戦国ちょっと悪い話32
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0001人間七七四年
2012/06/16(土) 10:16:13.81ID:lqw/WNsT戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0616人間七七四年
2012/07/20(金) 18:13:18.04ID:o43kAeLPたしか秀康と秀忠でどちらを跡継ぎにするか意見が分かれたことあったんだよね
秀康の母親の身分が低いなら意見も分かれることなく跡継ぎは秀忠にならないのかな?
0617人間七七四年
2012/07/20(金) 18:19:22.75ID:bis/4Eyx関ヶ原の後だよね?あれは秀忠と秀康だけではなく、忠吉も名前が出てきてとにかく前提なしに議論してみよう、
みたいな話だけど、しかし秀忠は秀吉の時代から既に江戸で、実質的に後継者として家臣団も形成し
関東統治の中心として活動していたわけで。もし秀忠を後継者から外すとすれば既に形成されたシステムや
家臣団をぶっ壊すことになってしまうのですよ。
なので仮にあの話が実際にあったとしても、それは秀忠を後継者として再確認するセレモニーに過ぎなかったと思うよ?
0618人間七七四年
2012/07/20(金) 18:36:45.28ID:Epu0T8Ym徳姫との不仲説+信康が瀬名同様親勝頼だったとしたら・・。
&家康が死ねば政治的なやり取りで徳川を傀儡にできるかも。
十分利益はあったと思うな。
話がぜんぜん違うけど関が原後の秀康秀忠忠吉どれがいいかって逸話あるけど
あれって確か本多忠勝も井伊直政も本多親子も平岩親吉も榊原康政すら秀忠以外を推薦したんだよなw
賛成したのは大久保忠隣だけだったか…果たしてセレモニーとしてはどうだったのかと思うw
0619人間七七四年
2012/07/20(金) 22:07:23.78ID:Gtu1Y53210台で中納言だろ
秀康と官位は隔絶していたしあれで後継者内定していないわけない。
関が原の失敗で少し揺らぎはしたんだろうが
0620人間七七四年
2012/07/20(金) 23:21:10.82ID:sZLh3To0募集に応じて多くの者が集まり、皆腕を競い合った。
その中に松吉、周りからは鬼吉と呼ばれる大男がいた。
松吉は身分の低い百姓の出であったが、六尺五寸ほどの巨躯の持ち主で、鬼のように恐ろしげな容貌を持ち
素手で木を引き抜き、槍を同時に五本振り回し、矢を十本同時にへし折るほどの怪力の持ち主だった。
だが、その豪勇の割に無口で大人しい男であり、何を聞いてもまともに受け答えが出来なかったため皆からは馬鹿にされていた。
経久はこの大男をとても気に入り武士に取り立てようとした。
だが松吉は幼い盲目の妹がいることを理由に断ったため、経久は松吉に心ばかりと米俵を与えすんなりと帰させた。
部下にはそれを咎める者もいたが、経久はよいよいと言い、小気味よさげに見送った。
何年か後、経久は松吉のことが気になって部下に調べさせたが、既に亡くなったという非常に残念な報告が届いた。
松吉が住んでいた周辺は完全に経久の勢力圏で戦もなかったため、どうしてあの豪勇の士が死んだのか
経久は疑問に思い部下に松吉のことを再度調査をさせた。
すると、松吉はその性格ゆえか村人達に非道な虐めにあって殺されたばかりかその亡骸は辱められ
盲目の妹は慰み者にされたあげくに殺されたとの惨たらしい報告が届いた。
豪勇の士を遇することを知らぬ者達のあまりの仕打ちに烈火の如く怒った経久は、即座に虐めの首謀者らを捕らえ打ち首にし
その首を松吉の墓前に供えて霊を丁重に弔ったという。
0621人間七七四年
2012/07/20(金) 23:39:47.20ID:o43kAeLP後味悪すぎる・・・
松吉には少し障害があったのかな
今も昔もくだらないことで虐める奴いるんだな
0622人間七七四年
2012/07/20(金) 23:48:30.63ID:TC8d8MTi0625人間七七四年
2012/07/21(土) 00:51:51.08ID:MziHLxEh隆元、吉川元春、小早川隆景、穂井田元清、元秋、出羽元倶、天野元政、末次元康、秀包、二宮就辰
0626人間七七四年
2012/07/21(土) 01:09:41.57ID:GcOViNkz0627人間七七四年
2012/07/21(土) 01:13:12.50ID:GcOViNkz0628人間七七四年
2012/07/21(土) 02:15:25.60ID:mD428EP+0629人間七七四年
2012/07/21(土) 03:06:46.68ID:93gflo4f0630人間七七四年
2012/07/21(土) 03:09:09.56ID:mD428EP+0631人間七七四年
2012/07/21(土) 07:12:08.70ID:A8CF7d2X木を引き抜くのは定番の試験だったのか?
0632人間七七四年
2012/07/21(土) 08:23:56.75ID:U/bKkmPx0633人間七七四年
2012/07/21(土) 09:25:12.91ID:TIG6DBQO0634人間七七四年
2012/07/21(土) 12:57:43.05ID:l/Mg6B080635人間七七四年
2012/07/21(土) 13:08:06.99ID:H4RvnM2W人の心を持たないクズ野郎共だ
0636人間七七四年
2012/07/21(土) 15:54:39.65ID:k3vcaVJN0637人間七七四年
2012/07/21(土) 16:06:39.17ID:qltYteDD0638人間七七四年
2012/07/21(土) 16:26:22.75ID:ijSPW+5s筑前中納言小早川秀秋の家臣・比奈津角助は、籠城衆の松平五左衛門を突き伏せた。ところが
後から来た同僚である田島勘右衛門はこの角助に向かってこう言い放った
「角助よ、その頸の半分は俺のものだ!そう心得よ!」
角助が松平五左衛門を討つのに田島の手は一切借りていない。当然ながら彼はこれに納得せず
「なんだと!?お主に一体何の骨折りがあってそのようなことを言うのか!?」
これに田島
「お主は敵と槍を合わせていたが、未だ互角のうちに俺が馳せ来たため、敵は気が飲まれて引き色となり、
お主は勢いを得て能く敵を討ち取った。そういう事だったのにこれをお主一人の高名とするというのは、
全く思いもよらぬことである!」
角助はこの言葉に強く反発したが
「ここでなんのかのの言い合っても仕方がない!ご主君の御裁許を仰ごう!」
そうして二人は小早川秀秋の前に出て、その経緯を述べた所、秀秋は
「この事、田島の言う所に理がある。これはいわゆる相打ち(二人、もしくはそれ以上で一人敵を打ち取ること)と
定めるべし!」
と、下知をした。
角助はこれに全く納得できなかったが、主命であるので拒否することも出来ず、仕方なく訴訟を止めたと言うことである
(関原軍記大成)
0639人間七七四年
2012/07/21(土) 17:46:03.60ID:j4aRX38L0640人間七七四年
2012/07/21(土) 18:26:57.28ID:oWZljOMIむしろ白い目で見られそうだ
0641人間七七四年
2012/07/21(土) 19:10:11.47ID:hn2RZa6E始めたことがあった。
「関ヶ原の戦の後は世も静謐になった。
まことに、わしにとってあの戦は死生の分け目であった。
我が方は挟み撃ちにされそうになったが、敵は一戦に打ち負けて
右往左往に逃げる有様は見苦しいものだったな。
それに比べて我が方は命を惜しまず、功を争わずまことに潔いではないか。
のう彦左衛門よ?」
(なっげえ話だなあ)
彦左衛門は長話にうんざりして帰りたくなった。
「なるほど一溜りに敗北とは見苦しいですね。
しかし上様が小山に御着陣の折、伏見より上方が敵だらけになった
との報があった時は、上様の御顔も真っ青になり、諸将も妻子を取られたと
聞いて顔を青くしておりましたが、太平となり青い御顔も元通りになられた
ようですから、まことに御運強くめでたいことです」
嫌味を言われた家康であったが笑って「彦左衛門はやく休め」と言って
彦左衛門を下がらせた。
0642人間七七四年
2012/07/21(土) 19:15:43.40ID:EUNK3t/x家康「彦左なら仕方ない
秀吉「お前切腹
0643人間七七四年
2012/07/21(土) 19:17:57.56ID:wWBUJrik0644人間七七四年
2012/07/21(土) 20:09:30.58ID:aLS48ZBu0645人間七七四年
2012/07/21(土) 20:50:13.82ID:JZhqPn1C0646人間七七四年
2012/07/21(土) 20:56:27.66ID:CvNoAxIAそういうのまったくないイメージだけど
0647人間七七四年
2012/07/21(土) 21:16:50.04ID:mD428EP+0648人間七七四年
2012/07/21(土) 21:52:52.73ID:0txqr0hm0651人間七七四年
2012/07/22(日) 13:33:23.96ID:R8e/BZeY0652人間七七四年
2012/07/22(日) 14:36:35.24ID:m/b7Hi1D0653人間七七四年
2012/07/22(日) 15:06:33.20ID:MsS3PSd10654人間七七四年
2012/07/22(日) 15:22:33.65ID:1i0xQXe2追放じゃなくて出奔。
しかも、既に内通していた小笠原貞慶の人質もいっしょに連れて行ったので
かなり計画的だったと思われる。
0655人間七七四年
2012/07/22(日) 20:47:07.74ID:0UtXdvam0656人間七七四年
2012/07/22(日) 20:59:26.96ID:D36IGPfX小早川秀秋が動かないんで家康がテンパって癇癪起こしてるところを知ってる人からするとこの自慢は見苦しい。
0657人間七七四年
2012/07/22(日) 21:02:53.27ID:m/b7Hi1Dところで殿、三方ヶ原はお忘れかな?(・∀・)ニヤニヤ
まあ金ケ崎とか三方ヶ原の撤退戦は普通に凄かったと思うけど。家臣が。
0658人間七七四年
2012/07/22(日) 21:36:50.21ID:pm1metR10660人間七七四年
2012/07/23(月) 00:36:23.99ID:0lxoEoaE実は義光は甥っ子との約束を三回も破っている。
天正十三年三月大宝寺義興は最上側の清水城を攻撃した。これにキレた義光は庄内に侵攻を開始。
大宝寺も上杉との連合軍で迎え撃ったが余り戦を長引かせたくない大宝寺は
ある人物に助けを求めた。まーくんこと伊達政宗である。
( ●Д゚)「伯父上、母上も和解するべき。って言ってるから大宝寺と和解しようぜ!」
(´・ω・`)「義が言うなら・・・。」
こうして義光と義興はいったん和解した。しかし天正十五年、和議は破られ義光は、
再び庄内に侵攻、大宝寺は再び政宗に助けを求めた。
( ●Д゚)「伯父上の大好きな鮭をプレゼントするから大宝寺と和解しようぜ!」
(´・ω・`)「鮭をくれるんだったら・・・。」
こうして再び義光と義興は和解した。
しかし長続きはせず同年の十月、再び義光は庄内に侵攻、またも政宗が仲介役で話し合い
三たび和解が成立した。
しかし翌年四月、義光はふたたび攻勢に出た。この時は上杉の援軍のおかげで生き延びた大宝寺だったが
同年九月、最上と東禅寺勢の大攻勢にが行われついに尾浦城は陥落し義興は自決した。
( ●Д゚)「俺・・・仲裁役で頑張ったのに。」
(´・ω・`)「DQN甥っ子との約束は破るもの。」
文下手でスマソ
ちなみに政宗と義光の会話はフィクションです。
0661人間七七四年
2012/07/23(月) 00:49:44.58ID:nGWEP6nZ0663人間七七四年
2012/07/23(月) 01:36:52.01ID:9E24BlGw0664人間七七四年
2012/07/23(月) 05:38:40.46ID:+sKn9grY0665真里谷 修理 広信【城主】32060石 ◆C.Elwep2MQ
2012/07/23(月) 05:41:22.70ID:jqAYqMmA0667人間七七四年
2012/07/23(月) 06:30:25.77ID:vYHPOYQC最近の説だと関ヶ原は2時間ほどの短時間で大勢の決した合戦で、三成の方からの
毛利や島津への出陣要請も、既に小早川秀秋が東軍として参戦した後だという事らしい。
つまりチャンスだから攻めろ、じゃなくて、ピンチだから助けて、だったというのね。
そりゃ空弁当もするだろw
0668人間七七四年
2012/07/23(月) 06:40:03.67ID:zplBjgZcチャンスだったとしても支援要請遅すぎのような
あの距離ではドンパチ始まった時点で南宮山の兵は即行動かなければ意味ないと思う
0669人間七七四年
2012/07/23(月) 07:45:07.73ID:VufuxXm2みんな目の前の敵を叩くことしかできてない。
山上とかに布陣してると、どこに敵と味方がいるかもよく分からなかった。
0670人間七七四年
2012/07/23(月) 10:20:50.07ID:s4fhGLHD0671人間七七四年
2012/07/23(月) 15:21:58.19ID:9E24BlGw0672人間七七四年
2012/07/23(月) 15:57:48.14ID:Wui+8syU0673人間七七四年
2012/07/23(月) 16:57:43.28ID:1yN8Iiwl黒田長政と後藤又兵衛は主従でありながら常に武勇を争い、
先駆けて進んでいくために、従士らは帰陣するたび
「やっと生きた心地がする」と言い合った。
栗山備後、井上周防、黒田美作らがこれについて諌めたところ、
「父上がおらぬ時は、倅の忠之を先手に出し、
私は大将の威をもって重々しく旗本の側に控えよう。
今は父上がご健在ゆえ、旗本に気遣う必要はない。
私が先手へ出て討死しようとも、父上がおれば何も案じることはない」
と長政は言ったという。
0674人間七七四年
2012/07/23(月) 18:36:41.50ID:iiXX8gbTお父上亡くなったの1604年でしょ。
ガキ先陣出すのかよ…
0675人間七七四年
2012/07/23(月) 20:20:43.41ID:2hcMoWu8後に又兵衛は黒田の軍勢で一番前を突っ走ってる奴打ち取りゃ、
それが長政だって忠興に言ったんだっけ?
0676人間七七四年
2012/07/23(月) 20:45:28.81ID:h0Jx8QpTと思うようになるのも無理もないって
0677人間七七四年
2012/07/23(月) 20:49:00.52ID:vYHPOYQCたぶんそれ、秀吉が蒲生氏郷の事を最初に突撃してくる部隊にの先頭にいるから、それ狙って
鉄砲集中すれば殺せる、みたいに言ったって話の改変バージョンだろうね
0678人間七七四年
2012/07/23(月) 21:02:43.37ID:MTVQywTN0679人間七七四年
2012/07/23(月) 21:05:27.40ID:IPxwo055仲悪いのが混ざっせまうな
0680人間七七四年
2012/07/23(月) 22:13:04.28ID:COhinuNO蒲生さんに脳筋的イメージ全くないけど、何で先頭突っ走ってたんだろうか
黒田Jr.は又兵衛に負けまいとして....
0681人間七七四年
2012/07/24(火) 01:39:25.17ID:2QcxufoA0682人間七七四年
2012/07/24(火) 01:53:20.90ID:cK+S3Ghlまぁ、戦場でならって話だろうけどね
0683人間七七四年
2012/07/24(火) 02:26:34.78ID:d6lO0Of90684人間七七四年
2012/07/24(火) 06:50:48.25ID:rok03Gjh0685人間七七四年
2012/07/24(火) 07:00:04.85ID:6WuyY/nD切腹させるとか無いわ(´・ω・`)
0686人間七七四年
2012/07/24(火) 07:15:02.69ID:gthLpY0h氏郷は新参の人間には必ず
「我が家では合戦では銀のナマズ尾の兜の武士がまっ先に突撃する。お前はその兜を目印についてくるようにせよ。」
といってた。ちなみにこの兜なw
蒲生氏郷 銀箔押し 鯰尾兜
http://www.yoroi.co.jp/gazou/topics/2007/gamou/main2.jpg
0688人間七七四年
2012/07/24(火) 13:59:53.11ID:QYY3Kwp6午後四時ごろを予定しているので興味があるやつは見に来てください。
0689人間七七四年
2012/07/24(火) 14:19:59.19ID:rok03Gjh0690人間七七四年
2012/07/24(火) 14:33:16.13ID:QYY3Kwp6もしよければ4時ころにこのスレを見に来てくれ!
前代未聞の芸をご覧に入れるぞ!
0691人間七七四年
2012/07/24(火) 15:00:33.21ID:EzPxiuHm前だけいじろうとします宣言だな
0693人間七七四年
2012/07/24(火) 16:09:28.24ID:zb/UADq+0694人間七七四年
2012/07/24(火) 16:13:41.62ID:seoRqsr70695人間七七四年
2012/07/24(火) 16:37:08.39ID:QYY3Kwp6皆様おまちかねの「スレむくり」でござるが、あいにく腹の調子がわるくなり、本日はでき申さぬ…
後日、日を改めてお目にかけるゆえ、今日はお開きとさせていただく!
0698人間七七四年
2012/07/24(火) 17:28:21.21ID:dwVKFmF3それは残念じゃ、精々養生致すが良い。
次回迄待ってやる故、その方の働き如何に依っては美濃、尾張をくれてやろうぞ
0699人間七七四年
2012/07/24(火) 18:01:14.49ID:Jdgq08Qtその頃の春日局は飛ぶ鳥を落とすというほどの勢いであったから
門番もあえて止めようとはしなかった。
ところが平川まで来た時はそうはいかなかった。
御供の者が「春日局様が急ぎの御用あって登城である。早く門を開けられよ!」
と言うので番の者は責任者の大久保彦左衛門に仔細を伝えると、
彦左衛門は臥したまま起き上がりもせず「この大久保彦左衛門が御番仕って
おるからには春日殿といえど放置じゃ。そのように仰せられてもこんな夜更けに
通すことはできませんとでも言っておけ」と言った。
門番は(後で絶対問題になるよなあ…)と思いながらも仕方なく彦左衛門の
言葉を伝えたところ、春日局は「もっともです。ならば男どもはここに残し、
我ら二、三人の女だけで歩いて参ります。どうか御通し下さい」と懇願した。
それでも彦左衛門は返事もせず、結局春日局は夜明けまで門外で待たされて
しまった。あまりの扱いに春日局は泣いて徳川家光に訴えたのだが、家光は
「お前の憤りはもっともなのだが、お前も知ってのとおりあれは不分別の
強情者だから、もしもお前ではなくわしだったとしても必ず門を開けたかどうか
わからん。あれと出会ったのは運がなかったと諦めてくれ」と言うので
春日局もどうしようもなく泣き寝入りした。その後、彦左衛門を召し出した
家光はなんとはなしに黄金と佩刀を与えたという。
0700人間七七四年
2012/07/24(火) 18:09:07.73ID:F182bNZX0702人間七七四年
2012/07/24(火) 18:16:48.80ID:GW9DHHV30703人間七七四年
2012/07/24(火) 18:23:08.03ID:g1kS2d940704人間七七四年
2012/07/24(火) 18:24:35.40ID:seoRqsr7前者を権力で押し通そうとしたのを撥ね付けた(後者ならばお福も引き下がらない)
という話なんだろうが、断言してもいいが彦左はそんなことカケラも考えずに天然でやってる
0705人間七七四年
2012/07/24(火) 18:33:23.93ID:t5b9fEG90707人間七七四年
2012/07/24(火) 20:05:59.13ID:BNwetyMc0708人間七七四年
2012/07/24(火) 20:12:22.49ID:gthLpY0h徳川の門番だけは許される。
というか家康三河時代の徳川の門番ってこんなのばっかりだよねw
その意味では確かに彦左さんは最後の三河者だわ。
0709人間七七四年
2012/07/24(火) 20:36:07.34ID:g1kS2d94多分、ガチの戦が始まる、一方的な虐殺じゃなくて
0710人間七七四年
2012/07/24(火) 20:40:03.12ID:iS03zWMj忠勝「殿かどうか分からぬ者に開ける門なぞ無い(`・∀・´)エッヘン!!」
0711人間七七四年
2012/07/24(火) 20:40:03.05ID:GW9DHHV30712人間七七四年
2012/07/24(火) 20:47:30.86ID:9IgeNr/j0713人間七七四年
2012/07/24(火) 20:49:41.41ID:KOgVWPZI■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています