滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか
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0001人間七七四年
2012/06/07(木) 21:30:09.77ID:cMVBhgd80611人間七七四年
2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:JQrPbQuU北条は織田に降伏して織田分国にしてもらえるよう土下座してきたと書いてるほど
織田の属国となり大名の地位を捨て去るほど勝頼に追い詰められた氏政www
氏政が落ちぶれ濡れ雑巾のような哀れな姿が目に浮かぶwww神奈川県民の恥www
0612人間七七四年
2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:zp+el1M5逆に追い詰められていたのは勝頼の方だよなぁ。
四面楚歌で信長が動いたら武田方即離散。
しかし、勝頼の何がいけなかったのだろうか。
個人的には勝頼は頑張っていたと思うんだけどなぁ。
やっぱ外交?
0613人間七七四年
2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:KS2htism織田による和睦詐欺
0614人間七七四年
2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:qOIcwj0i0615人間七七四年
2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:Hw/CLJLn北条が織田と通じた場合もっと悲惨なことになってたよ
景虎は間違いなく越中戦線で柴田勝家とぶつかる訳で北条的には織田と全面戦争するのは避けたいところだろうし
だから景勝と組んで上野ゲットしたまでは次善の策だったと思う
後は和睦詐欺の間に徳川を抑えつつ北条を屈服させてればね
これがどう考えても無理っぽいから詰んでるわけで
0616人間七七四年
2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:pnd4iOa+0617人間七七四年
2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:e3ZPc43/結局上杉が放棄した東上野を真田が切り取っただけ
0618人間七七四年
2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:9SMvkEpj0619人間七七四年
2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:PnikgRVW織田に土下座した時の3月の氏政は「このままでは北条は滅亡してしまう」って嘆いているくらいだからな。
>>610
氏政は氏直が出陣中に抜き打ちで隠居表明するほど焦りまくりw
これ沼田城落城前に当主の座を降りりて責任逃れするためwww
これに調子づいた勝頼が北条と決戦すべく出陣表明し、
一機に金山城館林城を焼き討ちしてまわったので
氏政も全軍を率いて本庄まできたものの
勝頼が利根川を渡ってきたのでさっそく逃亡www
佐竹もモタモタして小山止まりで足利に来ないので
義重の違約を抗議してる。
その後、沼田攻略成功で真田が手空きになったので
天正9月が始まるや八王子方面などからの不意の北条からの攻撃に備えるべく新府城築城の人夫を出させてる。
その勢いを知った里見も同盟参加交渉が開始され
伊豆では武田水軍が圧倒しまくりで
本格的な武田・佐竹・里見同盟と佐竹ルートによる織田との和睦交渉も追加された。
この伊豆での優勢から伊豆の入り口にあたる戸倉城の笠原政晴が武田に寝返り韮山城を攻めたので
武田はついに小田原突撃への道が切り開かれ、勝頼も出陣し
最前線ラインが12/5には玉川表(三島)まで食い上げられた。
そして寒さが厳しくなってきたので19日に勝頼は帰国し24日に新府城に初めて入城した。
来年には小田原まで食い破るつもりだったろうが、木曽氏の織田への内通と浅間山噴火で武田はパニックのまま滅亡。
0620人間七七四年
2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:KoteBJgL利根川を渡る寸前には膳城で勝頼は鎧も着けずに突っ込んで落城させた素肌攻めやって、
士気の上がり方がハンパなかったって話だから
氏政のビビりようも相当だったろうな。
まあ、なんにせよ由良の金山城を背後に利根川を渡河するあたり勝頼の自信の程が窺われる。
まあ謙信と違って利根川渡っても西上野から帰れるから、
謙信ほどのリスクは無いのだけどそれでも鉢形城を横に見ながらの撤退にはなるからな。
しかし金山城の堅城ぶりは異常だよな。
