【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その14
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年
2011/11/07(月) 17:56:41.52ID:gc+MSXxX徳川家・松平家と家臣団まで包括するスレです。
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0896人間七七四年
2012/04/01(日) 14:35:16.56ID:qclcHulC同盟維持って
そもそも今川と断交したから織田と同盟をしたわけだから仮定の時点で破綻しているよ
織田と同盟しなかったら今川と織田の双方から攻められて瞬殺されてたのは間違いない
>>895
織田から離反してどうするつもりだよw
武田相手だけでも敵わずに押されまくってたのに、更に織田を敵に回したら即死だろ
0897人間七七四年
2012/04/01(日) 14:39:52.04ID:aMX+n6E+責任感もあるし、落ち着いてる 野望に身を焦がしたり欲望に身を任せたりしない
一番まともな政治指導者ってかんじだ やはり天下とったのは当然のことか
0898人間七七四年
2012/04/01(日) 16:25:21.46ID:rAuQHdc/実際、援軍よこさなければ武田と一緒に織田を攻めるしかなくなると信長脅迫してるし
0899人間七七四年
2012/04/01(日) 23:42:28.76ID:aMX+n6E+むしろ滅亡するのみ、どんなに苦しくても織田・徳川で武田と戦い続けるべき、
と見きって必死で耐え凌いだんだろうな やっぱ先が見えてる
状況判断能力がハンパない 目先のことで右往左往する連中とは格が違う
0900人間七七四年
2012/04/02(月) 07:37:22.29ID:cgfa9rVl武田の元で戦ってた方が天下への近道
信長なんぞ信玄時代畿内でボロボロだったし家康が離反してたら瞬殺されてたのは間違いない
勝頼時代でも丹波や手取川で大敗するくらいだったから家康が離反すればひっくりかえるくらいの勢いになるのは自明
0901人間七七四年
2012/04/02(月) 11:23:30.63ID:27/1y9pBさすが家康さまということなんだけどな。
0903人間七七四年
2012/04/02(月) 22:56:19.09ID:Kt/9j51Oお前はレスすんじゃねー
分かったか?万年パシリの尾張猿
0904人間七七四年
2012/04/03(火) 00:13:34.73ID:Tp+uwInv武田と同盟結んでも一時的しのぎにはなってもいずれ反故にされる可能性は大だし
家康にしてみれば長い目で見たとき織田と組んだほうが良かったんだと思うよ
家康は律儀と言われるが信長もそのイメージとは裏腹に同盟、約定に対して驚くほど律儀
お互い東西の抑えには信頼できる相手だったのだろう
信長は家臣や味方からの裏切りは多かったけどね
信長や家康以上に戦上手とか天才といわれる武将は数多くあっても
地方勢力に留まってしまったのは地理性や経済戦略だけではないと思う
0905人間七七四年
2012/04/03(火) 00:38:06.17ID:DONjhzBo徳川家以外は同盟破棄されて無いか?w
0906人間七七四年
2012/04/03(火) 00:50:57.36ID:wFSkkQq3破棄してるのではなく、破棄されてる
信長から反故にしたのって、パッとは思いつかないなあ
0907人間七七四年
2012/04/03(火) 04:13:35.36ID:Aa27p+Ak利益の通じない純粋な野心を持った光秀の相手は敵わんかったけどその後そこから織田家が挽回したのは信長の遺徳
0908人間七七四年
2012/04/03(火) 09:08:29.93ID:ecieIv7/元亀3年7/7付けで信玄が小里氏の背後に信長の後援があり残念でならないがとりあえず許すと見て見ぬフリをする方針にしたことを述べていて
