税)を、永代赦免する!」
と宣言し、
「今度の御弔い合戦は必ず勝利を得る!しかるにおいては、ますます褒美を与えるつもりである!
であるから、我々への協力を諸事怠けることの無いよう、皆で申し合わせるように!」
この秀吉の発言に、姫路の町人たちの喜ぶこと、限りなかったという。
(古郷物語)
黒田官兵衛の智謀の光るお話である。
0826人間七七四年
2012/08/04(土) 18:55:36.71ID:hkpUt3eI>その婿です。
筒井定次もそうだった気がするが
0827人間七七四年
2012/08/04(土) 22:49:03.15ID:Cpx7/nmK渡辺勘兵衛「仕官したばかりだというのに、さすが姫路の民は分かっておるな!」
0828人間七七四年
2012/08/04(土) 22:54:42.19ID:aNaivOgn0829人間七七四年
2012/08/04(土) 23:15:34.73ID:Zv17eWpn0830人間七七四年
2012/08/05(日) 00:16:27.94ID:OyoEl3Cp0831人間七七四年
2012/08/05(日) 02:01:39.01ID:8pfN3Wrj天草島原の乱が籠城した老若男女の殲滅をもって終結して数か月後、三代将軍家光の御前に罷り出た
立花飛騨守宗茂が、討伐軍の司令官として誹謗中傷の嵐にさらされていた松平伊豆守を救ったという
逸話は有名だが、もう一つの逸話はあまり知られていない。
「飛騨守、そちは伊豆の神髄は、その知恵に非ずというのだな」
「御意、伊豆殿の心魂は突き詰めれば、本田佐渡殿と同じ、上様一人への忠の一字に尽きもうす。
忠を貫くためには、いかなる泥をも被ることを厭わない覚悟は見事というほかありません」
「・・・・・・あいわかった。以後、伊豆のことをとやかく言う者がいても、余は聞き流すぞ」
家光が知恵伊豆こと松平伊豆守の安堵を請け負ったことを確かめると飛騨守は、言葉を継いだ。
「このたびの乱を切支丹一揆と言う者があると思いますが虚言ござる」
「なに!首謀者は天草四郎という小僧を担ぎ上げた切支丹たちではないというのか?」
「首謀者は切支丹ですが、しょせん切支丹は、一揆の神輿にすぎません。それを見越して、切支丹から
一揆の衆を内応させようとした手を尽くしたのが伊豆守殿でござる」
「???」
腑に落ちかねるといった家光の顔をまっすぐに見つめながら飛騨守は、話し始めた。
0832人間七七四年
2012/08/05(日) 02:03:18.99ID:8pfN3Wrj「大和には、蓑踊りと水牢という松永久秀由来の悪習がござる」
「悪習か、詳しく申せ」
「年貢を納めざる者は、理由の如何を問わず油漬けの蓑を被らせ、火をつけて躍らせるのが蓑踊りにて、
孕み女を腰まで水を張った牢に漬けて子を流させるのが水牢でござる」
水牢で子を流させるという話を聞いた家光の眉宇に怒りの色が浮かぶのを見てとった飛騨守は語気を強めた。
「そもそも蓑踊りは、隠し田をした者を処罰するために、水牢は一揆の首謀者の種を絶やすために考え出された
ものだそうで、それなりに理屈は通り申す。しかしながら、このたびの一揆の直前まで島原で行われていたものは
払えぬ年貢を払えという無理難題が通らないための憂さ晴らしと、余分な米を食らう孕み女の腹の子を流させて
口減らしするとためのものでござる」
「・・・・・その領民の苦衷に切支丹が乗じたのか!」
「一揆の衆は、生きるに望みなく、今日の命も繋ぎがたくなったために領主に牙を剥かざる得なくなっており申したが
神輿がないために立ち上がれなかったわけで、切支丹は一揆の衆に己が身を神輿として差し出すだけで乱の頭領
になり得たのでござる」
一気に言い切った齢70過ぎの老将は、さすがに疲れたのか肩で息をした。
0833人間七七四年
2012/08/05(日) 02:04:36.41ID:8pfN3Wrj「飛騨守、疲れたであろう。茶を飲め」
「いや、島原の一件をお伝えするのが先にござる。そもそも家格を上げるためだけに、
無理に打ち出しを行い、内高が10万石になったなどと公儀に申し出た松倉の振る舞い
を許しては、公儀そのものが苛政の主と民からみなされ一揆が続発しましょう。
民を苦しめる領主に領地を公儀より預かる資格はなきことを示すことこそ公儀の義と思われます」
「あいわかった。伊豆も同じことを進言していたが、保身のためと申す者が多く、判じかねていたが、
そちの話を聞いて納得がいった。松倉の件、伊豆の申す通りにしよう」
家光の言葉を聞いた飛騨守は、再び背を伸ばすと語気をさらに強めた。
「それだけでは足りません。戦なき世を作るために大御所様、台徳院様、御両所がなされた努力を
無にしないためにも、仁を政の根本として民に臨むよう諸侯に伝えるだけでなく公儀が範を示すべきです。
上様に、このことをお伝えいたしたく、本日、参上した次第でござる」
そう言うと老将は、冷めた茶を美味そうに飲み干した。
0834人間七七四年
2012/08/05(日) 10:28:01.94ID:TyAo2wLO0835人間七七四年
2012/08/05(日) 10:49:03.64ID:PZ72GiaS0836人間七七四年
2012/08/05(日) 12:26:38.90ID:RSKh5C4+0837人間七七四年
2012/08/05(日) 17:23:19.76ID:lwmMR0o/可能であれば出典は欲しいよね
小説だろうと妄想だろうとそう書いてあれば問題ないし
0838人間七七四年
2012/08/05(日) 17:39:19.90ID:LluSzvQo0840人間七七四年
2012/08/05(日) 19:54:26.70ID:0xXrdLjx>>松永久秀由来の悪習
これは事実なの?聞いたことないんだけど。逸話とか全て事実のものを載せるようにとは
言わないけど(元からそんな場所じゃないし)あんまり酷いと出典明記必須にしないといけないじゃ?
0841人間七七四年
2012/08/05(日) 19:56:33.09ID:8PdmPbHU0842人間七七四年
2012/08/05(日) 20:11:24.80ID:3+ne/uan0843人間七七四年
2012/08/05(日) 20:32:37.98ID:NXqrzemRすごいな
0845人間七七四年
2012/08/05(日) 21:37:08.29ID:VmSSSJRT立花方に申し入れることがあり、
大家太郎左衛門を使者とするように直茂公が命じた。
鍋島の者はみな、
「太郎左衛門はブサイク(醜男)の上、言葉に詰まる者ですから使者にはどうかと・・・」
と申し上げたが、直茂公は、
「今回、立花への使いは男ぶりや弁舌はいらない。
気骨ひとつですむ案件なのだ。
太郎左衛門の気骨の逞しさは、日頃から見抜いている」
と仰せになって、立花方へと遣わされた。
さて太郎左衛門は立花家へおもむいて、
「このたび、家康公の御命令により、
明日、当地へと攻めよせます。
もし、釈明なさるのなら、
早々に黒田、加藤両検使までお申し出になるとよろしかろう」
と、つかえながらもなんとか口上を申し述べた。 (1/2)
0846人間七七四年
2012/08/05(日) 21:54:07.02ID:VmSSSJRT「なんという生ぬるい口上か。
西国無双の立花とまで言われる当家が、
この期におよんで釈明をするなどと思っているのだろうか。
それにつけても、あの使いの男の見苦しさはなんなのか。
口上もろくに喋れず、鍋島にはよほど人がいないらしい」
など、さまざまに悪口を言った。
さて返事を聞いて、立ち帰るときとなり、太郎左衛門は大声をはりあげ、
「ただいまそちらでの御評判の内容、
こちらへもはっきりと耳に聞こえました。
鍋島の槍が手ぬるいかどうか、明日皆様方へお見せしよう。
畳の上での御批判とは、ちと違うことがおわかりになると思います。
さてまた、拙者が醜男で口上が下手だとの批判はもっともと思います。
しかしながら、武士にとって男ぶりや弁舌が役に立つとお思いですか。
私の戦場での働きもあわせてお目にかけましょう。
見事この醜男と立ち合ってみてください。
もし、今すぐにでも私が本物か確かめたいのであれば、参られよ。
ひと働きいたしてお目にかける」
と断言し、しばらく待ったうえで、立ち帰ったとのことである
葉隠より (2/2)
0847人間七七四年
2012/08/06(月) 01:23:13.96ID:PUboeWhc0848人間七七四年
2012/08/06(月) 07:49:03.88ID:0LN+yIEo0849人間七七四年
2012/08/06(月) 09:11:35.86ID:WzSuK31I太郎左衛門をチョイスしたわけだけど
この場合、その気骨は通じてるの? いないの?
最後の啖呵を聞いた立花側の反応が気になるわー
0850人間七七四年
2012/08/06(月) 10:32:27.18ID:OhhBUc+k反論や失笑が無いようだから、相応に気骨は通じたんじゃないの?
0851人間七七四年
2012/08/06(月) 10:57:31.13ID:Eshz7pim0852人間七七四年
2012/08/06(月) 21:19:38.95ID:TE77SgVU〜ギン千代出陣〜お方様は俺たちのアイドル
関ヶ原の戦いによって天下の情勢は決定づけられ、
西軍に組した立花宗茂には東軍側九州諸勢が攻め寄せることになった。
大敵と戦うは武人の誉れ、宗茂は領内に兵を配置し、迎え撃つ体制を整えた。
しかし兵が足りない。どうしても国境の一角が手薄になってしまう。
その間隙を埋めたのが宗茂室、不仲で有名なギン千代が腕に覚えのある女中を率いた部隊である。
逸話によっては大活躍しているが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-365.html
それはこの際関係ない。
それにしてもこのギン千代、ツンデレである。(「世界丸見え」風に)
それはそうと、ギン千代が出陣すると、宗茂が配置した他の部隊から、
「お方さま守備」と称して勝手にギン千代の部隊の近くに行ってしまう武士が続出した。
立花武士1( ゚皿゚)「殿が軍略を駆使して構えた備えから離れることなど許されるはずありません。
聞けば不忠になるので、勝手に離れたのです」
立花武士2( ゚皿゚)「我が殿はかくれなき名将。しかれども、お方様は…お方様は…
道雪様の忘れがたみでございまするぅぅぅぅっ!」
それらの口上を聞いた宗茂がどんな顔をしていたか、本には書いてない。
0853人間七七四年
2012/08/06(月) 21:23:32.12ID:6ZImYZmB乱が終息してて数十年してようやく天草の石高の見直しが行われた、というのを知ってたから嘘くさいと思ってたよ。
出典は小説か自作だろう。
0854人間七七四年
2012/08/06(月) 21:32:41.63ID:v+qQfvwr表示されるかしらん?