北条はなにもやってないが、金山城が落ちないから利根川以南や
金山以東が上杉側に染まらずに済んでるからな。
0621人間七七四年
2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:e3ZPc43/どうしてこういうすぐにバレるような嘘つくかね?w
新府城の縄張り見ればわかるが明らかに信濃方面からの敵に対する城であって東からの攻撃にはある意味無防備に近い
普通に考えれば木曽や飯田方面からくる織田と徳川を最終的に食い止めるための城
0622人間七七四年
2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:pH/Z3Ehmんなわけねーだろ気持ち悪いからどっか行け。
信濃一国丸々あんのに織田への心配なんかするわけねーだろ。
八王子方面からのすぐ甲斐侵入出来るからその備えだ。
0623人間七七四年
2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:e3ZPc43/だが君はホント馬鹿だなぁ新府城周辺の地形も読めないらしいw
そもそも新府城がもし北条の甲斐侵攻への備えなら韮崎にあるのもおなしな話だw
むしろそれなら躑躅ヶ崎館から岩殿城のネットワークを利用するのが当たり前
八王子から上野原経由で北条が来るなら岩殿で阻止する
0624人間七七四年
2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:24XOzyyF織田とはこの時期序序に友好関係が結ばれているのだから
時期的にいっても場所でいっても対北条用なのは明白でしょ
都留郡には北条の直接的な攻撃がされてるし
逆に織田とは同盟関係結ばれつつあるんだし徳川も駿河や遠江突破できてないし
0625人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8yp韮崎の新府城が北条からの甲斐防衛の拠点という話になってるけど
北条が新府城に到達したと仮定すると甲府盆地を蹂躙されて根拠地を失ってる前提にならないか?
0626人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:Nro02kHO攻撃に回る場合には逆で敵地に近い所に普請すると思うが防御が目的なら敵に攻撃されにくい所に築こうとするだろ
特に本拠地が簡単に攻撃にさらされたら危険だろうし
0627人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:FEfd8mAA0628人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8ypここ抜かれたらもう甲斐府中まで突っ込まれる
もちろん上杉と北信濃からの後詰が前提なのは間違いないが
北条は駿河で阻止、八王子方面から来るなら最終防衛ラインは小山田の岩殿城
織田とは和睦交渉云々言ってる人がいるがだから防御固めない理由にはならないw
0629人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:Nro02kHO2年連続で侵攻された都留郡においたんじゃ危険すぎるしありえんわ
天正8年・9年と連続して北条の甲斐侵攻がありこの時期に築かれたものだし
織田とはこの時期序序に友好関係が結ばれているのだから
時期的にいっても場所でいっても対北条用なのは明白でしょ
都留郡には北条の直接的な攻撃がされてるし
逆に織田とは同盟関係結ばれつつあるんだしわざわざ大枚はたいて無理に防衛拠点築く必要ない
0630人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:4D8D6k39天正9年3/17に北条軍が再度、甲斐へ侵入し棡原(上野原市)で劇破してる。
北条の大規模奇襲に備えて躑躅ヶ館の放棄の際の詰め城(信濃諸将や上野諸将との合流に都合がいい)であり、
一方、織田と武田の和平は順調にいっており最終的には織田勝長の返還まで進展しており
織田と武田の間ではそれほどの危機はない。
0631人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:i6xbO0dn同盟が成立しつつある織田方に対して大枚はたいて防衛拠点構えるとか本拠地移転したとか
相当馬鹿だな
0632人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:4D8D6k390633人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8yp誰も都留に本拠地置けなんて言ってる奴いね〜しw
そもそも都留の近くに岩殿城があることも知らないらしい
もし本当に北条からの甲斐防衛の拠点を考えるのであればそもそも躑躅ヶ崎館で十分なわけでね
もし岩殿が落ちた場合武田としては勝沼で迎撃するしかない
勝沼突破されたらもう甲斐は終わり
甲府盆地の特性を理解せずに自作自演してる奴は頭悪すぎて笑える
0634人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:kyY0SkMd八王子、鉢形、飯能、青梅からの北条軍の甲斐侵入を阻止出来ると思い込むほど織田厨はアホなんかワロスw
それに躑躅館の水堀は鉄砲すら防げない幅で全く防備に向かない政庁だから、
敵に奪われそうになったら焼いて新府へ撤兵するのは理に叶う。
0635人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8ypお前の言うそれらの経路からの甲斐侵入に対応するなら甲斐盆地に侵入される前に山岳部で防ぐのが当たり前だろうがw
甲斐盆地蹂躙された武田に信濃の豪族が従うとでも?w
根本的な認識がオカシイって気づけよw
0636人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:9mW/SswP0637人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8yp>>629
>>630
>>631
>>632
>>634
>>636
全部自演です
お疲れ様でしたw
0638人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:Nro02kHOお前の論理だともし本当に織田からの領国防衛の拠点を考えるのであればそもそも
甲斐になんか拠点築く必要なし
木曽・伊那・高遠あたりが落ちて諏訪などが蹂躙されたら信濃全土が蹂躙されたといえるため
信濃蹂躙された武田に信濃や甲斐の豪族が従うわけがなく、新府城など対織田の防衛としては何も役に立たないといえるんだがw
0639人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:i6xbO0dn北条の侵攻に直接さらされにくい場所が新府だから新府に城築いただけ
本拠地が簡単に敵に攻撃されたら危険でかなわん
本拠地として築城しただけであって単なる防衛拠点じゃないのは
勝頼が新府を本拠として使ってることからも明白で、元の躑躅館じゃ場所でも
地勢的にも防衛に難があるから移転しただけ
0640人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8yp>信濃蹂躙された武田に信濃や甲斐の豪族が従うわけがなく、新府城など対織田の防衛としては何も役に立たないといえるんだがw
甲府盆地蹂躙された武田に信濃や甲斐の豪族が従うわけがなく、新府城など対北条の防衛としては何も役に立たないといえるんだがw
っていう考え方はないのね君の世界ではw
甲斐は武田の根拠地なんだから信濃が蹂躙されたとしても最後の防衛拠点として韮崎の新府城に意味はある
>>639
で?
君の本拠地の定義もよくわからんが甲斐の端っこにある新府城が健在で
北条に甲府盆地蹂躙されてて新府城は何から甲斐を防衛してるんだい?
何度も言うが甲府盆地の特性を地図で見てから書き込まないと恥かくよw
0641人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:Nro02kHO甲府盆地地帯以外で防衛に向いてるのはやっぱり岩殿のある都留郡か韮崎が中心だが
都留郡じゃ北条方の攻撃が予想され危険だから単純に安全かつ防衛拠点に向いた韮崎方面が選ばれただけじゃないの?
0642人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:9mW/SswP新府城に来る前に北条は全滅させられてるんじゃね?w
0643人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:Nro02kHOいや、お前の理論>>633>>635(甲斐盆地蹂躙された武田に信濃の豪族が従うとでも)になぞらえて
その理論なら対織田戦の防衛拠点の場所としておかし過ぎるだろって言ってんだが
別に根拠地だから意味はあるといわれても信濃が蹂躙されまくって信濃の豪族がまともに従うわけないんだし(お前の理論)
その後の防衛なんて全く意味をなさないだろ
本拠地は敵に攻撃されやすい所においたら危険だからされにくいかつされても安全そうな韮崎にしただけだろ
別に本拠地が占拠されなきゃ北条が撤退した後で取り返せばいいだけだろ
0644人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8ypだからその理屈だと韮崎は信濃方面から甲府盆地を防衛するための防衛拠点にならないか?
