【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その14
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0001人間七七四年
2011/11/07(月) 17:56:41.52ID:gc+MSXxX徳川家・松平家と家臣団まで包括するスレです。
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0552人間七七四年
2012/01/28(土) 01:10:38.13ID:R7bnG1KJ足軽として最前線で戦ってたし、口論から人を斬り殺したりしてるけど、
家康公って自分自身の手で人を斬り殺したことがあるのかなあ
0553人間七七四年
2012/01/28(土) 01:20:19.93ID:Jswoz5kTポジション的に一番神経疲れそう
現代でも過労死するの中間管理職だろ
0554奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2012/01/28(土) 01:25:00.37ID:CRh4Be67組織に属さない体の金持ち。
「お大尽」てヤツさ。
0555人間七七四年
2012/01/28(土) 02:01:46.37ID:5iani2ip家康お気に入りの鷹に怪我させた小姓を切り殺している
関ヶ原でも門奈を切り殺そうとしたし、信長公記でも家康が弓で敵兵を射ったと書いてあるし
結構殺してるんじゃないかな
0556人間七七四年
2012/01/28(土) 02:20:42.76ID:rd1CHHjO0557人間七七四年
2012/01/28(土) 02:22:08.59ID:bXNxI8Mm0558人間七七四年
2012/01/28(土) 03:26:53.16ID:Jswoz5kT0559人間七七四年
2012/01/28(土) 04:02:22.56ID:PyiwX3tJ0560人間七七四年
2012/01/28(土) 09:42:01.21ID:ajI8zyZg油で高温処理する天ぷらは調理法として安全だと思っちゃったんじゃないかな
当時、保存技術が低いから油が悪かったんだろう
好物ってわけでなく豪商から西洋から伝わった珍しい料理なんすよってすすめられたんだっけ
当時の天ぷらはころものついた天ぷらじゃなく
さつま揚げみたいなのとも聞くけど見た客に出せない目の悪い小鯛をすり身にする経済的な調理法だったかもよ
0562武闘派坊主和崎俊哉
2012/01/28(土) 18:46:39.91ID:PyiwX3tJ0564人間七七四年
2012/01/29(日) 00:52:31.07ID:+GnT+Jh2それは人を傷つけるだけのことだ
0565人間七七四年
2012/01/29(日) 12:08:40.37ID:9uATBoeE舶来のオリーブ油で揚げてるから、高価なものであることは間違いないがね。
食が進んだのはいいが、弱ってるところに油っこいものを食べたんで体調悪化、さらに自分で調合した強い薬を使ってさらに悪化という具合。
当時のことだから、胃癌は助からないが、体の衰弱で少し死期が早まったくらいかね。
0566人間七七四年
2012/01/29(日) 12:31:00.79ID:mNneeRuM0567人間七七四年
2012/01/29(日) 15:56:23.01ID:F4hiLJCy0568人間七七四年
2012/01/30(月) 22:50:54.97ID:cnRWdYNmあとはチャンス(近隣大名が死んだとか)が来るまで待ってるイメージだが
誤解してる? 三方が原の事情説は知ってる。
0569奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2012/01/30(月) 22:59:38.80ID:2tslDyXI0570人間七七四年
2012/01/30(月) 23:16:57.65ID:xGnKc3dUおれが長年、家康が嫌いだった理由がやっとわかったわw
そういう要領のいい抜け目なさが嫌いだったんだ
0571奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2012/01/31(火) 00:14:31.93ID:/HarLBUW信長の弟
秀吉の弟
系図を少し齧って、義理を消せられば、ね。
0573奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2012/01/31(火) 23:15:30.27ID:Ti9JZwP1長子どうしが夫婦だからさ。フロイスの話こそ全く頭に浮かんでなかったよ。
0575人間七七四年
2012/02/01(水) 10:53:14.48ID:HZq0MDwK0577人間七七四年
2012/02/01(水) 22:36:49.00ID:yuNYQqpT広忠公って、なかなかな大将じゃなかったの?
ヨイショ無しの実績や評価が知りたい。
戸田康光事件の対処しか知らないw
0578人間七七四年
2012/02/02(木) 10:13:10.69ID:LFcKRkyh0579人間七七四年
2012/02/02(木) 10:45:53.91ID:GQjG2ecO清康さんが三河固めて死んだならともかく
なにもかも途中な段階で急にムラマサが来たので死んでしまったわけだすから
敵は敵のままだし半端な味方は確実に離反するしよくて様子見
つぶれなかっただけ立派であろう
0580人間七七四年
2012/02/02(木) 14:41:52.29ID:qbCUk3n4というか今川の庇護を受けるために臣従したから、独立勢力としての松平氏は広忠の代に潰れたと言っていいだろう
0581人間七七四年
2012/02/02(木) 17:02:57.64ID:yh9FT/Oi今川氏は松平氏権力の解体・再編を断念し、松平宗家を利用して三河の在地支配を行っていた。
そしてこのことは、松平氏が国人一揆機構から脱却し、すでに家康以前から戦国大名への道を歩み始めていたことの証左である
0582人間七七四年
2012/02/02(木) 18:14:11.38ID:cwjl2fC+0583人間七七四年
2012/02/02(木) 19:50:00.22ID:chD3qcQG今だと無理だろうな。
0584人間七七四年
2012/02/02(木) 20:11:59.49ID:eZExZRG40585人間七七四年
2012/02/02(木) 20:46:04.22ID:chD3qcQG性格的には内向的じゃん。
いや、いろんな書物を読んだ上での話だがら、
0586人間七七四年
2012/02/02(木) 21:06:52.58ID:C0Oa9V6g0587人間七七四年
2012/02/02(木) 21:27:53.10ID:eZExZRG40588人間七七四年
2012/02/04(土) 09:17:20.14ID:0L12DjZI外面はかなり良い
0589人間七七四年
2012/02/04(土) 09:22:38.44ID:v4AHn37T0590人間七七四年
2012/02/04(土) 13:46:01.24ID:bdSl+PrD他の大名と比べたら徳川の扱いは酷すぎる
みんな冷や飯食らいだし
0591人間七七四年
2012/02/04(土) 15:19:36.90ID:FCwRINLX0592人間七七四年
2012/02/04(土) 15:53:37.44ID:0wovavSQ慎ましい生活が時代の最先端だよな。
つくづく参考になる組織理論だ。
0593人間七七四年
2012/02/04(土) 15:57:08.90ID:/s1h9LL3性格や思考が垣間見える面白い書状、もっと言えば稚気のあるものが多いけど、
家康に関してはあんまりそういうの思いつかない
そういうのが内向的イメージに寄与してるんだろうね
家康自身が意識的にそういう感情とかを表に出さないようにしてたような気がする
0594人間七七四年
2012/02/04(土) 18:12:20.99ID:xjXTQBVGそれに信長・秀吉死後の織豊政権やお家騒動の時の最上とか、幕末の伊達を見ればわかるけど、
家臣が力を持ちすぎるとトップの抑えが利かなくなって暴走してまとまりがなくなる
それを御しきれるカリスマが大名にあればいいけど、そうでない人もなるわけで
権力と実力を分離するのは長期政権を作る上でいい方法
0596あ
2012/02/05(日) 01:06:16.15ID:2A27On/00597人間七七四年
2012/02/05(日) 02:02:15.52ID:TW8MBmo5徳川家はすごくまとまってたけど背かれたことがないことはないんじゃね?
武田信玄最後の遠征のときは多くの武将が武田がわに寝返った気がする
いやまてよ あーゆーのは謀反とは言わねーな
0598人間七七四年
2012/02/05(日) 02:40:54.20ID:AcWh6lWI国人連中は徳川家に限らず強い方につくからなあ・・・
あんまり参考にはならんかと
石川一益の出奔も、謀反ってレベルじゃないしね
0599人間七七四年
2012/02/05(日) 02:57:46.49ID:9pjTwLqw0600人間七七四年
2012/02/05(日) 03:03:00.21ID:TW8MBmo5もともと外様というよりはほとんど他人だもんなあ
謀反っていうからには何年かはしっかり徳川家臣じゃないとな
そうなるとほんと少ないな ぱっと出てこない
0601か
2012/02/05(日) 03:49:29.66ID:2A27On/00602人間七七四年
2012/02/05(日) 09:33:51.60ID:fX6ihF9W・外様の鞍替えは除外
・譜代でも謀反前に露見したら除外
・譜代でも出奔は除外
こんな感じで除外しまくったら大抵の棟梁は謀反なしじゃねいの
>>595
?
0603人間七七四年
2012/02/05(日) 15:29:36.47ID:AcWh6lWI国人ってのはそれだけ微妙な立ち位置の存在だから
0604人間七七四年
2012/02/05(日) 16:28:32.26ID:e1ANrGYp大賀弥四郎だけになら無いか?
処罰されなかった?石川数正はイマイチ不明だけどw
0605人間七七四年
2012/02/05(日) 16:29:06.11ID:TW8MBmo5まだ十代の血気にはやる若者が、織田に土下座する父を追放して
独立しようと企み、武田とひそかに連絡をとってたのがバレたのかもしれない
信長公が他家の跡継ぎのデキがいいから腹切らせたなんて変だ
0606人間七七四年
2012/02/05(日) 18:45:51.78ID:pYhoxd1P経済力も申し分ない
0607あ
2012/02/05(日) 20:38:05.86ID:2A27On/00608人間七七四年
2012/02/05(日) 21:33:07.50ID:AcWh6lWI0609人間七七四年
2012/02/06(月) 00:29:15.46ID:+LF6m6A20610人間七七四年
2012/02/06(月) 00:43:51.20ID:wMEx+djS0611人間七七四年
2012/02/06(月) 00:54:59.32ID:kYZStvVr0612人間七七四年
2012/02/06(月) 01:13:45.20ID:Y4RwHLR9本多正信、正純親子は徳川家にもっとも貢献したとも言われる大久保家を
蹴落として恨みを買われてたんじゃないだろうか 大久保家を中心に
武闘派が巻き返しをはかって吊り天井事件が起きたのでは・・・
0613人間七七四年
2012/02/06(月) 09:42:42.09ID:MLSXUNRB0614人間七七四年
2012/02/06(月) 10:39:15.84ID:QkLtNqz00615人間七七四年
2012/02/06(月) 15:55:16.82ID:p83URBFm防止できる組織体制敷けなかったって事か?
0616人間七七四年
2012/02/06(月) 17:13:40.64ID:kPYWzWNb不正は常に不正ではない
昨日合法今日違法そういうこともある
0617K
2012/02/06(月) 18:37:27.56ID:3/UrInEQこれを観ないでいろいろ言っても、しょうがないと思います!
↓
http://www.youtube.com/user/amenouzumei#g/u
(真実のエッセンスが上手くまとめられています。)
ネット上では、「9.11」「アラブの春」「真珠湾攻撃」「南京大虐殺」「民主党の実態」他、真実は多くの人に知られています ソウル在住の中国人急増、地元住民と対立も(11 が、
政治、戦争歴史、マスコミ、教科書、宗教、医療業界、警察、司法・・・
これらが見事に世界規模でシステム化され、国民は完璧に洗脳されて来ました。
真の情報を得られるのは、インターネットとほんの一部の書籍のみ。
アメリカ人は既に気づきはじめました。
このシリーズの内容は、みごとに集約されています。
初めて観る方にとっては、最初のうちは「100%ウソに決まってる!」と言って観ることを止めるでしょう。
でも、決して観るのを止めないでください!!(お願いします。)
否定するなら、最後 (上級編)まですべて観てから否定してください。
否定は出来ないはずです。
これらの周辺の関連動画も片っ端から観ることをお勧めします。
みなさん、日本が、世界が、幸せになることは、共通の願いなのではないでしょうか。
「自分は知っている!」という先入観は捨てて観ることをお願い致します。
、、、
0618人間七七四年
2012/02/06(月) 18:47:49.16ID:TlmbZZwe本多家改易したのって、正純が福島正則のように勝手に改築したからと聞いたんだが
あとお江が寝込んだことにしようとかいうけど、その時期お江さん本当に寝込んでいたようだからね
正妻見舞いがてら一度帰って、また日を改めて行くつもりだったとか?
0619あ
2012/02/06(月) 19:42:42.74ID:R/CqpGjm0620人間七七四年
2012/02/06(月) 22:30:59.48ID:kV383DW0幸い秀忠も家光も堅実に統治していたから大事には至らなかったが
0621人間七七四年
2012/02/07(火) 15:00:00.72ID:K+f70Zya危険な2〜3代がのりきったというのはたいしたもんだ。
無能だからよかった、なんてヒネた言い方もあるが偉大な
初代の遺言?を忠実にこなすというのもまた重大な役目
だろうしな。
清盛、頼朝見てると本当に思うわ。
0622猿飛佐助
2012/02/07(火) 15:13:14.55ID:sVv91E0v0623義経
2012/02/07(火) 15:44:10.14ID:sVv91E0vもう、いやんになる。
北条討つべし!!!
0624人間七七四年
2012/02/07(火) 19:51:09.30ID:NR+s8j0ahttp://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/category23-0.html
0625ら
2012/02/09(木) 19:39:31.31ID:/hbxgCBH0626人間七七四年
2012/02/09(木) 20:01:32.69ID:09SODPLT忠輝は100万石近い大封をもってたのにぜんぶとられて坊主になったんだから、
そりゃかなりはっきりした証拠が出ちゃったんじゃないかなあ それで観念した
もしハメられたとしたなら、忠輝にはハメた相手がわかってたはずだし、
キレて殺害してたと思います
0627人間七七四年
2012/02/09(木) 23:28:08.42ID:LAf/QN34武将としては恐ろしい方が良くないか?
信康がフラッシュバックしたのだろうか?
って事はやっぱり信康は謀反かw
0628人間七七四年
2012/02/09(木) 23:35:33.59ID:wc0oGUxS話があるね。
それが本心かどうかは別の話だけど
ケイタイも無い時代だし、つるんで、ってのは
かなりあれじゃないかなぁ。
0629人間七七四年
2012/02/10(金) 00:45:24.54ID:oPAuKuEpこのあたりを秀吉が織田家に対してやった事と比較すると明らかに家康って豊臣家を残そうとぎりぎりまでねばったんだなあというのがわかる。
0630人間七七四年
2012/02/10(金) 01:49:12.51ID:/ISq3aTy・母方の曾祖父藤原季兼は、都を下り豊田に土着、高橋荘・高橋新荘を立券し皇室に寄進、後に岡崎に移り住む
■三河国高橋荘・高橋新荘
・三河国高橋荘:源頼朝の実弟(八田知家)の家系(中条氏)が代々地頭
・三河国高橋新荘:荘官の足助氏(足助重長)から、源頼朝の嫡男である頼家に室を出し、生まれた子供が実朝を暗殺した公暁
【鎌倉幕府】
■頼朝姻族(将軍御一家、源頼朝の女系一族、足利家、一条家、北条家の3家)
・足利義兼:幕府内序列2位、上総介、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡)、母方から菅生郷(愛知県岡崎市)を相伝、嫡男が足利氏として初めて三河守護
■関東御分国(源頼朝を国主とする知行国、国司は頼朝が推挙、当初は三河国、駿河国、武蔵国の3ヶ国)
・三河国:源範頼(頼朝異母弟、室は安達盛長(三河守護、頼朝と幼なじみ)の娘←三河国司は、頼朝が初めて国主とした推挙した事例
・駿河国:源広綱(摂津源氏、古井城主(愛知県安城市)、後に実兄が伊豆守になり、伊豆に移り住み頼朝と知り合う)←太田道灌の先祖
・武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、従兄弟(方原師光)が三河国形原荘荘官)
・伊豆守:山名義範(実の父親は矢田城主(愛知県西尾市)の矢田義清(足利義兼の兄、孫が初代細川氏の細川義季))
■政所(実務を司る役所、室町幕府の管領にあたる)
・別当:大江広元(牛田城主(愛知県知立市)、四男(海東忠成)が熱田大宮司一族に養子入り、娘が高階惟長(菅生郷(愛知県岡崎市)郷司、高師直の先祖)の室)
・執事:二階堂行政(母親が頼朝の祖父(初代藤姓熱田大宮司/本貫地:三河国額田郡)の妹、岐阜城を築城)
0631人間七七四年
2012/02/10(金) 16:32:47.82ID:kZLGLy97律儀に関してはいいんだけど
豊臣家は滅ぼす気だったとは思うな。
結果論にしろ何でも一番いいタイミングをつかまえてるとこ
なんかはさすがだとは思うわ。
0632人間七七四年
2012/02/10(金) 16:50:53.68ID:Okskupmm徳川がいちゃもんつけてとよく言われてるが
豊臣も徳川にいちゃもんつけてるよね
0633人間七七四年
2012/02/10(金) 17:27:45.55ID:Xw770qHZ江戸開府した前後では割と情勢が不穏でリスクが大きすぎる
千姫輿入れとかをどう見るかだけど、それで取り込めればよしと見るね
でも予想以上に早く上手くことが収まって幕府の権力が固まった
豊臣の諸大名への影響力も目に見えて衰えてきた
しかも豊臣はなんか今でも主筋と思い違いをしてる
今ならいけると決断したのが1614年、と
0634人間七七四年
2012/02/10(金) 18:29:54.08ID:dcFY/7Tu正論での必死な弁解しか思いつかないが、、、
0635人間七七四年
2012/02/10(金) 18:44:54.46ID:CdNApXJu1600年の時点で家康も結構な年齢だったし
0636人間七七四年
2012/02/10(金) 19:28:35.20ID:X4t+NDlc家康としては自分が生きているうちにすべての戦の種を潰すっていう
強い思いがあっただろうね。
豊臣家が健在だったら、家康は豊臣家をないがしろにしている
みたいな理由で戦の大義名分とかにもされかねなかっただろうし。
0637人間七七四年
2012/02/10(金) 20:08:21.70ID:oPAuKuEp豊臣家を屈服させないまま死ぬ可能性が高かったにもかかわらず長い時間をかけて豊臣家の天下を諦めさせようとしたのがわかる
それに比べると秀吉はしずがたけの戦いのあと速効で信考とその母親を殺し、天下を統一した数か月後信雄の領土を、転封に難色をしめしたという理由だけでほとんど没収している。
自分をとりたててくれた恩家を速効でつぶした秀吉と、長い時間を与え転封も人質も断り続けた豊臣家を優遇しつづけた家康。
この二人を比べると家康以上に天下をとってなお豊臣家を長く存続させる事ができた武将はほかにいないと思う。
もちろん秀吉が悪辣だったのではなく家康が戦国武将としては異常に律儀だっただけで。
0638人間七七四年
2012/02/10(金) 20:44:18.00ID:YoYaJi9Z秀吉だって完全無力の織田秀信はそこそこ厚遇してたで
0639人間七七四年
2012/02/10(金) 20:58:13.62ID:SQjUYVlv秀吉も自身が攻め込まれた訳じゃなく、先制攻撃して抹殺してるから
自衛じゃなくて100%簒奪だな。
0640人間七七四年
2012/02/11(土) 01:24:38.47ID:1wMw6gRA殺らなければ殺られていたのは家康も同じ
天下を統一した後小牧の戦いですでに旧織田家にみはなされていることがはっきりしていて危険性がほぼ無い信雄を改易したのは
改易もしくは反抗した信雄を殺しても反発する大名がいないという確信があったからでは?ちなみに改易後の織田一族の総石高は30万石程度
対して家康は織田家と違い天下を統一した為遥かに危険性が高い豊臣家を65万石の大名として十数年優遇し続けた。
そもそも秀吉の場合は信長の血族がたくさんいた為一人や二人殺しても彼の血族が絶えることが無いため旧主の一族を根絶やしにしたという悪名をかぶらずに済んだ。またその必要もなかった
対して家康は秀頼が背けば当然彼と徳川を恨むであろうその子供を殺さざるを得ない。これが問題で反乱した秀頼の直系を断つことは秀吉の血筋を根絶やしにした事になってしまう。
つまり秀吉は織田家の血筋を根絶やしにしなかったのに{そもそも必要無いし血族が多くて不可能だが}家康は根絶やしにした悪い奴だということになる。
もし秀吉の息子がたくさんいたら秀頼の直系を断ってもほかの血族がいるかぎり秀吉の血筋を根絶やしにしたという悪名を負うことわなかったが
結局秀頼は背き、彼の血筋のみを絶った事が秀吉の血を根絶やしにした、家康はインケンだ、それにくらべて秀吉は織田の血筋を根絶やしにしなかったいい奴という評価になった。
やったことは同じなのに。
0641人間七七四年
2012/02/11(土) 08:26:39.02ID:wM9NW8tkこれが何を意味するのか理解してないとか馬鹿すぎるだろ。
0642人間七七四年
2012/02/11(土) 08:57:18.06ID:56ILJWVU0643人間七七四年
2012/02/11(土) 10:28:46.14ID:qqfrT6+T本気で幕府側に勝てると思ってたんかね
0645人間七七四年
2012/02/11(土) 11:54:13.70ID:9qgbkYpT0646人間七七四年
2012/02/11(土) 12:51:50.67ID:2lXKIZAU転封自体が滅多くあることではなかったし
問答無用で大名を取り潰せる強大な権力も日本史上で初だった
0648人間七七四年
2012/02/11(土) 14:50:33.23ID:8WEShukz■藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)
・母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、都を下り豊田に土着、高橋荘・高橋新荘を立券し皇室に寄進、後に岡崎に移り住む
・その息子藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
■三河国高橋荘(愛知県豊田市)・高橋新荘(愛知県豊田市)
・三河国高橋荘:源頼朝の実弟(八田知家)の家系(中条氏)が代々地頭
・三河国高橋新荘:荘官の足助氏(足助重長)から、源頼朝の嫡男である頼家に室を出し、生まれた子供が実朝を暗殺した公暁
【鎌倉幕府】
■頼朝姻族(将軍御一家、源頼朝の女系一族、足利家、一条家、北条家の3家)
・足利義兼:幕府内序列2位、上総介、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡)、母方から菅生郷(愛知県岡崎市)を相伝、嫡男が足利氏として初めて三河守護
■関東御分国(将軍家が知行国主とし、国司は将軍家が推挙、当初(頼朝時代)は三河国、駿河国、武蔵国の3ヶ国後に9ヶ国)
・三河国:源範頼(河内源氏、頼朝異母弟、室は安達盛長(三河守護、頼朝と幼なじみ)の娘)←頼朝が初めて国主として推挙した事例
・駿河国:源広綱(摂津源氏、古井城主(愛知県安城市)、後に実兄が伊豆守になり、伊豆に移り住み頼朝と懇意)←太田道灌の先祖
・武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、従兄弟(方原師光)が三河国形原荘荘官)
・伊豆守:山名義範(河内源氏、実父は矢田城主(愛知県西尾市)の矢田義清(足利義兼(上総介)の兄、孫が初代細川氏の細川義季))
・相模国:大内惟義(甲斐源氏、平賀義信(武蔵守)の息)
・上総国:足利義兼(河内源氏、幕府内序列2位、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡))
・信濃国:加賀美遠光(甲斐源氏)
・越後国:安田義資(甲斐源氏)
・伊予国:源義経(河内源氏、頼朝異母弟)
■政所(実務を司る役所、室町幕府の管領にあたる)
・別当:大江広元(牛田城主(愛知県知立市)、五男(海東忠成)が熱田大宮司一族に養子入り、娘が高階惟長(菅生郷(愛知県岡崎市)郷司)の室)
・執事:二階堂行政(母親が頼朝の祖父(初代藤姓熱田大宮司/本貫地:三河国額田郡)の妹、岐阜城を築城)
0649人間七七四年
2012/02/11(土) 15:23:09.39ID:vnvJ7ix3あれだけ反抗的な豊臣を死の直前にやっと潰すくらいだから、
豊臣がもうちょっと上手く立ち回れば潰されずに済んだんじゃね?
0650人間七七四年
2012/02/11(土) 15:29:28.93ID:9Y5pPVE/一覧載ってるとこないかな
0651人間七七四年
2012/02/11(土) 15:50:36.52ID:8WEShukz■藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)
・母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、都を下り豊田に土着、高橋荘・高橋新荘を立券し皇室に寄進、後に岡崎に移り住む
・その息子藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
■三河国高橋荘(愛知県豊田市)・高橋新荘(愛知県豊田市)
・三河国高橋荘:源頼朝の実弟(八田知家)の家系(中条氏)が代々地頭
・三河国高橋新荘:荘官の足助氏(足助重長)から、源頼朝の嫡男である頼家に室を出し、生まれた子供が実朝を暗殺した公暁
【鎌倉幕府】
■頼朝姻族(将軍御一家、源頼朝の女系一族、足利家、一条家、北条家の3家)
・足利義兼:幕府内序列2位、上総介、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡)、母方から菅生郷(愛知県岡崎市)を相伝、嫡男が足利氏として初めて三河守護
■関東御分国(将軍家が知行国主とし、国司は将軍家が推挙、当初(頼朝時代)は三河国、駿河国、武蔵国の3ヶ国後に9ヶ国)
国司一覧
・三河守:源範頼(河内源氏、頼朝異母弟、室は安達盛長(三河守護、頼朝と幼なじみ)の娘)←頼朝が初めて国主として推挙した事例
・駿河守:源広綱(摂津源氏、古井城主(愛知県安城市)、後に実兄が伊豆守になり、伊豆に移り住み頼朝と懇意)←太田道灌の先祖
・武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、従兄弟(方原師光)が三河国形原荘荘官)
・伊豆守:山名義範(河内源氏、実父は矢田城主(愛知県西尾市)の矢田義清(足利義兼(上総介)の兄、孫が初代細川氏の細川義季))
・相模守:大内惟義(甲斐源氏、平賀義信(武蔵守)の息)
・上総介:足利義兼(河内源氏、幕府内序列2位、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡))
・信濃守:加賀美遠光(甲斐源氏)
・越後守:安田義資(甲斐源氏)
・伊予守:源義経(河内源氏、頼朝異母弟)
■政所(実務を司る役所、室町幕府の管領にあたる)
・別当:大江広元(牛田城主(愛知県知立市)、五男(海東忠成)が熱田大宮司一族に養子入り、娘が高階惟長(菅生郷(愛知県岡崎市)郷司)の室)
・執事:二階堂行政(母親が頼朝の祖父(初代藤姓熱田大宮司/本貫地:三河国額田郡)の妹、岐阜城を築城)
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