0857人間七七四年
2012/08/06(月) 21:57:04.67ID:y16USDnQ0858人間七七四年
2012/08/06(月) 21:59:24.56ID:UGL/iYwy0859人間七七四年
2012/08/06(月) 22:03:02.26ID:M00fcbP30860人間七七四年
2012/08/06(月) 22:32:22.73ID:3wVk/fI+出来るだけ出典明記というのは有る程度真偽のほどというか信憑性を計りたいだろ
0861人間七七四年
2012/08/06(月) 22:42:11.00ID:nsoh7Q6t誰でも気楽に愉しめるスレであってほしいけど、
なんでもかんでもゆるしてしまうと、
嫌いな武将に対して悪意ある逸話創作する人が出ないとも限らない。
だから出典を求められたときは投稿者は答えるべきだと思う
それが現代小説だろうと出典さえ明かしてくれれば問題ないわけだし
0862人間七七四年
2012/08/06(月) 22:48:49.22ID:6vtntBpC0863人間七七四年
2012/08/06(月) 22:56:40.32ID:MIbUOV7J出典求められて、それはできませんってのはアカンと思うな。
求められて現代の小説or雑誌から云々ってオチでも一応はケリが付く訳だから
できれば出典は書いておいた方が荒れにくいし投稿する側も気が楽だと思うけどね。
特に逸話を現代口調で面白くしようとする人は必要だと思う。
出典無しでゴリ押しするのは某国がやってる事と変わらんと思うよ
逸話によって自分の好きな武将がageもsageもされるんだし…
出典無しで贔屓の武将創作されると良い気持ちしないよね。
0868人間七七四年
2012/08/07(火) 01:02:35.53ID:QNl4P9+22位 愛姫 150(7.88%)
3位 ァ千 112(5.78%) ← 現在ここ!
4位 義姫 104(5.73%)
5位 直虎 92(4.71%)
第1回・戦国女性キャラ投票!〜8/31
0869人間七七四年
2012/08/07(火) 01:42:17.41ID:KTSC0n7wぐぐったら結構前の小説なんだね。
そーいやこの間BSで島原の乱はキリシタン一揆じゃないってやってたな−。
(何故か山犬の中の黄色い人が出てた)
0870人間七七四年
2012/08/07(火) 01:52:48.41ID:aJsrHJ1K0872人間七七四年
2012/08/07(火) 07:26:51.55ID:SCWxnsKk0873人間七七四年
2012/08/07(火) 08:41:38.16ID:x4aJAY0dそれとも俺が異端者なのか
0874人間七七四年
2012/08/07(火) 08:43:09.87ID:hNpqwvb+それもそれなのか?
0875人間七七四年
2012/08/07(火) 08:44:21.57ID:Z3wAhhjg何かのゲームやアニメの人気投票みたい
0876人間七七四年
2012/08/07(火) 09:55:47.75ID:79iPMk9Lお玉とかじゃなくて小松や直虎あたりがランクインしてる時点で
ちょっと歴史かじってるうれし共だろ。
俺なら11歳で180cmのヤンキーに種付けされた幼女とかがいいなあ
0877人間七七四年
2012/08/07(火) 10:46:44.22ID:IObjAl/Lオレも同感だけど、そういうノリで楽しむ人がいてもいいのかなと最近思うようになった
>876が何を言ってるのかは理解不能ではあるが
0878人間七七四年
2012/08/07(火) 11:01:35.87ID:GJtNFa2a0881人間七七四年
2012/08/07(火) 12:25:55.38ID:bHJhD/3s0882人間七七四年
2012/08/07(火) 12:42:13.18ID:IObjAl/L0884人間七七四年
2012/08/07(火) 18:13:20.87ID:azm89L91ゲームなりマンガの影響なんですかね。
0885人間七七四年
2012/08/07(火) 18:38:16.04ID:XgbIpB8Fガラシャ、義姫、愛姫、亀寿
0886人間七七四年
2012/08/07(火) 19:34:18.62ID:ZZY5uFh2そろそろ十月にさしかかり、日々の作業も寒かろう、
普請の大名衆には風邪をひいてはなるまいということで、
太閤秀吉より紙子の差し入れがあった。
秀吉は手ずから大名衆に渡しては労を労っていた。
さて、政宗は知っての通り物好きであった。(政宗は兼て物好きの由御諚にて)
その日も襟は紺地の金襴、袖は摺泊入りの染め物、裾は青地の緞子という
ど派手ないでたちである。
またその時は大坂御上下の御召船(原文ママ。御座船のようなものか?)を
拵えて進上したので、秀吉はたいそう喜んで忠光の脇差を政宗に与えた。
翌日のことである。
同じように秀吉が普請場へやってきたところ、政宗は昨日拝領した忠光を早速差していた。
政宗が役所で御目見得のために待っているのを見て、秀吉は小姓衆へこう言った。
「昨日、政宗にあの脇差を盗まれた。お前らちょっと行って、取り返してこい」
さっそく小姓衆4〜5人が取り返すべく政宗に取りかかる。
驚いた政宗、何故か逃げた。半町くらい逃げた。
逃げたのだからやっぱり盗んだに違いない! と小姓衆はいきりたったが、
秀吉は笑って「まぁまぁ、もうよい」と許した。
またあるとき、秀吉は御所柿を差し入れに持ってきて、手ずから大名衆に渡していた。
政宗は御所柿が大好物だったので、「一番大きい柿を下され」と言った。
秀吉はそれならば、と取って返し、大きな柿を持ってきて、
「これより大きい柿はないぞ」と言って政宗に手渡した。
これを見て、近所の役所の大名衆は、政宗は遠国の大名で、
近頃奉公しはじめたばかりなのにこれほど秀吉に気に入られている。
冥加の仁である、と噂したという。
成実記にある、政宗と太閤殿下のハートフルな交流。
それにしても相変わらず、従弟殿は政宗の描写にに容赦がないw
0887人間七七四年
2012/08/07(火) 20:01:41.49ID:jLbjAgjc0888人間七七四年
2012/08/07(火) 22:08:08.80ID:m1DIKEeU0889人間七七四年
2012/08/07(火) 22:13:17.75ID:9s9+LtLL実在したかどうか怪しい人がちょくちょくいるから
「人物」とか付けたりするとかえって語弊が生じるんじゃない?
0890人間七七四年
2012/08/07(火) 23:03:02.47ID:Y8fEnYne0891人間七七四年
2012/08/08(水) 00:51:41.82ID:7TV831EWその茶会記に秀吉が初めて登場するのが天正6年6月、播州三木城付近にて天目茶碗を用いて茶会を主催したと記されている。
この宗及茶会記や町衆の日記に当時の世間の秀吉への対応が急速に変化するさまが読み取れる。
0892人間七七四年
2012/08/08(水) 00:54:43.29ID:7TV831EW賤ヶ岳合戦後には『秀吉公』『秀吉様』となり官位を略されるに当たり目まぐるしく昇進したことが窺える。
天正十五年に遂に『関白様』と記され僅か九年の間に天下人に認知された秀吉の立身が記録されていて大変興味深い。
0893人間七七四年
2012/08/08(水) 00:56:17.83ID:BUl5Dmp10895人間七七四年
2012/08/08(水) 07:10:03.74ID:g0OcOUuq0896人間七七四年
2012/08/08(水) 07:11:32.14ID:kUb+rSUr秀吉の官位が急上昇しはじめたのって、天正12年に信雄と講和する
直前くらいだと思う。
それ以前のは公卿補任の辻褄合わせっぽい。
0897人間七七四年
2012/08/08(水) 10:13:53.43ID:FWGx8qE20901人間七七四年
2012/08/08(水) 12:08:50.66ID:FWGx8qE20902人間七七四年
2012/08/08(水) 12:35:32.40ID:cu3uAtem0903人間七七四年
2012/08/08(水) 12:51:34.83ID:Mds0W+dQそもそも「筑前守」だと筑前は上国であり、従五位下相当の受領名で、従五位上相当の大国受領である陸奥守や大和守と
比べて格下で、右大臣信長の事実上の後継者の呼び名にするにはやはり問題があるのね。
なので覇権を握った状況の秀吉が、しっくり来る官位を得るまで、暫定的に「秀吉様・秀吉公」としたのだろう。
0904人間七七四年
2012/08/08(水) 21:04:51.97ID:EJrvxqvE(ァ千代が宮永村で警備を厳重にしていると聞いた場面)
>ァ千代の召しがあったという以上、家中の侍どもは皆知っているはずであるのに、自分にはまるで
>黙っているのが不愉快であった。
>彼等は自分とァ千代との間にへだてを起き、ァ千代を立花家の標的(象徴)として、
>自分以上に重く見ている証拠だと思った
(鍋島勢に続いて黒田勢、加藤勢が柳川に攻め寄せてくる場面)
>三面から同時に進撃して来るつもりと予想された。宗茂は益々防備を厳重にするよう命令を下した。
>ところが、それから間もなく、家臣等の少なからぬ者共が、宗茂にはことわりなく、ァ千代様ご守護と
>言い立てて、宮永村に行っていることがわかった。その中には重臣級のものもいる。
>願い出て許されなかったら主従顔を赤らめて口論しなければならない、それではかえって申し訳ないことになる
>と思案してのことであろうとは思うものの、やはり煮湯を飲まされたに似た気持ちであった。
たぶんここらあたりから書いたんだろうけど、ちょっとアレンジしてないか
0906人間七七四年
2012/08/08(水) 21:14:14.42ID:XH7TY4VBこんな解釈されたら海音寺センセもびっくりだろ
0907人間七七四年
2012/08/08(水) 21:50:35.52ID:bvZQLNg7出典明記にしてもこういうのがあると信用できなくなるな
0908人間七七四年
2012/08/08(水) 22:38:38.12ID:Q5K7fTKu0909人間七七四年
2012/08/08(水) 22:43:03.37ID:7TV831EW町衆の日記に秀吉の官位昇進が早過ぎて官名がころころ変わり戸惑っていることが現実に記されている。
また一時官位が上だった家康との関連で官名を意図的に省いている。細々した説明は省いたがその程度の事は分からないとな。
0910人間七七四年
2012/08/08(水) 22:47:32.23ID:2pUyioVy鎌倉ちょっといい話のスレに、
「蒙古来る」でペルシャの王女が来日してるって海音寺潮五郎の創作を
そのまま逸話として書くのもOKになってしまう
0911人間七七四年
2012/08/08(水) 22:51:23.93ID:o1YlFD6e昔の文体でそのまま書いてもわかりにくいから、結局書き込んでる人が砕いてるわけだし。
0912人間七七四年
2012/08/08(水) 22:58:42.98ID:V1MseDbz昭和平成当たりに作られた逸話ってのも何かなあ
認められるべきではないと思う
0913人間七七四年
2012/08/08(水) 23:47:55.01ID:7TV831EW伊達政宗は徳川家の盤石な体制が固まるまで密かに天下を狙っていたという数々の逸話を残したが、そのひとつに仙台城がある。
豪壮華麗な天守閣、大手門には黄金の菊桐の紋を打ち、本丸の門は旭日、鳳凰、鳥獣など無数の彫刻が施され終日眺めても飽きないところから日暮らし門と呼ばれた。
そんな仙台城には『帝座の間』と密かに呼ばれる間があった。
その天井は黄金を張り付け四季の花が極彩色で描かれ、更にその奥には『鳳凰の間』があり床は金箔を張り付け、これまた極彩色で松竹梅と鳳凰が描かれていた。
実はこの二間、再び戦乱の世になった暁には天下を取り天皇をお迎えする玉座であったと言われる。
(奥羽永慶軍記)
政宗が本気でそのような事を考えていたのかはたまた夢として作ったのか。
政宗本人しか知るよしはない。
0914人間七七四年
2012/08/08(水) 23:51:13.03ID:kUb+rSUrそれを言い出すと武功夜話とかどーすんだよって話になるだろう。
結局、投稿者の自制心に頼るしか無いんだよ。
0915人間七七四年
2012/08/08(水) 23:51:25.15ID:2pUyioVyそんな見えないところに金かけずに軍備にまわしそうだが
0916人間七七四年
2012/08/08(水) 23:55:07.55ID:S926cK8O昭和がダメと言われると柳川藩叢書3に収録の昭和10年出版の「武神立花宗茂」収録の逸話は?でFA?
0918人間七七四年
2012/08/09(木) 03:28:52.01ID:iFQX9rv5同時代、あるいはすぐ後の時代の人たちがどう見ていたかとか、参考になる。
勿論信憑性について断ってくれてると嬉しい。見る方の贅沢だけどね。
出典は忘れたがどこかで聞いた〜という逸話も数多く投稿されてるが、普通に受け入れられてるし。
小説でも小説だってことを明示すれば元になった逸話とかないの?とかワイワイできる。
絶対ダメなのは投稿者の創作だなぁ。これはダメだろ。まとめサイトに半永久的に保存されてるわけだし。
0919人間七七四年
2012/08/09(木) 05:43:05.44ID:3gqbyJV6柳川の三柱神社の作成委員会が数次の編纂を経て作った本で
逸話は、神社に柳川藩創立時から伝承している記録から採ったものだそうだ。
0920人間七七四年
2012/08/09(木) 06:48:17.69ID:xA63r+qG最上みたいな空気になるの嫌だから止めてほしいなあ
それが狙いなのかもしれんが
0921人間七七四年
2012/08/09(木) 07:45:40.57ID:k4MGqq700924人間七七四年
2012/08/09(木) 08:48:07.27ID:k3cBJfJV真田太平記なんてその最たる物だ。
0926人間七七四年
2012/08/09(木) 09:08:08.39ID:Xxdo6C06戦国とはちょっと離れるけど三国志演義も罪深さでいえば相当なものだと思う
戦国時代に主流だったのもこっちらしいし
0927人間七七四年
2012/08/09(木) 09:59:12.12ID:9A92fhY5関ヶ原の後しばらく加藤清正のもとにあった立花宗茂は、遊覧のためとして京に上ったのだが、この京の滞在中、
にわかに江戸に下向すると言い出した。
供の者たちはいずれも、これは先ず清正公に相談し、全てはその後で決めるべきでしょうと言ったが、宗茂は、
「清正は柳川退出の取り扱いこそ致してくれたが、私の今後の身の上について、考えているようには全く見えない。
ここは決断すべきである。」
と、江戸に向かって京を出立した。ただこの時、お供の侍たちは路銀を全く持っていなかった。宗茂も
もちろん金のたぐいは一切持っていなかった。よって当然ながら江戸までの道中、言語を絶する難儀となった。
道中巡礼の体で食事などを恵んでもらい、ようやく駿府まで着いたが、こんな状況でも宗茂は、肥後に居た頃よりも
機嫌が良かった。
ここで清正の使者、大脇左太夫と申す者がが宗茂の元に来て、関東まで共に行かせてほしいとして、宗茂に
銀10枚を進上した。京都において宗茂が関東に下向することを知り、駿府まで追いかけてきたのだという。
ともかくもこの銀のお陰で、江戸までは少々楽な旅となった。
さて、それより以前、将軍徳川秀忠は本多佐渡守正信を以って駿府の大御所様(家康)にこの様に相談させた
「今度立花宗茂を召し出そうと考えているのですが、これについていかがお考えでしょうか?」
これに家康
「なかなか良い思し召しである。立花が一旦我らに敵対したのは、秀吉公への忠義のためだけが理由である。
彼は既に恩を報じた。この上はなにか苦しかるべき。」
一方で秀忠は、宗茂が自分に仕えることをなかなか承知しないと考えていた。立花宗茂といえば既に豊臣秀吉から
九州一の者と、その感状にも書かれたほどの武士である。召抱えようとすれば、宗茂は大きな望みを要求すると
考えていたのだ。奥州棚倉の小池のような城のない領地では宗茂は納得しない。秀忠はそう思った。
宗茂達は駿府にて、本多正信まで遣いを出した
『私は去年以来京にあって、洛陽の所々を遊山して回っていたのですが、関東は未だに見たことがないため、
見物のため罷り下ることにし、今、駿府の御城下まで着いたところです。江戸まで行けば、当然お咎めも
あるでしょうが、ならばその時までと覚悟しております。』
戸塚まで来ると、正信からの返事が届き、高田の宝勝寺にお入りになるように、とだけ指示された。
これにお供の者たちは、何も解らず京都から江戸まで下向してきた。両御所様(家康・秀忠)が宗茂に対し
どんな感情を持っているかもお構いなく勝手に下ったのだから、きれはきっと切腹を申し付けられるのだと
皆思い、この後お供として従ったのは11人だけだったという。
これはどこにも書き残されていないが、誰もが知っている話である。
宝勝寺に入り、旅の疲れから行水を浴びて前後不覚になるほど寝ている所に、本多正信が自身で訪ねてきた。
「宗茂殿のこと、秀忠公は召抱えたいとの御意で御座る。しかし本多平八(忠勝)はどうしたわけか
あなたのことを、『伏見以来親しくしていたが、立花の奴は憎い働きをした』などと度々言っています。
そうではありますが両御所様共に、あなたについて別儀はありません。』
そして宗茂に詳しく話を聞き、彼に何の問題もないことを確認すると、米味噌などを進上して帰った。
お供の者たちも、これでようやく安堵した
さて、本多正信は土井大炊頭利勝と相談し、利勝は本多忠勝に、立花宗茂を召抱えることをどう思うかと
尋ねた。忠勝は一言
「敵にて強い者は、味方になっても強いものだ。彼を召抱えることに異存は全くない。」
ここに宗茂は家康、秀忠に御目見えを許され、堪忍分として棚倉一万石を拝領した。
その後赤楯を拝領したことは諸人御存知の通りである。尤も江戸にあって、堪忍料だけの
ご牢人の期間も、3,4年もあった。
(浅川聞書)
立花宗茂、秀忠に召し抱えられるまでのいきさつである。
0928人間七七四年
2012/08/09(木) 11:00:20.54ID:2zdOeasM0929人間七七四年
2012/08/09(木) 11:47:44.04ID:tkyYskIk0930人間七七四年
2012/08/09(木) 12:10:07.21ID:Jnst0NbO二十代後半のカワイイ女性。
0931人間七七四年
2012/08/09(木) 17:26:47.29ID:g2ezj/r4なんか理由でもあるのか?
ゲームかアニメで取り上げられたとか?
勿論魅力のある武士だけどこんなメジャーに知られてはいなかったような
0932人間七七四年
2012/08/09(木) 17:45:15.95ID:G8q1lgcT0933人間七七四年
2012/08/09(木) 17:47:35.17ID:Ni9BpR7Bなお夫婦関係は
0934人間七七四年
2012/08/09(木) 17:48:48.95ID:RKCgMTMz0935人間七七四年
2012/08/09(木) 18:01:50.94ID:NPX0D/560936人間七七四年
2012/08/09(木) 18:11:58.98ID:RKCgMTMz能力値そこそこだけどさほど目立たない吉弘さんの息子の高橋さんが元服してきてえらく強くて
その息子の立花さんが出てきたらさらに強くて、それはさておき家系がワケ分からなくなる大友家臣団
0937人間七七四年
2012/08/09(木) 18:14:50.13ID:x8j+iAU00938人間七七四年
2012/08/09(木) 18:22:29.73ID:g2ezj/r4今のゲームは八頭身で美形だから女子人気でるかもな
オレは信長の野望天下創世のオマケで、
歴史上の戦いを戦闘できるのあって、
その九州編のトリが岩屋城の戦いで、
紹運で持ちこたえると援軍宗茂到着の胸アツ展開てのが楽しかった記憶がある
0939人間七七四年
2012/08/09(木) 18:30:45.02ID:oPIa8GaJえげつない顔グラで滅茶苦茶強くすぐに足軽Sになって突撃してくる立花道雪
布団を頭からかぶってる引き籠りの高橋珍種さんこと高橋紹運さん、調べると親父は↑の人
でそのチンシュの子がやたらと強い上に寿命も長く使い勝手がいい立花宗茂
大名復帰した所からも人格者ではあったんだろう事はファン以外でも十分伺えるな
しかし立花宗茂はあと一つ足りないんだよなぁ
戦も無難にこなし内政も良いらしいし親父や祖父は超有名で血筋も良い。
でも物凄く地味な印象が付きまとってるわ
戦った武将で一番有名なのが京極高次なのが悪かったんだろうか。(明攻めは省く)
0940人間七七四年
2012/08/09(木) 18:34:29.20ID:oPIa8GaJそれと祖父じゃなくて養父
0941人間七七四年
2012/08/09(木) 18:38:11.34ID:n6oOfjVF0942人間七七四年
2012/08/09(木) 18:56:23.07ID:mqw3w0b9五年前だったらマイナーだったかもしれないけど
ここ二、三年のことだったら、2009年に無双3でキャラ化した時「ついに!」って言われる程度には人気あった
0943人間七七四年
2012/08/09(木) 19:00:27.16ID:UlLtdoWF0946人間七七四年
2012/08/09(木) 19:29:17.25ID:EmOIXzu0大友には立花宗茂含めいろんな武将がいるんだな〜とおもった
…まさかみんな同じ一族だとは思わんかった
0947人間七七四年
2012/08/09(木) 20:01:46.84ID:g2ezj/r4パワーアップキット版についてた合戦トライアルモード。
ゲーム本編のシナリオではなくて歴史上の合戦を戦うモード(内政とかはなく合戦のみ)。
三英傑それぞれと信玄編、九州戦記編、日本史編とあって、
日本史編には八幡太郎様、清盛さん、鎌倉殿、尊氏さん、楠木兄弟と登場して、
本編以上に楽しめた
0949人間七七四年
2012/08/09(木) 20:16:51.18ID:Jnst0NbO講談やゲームの影響で美形と思われがちの真田幸村だが久度山から国元に送った手紙に「去年からにわかに歳をとり身体も弱くなり歯も抜けました。髪も白くなりました。」と言っている。
また、大阪城内で幸村を見た者が「真田左衛門佐は四十四、五に見えた。額に二、三寸の傷があり小兵な人だった」と言っている。
(長沢聞書)
つまりこの板の住人周知の通り初老の醜男だったのだ。
また、娘の身を案じる手紙、姉に宛てた手紙など数多く残しており心優しい人であったことが察せられる。
では伝説的な武勇はどうか。
幸村を評する手紙が二人の大名によって残っている。
「真田左衛門佐、合戦場にて討死。古今にこれなき大手柄。首は越前宰相殿鉄砲頭取り申し候。さりながら、手負ひ候いて、くたびれ伏して居られ候を取り候に付、手柄にもならず候」
(細川忠興)
「五月七日に、御所様の御陣へ、真田左衛門佐仕かかり候いて、御陣衆を追いちらし、討ち捕り申し候。御陣衆、三里ほどづつ逃げ候衆は、皆々生き残られ候、三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵、いにしえよりの物語にもこれなき由、惣別これのみ申すことに候」
(島津某・たぶん家久)
日本最強の大名の一つと言われる島津家に日本一の兵と称されている。
0950人間七七四年
2012/08/09(木) 20:25:04.67ID:2zdOeasM>島津忠恒(ただし、この戦いに島津氏は参加しておらず、伝聞から信繁の奮戦ぶりを推測して話した)
>「五月七日に、御所様の御陣へ、真田左衛門仕かかり候て、御陣衆追いちらし、討ち捕り申し候。
>御陣衆、三里ほどずつ逃げ候衆は、皆みな生き残られ候。三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵。
>古よりの物語にもこれなき由。徳川方、半分敗北。惣別これのみ申す事に候。」注[12]
>注[12] 薩藩旧記雑録(伊地知季安著、明治30年完成)に収録されるとするが、
薩摩藩士の得能通昭著(宝暦8年)島津久光写(天保13年)の島津編年史の『西藩野史』
(『西藩野史』鹿児島私立教育会 明治29年 国会図書館 近代デジタルライブラリ)では、
大坂の陣における真田の記述は一切なく、当然、島津家久の発言もない。
となっているわけで(真田信繁をディスる気持ちはない)
0951人間七七四年
2012/08/09(木) 21:25:41.97ID:gz1TSNYd0952人間七七四年
2012/08/09(木) 21:40:57.78ID:2jLWQZvi0953人間七七四年
2012/08/09(木) 21:46:11.35ID:ayM7CWMoまあそうにしても、何で「幸村」が選ばれたのかも謎なんだよなw
そもそも「幸村」って名前もどこから来たのか謎だが。
0954人間七七四年
2012/08/09(木) 21:46:53.45ID:xE8G+nBm一定以上の評価はあったことの証拠になるんでね
0955人間七七四年
2012/08/09(木) 21:49:38.16ID:e8TeZ/K+0956人間七七四年
2012/08/09(木) 21:51:33.40ID:g2ezj/r40957人間七七四年
2012/08/09(木) 22:04:45.46ID:gz1TSNYdどっかの研究本では後藤基次の部下が、出丸の戦いでは真田の他に
長宗我部も活躍したんだっていう証言をしてたと書かれていた
0959人間七七四年
2012/08/09(木) 22:14:21.30ID:9yi8ay1P0960人間七七四年
2012/08/09(木) 22:16:45.99ID:e8TeZ/K+そりゃまぁ、真田信繁ここにあり!と天下にアピールして
華々しく活躍して後は討ち死にすりゃいいやって思ってるような状態だから
自分の活躍は大いにアピールするわな
そういう意味では信繁は後藤、長宗我部、明石、毛利といった
名だたる連中を凌ぐ名声を手に入れたんだから
情報戦で勝利したと言えなくも無い
0961人間七七四年
2012/08/09(木) 22:20:06.34ID:ayM7CWMo存在でもあっただろうね。条件闘争の場を自分のオンステージにしちゃうんだものw
0962人間七七四年
2012/08/09(木) 22:29:37.07ID:gz1TSNYd信繁の実年齢って実際はそのまんまみたいだよ
理由はそのままだと元服が遅すぎるという矛盾と
49という享年は講談がはやり始めてからの史料しか載ってない情報の事など
0964人間七七四年
2012/08/09(木) 22:43:39.14ID:FTokgxxo十勇士からしておそらく山中幸盛(ゆきもり)からだろうと思われ。
やってることがどことなく似ているし。
0965人間七七四年
2012/08/09(木) 22:46:38.23ID:seYMkW8BNGMSへのあてつけの気がしないでもない
0967人間七七四年
2012/08/09(木) 22:53:30.90ID:VqAOPgdZ子孫の家でも記述は幸村であり信繁名が使われていないから幸村の本名は幸村
って真田幸村の実名は幸村だった スレで言ってた。
0968人間七七四年
2012/08/09(木) 23:07:30.18ID:seYMkW8B細川忠興「古今これなき大手柄」
島津忠恒「日の本一の兵」
伊達政宗「子女はわしが引き取る」
あれ、この人たちって
0970人間七七四年
2012/08/09(木) 23:13:20.46ID:UlLtdoWF幾ら講和したくても相手が端からToyotomi delenda est.ちうて吹っかけて来てるから
それなりに暴れてアピールもせんと交渉のテーブルにもついてくれんだろうけどね
0972人間七七四年
2012/08/09(木) 23:18:11.19ID:RKCgMTMzそういう説もあるのか。
で、特に反論したいとかではないんだけど単純に気になるのは
講談でわざわざ爺化させて何が嬉しいのか(人間50年的な演出?)
それと、1567年生まれの場合武田滅亡→真田スーパー綱渡り→そのまま人質
でぶっちゃけ捨て駒気味の次男の元服なんぞ放置されてた可能性とかw
0975人間七七四年
2012/08/09(木) 23:23:27.84ID:gz1TSNYdぶっちゃけ好敵手とされている伊達政宗の年齢と合わせたものと思われる
大谷吉継や明智光秀と似たようなもの
0976人間七七四年
2012/08/09(木) 23:33:28.86ID:e8TeZ/K+三歳「真田マジパネェ!手紙に書くしかねぇだろ」
悪久「大御所の陣崩すとかマジかよ…。日本最強じゃね?すごくね?(まぁ俺は被害受けてねーし」
政宗「気に入った。うちに来て小十郎ファックしていいぞ!」
何かこんなノリな気がしてならない
0978人間七七四年
2012/08/10(金) 01:12:18.75ID:OQ3zvEtU北条家の関八州制覇に大きく貢献し、北条姓を与えられる程の武勇を持つ北条綱成には野戦で必ず使う必勝法があった。
綱成は大将であるのにも係わらず先頭になって常に「勝った!勝った!」とおらびながら突撃した。
これには味方も奮い立ち、敵方はいつも総崩れになった。
この辺りは蒲生氏郷に似てなくもない。
常勝を誇る綱成の地黄八幡の旗を見ただけで敵は戦慄して意気消沈したという。
(名将言行録)
0979人間七七四年
2012/08/10(金) 04:07:17.63ID:q3WwlswE…こうですか?
0980人間七七四年
2012/08/10(金) 04:42:32.52ID:ZfC0qa9S0981人間七七四年
2012/08/10(金) 04:44:39.10ID:ZfC0qa9S戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/
0985人間七七四年
2012/08/10(金) 08:40:34.89ID:bTTFcxLi与えられたみたいな話あったっけ?
0986人間七七四年
2012/08/10(金) 08:58:39.05ID:DglvCBsT0987人間七七四年
2012/08/10(金) 08:59:54.52ID:ZCX9dULq黒田さん家も先頭に立って戦ってたのにこの評価の差はいったい
0988人間七七四年
2012/08/10(金) 09:41:24.08ID:w7Q4AuU30989人間七七四年
2012/08/10(金) 09:47:43.14ID:hzrsj5qoたしか、氏康さんの妹婿じゃなかったかな?
>>987
「一人しかいない跡取り」と「能力を買われた入り婿」じゃ、その地位に求められる行動はおのずと違ってくるわな〜
って、マジレスしてみるわ
0990人間七七四年
2012/08/10(金) 11:30:22.86ID:q3WwlswE0991人間七七四年
2012/08/10(金) 12:16:33.85ID:OQ3zvEtU後に名将になる氏康は幼少時は才気乏しく氏綱を擁立しようとする声もあったらしい。
0992人間七七四年
2012/08/10(金) 12:55:45.86ID:WLFh4AEK0993人間七七四年
2012/08/10(金) 14:25:24.10ID:q3WwlswE0995人間七七四年
2012/08/10(金) 16:18:50.52ID:VQpBggNmラスボスも思わず笑って赦免するわ
0996人間七七四年
2012/08/10(金) 18:08:56.08ID:bTTFcxLiいつか氏綱の娘を娶ったが一門ではないみたいのを見たから普通に福島から北条へ改姓しただけだと思ってた
0998人間七七四年
2012/08/10(金) 21:05:14.60ID:ZH26C3W80999人間七七四年
2012/08/10(金) 22:31:50.24ID:j/7Ns+y21000人間七七四年
2012/08/10(金) 22:51:05.88ID:ZfC0qa9S10011001
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