織田との抗争にならないよう配慮してたら信長が11/15に岩村城を奪った小里内作へ書状を出してる。
明らかに信玄は信長との信義を守っていたら裏切られてる。
勝頼に対しても武田攻めの所で盟約反故にしてる。
あと斉藤に対しても盟約反故してるし浅井朝倉と和睦した時も反故にしてる
武田は徳川に盟約反故なんざしていない
今川領でたまたま衝突してしまっただけ
しかも急いで謝罪の使者派遣してる
0909人間七七四年
2012/04/03(火) 09:17:09.83ID:DHZCoOpK0911人間七七四年
2012/04/04(水) 02:48:31.50ID:W6rt5z2Tというより、信長と隣国でなかったら、歴史的には名も無い有象無象扱い。
浅井長政と異なり、暗愚の親父は早々に死んでるのも幸運だし、
信長や政宗のように家督を争う弟が存在してなかったのも幸運。
で、義元敗死後は信長の戦略に従い織田軍団の一翼を担ってりゃ済むだけの形ばかりの国主。
真田昌幸がカワイソすぎる。
0912人間七七四年
2012/04/04(水) 08:39:55.71ID:BFOtL7lu0913人間七七四年
2012/04/04(水) 09:41:13.43ID:IMVPeLda信玄の場合信濃侵攻に30年かかり生涯を終える
元就の場合安芸一国人のまま生涯を終える
義重の場合常陸の統一すらできず葦名や田村に敗戦して敗死
政宗の場合関柴の戦いで討ち死に
氏康の場合両上杉の大軍に囲まれて戦死
義久の場合土持や相良、伊藤などに負けて敗死
宗麟の場合毛利元就に負けて敗死
元親の場合三好に負けて討ち死に
尾張だから助かっただけ
信長なんて家康がいたから助かっただけ
今川氏真に勝てたのも武田を抑えられたのも上洛戦も畿内平定戦も家康いなけりゃ何もできなかった。
姉川でも磯野勢らにおされまくり崩壊寸前だったけど徳川の善戦で何とか引き分けに持ち込めただけ
三方が原でも最も雑魚だったのが織田の援軍
家康がいなけりゃ1ヶ月で武田に瞬殺されてたのは間違いない
家康が義理堅いから信長は助かっただけ
何回武田に攻められて援軍要請出しても援軍よこさない
徳川は織田のために援軍出しまくってるのに
こんな役に立たない同盟者普通なら見捨てるだろうに
織田が畿内平定できたのは全て家康の功績
0914人間七七四年
2012/04/04(水) 09:44:06.82ID:IMVPeLda他大名が信長の立場で生れていたら
家康 史実どおり畿内美濃を瞬殺
島津 史実どおり寡兵でも大軍撃破
氏康 史実どおり寡兵で大軍撃破&政略を利用して領土拡大
信玄 史実どおり負けをほとんどせず畿内や美濃の雑魚を瞬殺
元就 史実どおり謀略を駆使して分裂状態の斉藤や畿内を併合
元親 史実どおり小勢力でも他大勢力を戦に打ち勝ち併呑
0915人間七七四年
2012/04/04(水) 09:44:53.09ID:IMVPeLda信長は武田どころか今川氏真に瞬殺され家康は史実どおり畿内や美濃を瞬殺していたのは間違いない
何せ史実で今川氏真クラスの龍興に大敗を繰り返し今川氏真クラスの朝倉義景にも負けまくったけど
敵がアホすぎてなんとかなっただけ
一方家康は信長や秀吉が苦戦した畿内や美濃を瞬殺したしな
信長なんて家康がいたから助かっただけ
今川氏真に勝てたのも武田を抑えられたのも上洛戦も畿内平定戦も家康いなけりゃ何もできなかった。
姉川でも磯野勢らにおされまくり崩壊寸前だったけど徳川の善戦で何とか引き分けに持ち込めただけ
三方が原でも最も雑魚だったのが織田の援軍
家康がいなけりゃ1ヶ月で武田に瞬殺されてたのは間違いない
0916人間七七四年
2012/04/04(水) 17:43:14.29ID:W6rt5z2Tそれは領地が尾張でも同じ。
義元西上の進軍で、あっさり降伏が関の山。
家康では桶狭間は絶対無い。
三方ヶ原で惨敗して泣きべそ脱糞遁走した家康が、信長のような寡兵電撃作戦なんぞ立案する能力も意志も無いのは当たり前。
そもそも家康は信長が戦国の世で唯一天下を狙った超大物だったから生き残れた訳で、
もし信長が信玄レベルだったなら、義元敗死後、速攻で三河に侵攻され、ジ・エンド。
信長なら家康がいなくても、人材多様な織田家中から代わりの人材を充てれば済む話。
義元敗死後、家康単独では生き残りは無理。
運良く生き残ったとしても、せいぜい真田レベルの小大名として下層で低迷が精一杯。
0917人間七七四年
2012/04/04(水) 18:05:17.48ID:IMVPeLdaそれは領地が三河でも同じ
義元西上の進軍であっさり滅亡が関の山
信長の桶狭間みたいなウルトララッキーパンチはまず自力では起こせない
子供相手に惨敗して泣きべそ脱糞遁走した信長が、家康のような電撃戦術作戦なんぞ立案する能力も意思もないのは当たり前
そもそも信長は家康が戦国の世で唯一天下を取れた超大物だったから生き残れたわけで、
もし家康が信玄レベルだったら、義元が信長を殺した後、義元を裏切って殺し、天下統一
家康なら信長がいなくても人材多様な徳川家中から代わりの人材を宛てれば済む話
三河独立後、信長単独では生き残りは無理
運よく生き残ったとしてもせいぜい保科、諏訪レベルの小大名として下層で低迷が精一杯
0918人間七七四年
2012/04/04(水) 18:28:24.50ID:W6rt5z2T史実歪曲の脳内妄想逃避だけが唯一の取り得。
定見も思考力もゼロなので、他人の変節に脳死で追従の醜態。
0919人間七七四年
2012/04/05(木) 00:08:42.44ID:OnlhxSB10920人間七七四年
2012/04/05(木) 03:55:25.98ID:D/ZafKKh原作 山岡
0921人間七七四年
2012/04/05(木) 07:59:31.07ID:o7EAueMM長文だるいので5行でまとめろ低脳( ´,_ゝ`)
0922人間七七四年
2012/04/05(木) 10:20:36.72ID:QShWPQXZ佐久間とか滝川とか小山田に石ころ投げられたくらいで泣きながら逃げてったしな
援軍とは名ばかりの足手まとい敵前逃亡で即効死ぬ平手
0923人間七七四年
2012/04/05(木) 21:19:40.76ID:QVclfvvOそれはおかしい。家康にしても元就にしても弱小勢力の出身だったからこその
頭脳派になったって可能性も高いだろう
>>917
最近では桶狭間は情報戦で信長が尾張各地の制圧に乗り出して兵力を分散させてた義元を制して義元の本陣を一気に突いたとかあるけどね
0924人間七七四年
2012/04/05(木) 21:27:51.33ID:j+4GliOz動員力ならはるかに光秀上回るにも関わらず本能寺で手薄な陣を運悪くつかれ死んだ信長雑魚と言う事
先陣と勘違いして突っ込んだら本陣があって雨や風が吹いたから勝てただけ
三河物語によると雨が降ってる所に織田勢が切りかかってきたので壊乱したとある。
信長公記にある「天晴るる」は通り雨と風が織田側がいた山の下から
今川本陣のいる山上に流れた、って事だろうな。
つまり今川勢は猛烈な雨と風を向かい側に受けながら織田に襲撃された事になる。
気力十分て事はないな。
実際今川方にしてみれば雨と風を向かい側に受けてる所を襲撃されたから
「水をまくるが如く崩れ」たわけだし、
その混乱の最中にまともに集団行動できてたのが義元の周りにいた300ほどだった
これが実力で勝ったというなら本能寺は実力負け
圧倒的大軍持ちながら偶発的に起きた手薄な所を奇襲されて死んだんだから
0926人間七七四年
2012/04/05(木) 22:48:56.48ID:w8cAhphY0927人間七七四年
2012/04/06(金) 00:16:20.38ID:GtY5Bj2f0928人間七七四年
2012/04/06(金) 01:02:29.12ID:D5OiLKuZ総大将逃がすくらいの時間は無いもんなの?
包囲できる兵力は無いはずだよなぁ?
