それで北条氏邦撤退後は藤田が沼田守備になってる。
天正7年8月に武田と北条が敵対関係になるものの
終始押されっぱなしの氏政は一年後の8/19に、
ついに武田の攻勢への守備に自信をなくして
突如、家督譲渡をやって当主である時期での汚名を受けることを避けて
19歳の氏直に当主の座を押し付け隠居した。
甲相同盟破綻から1年で当主の地位から逃亡する氏政w