【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その14
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0001人間七七四年
2011/11/07(月) 17:56:41.52ID:gc+MSXxX徳川家・松平家と家臣団まで包括するスレです。
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0704人間七七四年
2012/02/29(水) 01:38:45.30ID:RsGv4Pmm何も苦労の無い環境だったら、地方の小大名で人生終わっていたはず。
人生とは長き道を重い荷物を背負い歩くがごとし、、、。
0705人間七七四年
2012/02/29(水) 02:20:14.19ID:PT8OpTkD秀吉はトントン拍子に上り詰めた印象だな
0706人間七七四年
2012/02/29(水) 10:13:05.61ID:WtH4KOO6今川の人質になった筈が、敵方の織田に捕らわれたのは、
どう見ても、どん底だと思うよ。
その境遇から、自力で脱出した訳ではないから差し引いて
考える必要はあるだろうけどね。
0707人間七七四年
2012/02/29(水) 11:30:04.56ID:pZej52Xj0708人間七七四年
2012/02/29(水) 11:58:31.95ID:Rv7QloSy家康や毛利隆元みたいにさ
優秀にしかも自家シンパになってくれれば万々歳なんだから
ただ織田に拉致られたのはどん底って言ってもいい
殺されても文句言えないんだから
>>703
>生まれつき武家の棟梁だった家康
???
0709人間七七四年
2012/02/29(水) 12:50:59.82ID:8ruQsIn0褒美貰ってお仕舞い?
0711人間七七四年
2012/02/29(水) 20:25:56.61ID:QiVFzySo家康は生まれたときから三河武士の旗頭である松平宗家の嫡男ですよ
「武家の棟梁」と言っても征夷大将軍だけを指すわけじゃないですからね、念のため
0712人間七七四年
2012/03/01(木) 09:22:27.22ID:ynHneSwQ松平宗家と言っても、家康が生まれた頃は義元の庇護を受けて
ようやく岡崎に戻れた頃だぜ。
とても三河武士の旗頭とは言えんわな。
0715人間七七四年
2012/03/01(木) 11:31:45.72ID:ErgybYD/棟梁:《棟と梁は家を支える重要な部分であるところから》
一族・一門の統率者。集団のかしら。頭領。また、一国を支える重職。
三河国最大当主を棟梁が間違いだと言うのなら、
弱肉強食当時の棟梁出せよと思うが?
0716人間七七四年
2012/03/01(木) 11:54:09.68ID:uklEWWGn三河の武家の棟梁ならさもありなんだが
あるいは松平の棟梁
唐突に武家の棟梁って言われたらそりゃ将軍を想起しても不思議じゃないだろ、後年家康がそれになってるだけ余計にな
棟梁だけだと何の棟梁か分からない
武家の棟梁なら武家全体の棟梁、つまり将軍
三河の棟梁なら三河国という限定された棟梁全般、つまり三河の最大の大工さんでもいいわけだ
だからこの場合三河の武家の棟梁というべきだろ
まあ当時の松平の権力についての問題すっ飛ばして言葉遊びして何か意味あるのって思うが
0717人間七七四年
2012/03/01(木) 12:18:05.71ID:mG8Vjf4kというか当時の清康に対する三河武士の印象は凄まじい物があるのだなと思う
0719人間七七四年
2012/03/01(木) 13:35:58.43ID:85h6CuKJ>生まれつき武家の棟梁だった家康がどん底とか
>家康を持ち上げようとしてるのかもだけど逆に失礼
な時点で、「あぁ、確かに何十家も束ねる棟梁だもんな」
って合点がいかないのか? 柔軟性足りなくね?
0720人間七七四年
2012/03/01(木) 14:03:24.25ID:oVC5CrV1要は土豪の一族ってとこだもんな。
0721人間七七四年
2012/03/01(木) 14:11:38.92ID:KT3qx73I松平宗家の〜といわれればだれも勘違いしない
読み手の柔軟性よりも勘違いを誘発するような書き方をした奴の修辞力が原因
「武家の棟梁」だけで将軍職を連想するなってほうが無理難題
0723人間七七四年
2012/03/01(木) 15:34:53.99ID:L93gatHS宗家と言っても、森山崩れで落ちぶれた後だしな。
岡崎城でさえ直前まで、同族に横領されてる状態だし
とても棟梁なんて偉い地位ではないよ。
0724人間七七四年
2012/03/01(木) 17:54:20.99ID:lTsbk5B20725人間七七四年
2012/03/01(木) 18:09:30.66ID:djcvaibSまぁ長男だったというのを棟梁みたいに言った
だけでそんなに深い意味はないんでしょ。
ただその時期から天下への意思みたいに言うのはなぁ。
信長が義元倒さなかったら一生人質だったかもだし。
頼朝もそうだったかもだし、行動起こした直後はまともに
やられてるし人の一生というより歴史の転換、人物の誕生というのは
些細で微妙なとこなんだなといつも思う。
0726人間七七四年
2012/03/01(木) 20:53:04.48ID:wj/Y9JLjせいぜい外様大名よりは信用できるってレベルだったように見えるが
0727人間七七四年
2012/03/01(木) 21:43:49.16ID:02cNq0KP家康人質時代の松平家臣は今川によって
家臣団再編をされずに、ほぼそのままの形で残されている
『三河物語』などが恨みがましく伝える、
今川直臣から陪臣であるが故に軽んじられる三河武士の悲哀もこのため
陪臣の身に甘んじた三河武士の苦労は察するに余りあるが、
今川からの離反以降、三河武士を譜代家臣団の中核として
引き継くことができた家康にとっては幸運だったと言える
>>716、721
「武家の棟梁」の意味すら知らずに勝手に勘違いしといて
修辞力に問題がある、とか恥ずかしくないの?
つうか平日の昼間から連レスしといて恥ずかしくないの?
そんなに暇なら日本史用語辞典でも引けば良いのに
0729人間七七四年
2012/03/01(木) 22:15:21.99ID:02cNq0KP小笠原氏もそうだが、徳川家と婚姻関係を結ぶことで幕政で重きをなした譜代も少なくない
0730人間七七四年
2012/03/01(木) 22:43:53.43ID:wj/Y9JLj井伊は別格
奥平もそうかな
個人的には諏訪とか土屋とか三枝とかがどう思われていたのか気になる
0731人間七七四年
2012/03/01(木) 22:44:03.45ID:XJG2StsC鳥居勝商の功績が大きいんじゃないの?
0732人間七七四年
2012/03/01(木) 22:53:46.70ID:mG8Vjf4k0734人間七七四年
2012/03/01(木) 23:13:30.17ID:02cNq0KP>棟梁だけだと何の棟梁か分からない
>武家の棟梁なら武家全体の棟梁、つまり将軍
>三河の棟梁なら三河国という限定された棟梁全般、つまり三河の最大の大工さんでもいいわけだ
皆が職場や学校に行ってる時間に2chでこんな小学生みたいな
レス書いてる人間が人様を詭弁呼ばわりとか
恥ずかしくないの?
0735人間七七四年
2012/03/01(木) 23:21:00.88ID:KT3qx73Iどうでもいいが、大学生は随分前から春休みだよ
ああ、大学行ったことがない人は知らないかもしれないけどさ
0736人間七七四年
2012/03/01(木) 23:40:37.76ID:02cNq0KP書き込み内容の幼稚さと相俟ってますます惨めになるだけなのに
暇なら大学の図書館で徳川家についてちょっとは勉強したら?
『三河物語』や『徳川実紀』みたいな個人で買うと馬鹿高い本が只で読めるよ
まあ君の通ってるレベルの大学では置いてないかもしれないけど
0737人間七七四年
2012/03/02(金) 00:14:59.68ID:Eob4ukAV画面がデコってあるから、PC詳しいのバレバレで
課題作成中の女子学生に
山ほど教えて教えてされまくったw
0738人間七七四年
2012/03/02(金) 00:17:09.27ID:fd6kDmRk0739人間七七四年
2012/03/02(金) 01:18:08.23ID:Sj0dwspD徳川初期だと誰が読みやすいの書いてるかな。
0740人間七七四年
2012/03/02(金) 06:10:15.02ID:wiHrJhMk違和感を持つべきポイントが違いましたね。
戦国時代に「武家」と言ったら足利氏のことなので「武家の棟梁」と言ったら将軍のことですよ。
0741人間七七四年
2012/03/02(金) 10:04:57.97ID:yb8xXehW0742人間七七四年
2012/03/02(金) 10:17:15.16ID:GP7h3QI70743人間七七四年
2012/03/02(金) 16:10:03.02ID:M0XSd9sP相手するだけ無駄だよ
>>741みても”武家の棟梁”から”棟梁”に摩り替えてるし
どうやっても言葉遊びで逃げてうやむや、分が悪くなると国語板でやれとかでうやむや
詭弁を弄して反省しないのは無視が一番
0744人間七七四年
2012/03/02(金) 20:11:51.25ID:8hzKFajkお前だけだろ( ´,_ゝ`)
0745人間七七四年
2012/03/02(金) 20:39:56.35ID:M0XSd9sP0746人間七七四年
2012/03/02(金) 21:17:17.39ID:8hzKFajkどん底からかどうか? って話で
>生まれつき武家の棟梁だった家康がどん底とか
その辺の城主よりも更に上のボス
って言ってるのを、将軍じゃないだろ!!とかキチガイにも程があるから
レッテル貼って何が悪いんだよ( ´,_ゝ`)
0748人間七七四年
2012/03/02(金) 21:52:23.96ID:X/VNHb5gむしろ、成功してからの家康には魅力を感じないな。
失敗や苦労が多いのが家康の魅力だ。
0750人間七七四年
2012/03/02(金) 22:04:13.25ID:QfCD01wf有力御家人の惣領だったからね。
まあ、後年、後醍醐天皇や弟との関係で苦労することになるが。
0751人間七七四年
2012/03/02(金) 22:04:55.64ID:jM0SfM+W「詭弁」とか「反省」とか頭おかしいのか
>>740
そうなの?
石井進氏の『中世武士団』では、確かに武士階級が成立した
最初期において源頼信、源頼義、源義家の河内源氏三代が
「武家の棟梁」の称号を独占的に有したとされるけど、
足利将軍時代に「武家」が「足利将軍家のみ」を指す呼称だったとは初耳
不勉強で申し訳ないけどソースお願いできませんか
ま、現代の歴史用語としての「武家」は、単純に
鎌倉時代以降の幕府・将軍家・御家人を含めた武士一般の総称なんだけどね
>>742
松平氏は長親清康の頃に戦国大名として三河に確固とした権力基盤を築きあげてますよ
広忠の代に今川氏の庇護下に入り、領国である三河に対する実質的な支配権を喪失するが、
依然三河武士の棟梁たる立場を名目上維持し続け、また庇護者である今川氏からも
彼らの三河支配に益するようにその地位を保全することを期待される存在だったわけで
それは今川氏が松平家臣団の解体を志向しなかったことからも明らか
0753人間七七四年
2012/03/03(土) 02:31:10.26ID:d1/+iNLo0754人間七七四年
2012/03/03(土) 07:34:59.58ID:uLwCquW30755人間七七四年
2012/03/03(土) 08:36:23.85ID:BAFpxZav>一旦の勲功などいふばかりにて、「武家」代々の陪臣の陪臣をあげて高官を授けられ事は、
>朝議の妄りのみならず、身のためも能く慎むべき事とぞ覚え侍る
「足利将軍家」ではなく「公家と対立する武士階級一般の総称」として「武家」と言う用語が使われてる
>>750
武家伝奏なら足利義昭が追放された後の天正三年、
甘露寺庭田勧修寺中山三条西の公卿5人が同職に新たに任命されてるけど
もちろん信長と朝廷との交渉役を期待されて
別に足利将軍家相手じゃなくても「武家」伝奏って言うらしいじゃん
0756人間七七四年
2012/03/03(土) 08:40:34.51ID:8Ka1gYEA誰がどう見ても、頭がおかしいのはお前さんだよ。
事実誤認が多すぎる。
最初の文章と、それをフォローしようとした文章を見てみると
--------------
生まれつき武家の棟梁だった家康がどん底とか
家康を持ち上げようとしてるのかもだけど逆に失礼
家康は生まれたときから三河武士の旗頭である松平宗家の嫡男ですよ
「武家の棟梁」と言っても征夷大将軍だけを指すわけじゃないですからね、念のため
--------------
まず「武家の棟梁」については、この時代では足利将軍を指すのが通例だな。
次に「三河武士の旗頭である松平宗家」は酷い間違い。
当時の広忠は、吉良氏の支援でようやく岡崎を回復した状況で
三河の一土豪でしかも弱小。
平野氏の著作から引用するのも良いけど、ちゃんと理解してから
引用しないと、自分の馬鹿さ加減を晒すだけだよ。
0757人間七七四年
2012/03/03(土) 09:25:36.49ID:uLwCquW3『神皇正統記』は南北朝時代の歴史書(それ以前の歴史を抽象的に記述)であって、
室町時代に足利氏以外を「武家」と呼んだ事例ではないですよね。
>「武家」代々の陪臣の陪臣
ここで言う「武家」は鎌倉殿(将軍)を指していると思いますが・・・。
0758人間七七四年
2012/03/03(土) 09:41:10.63ID:OX2I5gse義昭は京追放されてるし、信長自身が幕府機構を相当程度継承してるだけだろ
脇田修もそう指摘してる
京都所司代なんか好例
なんだったら将軍の子供抑えてるから代理として交渉してたのかもな
状況が変わって天下がほぼ織田の手中に帰したのに、いつまでも将軍にこだわるってのは”柔軟性が足りない”んじゃないか?w
0759人間七七四年
2012/03/03(土) 10:19:43.33ID:3uUvVFop0760人間七七四年
2012/03/03(土) 11:58:14.58ID:ecGZPpsh「この荷物宅急便で発送して来て!」ってお願いしたら
「隣の佐川では宅配便しか出せないので、
遠くのヤマト運輸まで行って来ました!!」ってしそうだよな( ´,_ゝ`)
低脳は自分の間違いを認めるのは、自尊心が許さないんだろうなwww
0761人間七七四年
2012/03/03(土) 12:05:16.73ID:ecGZPpsh上位1割に入る城主の嫡男なんだから、
>>家康みたいにどん底から這い上がり天下を取るような人は人類史においても稀。
どん底からかどうか? って話で
>生まれつき武家の棟梁だった家康がどん底とか
その辺の城主よりも更に上のボス(武家の棟梁)って意味が分からんとか
何かの精神障害者じゃないの( ´,_ゝ`)?
0763人間七七四年
2012/03/03(土) 13:06:21.81ID:BAFpxZav「平野氏の著作」って何?
このスレで一体誰が平野氏(誰?)の著作を引用してるの?
戦国時代の三河における松平宗家の立場については既に解説したよね?
誰がどう見ても、頭がおかしいのはお前さんだよ
>>757
『神皇正統記』はその本分である歴史書としては
作者である北畠親房の史観の産物としか言いようがないが
(特に天照大御神とか三種の神器とかの件は顕著)、
室町時代に「武家」という言葉がどう使用されていたかの
典拠としては一次資料そのものですよ
ちなみに引用した部分は俗に「建武中興論」と呼ばれる後醍醐天皇の執政部分の記述で、
親房にとって同時代資料として見ていい
>>758
そうそう
当時の朝廷は柔軟だったから、室町幕府崩壊後の政権執行者として
信長を相手として武家伝奏を任命したわけで
「武家といえば足利将軍家以外認めない(キリッ」とか
馬鹿なこと言わず現実路線で対応してたんだよね
ちなみに信長が将軍の子供抑えたからその名代として交渉した、
という事実は自分の知る限り存在しない
最初から一貫して京都所司代村井貞勝が窓口となっている
0764人間七七四年
2012/03/03(土) 13:53:07.84ID:BAFpxZav既に実例は出してる
逆に「室町時代に“武家”といえば“足利将軍家のみ”を指す」という根拠が出てない
(もっとも反証を既に挙げている以上、上記論旨は破綻済みだけど)
言っとくけど『二条宴乗日記』に引用されている永禄十三年一月二十三日付織田信長書状のように、
「武家」を「足利将軍家」という意味で使用するケースが
特に同時代の畿内において一般的だったということは当然知ってる
逆に聞くけど現代の歴史用語として「武家」が「武士階級」という意味で定着してるのに、
敢えて室町時代のみにおける限定的用法に拘る理由って何?
ただやり込められて悔しいから粘着してるだけだよね
0765人間七七四年
2012/03/03(土) 14:28:45.03ID:orSPgyDF0766人間七七四年
2012/03/03(土) 16:34:40.61ID:OX2I5gse両者に共通するのは天下をほぼ手中にしていたこと
つまり武家の代表者であり、棟梁という事
松平タケチヨは・・・?w
だから適切ではない
>>764
どこにでてんだよw
>>751
>足利将軍時代に「武家」が「足利将軍家のみ」を指す呼称だったとは初耳
>不勉強で申し訳ないけどソースお願いできませんか
>>751の論旨は松平に使ってもおかしくないというもの
なんでがソース引用範囲狭めた理由を、ソース求められた側が説明しなきゃならんのだw
言ってる事が二転三転しすぎなんだよ
0767人間七七四年
2012/03/03(土) 16:43:46.92ID:uLwCquW3そもそもこの時期の「三河武士の棟梁」と呼べる存在は吉良氏か今川氏でしょうね。
0768人間七七四年
2012/03/03(土) 16:57:36.39ID:ho1A3f3cそれは文脈読んで解説した>>711 にやり込められてファビョってるお前だけwww
「殿様」ってだけで万石以下の旗本は違う!とか言い出す
お前の柔軟性の低さは精神障害者レベル( ´,_ゝ`)
0769人間七七四年
2012/03/03(土) 17:23:46.28ID:OX2I5gse0770人間七七四年
2012/03/03(土) 18:01:58.19ID:pCMMalS50771人間七七四年
2012/03/03(土) 18:33:06.43ID:ho1A3f3c0772人間七七四年
2012/03/03(土) 23:26:17.52ID:OX2I5gse程度が知れるな
0773人間七七四年
2012/03/03(土) 23:43:28.32ID:BAFpxZavえ、既に出してるけど?
『神皇正統記』の記述と武家伝奏について
特に武家伝奏なんて>>752で挙げたのに
逆に反証に挙げられてどんな気分だった?
織田政権下で武家伝奏が設置されたって知らないのに
武家伝奏云々なんて言うから墓穴掘るんだよ
で、もう一度聞くけど「室町時代に“武家”といえば“足利将軍家のみ”を指す」という根拠は?
現代の歴史用語として「武家」が「武士階級」という意味で定着してるのに、
敢えて室町時代のみにおける限定的用法に拘る理由って何?
答えられない、ってことで良いんかな
人様にソース聞くだけ聞いて自分は何も知りませんってそれは話通らないと思うな
0774人間七七四年
2012/03/03(土) 23:47:16.46ID:BAFpxZav>>758
>信長自身が幕府機構を相当程度継承してるだけだろ
>脇田修もそう指摘してる
>京都所司代なんか好例
織田政権の京都所司代は室町幕府の「所司代」とは全く性格が違うし
(前者は天下諸色すなわち京都の政務統括、後者は検断沙汰すなわち刑事事件の検挙断罪)、
室町幕府の所司代が応仁の乱以後廃絶されて100年以上経ってから設置されたもの
どこの「脇田修」が信長の京都所司代が室町幕府由来だって言ってるの?
とりあえず脇田氏の名前出したといたらレスに権威付けできるとでも思ってんすかね
0775人間七七四年
2012/03/04(日) 00:02:42.04ID:uLUYfoesお前が知らないのは確定できた( ´,_ゝ`)
0776人間七七四年
2012/03/04(日) 00:39:05.87ID:W6YBj3gjおいおい今度は改竄か?w
どこに将軍家”のみ”なんてレスがあんだよw
限定したのは>>751、そして>>751は松平をさして武家の棟梁といってるやつ
対して>>766はそれを否定してる
なんで>>751と対立する意見の持ち主が>>751の行動の説明をせねばならないのか、論理的に説明しろやw
>>774
一緒だなんて言った?
脇田修も知らんのかw
そんな程度なら松平を指して武家の棟梁というかもなw
>>775
ソッスネ
俺が知ってるか否かとお前が知ってるか田舎はまた別だぞw
摩り替えるなよ
0777人間七七四年
2012/03/04(日) 01:09:13.55ID:ODOpgndI>室町時代の一次史料で足利氏以外を「武家」と呼ぶ事例を見たことない
>「武家の棟梁」については、この時代では足利将軍を指すのが通例
こんな書き込みが一杯あったわけだけど、反例挙げられたらちゃぶ台返しっすか
じゃあ「足利将軍家のみに限定されて使用されるわけじゃない」、でFAですね
で、更に繰り返すけど現代の歴史用語として「武家」が「武士階級」という意味で定着してるのに、
敢えて室町時代のみにおける限定的用法に拘る理由って何?
意味のない煽りレスしてないで早く答えてくれないかな
脇田修氏を知らんのは君の方でしょ
脇田修氏が「信長自身が幕府機構を相当程度継承」の「好例」として
村井貞勝の京都所司代を挙げるわけがない
だって室町幕府の「所司代」と織田政権の「京都所司代」は殆ど別物だからね
具体的な著書名挙げてみ
0779人間七七四年
2012/03/04(日) 08:20:28.99ID:gJRurbL3”室町時代の「武家の棟梁」は足利氏”という命題に対して、
”南北朝時代の歴史書(に書かれた鎌倉殿)”
”安土桃山時代の織田信長”
”近現代の歴史用語”
を挙げても反証にはならない。
そもそも鎌倉殿も織田信長もそれぞれの時代では、
室町時代の足利氏に相当する存在だから、
むしろ補強材料になっているような。
そして、清康期に(西)三河最大勢力だったからと言って、
当該時期に今川家の庇護下にあった勢力を「武家の棟梁」
と呼ぶのは、時期が異なるので論拠にならない。
(江戸時代の足利氏を「武家の棟梁」と呼ぶというレベル)
0780人間七七四年
2012/03/04(日) 09:22:18.45ID:W6YBj3gj”柔軟性が足りない”んじゃねえのw
限定してねえじゃん
通例としてる、見たことが無い、いずれも将軍を指している場合が殆どっていってるんじゃん
なんで0か1かでしか判断できないかね、ああ詭弁ですねw
極々まれな例を出して、さらに中間を無視して甲か乙かでわけて選択をせまり、自分に反する指摘は煽ると
限定したのは>>751、そして>>751は松平をさして武家の棟梁といってるやつ
対して>>766はそれを否定してる
なんで>>751と対立する意見の持ち主が>>751の行動の説明をせねばならないのか、論理的に説明しろやw
これについて論理的に説明したら幾らでも答え捻りだしてやるよ、「松平=武家の棟梁論者」のためになw
本当に脇田修知らんのだな・・・
あとね、お前が水戸黄門の印籠のように使ってる>>755だけど、原文あたってないからこれだけで訳すとね
「ちょっと功績があったからと言って、武家代々の家臣の家臣に高い官位を与えるのは、朝廷を軽んじるだけでなく、自身のためにも控えるべきだと思います」
ここで武家を将軍としようが武士一般としようが、対象はかわらんのよw
だから一般化も特定化も出来ない
そして公家と対立させた概念としてるけど、その公家の意味は平家物語から朝廷、乃至天皇を指す
古語辞典にもでてるから引っ張り出してみ
コレと対立させるなら、幕府か将軍だわなw
武家の棟梁を将軍の棟梁もおかしいから、幕府の棟梁が当てはまるだろう
よって武家の棟梁=幕府の棟梁=将軍
そもそも武家が武士一般を指すならその棟梁は将軍以外ありえないんっすけどねw
日本国民のトップといって知事を上げるひとはおらんだろうw
あと>>779の指摘の通りね
なんで織田信長と義昭の共通点あげたか、”柔軟”に理解してほしかったなあw
でえ?三河最大勢力って論証はやくしたらー?w
0781人間七七四年
2012/03/04(日) 10:19:26.01ID:NznuUp3Y↑悪魔の証明で逃げて、対抗勢力のボス出せないお前らの負け( ´,_ゝ`)
>>岡崎松平以上の三河勢力って、具体的にどこがあったの?
>そしてその今川家の庇護を受けてたのが松平家
今川家は駿河の勢力で、三河も庇護してただけだろwww
0782人間七七四年
2012/03/04(日) 10:52:22.79ID:BcNEzkJ20784人間七七四年
2012/03/04(日) 13:11:53.16ID:gJRurbL3>今川家は駿河の勢力で、三河も庇護してただけだろ
という理屈なら
「今川家は駿河の勢力だから、遠江の棟梁も今川家ではない」
ということになってしまうけど大丈夫?
そもそも国単位で区切る意味がわからないけど。
ゲームの仕様ですか?
0785人間七七四年
2012/03/04(日) 13:50:56.99ID:Jctq25KB意図読取れないって言ってんの。
論破されたからって、頑なになり過ぎwww
0786奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2012/03/04(日) 14:38:26.89ID:hh2DliGZ0787人間七七四年
2012/03/04(日) 16:16:19.92ID:ODOpgndI「“室町時代の「武家の棟梁」は足利氏”という命題」については誰も否定してないと思いますよ
「室町時代に“武家の棟梁”と呼ばれうる存在が足利氏のみだったか?」
「戦国大名としての松平宗家は“武家の棟梁”と呼ばれうる存在だったか?」
というのが今問題になってるわけで
少なくとも近現代の歴史学用語としては上記二つは問題ない
「武家」や「棟梁」、または「武家の棟梁」の同時代的用法については
なお検討を要する、ってのがスレの現状でしょう
ちなみに『神皇正統記』で引用した部分の現代語訳では
「鎌倉幕府の将軍」ではなくそのまま「武家」だし、
武家伝奏の「武家」も『官職要解』の和田英松は
「武家=公儀(将軍)」との交渉役というよりは、「武家=武士階級」からの
要求を主上に伝えるからそう呼ばれたと解釈してるようですよ
戦国時代における三河の権力構造を語るのに、江戸幕府という
強力な中央政権が存在した近世封建制度における
足利氏(喜連川氏)を反証にするのはそれこそナンセンスでしょう
中世において存在し得た「血縁集団や地域集団の統率者」としての棟梁が、
天下一統の後に(徳川家を除いて)その意義を大きく喪失することになったのは周知の事実なわけで
もっと適切な例を挙げるなら、織田信長上洛後に保護された足利将軍家くらいだと思うけどね
もちろん足利家→織田家や今川家→松平家という名目上あるいは実際上の主従関係の違いはあるが、
どちらもその庇護者により、特定の集団に対する権威を発揮することを期待されたのは同じ
>>780
@「室町時代に“武家”といえば“足利将軍家のみ”を指す」という根拠は?(ないということで解決済みでFA)
A現代の歴史用語としての意味を無視して室町時代のみにおける限定的用法に拘る理由って何?
B脇田修氏が「信長自身が幕府機構を相当程度継承」の「好例」として京都所司代を挙げた彼の著書名は?(捏造の可能性大?)
ほらほら、君が中身のない長文糞レスしてる間に宿題がどんどん溜まってるよ
ID:gJRurbL3さんと比べて君のレベルの低さは惨めだね
まともな教育受けてないの丸分かり
0788人間七七四年
2012/03/04(日) 16:21:03.36ID:W6YBj3gj>意味のない煽りレスしてないで早く答えてくれないかな
応えられないならそれでいいよ
勝利宣言でも何でもして逃げてればいい
馬鹿らしくなってきたわ
0789人間七七四年
2012/03/04(日) 16:39:00.40ID:ODOpgndI「応えられないならそれでいいよ」とは此れ如何に
そういうのをネットでは「勝利宣言」というんだよ
「馬鹿らしくなってきたわ」とはこっちのセリフ
0790人間七七四年
2012/03/04(日) 16:40:50.04ID:W6YBj3gjお疲れさん
0791人間七七四年
2012/03/04(日) 16:43:14.83ID:ODOpgndI根拠を提示する気になってくれるまで謙虚に待ってますよ
ここ数日の君のレス見る限り平日も休日も一日中暇みたいだから、
そのうちソースを持ってきてくれるんじゃないかと期待してます
それじゃひとまずお疲れ様でした
0792人間七七四年
2012/03/04(日) 17:23:54.81ID:Jctq25KB>生まれつき武家の棟梁だった家康がどん底とか
結局「武家の棟梁」=将軍って知識をひけらかせたかったバカが
1人か2人居て、将軍の子じゃないって言い張ってただけだよなw
誰もそんな事言ってないのに、、、
0793人間七七四年
2012/03/04(日) 17:25:16.74ID:Jctq25KBhttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
0794人間七七四年
2012/03/04(日) 17:37:12.95ID:HSQtC4Yr言いだしっぺはそれとごっちゃにしてない?
家康がそうなら、同盟を結んで晩年は家臣のようにしていた信長や
臣従させた秀吉は何なの?って気がするが。
0795人間七七四年
2012/03/04(日) 17:50:45.41ID:W6YBj3gj家康をして生まれながらの武家の棟梁なんか普通言わないし
後半は三河の武家の棟梁にスケールダウンして無理からこじつけてたけど、
有光友學も広忠時代は絶対的な権力は存在せず、混沌とした状況なんて評価してるし
0796人間七七四年
2012/03/04(日) 18:32:33.92ID:Jctq25KB「どん底」とか言ってたからだろ。
それくらい理解しろよ頭悪いなぁ(′・_・`)
0797人間七七四年
2012/03/04(日) 18:34:33.26ID:Jctq25KB万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
0799人間七七四年
2012/03/04(日) 20:01:29.12ID:HSQtC4Yrどんな人間にもいい時と悪い時がある。
生まれてから死ぬまでいいことだけの人間も、
悪いことだけの人間もそういない。
今川人質時代の家康を「どん底」と表現することの何が
おかしいの?
それこそ信長が義元を討たなかったらどうなってたか
分からないのに。
0800人間七七四年
2012/03/04(日) 20:18:19.02ID:kcIPclq+さすがにそれは無いだろ。
「武家の棟梁」と言う言葉は本来
大名クラスの家々(武家)を束ねる立場って意味で使われるけど、
普通の武士=武家って思っちゃったから、
多くの武士達を束ねる存在=武家の棟梁って使っちゃったんでしょ。
色々突っ込まれてファビョっちゃったけど、
俺も家康をどん底から這い上がったってのはどうかと思うけどな。
そこそこの勢力の嫡男として生まれて、
人質とは言え当時全国有数の家から親族並みの扱いを受けてるのに。
0801人間七七四年
2012/03/04(日) 20:34:27.90ID:oA2ABVU6大高城へ兵糧入れてたんだっけ?
今川義元にとって、何番目くらいの盟友?なんだろうか。
嫡男は出来が良くないワケで、、、
1番は武田北条あたりだよな。その次が重臣連中?
0802人間七七四年
2012/03/04(日) 20:36:47.61ID:W6YBj3gj人質にされるってのはなくもないけど、途中で誘拐とかありえないもんな
親父は伊勢に逃げるし
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