0929人間七七四年
2012/04/06(金) 01:02:44.22ID:jvCcv5QK0930人間七七四年
2012/04/06(金) 07:13:39.83ID:UxQoOrkh本来なら余裕で防げた。迎え撃った時の地形や天候など言い訳の材料はあるけど結局油断や慢心が最悪のかたちで現れた
>>929
ぼくのかんがえた さいきょうぶしょうしんげん
の話だから武田信玄の事ではない。幼児をあやす感じで対応するといい
0931人間七七四年
2012/04/06(金) 07:42:56.74ID:RYbGqU2Rひとまわりして戻ってきたか。
0932人間七七四年
2012/04/06(金) 08:29:59.73ID:3NOR6MU/三河物語によると雨が降ってる所に織田勢が切りかかってきたので壊乱したとある。
信長公記にある「天晴るる」は通り雨と風が織田側がいた山の下から
今川本陣のいる山上に流れた、って事だろうな。
つまり今川勢は猛烈な雨と風を向かい側に受けながら織田に襲撃された事になる。
気力十分て事はないな。
実際今川方にしてみれば雨と風を向かい側に受けてる所を襲撃されたから
「水をまくるが如く崩れ」たわけだし、
その混乱の最中にまともに集団行動できてたのが義元の周りにいた300ほどだった
これが実力で勝ったというなら本能寺は実力負け
圧倒的大軍持ちながら偶発的に起きた手薄な所を奇襲されて死んだんだから
0934人間七七四年
2012/04/09(月) 01:22:39.19ID:DS7bF/ELこっちは晴れてて向こうは通り雨なんてことはないだろう。
それに戦争中なんだから雨が降ってたからといって
つっこんでくる敵がわからないなんてことはない。
マンガだと雨が今川陣の上だけすごくて敵がくるのもわからない
ぐらいだったかってか。
0935人間七七四年
2012/04/10(火) 11:35:47.50ID:8U678kH5もっとも直後には甲斐、南信濃を火事場泥棒しますが。
0936人間七七四年
2012/04/10(火) 11:45:34.47ID:WfwSYKRh後、甲斐・南信濃については許可を得ている
0937人間七七四年
2012/04/10(火) 14:32:42.62ID:Aaq4unxf当時はまだ東山道の方が発達が進んでいたらしいが、駿河から三河までを
支配したことで港湾との相乗効果も増したのではないかな
あとは金山かな
0938人間七七四年
2012/04/10(火) 15:05:45.95ID:gmWNwROOこの件で北条は織豊系大名から不信感を買ってる
0940人間七七四年
2012/04/11(水) 18:37:36.11ID:65xS2MAf事後っていうのはどのタイミングのことを言ってるのかね。
滝川や森の逃亡、河尻の横死により主がいなくなり、在地領主が好き放題するわ
北条や上杉が侵攻を企てるわと、滅茶苦茶になった甲斐信濃を、どうぞ取ってください
と言われて出陣したのが天正壬午の乱なんだが。
もちろん、水面下での工作は織田家への交渉と並行してやっているわけだが。
0941人間七七四年
2012/04/11(水) 18:58:31.54ID:F3HxkT5q0942人間七七四年
2012/04/12(木) 12:02:38.14ID:RlERwpHgそれのこと?
0943人間七七四年
2012/04/12(木) 17:51:11.47ID:W+U3hI2u0944人間七七四年
2012/04/12(木) 19:34:12.20ID:lw/OY/Nk俺達が血を流して得た領土を返すくらいなら刀を踏み折って武士を止めるとか
小牧長久手が起きたのも必然だったんだよね
0945人間七七四年
2012/04/12(木) 21:00:27.72ID:fv+Xjxdf秀吉の承諾の書状は7月7日付
>>944
秀吉も返せとは言えないだろうな。
甲斐信濃(上野も)はお任せしますと言ってしまったわけだから。
0946人間七七四年
2012/04/12(木) 21:52:37.07ID:W5uIS+ke0947人間七七四年
2012/04/12(木) 22:40:41.26ID:fv+Xjxdf「今度信長不慮のこと御座候について、信州・甲州・上州置かれ候者共罷り返り候、然らば、
両三ヶ国の儀、敵方へ御渡しなさるるべきにあらず候条、御人数を遣わされ御手に属され
候の様に仰せ付けられ尤もに存じ候、なお追々御意を得るべく候、恐々謹言」
三ヶ国の連中が寝返りまくったんだけど、三ヶ国を敵方(上杉・北条)に渡すべきではなく、
御手によって軍を派遣し、帰属させるのももっともであると書いてある。
なおこの書状のソースは、本書によれば『新修徳川家康文書の研究』第一葺P72とのこと
0948人間七七四年
2012/04/12(木) 22:47:28.94ID:fv+Xjxdf入手困難みたいなんでそのへんは勘弁してちょ。
0949人間七七四年
2012/04/12(木) 22:51:39.01ID:fv+Xjxdf上記の書状の日付が7/7ね
0950人間七七四年
2012/04/12(木) 23:41:01.06ID:FGB+CeOh0951人間七七四年
2012/04/13(金) 11:28:12.10ID:rEud/yTy家康が岡崎に帰還して真っ先に指示したのが甲斐下山(穴山氏領)の占領(6月6日)
次いで依田信蕃に命じて信濃の諸勢力の引き込みを始める、更に依田は6月20日に小諸へ入り計略を続ける
家康はその勧誘に乗った武将らに恩賞を約束(6月21日)
翌日には刈坂口、郡内で挙兵した武田旧臣らを追った有泉大学らを賞し、濃尾の兵を整えたから準備が出来次第甲信に出兵する旨を伝える(6月22日)
そして7月3日に出陣
0952人間七七四年
2012/04/13(金) 23:52:29.24ID:rRNLpOX5この場合は……事中承諾?w
あまりほめられたものじゃないのは確かだね。
この辺の推移は結構面白くて、家康が当初からあわよくば武田遺領を獲得しようと
動いていたのは事実(河尻秀隆の生存中に調略の手を伸ばしてる)。
だけど、それがいつの間にか織田陣営の徳川と、北条、上杉による
三つ巴戦の形に変わっていっている。織田信雄の兵が援軍に向かったという記録もあるし。
(対北条戦の援軍に大軍が向かう予定だったらしいが、秀吉と勝家の対立が激しくなって中止)
0953人間七七四年
2012/04/14(土) 00:10:32.81ID:VaLrwjABいったと考えても良かろう
大義名分で優位に立つことは大事だ品
0954人間七七四年
2012/04/14(土) 00:52:54.25ID:F+qllS/2そもそも織田方から拒絶されたとしても無視して出兵しただろう
というより織田方が手一杯で勝手に軍事行動を起こしても問題ないと見込んでの行動だ
あわよくば濃尾も取ろうとしていたし
大体、相手に許可貰ってから侵略しようとする馬鹿もおるまい
まして戦国の世に、これだけのチャンスが転がり込んだのに行動起こさないなんて余程頭がどうかしているとしか思えない
0955人間七七四年
2012/04/14(土) 09:53:39.97ID:fvRBbQBz0956人間七七四年
2012/04/14(土) 14:24:54.53ID:zTBh93wg0957人間七七四年
2012/04/14(土) 14:57:38.17ID:A11Cl47u有利に戦いを進めようと思ってたから
家康の火事場泥棒を容認してただけ。
それに双方とも信濃や甲斐とは基本的に無関係だった経緯もあるからね。
あっちは信忠管轄エリアだったし、
力さえあればと忸怩たる想いは滝川一益くらいなもんだろ。
0958人間七七四年
2012/04/14(土) 19:58:10.16ID:b2wv5ETM0959人間七七四年
2012/04/15(日) 02:18:14.34ID:QE8uNCEyその場合、北条側に寝返ってた可能性があるのか?
0960人間七七四年
2012/04/15(日) 02:35:33.86ID:hAEBi89n0961人間七七四年
2012/04/15(日) 03:53:05.02ID:R1BOnlq6過去スレで豊臣家滅亡させた時家康が「主家(織田家)を蔑ろにしたからだ」と言ったというスレ見たが
「お〜ま〜え〜が言うなよ」だよなやっぱ。
家康にとってラッキーというのか、秀吉自身が大恩ある織田家を簒奪して散々な
事をしてるから家康が豊臣家に似たような事をしても全面的に非難されにくい。
家康が豊臣家にした仕打ちは、秀吉もだいたい織田家に似たような仕打ちをやってるのに
それでも彼が猿爺とか言われないのはキャラのせいなのか?
0962人間七七四年
2012/04/15(日) 09:26:41.78ID:7rWpPv4Bそれにひきかえ家康は…
自業自得じゃね?w
0963人間七七四年
2012/04/15(日) 11:05:09.61ID:qln9h+lz秀吉が数々の悪行にもかかわらずあまり悪く言われないのは、
秀吉のキャラというよりは、滅んだ家をさらに悪く言うことを好まない日本人のキャラのせいだろ
0964人間七七四年
2012/04/15(日) 11:44:44.71ID:J1kP088u0965人間七七四年
2012/04/15(日) 11:50:54.24ID:+gFkhxff平家物語も平家ざまあみろって話じゃないんだろ? 読んでないからわからんけど
0966人間七七四年
2012/04/15(日) 12:46:42.51ID:R1BOnlq6秀吉ではなくて日本人のキャラのせいか。納得。
秀吉の場合は正に因果応報てきめんだよな。
まさか自分が織田家にやった仕打ちと似たような事(あるいはそれ以上ね)を
家康にやられるなんて想像もしてなかっただろう。
確か豊臣家滅亡と信孝の命日が一緒なんだよね。
単なる偶然だろうけど、とても因縁めていいる。
0967人間七七四年
2012/04/15(日) 13:33:44.28ID:NqmE6Axsいや、ないがしろにはしてないよ。
三法師を清洲城だったかに据えてきちんと織田家を継がせ
厚待遇した。
秀吉公自身、そのとき
「これで右府様の恩に報いることが出来た」といってる。
0968人間七七四年
2012/04/15(日) 13:36:55.22ID:gUVb0ccU御家が滅びたりある人物が酷い目にあったのは、道徳的に問題があった因果応報だ、とか結果からの逆算。
(当人に特に落ち度がない場合は、親父が悪かったから……とかになる)
仏教の因果応報とごっちゃ。
最終的勝者には凄く都合いい理屈ではあるが。
0969人間七七四年
2012/04/15(日) 13:45:23.08ID:gUVb0ccU悪くいいまくり。こんな悪事をしたから因果応報で滅んだんだ、巻き添え食らった連中がかわいそうだ調。
日本特有、というのはどっかのタチ悪いデマじゃ……。
0970人間七七四年
2012/04/15(日) 14:26:25.15ID:R1BOnlq6でもそれって主家簒奪している秀吉の勝手な言い分だと思うけどな。
まあそれでも三法師はいいとして信雄改易に追放、信孝切腹(信長の側室と孫も殺してるし)
信包改易、織田家のどっかの寺縮小、佐治一成も改易だっけ?
野人から取り立ててもらった主家に対して結構な仕打ちだと思うけど。
家康の「主家(織田家)を蔑ろにしたからだ」という言葉は彼自身の後ろめたさ
から発した言葉だろうけど、家康はそういう事実と捉えていたという事だよね。
確か堀直政かな?彼も秀吉の織田家に対する仕打ちに腹を立ててたというし。
秀吉自身も晩年、信長の夢を見てうなされたのは後ろめたさがあったからだろうし。
0971人間七七四年
2012/04/15(日) 14:47:53.06ID:zhs9n4gWそれは秀信がおとなしく秀吉に従ったからだろう
もし主君としての権利を要求してきたら、秀吉だって織田家を滅ぼさざるをえない
結局、秀吉が織田家を厚遇したのと、家康が豊臣家を滅ぼした差は
秀吉・家康に原因があるのではなく秀信・秀頼の対応の差
0972人間七七四年
2012/04/15(日) 15:35:12.13ID:J1kP088u0973人間七七四年
2012/04/15(日) 16:02:14.47ID:Hc6Dkf2Hまた、転封の拒否ってのは家臣になる事を拒むって事で、
はいそうですか何てわけにはいかない。
つーか、神戸も北畠も秀吉の主人でも何でもない。
> それは秀信がおとなしく秀吉に従ったからだろう
国松もそうされたなら当然従っただろうな。
市中引き回しの上、打ち首になったけど。
0974人間七七四年
2012/04/15(日) 16:28:36.85ID:R1BOnlq6>信孝切腹の指示はあくまで信雄。
でも信孝の辞世の句や、小牧・長久手の戦い時の家康家臣(誰か忘れたけど)が
秀吉に対する告発文?に信孝に対しての秀吉の処置に痛烈な皮肉を書いていたから
表向きはともかく実質的首謀者が誰かというのは皆わかってたんじゃないか?
確かに転封の拒否をした信雄はバカだと思うし、何らかの処置が必要なのは
わかるけど追放はやり過ぎだろう。確か更なる遠方地へ流されそうなのを
家康が取り直ししたんじゃなかったっけ。
>つーか、神戸も北畠も秀吉の主人でも何でもない。
主人ではないが大恩人の息子達だろう。
0975人間七七四年
2012/04/15(日) 17:03:56.42ID:Hc6Dkf2H> でも信孝の辞世の句
こんなもん未だに信じてるのか?
あのねぇ、当時信雄が最も邪魔だったのは信孝なの。
で、当時の秀吉と信雄の関係は主従ではなく同盟関係。
秀吉の命令で信雄が兄弟殺しを命ぜられる、なんて状況じゃないんだよ。
> 確かに転封の拒否をした信雄はバカだと思うし、
あのな、バカとかそういう問題じゃないの。
全国統一の締めくくりで公然と家臣になる事を拒否する人間がいるのに
改易もしなかったら政権運営の根底を揺るがす大問題になるんだよ。分かる?
> 主人ではないが大恩人の息子達だろう。
本来庶子であり、他家の人間がそれだけの理由だけで主人面出来るわけないだろ。
0976人間七七四年
2012/04/15(日) 17:13:39.54ID:xzY45Fcs0977人間七七四年
2012/04/15(日) 17:31:46.53ID:R1BOnlq6江戸時代のお芝居の演目に秀吉が織田家を簒奪した事に対する非難
のお芝居があったらしい(確か西村京太郎さんが何かのコラムに書いていたかな)。
ただ最終的に豊臣家簒奪した徳川家の非難になるからだんだん演じられなくなった
そうな。
0978人間七七四年
2012/04/15(日) 17:59:42.76ID:aHpJ01XJ明智光秀に政権中枢の信長信忠を殺害され、
信雄や信孝は混乱して何も出来ないか一族の者に言いがかりつけて仲間割れ、
有楽や三法師は少数の随身たちと逃げまくってる状態
秀吉が居なければ織田家衰退どころか本能寺の変の後に一族全滅してたよ
もっとも秀吉が救った三法師秀信は、後に家康に見殺しにされてるんだけどね
0979人間七七四年
2012/04/15(日) 18:03:11.28ID:Hc6Dkf2H同列に語るような問題じゃないって事くらい理解しろよ。
あとな、「簒奪」の使い方が間違ってる事くらいいいかげん学べ。
0980人間七七四年
2012/04/15(日) 18:25:18.66ID:oMaBzxpQどこで秀吉がそれをいっているのか知らないが、暗にこれ以上を望むのは過分で、もし望むなら罰を与えるって意味だぞ
0981人間七七四年
2012/04/15(日) 18:49:05.42ID:aHpJ01XJ江北12万石を治める筑前守に任命した信長に対し、
父と祖父を殺害され生命の危険に晒された庶出の三法師を
岐阜13万石を治める中納言に任命した秀吉
信長の貸しは返したと言い切る秀吉の理屈も分からんでもない
家康も信長や秀吉の直系の子孫にそれぞれ駿河一国15万石や
関八州への加増100万石分くらい与えていれば
恩義を大事にする家康公のまま道義的負い目を感じずに済んだに違いない
もっともそんな情に流される放漫経営では
二百年を超える長期政権の樹立は覚束なかったろうけど
0982人間七七四年
2012/04/15(日) 19:08:20.20ID:zhs9n4gWじゃあそのまま秀信を立てて、自分は後見役でいいでしょう
どう言い繕っても権力を簒奪していて、秀信がそれに対して異を唱えていたら、
秀吉は権力を返したのか?
家康が悪い、秀吉が悪いじゃなくて、やってることは同じ
0983人間七七四年
2012/04/15(日) 19:28:24.75ID:aHpJ01XJ織田政権は本能寺の変で完全に崩壊してるから、
権力を返すどころか返す権力自体が存在しないわけだけど
秀吉の築いた豊臣政権は秀吉自身が勢力圏を拡げ制度を整えたもの
それに対し秀信がもし「主君の権利」を要求したら、
秀吉が秀信を討っても誰も同情しないだろうよ
例えるなら秀頼が家康に徳川幕府の二代将軍の地位を要求するようなもの
事実は徳川と併存する貴族としての豊臣、いわゆる「二重公儀体制」の片翼としての
既得権益すら家康が秀頼から奪おうとしたから大坂の陣が起きたわけで
0984人間七七四年
2012/04/15(日) 19:29:22.24ID:RS+SIS4Rその宋でも簒奪した相手の主家を粛清せず、貴族として遇する事を良い話、としているからな。
お陰で旧勢力を立てて宋を倒す、という事はなかった。
代わりに外交に失敗して蛮族と見下してた金や元にやられちゃうわけだが。
0985人間七七四年
2012/04/15(日) 19:31:27.07ID:RS+SIS4R崩壊してたら清洲会議という、継承問題と分配の場自体発生しないだろう。
どうもあちこちにマルチしている人くさいが、自分好みの結論ありきで初歩的歴史事項無視しても説得力は出ないぞ。
0986人間七七四年
2012/04/15(日) 19:39:45.59ID:aHpJ01XJ各種の日本史辞典で「織田政権」を引いてみ?
手元に日本史辞典がなければWikipediaでも良いからさ
本能寺の変で織田家が滅んだから信長の領土拡張率は0%!
とか言ってるだがはアホだけど、このことはそれこそ「初歩的歴史事項」
だったら君は何時の辞典で織田政権が滅んだっつうの?
0987人間七七四年
2012/04/15(日) 19:40:25.63ID:Hc6Dkf2H0988人間七七四年
2012/04/15(日) 19:42:18.15ID:RS+SIS4R崩壊したら所領を分け合う、という要素自体がごっそり抜け落ちるじゃないか。
普通に切り取り次第、という無秩序状態に逆戻りするだけだろう。
0989人間七七四年
2012/04/15(日) 19:58:57.73ID:Hc6Dkf2H> 崩壊したら所領を分け合う、という要素自体がごっそり抜け落ちるじゃないか。
んなわけないだろ。
所領というのは本来主君から預けられる物であって、
家臣が勝手に分配して良い物じゃない。
織田家の分と別に所領を分配している時点で織田政権という物は成立しないんだよ。
0990人間七七四年
2012/04/15(日) 20:01:25.16ID:aHpJ01XJ「何時織田政権が滅んだのか?」つう質問をスルーして
下の書き込みの相手するのは寂しいね
清洲会議は織田家の継承問題を信長の息子たち及び重臣たちで
取り計らう場ではあったが、織田政権の権力基盤であった畿内の勢力圏や
朝廷から認められた唯一無二の公儀としての権威は既に織田家の手から離れている
こんな状態の織田家を以て「織田政権」なんて藤田達生氏以外は呼ばんよ
豊臣家は家康の江戸幕府開府(政権担当者としての豊臣家の終焉)
以降も大坂の陣で滅亡するまで、もっと言うなら
豊臣氏自身は備中足利と豊後日出で存続するが、
豊臣政権が幕末まで続いたなんて言う馬鹿は居ない
0991人間七七四年
2012/04/15(日) 20:06:30.12ID:5lQ3KQ3q家康の「井伊のような功臣筆頭ですら中堅クラスに抑える・大封は血縁に」はこれを見たからかな。
戦国時代だと血縁相克が当たり前だったんだけど。
0992人間七七四年
2012/04/15(日) 20:09:24.89ID:K4bZGzRU秀吉だけを非道徳だとか非難するとか言語道断だぞ クソ長厨
0993人間七七四年
2012/04/15(日) 20:12:01.75ID:R1BOnlq6どれほど秀吉が優秀であっても彼の天下統一は信長の基盤があってこそだよね。
その基盤を秀吉は頂いたのだからやっぱり乗っ取りじゃないかな。
0994人間七七四年
2012/04/15(日) 20:12:41.77ID:5lQ3KQ3q途端? 信長の敵討ちに動いた家臣、小身ながら光秀に逆らった家臣、信長の遺族保護した家臣たくさんいたが。
ま、秀吉自身が晩年に幻影に悩むほど自身の行いを後悔した節はあるが、基本的に道徳とか当時はほとんど無意味な話であって支配術に属するだろうなぁ。
0995人間七七四年
2012/04/15(日) 20:18:31.58ID:K4bZGzRUレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。