甲府盆地内で防衛が無理なのはずっと指摘してるわけだが
東からの敵や御坂峠通って甲府盆地に進出を狙う北条軍という前提なら勝沼辺りが最終防衛ライン
>>643
甲府盆地が蹂躙されて盆地に続く峠や拠点が北条に抑えられるのに何を取り返すんだお前?w
0645人間七七四年
2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8yp0646人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:SCLT8oAHそれどころか信長の息子を返却するほど織田と武田の間は進展。
鉢形、飯能、青梅、八王子から甲斐へ侵攻できる為、岩殿城で最終防御は成り立たない。
北条の侵攻に備える為→たびたび北条が侵攻してきてる。信濃諸将が諏訪方面から&上野諸将が佐久海野方面から援軍に来援するのに最も都合がよい位置に新府城がある。
0647人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:ZVoRCR2+前も長篠城の地形に俺は詳しいとか言って馬鹿な発言を繰り返していたし
今も日本海に詳しいみたいなアホ話してるしw
0648人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:FMvUOhzS対織田ってのは今までの通説で対北条側の論理を興味津々で読んでるんだけど
「築上の時期的に対北条用なのは明白」って言われてもね
もっと説得力ある説明ないのかな?
>>646の話も別に躑躅ヶ崎館に集結しても同じ話しだしさ
通説覆すにはいかにも弱いというか一人の妄想にしか見えないんだけど
0649人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:FMvUOhzS謙信スレでも「冬の日本海は荒れてない」とか書いてるのなw
相手して損したわw
キチガイじゃん
0650人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:nTgIrGps織田と同盟成立しつつある時期に北条に2年連続で甲斐に侵攻されてる状況無視して
対織田用の拠点(本拠地)を大枚はたいて作るとか考えにくいもんなぁ
0651人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:FMvUOhzS長篠で重臣も消えて1580年頃には対北条戦でも軌道に乗ってきてた時期だろうし
勝頼の取り立てた側近が育ってきてた時期でもあるだろうし
そういう意味で信玄体制からの脱皮という意味で城を移したという可能性もちょっと感じるんだが
0652人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:SCLT8oAH織田の侵攻の時に新府城に籠城して北信からの上杉の援軍待ちをしなかったんじゃないか。
勝頼は見事に新府をスルーして躑躅館に入ってんじゃん。
実際の戦いで証明されてる話だろ。
0653人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:FMvUOhzSそれは対北条用の城だという根拠にはならないと思うけどね
客観的に見て
新府城は支城群も含めて1万程度の軍勢で守る構造らしいから
離反が相次いで城を維持できなくなったってのが通説じゃないの?
あと新府城は天正壬午の乱で家康が籠城して諏訪方面から甲斐に向けて進撃してた
北条氏直を撃退してる訳だが
だからと言って対北条用ではないとも言い切れないがね
0654人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:vuoM/7Qi上野を攻めるなら躑躅ヶ崎より新府のが交通の便が良い
そういう意味なら対北条用といえるかも
0656人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:ZVoRCR2+氏邦も花園城→鉢形城と移転して両人とも西武蔵に在城して
いつでも甲斐へ進入できる超隣接地で牽制してる。
武田としては、両名の連携による大規模侵攻の可能性を想定して
新府城を築いたと考える方が合理的。
0657人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:r8Z3OQoc0658人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:ZVoRCR2+織田の侵攻自体が噴火日からだしな。
0659人間七七四年
2013/07/06(土) NY:AN:NY.ANID:2yPdMWzo0660人間七七四年
2013/07/08(月) NY:AN:NY.ANID:Pz96xdgN0661人間七七四年
2013/07/08(月) NY:AN:NY.ANID:h2igJWUT0662人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:4gajyWK/天災なめんな
理屈わかってる現代の火山でも間近で見ると洒落にならんのに
浅間山クラスの霊山があのタイミングで噴火したらこの世の終わりと思っても無理は無い
0663人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:GqurQmyj0664人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:tGxd94/p何いってんだこいつ
0665人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:TPVMPh3o0666人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:63opjzS80667人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:AxT751bn0668人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:gAmTm1Ou0669人間七七四年
2013/07/11(木) NY:AN:NY.ANID:8bbTGnrZ永禄4年頃から病にかかっている長慶を見て5年に義輝が裏で指図した反三好政権大規模蜂起が起きたものの畠山高政を長慶嫡子義興の指揮のもと大勝し六角を和睦に追い込む。
しかし6年に入ると細川晴元と細川氏綱が死んで事実上、細川管領家が滅亡同然になり、
細川政元暗殺以来の細川の分裂闘争が無くなり混乱の種が根絶されたものの、
なんと三好家臣団も心服していた三好義興が22歳で死去してしまう。
長慶の1人息子にして、此人父祖に劣らず器量勝れて一度は天下の乱をも相鎮む可し人だったので、皆が惜合ったと記されていたほど。
これにより長慶は判断力を失い迷走した。
長慶の跡を継いだ養子義継では三好家臣団をまったく統制出来ず三好は崩壊した。
信長は食べてくださいとばかりのイージーモードの畿内制圧が可能だった理由である。
0670人間七七四年
2013/07/11(木) NY:AN:NY.ANID:gFF5Iy62つうか優秀過ぎて、逆に長慶の期待が高くなり過ぎ、死去した時の失望感が半端なくなり精神が磨耗してしまった。
0671人間七七四年
2013/07/12(金) NY:AN:NY.ANID:K6TrfmCm0672人間七七四年
2013/07/12(金) NY:AN:NY.ANID:auqfSUjl三人衆に傀儡にされたからって、単独で宿敵の松永の所まで行って和解。
信長に対しては成す術なく降伏。
安堵されたのは、たったの河内の北半国。南半国は宿敵の畠山に安堵されてるし。
最期は信長に追放された義昭を匿って終わり。
普通、あの状況で匿うか・・・?
0673人間七七四年
2013/07/13(土) NY:AN:NY.ANID:5AkZdG/tまぁ畠山と協調しがちな大和もこの時期に松永が掌握して、
三好勢力が最大版図になった時だけど。
統治期間が浅過ぎるし、反三好な国人を統御するには
三人衆と敵対した方が統治しやすかったのかも。
ただ松永弟の子の丹波守護代内藤氏も六角氏に攻められたりと
松永自体もけっこう劣勢だったから義昭上洛戦に協力する流れになったのだろうね。
義昭をかばって失敗したのは毛利が弱気になってしまったために本願寺との協調の調整に失敗したんだろうね。
あと三好氏自体も反織田と親織田で分裂して抗争開始してしまい義継の計算どおりにならんかったんだろ。
0674人間七七四年
2013/07/14(日) NY:AN:NY.ANID:IGJtPi46概ね同意だけど
天正元年って4月は信玄死亡で甲斐へ撤退、7月は義昭追放と石成戦死、
8月は浅井・朝倉の滅亡、長逸・政康が敗走して以後行方不明。
この直後に河内で謀反とか、どう考えても成算が無い。
義継はバカとしか思えないんだが。
0675人間七七四年
2013/07/15(月) NY:AN:NY.ANID:V2wdro4O0676人間七七四年
2013/07/15(月) NY:AN:NY.ANID:uXkNvDS3織田と浅井にも姻戚あったような
0677人間七七四年
2013/07/15(月) NY:AN:NY.ANID:uBOu+gtp尼子経久
大内義興 武田氏 毛利元就
0678人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:VaneZFqP信長が浅井を家臣扱いしたので関係が崩壊した。
信長はアスペなので、まったくその不満が理解できずに逆ギレ
0679人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:Z9uftilC身の程をわきまえろと
0680人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:A/nl4qxC0681人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:kJSA8LA50682人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:yeGgMkzFゲームだとめちゃくちゃ強いのにのぅ
0683人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:Z9uftilC0684人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:c35zIHqS0685人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:0PmMYmUZ0686人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:kJSA8LA5帰雲城を取り戻さなければ……、もしくは取り戻した後に一族揃って祝ったりしなければ……
0687人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:1NrnA7Zw信玄の死によって運よく救われたけどその前は滅亡一直線だったし
0688人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:CFtnrWbn0689人間七七四年
2013/07/18(木) NY:AN:NY.ANID:NVzyYHj3信長がプッチンしなければ本能寺の変後でも武田は同盟者として生き残ったでそ
0690人間七七四年
2013/07/18(木) NY:AN:NY.ANID:Xk2ErsLL徳川の立場ってどうなるの?
三河+遠江半国で終了確定なんだけど
後に弱体化した勝頼時代でも北条はかなり苦戦してたから
氏康が死んだ北条は武蔵での影響力を失って相模に圧迫されてたかもしれん
0691人間七七四年
2013/07/18(木) NY:AN:NY.ANID:DL0UY4/0全く弱体化してない勝頼+佐竹結城宇都宮那須皆川連合に押されただけなんだけど。
勝頼が弱体化しだすのは北条の二年連続の郡内侵攻・高天神城落城・新府築城のある天正8年・9年頃になってようやくだろ
0692人間七七四年
2013/07/19(金) NY:AN:NY.ANID:XvJfRcGw武田はまったく弱体化してねーよ。
>>北条の二年連続の郡内侵攻
速攻で撃退されてますがw
それどころか天正9年には伊豆三島」まで武田軍が侵食してて
当時箱根の手前を守る山中城(現三島市山中新田)
が無かったので、もう小田原城の目と鼻の先まで武田。
>>高天神城落城
信長の和睦詐欺で、実質的に停戦状態だったので
落城寸前まで使者の往来も普通にできていて
高天神側も一切、救援要請もしてこなかったので
安心して北条と勝頼は戦ってた。
しかも3月に高天神を落とした織田は武田の反撃から逃れるために
すぐ南化玄興の和睦ルートを持ち出して甲江同盟を結んだと思わせて
これには武田だけでなく佐竹や里見も騙されてる(8月)
しかも高天神と田中城と用宗城や江尻城がこの地域の武田方の防衛城だが
家康はこれらの城攻めに悉く失敗しまくり。
さらに高遠には仁科盛信が常駐することになり即援体制が成立し家康は手も足もでなくなる。
>>新府築城
天正9年に築城開始だぞ。テキトーな曖昧話すんなよ。
0693人間七七四年
2013/07/19(金) NY:AN:NY.ANID:n9t9PNETちなみに柴田と戦う景勝への支援で越中へ勝頼が援軍約束したりしてる中で、
信長は和睦詐欺をやりまくって柴田を支援してるんだな。
武田と和睦詐欺やれば柴田や徳川に対して武田は消極的にならざるを得ないからね。
0694人間七七四年
2013/07/20(土) NY:AN:NY.ANID:vgqKBFR+これらの城は結局、穴山が降伏するまで落城しなかったね。
なんであんなに家康は長期間に及んで大苦戦してんだろうね。
0695人間七七四年
2013/07/20(土) NY:AN:NY.ANID:isN4fC+1城攻めが不得手なイメージに繋がるんだよ
0696人間七七四年
2013/07/20(土) NY:AN:NY.ANID:nB1vsepM田中城がどうやっても落ちないから、そのさらに後ろの用宗城を攻めてみたけど、
やっぱり全く落ちそうになかったってことだろうね。
0697人間七七四年
2013/07/21(日) NY:AN:NY.ANID:7/5Cthcr0698人間七七四年
2013/07/21(日) NY:AN:NY.ANID:he8AGbFi小田原落城してたのは間違いない。
佐竹に続いて、里見も参戦だから小田原から逃亡した北条は滅亡確定。
0699人間七七四年
2013/07/21(日) NY:AN:NY.ANID:42dhxX1q0700人間七七四年
2013/07/21(日) NY:AN:NY.ANID:2rwD79mu北条 秀吉の命に背いて 説得した家康にもサジを投げられた時点
0701人間七七四年
2013/07/21(日) NY:AN:NY.ANID:dNo24Lvh信玄の死によって運よく救われたけどその前は滅亡一直線だったし
0702人間七七四年
2013/07/22(月) NY:AN:NY.ANID:goNxDcw2信長を裏切った時点で詰み
0703人間七七四年
2013/07/22(月) NY:AN:NY.ANID:fEM7IfLJ0704人間七七四年
2013/07/22(月) NY:AN:NY.ANID:oepnlzowこの時点で詰んでたとか将棋じゃあるまいしないだろ
スレ立て人は結果論脳の池沼だな
0705人間七七四年
2013/07/22(月) NY:AN:NY.ANID:Mt9W3Z41詰んでたが織田側が勝手に将棋盤ひっくり返して帰っちゃった
0706人間七七四年
2013/07/22(月) NY:AN:NY.ANID:oepnlzow内乱の連発で崩壊状態の上杉を9倍もの兵力差と神保・長・佐々など送り込んだりして火事場ドロしたのにろくに進めてないからね
越後に織田軍がなだれこんできたら100%織田方は撃退されてただろ
柴田軍45000は天正8年中頃から2年も越中中部〜魚津松倉付近で立ち往生し小島や須田などに大苦戦
ろくな備えもない、松倉の一枝城にすぎない魚津城に大苦戦
金森ら飛騨口部隊も松倉に手も足も出ず
森は4/2に長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず(景勝→島津忠直書状で、長沼より更に南東部ですら上杉方が駐屯してるのがわかる)
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北
新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
上杉5000〜8000に対して総勢8万そこそこで廻りから総勢で攻め込みまくって勝てなかったのが織田に
あと数月で落とせるわけがない
まず手も足も出ず苦戦しまくりの須田のいる松倉城どうするかだな
実際に攻め込んで撃退されたり苦戦してる。松倉城でも飛騨口別働隊は撃退され
ろくな備えもない魚津城では4ヶ月もかかり
柴田軍45000は天正8年中頃から2年も越中中部〜魚津松倉付近で立ち往生し小島や須田などに大苦戦し
天正12年段階ですら富山奪い返されたりしてる
森は長沼攻防に敗北して以来眼前の長沼・仁科方面すら奪回できず
滝川2万は三国峠の戦いで上杉方カラス組奇襲部隊に蹴散らされ敗北
新発田・伊達・蘆名も下越で逼塞
しかも当時の上杉は石高もしょぼく御館の乱や新発田の乱で極度に弱体化
0707人間七七四年
2013/07/22(月) NY:AN:NY.ANID:s9kM1QZc魚津城攻防で柴田ら45000の大軍は5000そこそこの上杉軍に瞬殺されてただろうな
何せ御館の乱や新発田の乱につけこんで圧倒的大軍&長・神保等地元大名の活躍と調略で
能登・加賀・越中を火事場泥棒したのに越中中部で天正8年から天正10年半ばまで
2年も足止めされた挙句土肥・小島・須田などに大苦戦しロクな防備もなかった平城の魚津城で大苦戦。
こんな体たらくじゃ史実で上杉が信濃に派兵した隙をついて居留守泥棒的に奪った魚津攻防でも
初めから越中に軍動かして魚津城外で圧倒的な大敗劇を演じていたんじゃないか。
何せ松倉の須田に手も足も出ずに苦戦していたんだしな
新発田なんて完全に新潟から排除されて下越で包囲され逼塞に追い詰められていただけだし。
0708人間七七四年
2013/07/22(月) NY:AN:NY.ANID:Mt9W3Z41死ねよ
0709人間七七四年
2013/07/22(月) NY:AN:NY.ANID:n4eZxXR6その度に信玄・謙信・直正らの死、朝廷を介した講和、義元の不慮の事故など超幸運で乗り切ってきたよな
本能寺ではその分のツケが回ってきたんだろうけど
0710人間七七四年
2013/07/24(水) NY:AN:NY.ANID:Xcpwllfj■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています