戦国ちょっと悪い話32
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0001人間七七四年
2012/06/16(土) 10:16:13.81ID:lqw/WNsT戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
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戦国ちょっと悪い話31
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姉妹スレ
戦国ちょっといい話32
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0723人間七七四年
2012/07/26(木) 13:29:54.12ID:iW9OmFev0724人間七七四年
2012/07/26(木) 13:47:15.19ID:zMmoNLL4三河武士に反論する。
政宗の前に陣取る。
0725人間七七四年
2012/07/26(木) 14:15:11.90ID:2N1wqhhY0726人間七七四年
2012/07/26(木) 14:49:08.60ID:uMDCdKr9病気の家族を見舞いに行く
0727人間七七四年
2012/07/26(木) 15:01:17.62ID:7uT4Rbk/0728人間七七四年
2012/07/26(木) 17:29:23.09ID:Q3DXuDNQ0729人間七七四年
2012/07/26(木) 17:49:28.90ID:LWhAbu450730人間七七四年
2012/07/26(木) 17:52:35.57ID:Q3DXuDNQ0731人間七七四年
2012/07/26(木) 18:03:50.72ID:zMmoNLL4撤退中に饅頭を無銭飲食する。
うーん。やっぱ戦国だからふっと死ぬことはあっても絶体絶命で生き残るのはきついな。
0732人間七七四年
2012/07/26(木) 18:38:52.57ID:O8WdMZ76誰も突っ込んでいないから突っ込むけど忠勝はそう言われて締め出された方だぞ
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0733人間七七四年
2012/07/26(木) 18:59:42.35ID:eUUJ6iG50734人間七七四年
2012/07/26(木) 19:17:39.47ID:tkKQMCCS12日、岐阜に到着する。以下、言継の日記より
「武井夕庵に澤路隼人を遣わした。夕庵は、『奏者の事は解りました。信長様は現在の京の状況をよくご存じないのです』
というようなことを言ったそうだ。
次に朝山日乗上人、坂井文介らに遣いを出した。文介は疲れて寝込んでいるということだった。
日乗の宿舎に向かうと、門前でばったりと出会った。そのまま談合のような形になり、私の用件の
あらましを語ると、日乗は「後で、かねて岐阜に下向している三条大納言(実澄)と話し合いをする
用件があるので、ご一緒に同道しませんか?」と言った。
(後略)
光雲の所で食事の振る舞いを受けた。それにしても今の美濃は、悪銭のために商売が停滞し、
酒なども手に入らないのだという。
三条亜相の宿舎を訪ね、稲葉貞通の所にいるのでそこに行って、信長と対面することを話し合った。」
13日
「まだ弾正忠(信長)に奏者を送っていないのに、今日鷹山からの帰りに、門前で出会ってしまった。
そこで私が岐阜に来た理由を少し話した。その後、戌の刻(午後8時頃)に松井友閑が信長の
遣いとして来て、私が岐阜に来たのは勅使としてか、それとも私的なものなのか、その立場を教えて欲しい
とのことだったので、私的な訴えで来たのだと申し渡した。」
(後略)
14日
「黄昏時になって弾正忠(信長)より、好斎、武井夕庵の二人が遣いとして来て、銭二千疋を贈って来た。
信長からの伝言は『只今、京都の方のことは何も解らないので、この春過ぎの上洛の時に、知行の分配を行うよう
申し付けるつもりです。ですので、先ずそれまでご堪忍をしていただきたい』とのことであった
(只今者京面之儀、万事不存之間、春過上洛之刻、知行分可申付之、先其刻迄可堪忍之由被申之)
その日は返事を出さず、夜半ばかりに宿所に帰った。それから先の好斎の所へ礼に行き、銭二十疋を
遣わした。」
(言継卿記)
岐阜での信長側近たちとのやり取り、また美濃が、悪銭の影響を受けて非常な不景気になっていたことなど
(これは岐阜をバビロンと呼びその繁栄を報告したフロイスの描写との差が面白い)
当時の岐阜の空気がよく伝わってくる記録である。
0735人間七七四年
