戦国ちょっと悪い話32
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0332人間七七四年
2012/07/04(水) 07:01:23.55ID:UEOVj3/x安芸国吉田郡山城に隣接する船山城、毛利元就の異母弟で1516年の有田合戦の活躍で
「今義経」と異名を取った相合元綱の居館である。この船山城と郡山城の間に細声峠と言われる峠が有る。
1523年、鏡山城合戦の直後に毛利家当主の毛利幸松丸が逝去。重臣らの推挙で叔父の毛利元就が
毛利家家督を継ぐも、尼子経久の意を受けた亀井秀綱が毛利家の家督相続に介入し、毛利家臣の
坂広秀・渡辺勝らは相合元綱を担ぎ元就への反乱を画策する。
それを察知した元就はいち早く相合元綱の居館船山城を急襲し、元綱を殺害。その後坂広秀を誅殺、
渡辺勝に至っては元就自身に手打ちにされた後、郡山城の谷に落とされたという。
この反乱制圧の際、元就が弟元綱の居館を襲撃する際に気取られぬ様、声を細めて通った事からその峠に細声峠という名が
付けられたという。兄弟の悲しき骨肉の争いから生まれた地名の話。
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