2012/07/26(木) 20:07:37.81ID:ARHQDa+N小早川隆景に死の予言をされる。
厳島神社に身代わりの願掛けをする。
少弐家の当主になる。
>>728
秀吉と仲良くなる。
0736人間七七四年
2012/07/26(木) 20:42:57.67ID:px4YSSb4各DQNとのデスフラグを回避するためにラスボスとの親密度をあげる・・・
ENDが楽しみです^^;
0738人間七七四年
2012/07/26(木) 20:58:27.86ID:zMmoNLL4→GAME OVER
政宗「だと思ったか!?DQNとのデスフラグを回避するためには、DQNになればいいのだ!」
0739人間七七四年
2012/07/26(木) 21:08:16.75ID:nIE25o4Qすてがまりで大将を狙撃
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6519.html
松永弾正の話に乗る
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宇喜多の娘を嫁にもらう
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全盛期のラスボスをディスる
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鬼武蔵に関わる
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0740人間七七四年
2012/07/26(木) 23:02:34.40ID:xaj/wU7pあちこちから養子をとる(細川政元、他)
主君の屋敷の風呂に入る(太田道灌)
大田原一族と敵対する(那須家の皆さん)
0741人間七七四年
2012/07/26(木) 23:38:00.52ID:59T/Isplそのある暁に陣中が騒がしくなった。
長政は「敵は早朝を狙って来たか」と思い、甲冑を着て楼に登って辺りを見回すと、
大きな虎が馬小屋の馬を噛み殺して狂いまわっていた。誰も虎に近づけない
ところ、菅政利が刀を抜いて立ち向かった。飛び掛った虎を引きはがして
腰を深く切りつけた政利だったが、虎は前足二本でしっかと立ち、ますます
猛り狂って政利も危なくなった。
そこに後藤基次が助けに入り、眉間を切り割ると、二刀で虎は絶命した。
一部始終を見ていた長政だったが、殊の外不興になり「一手の大将ともあろうものが
大事の役を持ちながら、畜類と勇を争うとは不心得なるぞ!」と叱り飛ばした。
0742人間七七四年
2012/07/26(木) 23:39:09.29ID:eUUJ6iG5工場長がとても悲しげです、謝ってください
0743人間七七四年
2012/07/26(木) 23:58:08.26ID:nIE25o4Qこっちだと菅さん一人で頑張ったことに
ついでに南方熊楠「十二支考 虎」ではその刀に林羅山が「南山」とつけたとか書いてた
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/526_28258.html
(京劇「周処除三害」の元になった逸話では三国志演義にも出てくる周魴の息子、
周処が南山の白額虎を退治している)
0744人間七七四年
2012/07/27(金) 00:04:40.28ID:ceAp0aD5上杉景勝「これもうダメだろ…まあいい死んでも悔いはない最後まで戦ってくれる」
=相手が帰るフラグ
0745人間七七四年
2012/07/27(金) 00:32:59.52ID:xS+6mxRc0746人間七七四年
2012/07/27(金) 03:53:22.56ID:vcWo9dTU『腹痛を装って厠の××に潜って逃げ出す。』
『小豆を入れた袋の両端を結んで貰う。』
『干し柿を食べない。』
0747人間七七四年
2012/07/27(金) 04:05:45.56ID:sgZiDIYP0748人間七七四年
2012/07/27(金) 09:06:32.99ID:edIj3FUz0750人間七七四年
2012/07/27(金) 13:15:32.28ID:kfiNQJ4uほんとは家康のところに法会の資金を無心に行く予定だったんだよね
信長に扇子5本プレゼントして、家康の分と合わせて法会の金2万疋貰ってほくほく顔で帰るんだよなあ
出かける前は言経に神楽の秘曲・灌頂の所作を聞かせて奥義伝授するほど悲壮だったのにさ
0752人間七七四年
2012/07/27(金) 19:34:20.30ID:7qWmZT9T発言をしたため、清正は若者に切腹を命じたところ、キリシタンの掟は自害を禁じられているので
若者は拒否した。すると清正は「切腹を拒むとは臆病と弱虫の証拠である」と言って、若者の胸を
槍で貫くよう他の家臣たちに命じた。(続く)
0753人間七七四年
2012/07/27(金) 19:37:39.68ID:7qWmZT9T若者は「私が朝鮮における数々の激戦で何ら恐れを知らなかったことは殿も御承知であります。
しかし、今は反対に刀を捨て十字の印を天に捧げて、以前のような勇気を失ってしまったことを
殿に知ってもらいたいのです。私は首を差し出しますので、お望みなら刎ね落として下さい」と答えた。(続く)
0754人間七七四年
2012/07/27(金) 19:41:22.33ID:7qWmZT9T加藤清正は若者を処刑してしまったが、後になってその行いを後悔してこう言った。
「キリシタンたちもまたその名誉を守るために戦うが、他の人々とは異なっている」
(1596年度イエズス会年報補遺)
0755人間七七四年
2012/07/27(金) 21:35:47.59ID:bUdKwb22陸奥国和賀郡笹間の領主轟木長右衛門は、奥州仕置後の和賀氏没落後、その主人を和賀氏から南部氏に変え、
関ヶ原の際に南部領で起きた岩崎和賀一揆の時も
他の者達が旧主和賀忠親につく中、南部氏に仕えて岩崎城を攻め、その命脈を保ち、安定した生活を送っていた。
この長右衛門にはひとりの愛妾がいた。この妾を、長右衛門はことのほか溺愛していた。
面白くないのが本妻である。最初は我慢もしていたが、次第に嫉妬の気持ちが芽生え
遂に妾を陥れようと画策した。
ある日、本妻は夫を誘って清水観音に参詣した。と、境内の大杉をみると、
その木に釘で打ち留められた髪の元結いがぶら下がっていた。
首をかしげる長右衛門に、本妻は言葉を掛けた。
「これまで何度か申し上げようと思ってはいましたが、女ずれのはしたないことと思われてはと
そのままにしておりました。貴方の妾は、家臣の某と懇ろな仲になって、貴方様のお命を縮めようと謀っています
これ、このようにもとどりを打ち付けて祈念をこらしているよしにございます。ゆめゆめご油断あそばすな」
長右衛門は、この時はただのやきもちから来る言葉だろうと聞き流したが、
本妻はその後も折に触れて妾の行いの疑わしいことを夫に告げ口し続けた。
長右衛門も、何度も聞かされるうちに疑念の心が浮かんできて、それとなく愛妾を疑うようになった。
秋頃のこと、長右衛門は本妻と妾を連れて将軍寺という菩提寺に仏参した。
寺の本堂で誦経が終わり、焼香を終えて別間で休息している時、本妻が耳打ちした。
「妾のたもとになにやら怪しいものが潜められている様子。取り上げてごらんになっては・・・」
妾は呼び寄せられ、長右衛門の言いつけに不審に思いながらも自分のたもとを探ると、一枚の板札が出てきた。
それには墨で「轟木長右衛門」と書かれてあり、その上を何度も踏みつけられた跡がある。
怒った長右衛門は詰問するが、妾は全く覚えのないことで答えられない。
それを見ていた本妻が
「それは言えぬも道理。その板札こそは、そなたがそれが家来の何某と密会するたびに、泥足をもって
踏みつけるといううわさのものに違いない」
それを聞いた長右衛門は烈火のごとく怒った。
「おのれ、よくもこの長右衛門をたばかったな!」
彼は傍らの太刀を抜くと、動転している愛妾を斬りつけた。
「ぎゃあーっ!」
悲鳴を上げて敷居ぎわに愛妾は倒れ伏せる。鮮血はふすまに飛び散り、床を真っ赤に染めた。
思わぬ修羅場に住職も家臣たちも声を飲んだ。
0756人間七七四年
2012/07/27(金) 21:36:44.96ID:bUdKwb22それから21日後――三七にあたる夜のこと。
その日は天気も良くなかったが、夜にはいって風が吹き出し、ざわざわ落ち着かない様子だった。すると
「ぎゃーっ!」
どこからか大きな悲鳴が聞こえてきた。
書き物をしていた長右衛門が何事かと立ち上がると、吹き込んできた風がろうそくの火を消し、
とたん、血の臭いがあたりに漂った。そしてまた、
「ぎゃーっ!」
と、暗がりから悲鳴が聞こえてきた。
長右衛門も恐ろしくなり、「たれかある、灯りを持て、灯りを――」と狼狽したという。
またその翌日の夜。
長右衛門の本妻が侍女達と雑談をしていた時、侍女の一人が悲鳴を上げた。
月明かりに照らされた障子戸に、ざんばら髪を振り乱した女の影が映っていたのだ。
本妻が意を決して障子を開け放つ! が、人影はない・・・。
「ほっほっほっほっ・・・」
虚空から気味悪い悪い笑い声が降ってきて、生臭い風がさあっと吹いた。
そのまた翌日の夜。その日は雨が降っていた。
本妻とともに眠ろうとした長右衛門が服を脱いでいた時、雨がいっそう強く振ったかと思うと、
部屋が急に薄暗くなって、やがて青白い光が立ち込めた。
「ひいっひいっひいっ・・・」
不気味な笑い声がする。天井を見ると、顔面を血まみれにした愛妾が天井に張り付いて、
口を耳元まで開き、長い髪を振り乱して、恨めしげにふたりを見下ろしている。
長右衛門が床の間の刀掛けに走りよって太刀を握ると、亡霊はすっと消えた。
――以来、亡霊は毎日のように城内に出現した。家臣や侍女達はすっかり怯えてしまい、
口実をもうけて次々に暇を取っては去っていってしまった。
そして秋も終わりの頃。
さすがに長右衛門もすっかりほおの肉が落ち、恐怖と不安でイライラしながら暮らしていた。
城内の静けさが気に触り、彼は太刀を持って妻の部屋まで行くと、本妻の声がする。
「ああ、苦しや。そこを放せ、ええい、放さぬか――!」
長右衛門が障子を開けると、なんとそこには本妻の衣装をまとった愛妾がいて、虚空を睨んでいる。
長右衛門が思わず刀の鯉口を切ると、愛妾の顔はたちまち消えて、本妻の顔が。
「ああ、苦しや。まこと、わらわがそなたを落としいれようと濡れ衣を着せ、夫をたばかったもの。
わらわの奸計よ。ああ、苦しや。こう白状したからには、そこを放せ、放せい――」
妻はそう言いながら床の上を転げまわっていた。長右衛門は呆然と立ち尽くすほかなかった。
その4・5日後、本妻は狂ったままこの世を去った。
そして長右衛門は日夜を問わず亡霊を見るようになった。薬も祈祷も効く事はなかった。
そしてやがて雪が降り始める頃。
長右衛門の目に、妻だけではなく、岩崎の戦いで戦い殺したかつての仲間――和賀氏の何某や何某の首を
見るようになった。彼らは空中から降りてきては床に下りてきて、長右衛門を睨みすえ、
そして小気味よさげに高笑いしては消えていった。
その年も暮れぬうちに長右衛門は死んだ。彼に子はなく轟木氏はここに断絶。
その城館も取り壊され、わずかに土塁が残るだけだという。
0757人間七七四年
2012/07/27(金) 21:38:20.14ID:bUdKwb220758人間七七四年
2012/07/27(金) 22:49:51.38ID:Na0wy1Uf0759人間七七四年
2012/07/27(金) 23:40:07.67ID:/0XdNYsw0760人間七七四年
2012/07/28(土) 07:53:52.33ID:1QLSuGI0中川宗伴(光重)は故前田利家の娘婿であり、当時上方にあったため、上方よりの情報を金沢の前田家に送った
『今度上方一面に蜂起して、内府(家康)の味方する輩を討ち果たすべき為に国々へ手遣いあり。
殊更丹波・丹後・若狭の軍勢数千人御領内宮腰へ兵船を進め、大谷刑部少輔(吉継)、諸将を帥いて、此の口より
加州へ発向の用意夥し。御用心あるべし。』
そのうちに金沢の安否をおぼつかなく思い、直接加賀まで向かったが、越前の今庄まできたところで大谷吉継によって
捕まってしまった。
吉継は宗伴に
「其の方、何の用があって加賀に下るのか?」
と尋ねると宗伴は、『あなた方に気をつけるよう警告するためだ』とは言えず
「は、はい。今回(前田)利長が、内府の味方をするという風聞があります。私ごときが言うのもどうかとは思いますが、
御幼君(秀頼)を見放される様でいかがなものかと思い、さればその考えを覆し、上方(西軍)の要求に従うべきだと、
強く諫言するために加賀に下ろうとしたのです!」
吉継、これを聞いて頷き
「いかにも御辺の言うとおり、利長卿がもし父の遺言に背いて御幼君の秀頼公を見捨てられるのなら、彼の行末、
どう考えても目出度い事にはならないだろう。願わくば先非を改められ、宇喜多秀家・毛利輝元と同じように、天下の
御為を成して頂きたいものだ。
もし御老母(まつ)を江戸においているため、一筋に御忠節を行うことが難しいというのなら、せめて金沢から
動かず天下が治まるのを待っていても、前田の御家は恙無いだろう。
それなのに利長卿は軍勢を率いて小松・大聖寺の城を攻め落とし、そこから当国に乱入するという声も聞こえてくる。
もし風聞のとおりなら、偏に前田家の滅亡を招くものとなるだろう。
例えその方があちらに行って、言葉を尽くして諫言しても、おそらくその甲斐はないだろう。
…そこで、だ」
吉継、声色を変えて
「其の方、ここで私のいう通りにはかりごとの書を書き、利長卿の陣所に送れば、彼が軍勢を金沢に
軍勢を引き返す事、疑いない。
その上で加賀に人を遣わし、其の方の誤り無き趣、又は御亡父の志を継ぎ御幼君を守り立つべしと
理を尽くして申し送れば、どうして承諾しないことがあるだろうか?これほど解りやすい理屈を、お主、
もしこの書を書くのを辞退するというのなら、最前に言ったことは我々を欺くためのものだと判断する!
そうでないのならさあ、今ここで筆を取れ!!」
そう言って硯と料紙を出した。そんな状況で宗伴も断ることが出来ず、吉継の言うままに書をしたため、
それを利長に送った。
前田利長はその書を見て驚いた。間違いなく宗伴の筆跡であり、また彼は利長を謀るような人間ではない。
それがどうしてこの様な内容の書状を送ってくるのか?
利長は判断がつかず、弟の能登守、その他老臣達を集めて評議をさせた。
そして、吉田保馬一人は反対したが、その他は全員、金沢に御帰陣あるべしと諌めたため、
利長もそれを受け入れその日、軍勢を大聖寺へと後退させた。
大谷吉継計策、という逸話である
(関原軍記大成)
0761人間七七四年
2012/07/28(土) 08:27:51.12ID:0eHGz4i80762人間七七四年
2012/07/28(土) 17:48:53.32ID:p8+58x42まぁ、一網打尽って言葉があるくらいだからなぁ〜
0763人間七七四年
2012/07/28(土) 17:49:40.63ID:p8+58x420764人間七七四年
2012/07/28(土) 20:53:10.40ID:s/bsdWtf0765人間七七四年
2012/07/28(土) 21:21:38.85ID:KP1Dk9Iwビューンと飛んでく 伊勢長島
0767人間七七四年
2012/07/29(日) 03:29:27.65ID:wCCV8kBY元亀二年(1571年)、九州大隅の国人である禰寝重長は
摺ヶ浜で島津義久の軍と戦い激戦となった。
戦いは苛烈を極め戦場のどこにいようとも安全とは言い難い状態となった。
そんな中、時刻は昼時となった。
すると長重は、いきなりその場に座り込み平然と昼飯を取り始めた。
心配した家臣が、
「このような場所で危険です。おやめ下さい!」
と言うと、長重は
「古来より腹が減っては戦ができぬという。
それにもし、飯の最中に命を落としてしまうならばその男は所詮それまでだったということよ」
と答え、昼飯を食べ続けたという。
禰寝重長の豪胆な話
0768人間七七四年
2012/07/29(日) 06:10:42.44ID:f/1B3mzs0769人間七七四年
2012/07/29(日) 06:28:52.94ID:CW530lSZ0770人間七七四年
2012/07/29(日) 06:41:23.00ID:CQQ1pKt3みな悩んだ末に結局誰も狙わないということになりそうな
0771人間七七四年
2012/07/29(日) 06:53:18.51ID:n+J2+2oy0773人間七七四年
2012/07/29(日) 08:35:49.12ID:3BMsO3c2http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4044.html
>謙信は
>「確かにお前の言うことはもっともだ。
> が、人間は死のうと思えは生き、生きようと思えば死ぬものだ。
> 心を集中して動じていなければ、火に入っても焼けないし
> 水に入ってもおぼれぬ、とある人に言われたのだよ」
>そう言って笑った。
0774人間七七四年
2012/07/29(日) 10:24:28.11ID:bQCh8446この大会で宮居眼左衛門が一番の成績を治めたので、信長はその褒美として、秘蔵の重籐の弓を与えた。
この弓は山城国伏見の、島田喜内という名人の制作したものであった。
ちなみにこれが、勝ち相撲に弓を与えることの始まりとされる。
ところがこの眼左衛門、その後相撲を取ることをぷっつりとやめてしまった。
信長は不審に思い、その事を眼左衛門に尋ねると、彼はこの様に申し上げた
「相撲というものは、強いものが必ずしも勝つというわけではありません。
自分はたまたま勝利し弓をいただきましたが、次は打ち負け、この弓も別のものに取られてしまうかも知れません。
そして次に弓を取った者が殿様に敵対し、それにて文字通り殿様に対しに弓をひくようなことになれば、
せっかくの私の名誉は空しくなってしまいます。
そう懸念するため、私は相撲を取らないのです。」
信長はこの言葉に納得し、以後、褒美として弓を渡すことをやめたという。
(古今相撲大全)
ちなみに安土城跡の西側には、今も「眼左衛門」と言う地名が残っている。
これは宮居眼左衛門が信長の家臣として、屋敷を与えられた地であるという。
そんな信長の相撲取り、宮居眼左衛門のお話。
0775人間七七四年
2012/07/29(日) 17:05:56.12ID:gh6mgBPhまあ、名誉の品で実用性は二の次ってことなんだろうけど。
てか、眼左衛門ってすごい名前だな。
どんな目してたんだろw
0776人間七七四年
2012/07/29(日) 19:51:59.08ID:X5+SVVPC天正二十三(1554)年三月十二日付けで、当時三十二歳であった隆元が、深く慕っていた一つ年上の竺雲恵心に送った有名な手紙。
前にもちょこっと挙がってたけど、拙い訳で全文挙げてみる。
「恵心公宛隆元自筆書状」
謹述胸念
一、来世の善所(極楽)の事については、強く心に留め置いております。ですから、心の及ぶ限りに善根(善い行い)を積むように致したく思っております。
一、娑婆(現世)については、果報は一つもないと見ておりますので、何を恨む事がありましょうか。これも前の世の報いと弁えておりますので、殊更思い悩む事もありません。
一、私の一生は、先の易にも見えておりますから重ねて申し上げるまでもありませんが、私は無才無器量であるだけではなく、これは必然であるのかも知れません。
一、我が家も、父・元就の代で終わりと見えます。
私の代で家運が尽きてしまうのも因果の道理に従っており、これも必然の道理であります。
一、他の諸家の有様については論じてませんが、この国も悉く変わりました。
それは至って明白な事であります。
また、そのような中で、当家だけがこの世に今日まで存続して居るのは不思議な事に思います。
これは、偏に父・元就の信心の故と思います。
私にはそのような信心がないため(原文:サノミハナキ習ニテ)、毛利の家運の尽きる時に当たり生まれたのだ、と思っております。
一、当家は代々名を留めた当主が多いと言う中でも、父・元就ほど先代を超えた者はありません。
ですから、私に才覚器量があったとて、到底父には敵わない事でしょう。
私が形ばかりとて当主として存在していても、家臣や人の覚えは莫大の劣れがあり、況んや他国一円においては沙汰の限りではありません。
一、その上、私には無才無器量に加えて良く補佐してくれる家臣もおりません(原文:家ニ無人候)。
只今はこのように思っておりますが、ただ偏に父の一心の心遣い、心労によってこのような状況です。
家に賢佐良弼もおりません。これは物事を見知る以前のことでしょうか。
(続く)
0777人間七七四年
2012/07/29(日) 19:52:50.73ID:X5+SVVPCこの理は能く悟っておりますから、迷う事はありません。
一、兎も角、今生においては十分に良く知っています。偏に来世安楽の念願は骨髄に染みております(原文:偏ニ来世安楽之念願骨随ニ染ミ候間)ので、お頼み申し上げます。
一、右、私の心の内を申すままとしました。
一、このように申したとて、国家を保つ事は努々(ゆめゆめ)油断なく、力不足と言えども、懸命にその心がけを果たす覚悟でおります。
その次第については、少しも疎かにしないようにしております。
一、右の心中については、胸の奥に納める覚悟であります。
何れにしても、帰真の道理を覚悟するまでの事であります。
一、盛者必衰 一、生者必滅 一、会者定離
此の理は悉く覚(さと)りました。
一、天道満ヲカク、
此の理を以って覚(さと)りました。
右の理を更に深く理解せずに迷っておりましたので、速やかに分別して悟りました。
誠に恐れ多いとは思いますが、確かに現世・来世の二世共にお頼みしたいので、私の念を残すところ無く申し上げました。重ねてお頼み申します。恐惶。
天文廿三 三月十二日 拝進 恵心公
足下
タカ元(花押)
0778人間七七四年
2012/07/29(日) 20:00:00.81ID:X5+SVVPC初めてこれをみた時、思わず涙がこぼれてしまいました。
この書状を隆元の死後に読んだ隆景、元就の反応について(毛利家文書七六三、四)は既出であったと思います。
長文失礼致しました。
0779人間七七四年
2012/07/29(日) 20:00:37.39ID:7LkG5TlJ0780人間七七四年
2012/07/29(日) 20:08:39.58ID:yai3/TVz家臣涙目
0781人間七七四年
2012/07/29(日) 20:18:05.61ID:CQQ1pKt30782人間七七四年
2012/07/29(日) 20:18:31.06ID:CW530lSZ0783人間七七四年
2012/07/29(日) 20:22:31.77ID:xiCdRbje最期まで曲げずに貫いた人だ。
0784人間七七四年
2012/07/29(日) 20:38:43.36ID:t6G27uqvしかしそれが逆に毛利家を大大名へと飛躍させるきっかけを作ったんだから大したものだ。
0785人間七七四年
2012/07/29(日) 20:48:10.38ID:gOZG/EXP弓は手近なところにあったからじゃないのかな
信長はけっこう相撲取りを召し抱えてるよね
本能寺でも殉じてるのがいた気がする
0786人間七七四年
2012/07/29(日) 21:05:16.27ID:LYh5x/En腕っ節しか取り柄がなくても、武将の護衛とかには使えるだろうし。
0787人間七七四年
2012/07/29(日) 21:29:10.70ID:qmElIRHf0788人間七七四年
2012/07/29(日) 21:49:11.68ID:DZ7Dn8uv思慮がまったくない鮭様ですか?
0789人間七七四年
2012/07/30(月) 00:24:30.22ID:cFBHc3UN攘夷と真逆の航海遠略策を長井雅楽に言われるままに
藩論にしてるし何でもそうせい言ってた単なる馬鹿だろ。
0790人間七七四年
2012/07/30(月) 09:07:07.85ID:uIG/xTnR弓取式のWikipediaで信さん起源が思い切り否定されてて笑った
0792人間七七四年
2012/07/30(月) 14:46:23.55ID:GOW/5i/Xものすごく有名なやつで今更と思ったけど、清正公ベタ褒めの中でこれかよと思うと笑えてきたのであえて貼ります。
以下原文ママ
0793人間七七四年
2012/07/30(月) 14:52:37.31ID:GOW/5i/X怒ると怖い?忠興
忠興の愛刀には「歌仙・兼定」とよばれたものがあります。
「歌仙」(六歌仙または三十六歌仙)とは和歌の名人の総称で、刀はこ
れにちなんで名付けられたといわれています。
では、なぜこの刀は「歌仙」になぞらえて呼ばれるようになったのでしょうか? それは、忠興がミスをした自分の家臣や使用人を、この刀で6人(一
0794人間七七四年
2012/07/30(月) 14:55:38.39ID:GOW/5i/X説では36人・・・)手討ちにしたから、といわれています。
戦国時代を生き抜いた忠興は、怒るととっても怖い武将だったのかも
しれません。仕える家臣たちもまさしく「命がけ」だったようです。
以上。
0795人間七七四年
2012/07/30(月) 14:58:33.03ID:Aa25Wzxv公正ではないなw
0796人間七七四年
2012/07/30(月) 15:04:51.91ID:GOW/5i/X本文の長さを調整してたら投稿ミスしてしまいました。お恥ずかしい・・・
炎天下の熊本城を一周した結果がこれだよ・・・
ちょっと37番目の歌仙になってきます。
0797人間七七四年
2012/07/30(月) 15:45:35.23ID:rzZNOCkj水をふんだんに用意した故、備中高松城へ参られよ。
0800人間七七四年
2012/07/30(月) 22:53:13.64ID:ffqDqkYL0801人間七七四年
2012/07/30(月) 23:20:43.99ID:+FETX6Hb0802人間七七四年
2012/07/31(火) 01:02:14.86ID:SHqZ/elM0803人間七七四年
2012/07/31(火) 04:27:48.16ID:gQleTZO7昨年の天文二十二年には三村元親と結んで尼子氏側の備中猿掛城を攻略し雲州進出を目論んでいた頃に当たり、隆元の嫡男・幸鶴丸(輝元)が生まれたのもこの年だった。
毛利家内部では関係がギクシャクしてきた陶晴賢と断交するか否かで家中が真っ二つに割れていて、隆元は元春、隆景、口羽道良ら重臣たちと「力のある今こそ、大内義長を擁して賢(陶晴賢)を破るべきだ」
と元就に進言するけれど、
元就自身は「しかし仕損じては陶、尼子から挟撃され、毛利は末代まで失せる。ならば晴賢に味方して家を保つべき」
と晴賢との断交に消極的な態度を取っていた。
評定は結局堂々巡りのままに過ぎたが、天文二十三年の三月に入って晴賢の安芸国内の調略が明るみに出、遂に元就も断交の意志を固めた。
しかし陶方の兵力は圧倒的、今は吉見氏を攻めているために動けないが、近いうちに進撃して来るのは必定だろう――
と、そんな状況の中で>>775-776の書状をしたためたと考えてもらえればより隆元の胸中、特に
>国家を保つ事は努々油断なく、力不足と言えども、懸命にその心がけを果たす覚悟でおります
なんて所についてはわかって頂けると思い申す。
0804人間七七四年
2012/07/31(火) 08:08:01.19ID:26quZrkC相変わらず、外見と内面が一致しない人だ。
0805人間七七四年
2012/07/31(火) 14:51:32.67ID:dL+82e8W陶は信用できない父ちゃんが闇討ちされたら毛利家は潰れると泣き脅しだからな
結局らちあかないと陶からの使者を国司元相に討たせて強制断交w
0806人間七七四年
2012/07/31(火) 20:31:19.30ID:gQleTZO7小早川隆景書状
書簡を拝見致しました。常栄(隆元)の書き置き数通を読みましたが、誠に是非に及ばぬ次第であります。
これ程までに思い詰めていたとは、言うべき言葉もありません。
おおよそ全ての事は紙面から伝わりましたので、更に論ずるまでもありません。
今世、来世の二世までもあなた様にお頼み申し上げておりましたようですので、
安芸に上国されて隆元のために一寺を建立して頂く事を肝要に思います。このこと、私と元春も力の限りを致すつもりでおります。
元就の御心底についてはお察し下さい。
一寺建立の儀については急ぎお願いしたいとの事であります。
詳しくは昇蔵司に申し含めておりますので、よろしくお願い致します。恐惶謹言。
卯月十一日 隆景(花押)
(『毛利家文書 七六三』)
毛利元就書状
寄越して頂いた隆元の書き置きを日々拝見しております。
何と言えばよいのか、とても言葉では言い表せず(原文:言語道断)、感涙に堪えません。
これ程までに禅師を頼られているとは知らず、とても感謝しております。
是非とも御上国下さい。
また、お越しになられた際には隆元の菩提を弔ってやりたいと思います。
詳しくは昇公に申しております。恐惶謹言。
卯月十二日 元就(花押)
(『毛利家文書 七六四』)
元就の文書に関しては隆元の書簡を読んだ元就が本当に「言語道断」であったが如く、短い文であります。
0807人間七七四年
2012/07/31(火) 21:36:30.36ID:41vm73fE毛利の時期当主だからと言うだけじゃなくて個人的に気に入られていたとしか思えないくらいだったような
0808人間七七四年
2012/07/31(火) 22:37:19.87ID:JY1+A6Vs世継ぎを人質ってのはうまく教育(洗脳)して自分たちのシンパにしてしまうって意味もあるからね
厚遇しない理由がない
0809人間七七四年
2012/07/31(火) 23:34:42.82ID:+6SRIQEk0810人間七七四年
2012/08/01(水) 00:02:08.86ID:tn5qtDWN0811人間七七四年
2012/08/01(水) 10:42:16.50ID:lDuJTCjx0812人間七七四年
2012/08/01(水) 11:14:20.55ID:lnubV3dS家臣が逃げ出さない?
0814人間七七四年
2012/08/01(水) 16:57:27.13ID:ObEW6HMJ0815人間七七四年
2012/08/01(水) 19:34:20.94ID:1H29ZaN/羽柴秀吉が家臣を集め酒宴を開いた。このとき秀吉は非常な御機嫌で
「我が家の弓矢の勢(家臣の数)も、昔と比べて随分盛んになったとは思わんか!?」
と尋ねると、居並ぶ家臣たちは「ええ、3倍になりました!」「いやいや、5倍にもなりました」
などと秀吉に和し、これに秀吉はますます機嫌よく
「何を言うか!10倍になったわ!!」
と大笑いした。
が、ここで竹中半兵衛が声を発した。
「いいえ、我が家の弓矢は昔に比べ劣りました。」
水をさされた秀吉はとたんに機嫌を悪くし、半兵衛を問い詰めた
「どういうことだ!?何故我が家の弓矢が昔より劣ったというのか!?」
半兵衛は静かに語った
「先年、宮田喜八郎(光次)が死んで以来、羽柴家の弓矢は甚だしく劣化しました。」
「あ…」
半兵衛は三木城攻めで討ち死にした羽柴家随一の勇者、宮田光次の名を出した。
これを聞いた秀吉も、宮田のことを思い出し
「そうだ、半兵衛の申すとおりだ」
と、嘆息を漏らしたという。
(名将言行録)
0816人間七七四年
2012/08/01(水) 19:40:48.65ID:uKfc7Vum秀吉「我が家の弓矢は勢いをましたな」
官兵衛「いいえ、先年半兵衛が死んで以来衰えました」
0817人間七七四年
2012/08/01(水) 20:13:07.06ID:gTisydH0秀吉「我が家の弓矢は勢いを増したな」
某「秀なg…左様にございますな!」
0818人間七七四年
2012/08/01(水) 21:00:07.51ID:I7kHkDV+0819人間七七四年
2012/08/01(水) 21:09:06.92ID:Ljew9wdW0820人間七七四年
2012/08/01(水) 21:30:31.78ID:FBGbFxz9いや・・・あんたは自重しろw
しかし、三傑から一度は「もうこいつにはついていけねぇ」と、出奔
(小十郎は未遂だったが)されたにもかかわらず、いつの間にか
帰参している辺り、DQNの人望もパネェなぁ。
>>814
しかし、羽柴の残りの四人組の末路を見ていると、宮田も生き残っていたら
あんな目に合っていたんだろうかねぇ。
賤ヶ岳合戦以降、どうも秀吉は古参の家臣に対して、有能無能問わずに
扱いが悪くなっているんだよなぁ。
山内なんかぼやきまくっているし。
0821人間七七四年
2012/08/01(水) 23:08:15.37ID:wQ14VJFA0822人間七七四年
2012/08/01(水) 23:20:21.47ID:VGlFSC+y■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています