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【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その14

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0001人間七七四年2011/11/07(月) 17:56:41.52ID:gc+MSXxX
スレ分散しても過疎るだけなので、
徳川家・松平家と家臣団まで包括するスレです。

人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0507人間七七四年2012/01/21(土) 11:28:38.38ID:6y9zM1Fe
鳥居勝商放送されてたけど、2〜3日に1度の
山城同士の定時連絡とかして無かったんだろうか?

俺が国持ちだったら、全ての砦や城に定時連絡便走らせるんだけどなぁ。
あと月例で侍大将以上集めて、自他国一般情勢の勉強会開いて情報共有すると思う。
0508人間七七四年2012/01/21(土) 12:05:10.85ID:CVpbzGPr
>>505
こいつチョンだろ
0509人間七七四年2012/01/21(土) 17:29:42.27ID:gTUJ8BJp
>>506
言ってみただけじゃないだろうな
過去を遡って、社会増を調べあげるぞ
俺をナメるなよ



0510人間七七四年2012/01/21(土) 19:25:20.86ID:gaUVTqb3
独特の戦法を考え付いた徳川家康

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/43/289_2.html

最終的な決着がないのが、徳川の戦い方だ。

(仮説を含む)

( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p006.html )
0511人間七七四年2012/01/22(日) 04:21:41.12ID:htXS+fOr
野田・どじょう総理!君はシロアリだったねww http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo

マニフェスト、イギリスで始まりました。
ルールがあるんです。
書いてあることは命懸けで実行する。
書いてないことはやらないんです。
それがルールです
0512人間七七四年2012/01/24(火) 19:24:12.62ID:FBhiMiSH
司馬遼の関ヶ原読んでたら、家康に対する憤りで全身から血が吹き出そうになったわ
0513人間七七四年2012/01/24(火) 19:51:27.73ID:K1hkmYiO
シバリョじゃなぁw
0514人間七七四年2012/01/24(火) 19:59:25.58ID:otZt8YKr
小説としてのキャラ付けとはいえ、家康に対して「鷹狩と薬作り以外趣味のない男」とか言ってるからなあ
0515人間七七四年2012/01/24(火) 20:30:47.05ID:fCxKwPbf
そうなんじゃないのか?
0516人間七七四年2012/01/24(火) 20:55:15.59ID:K1hkmYiO
勉強家だし、鉄砲撃ったり水泳したり 元気なおじーちゃんだ
0517人間七七四年2012/01/24(火) 20:55:30.19ID:tR2JMIjm
武芸やったり碁や将棋のボードゲームに写経、果ては洋式算術にまで手をだすハイカラなジジイはそうはおらんだろ
家康は多趣味
0518人間七七四年2012/01/24(火) 21:03:31.61ID:avYeXohE
>>512
城塞読め、城塞
お前なら切腹して果てるよ
0519人間七七四年2012/01/24(火) 22:58:43.17ID:mzQI3Qnn
>>517
ホントに多趣味だよなー。
香木マニアでも有名だし。木活字や銅活字での出版までやってたもんな。
0520人間七七四年2012/01/24(火) 23:16:38.10ID:FBhiMiSH
>>518
これ以上の悲劇は見とうないわw
司馬遼の戦国シリーズはあと播磨灘で終わりにする。口直しや。
0521人間七七四年2012/01/24(火) 23:37:14.91ID:K1hkmYiO
>>519
後に庶民にまで活字が行き渡るとか
江戸時代の識字率の高さは家康のおかげか
0522人間七七四年2012/01/24(火) 23:47:35.57ID:mzQI3Qnn
>>521
普及したのは木版本だから、家康の活版が直接原因では
無いと思う。

太平が続いて、庶民が教養や娯楽に時間を取れるように
なったのが大きいんじゃないかと。

0523人間七七四年2012/01/25(水) 00:26:26.78ID:eH8S8bvP
>>522
そうだね 戦もなくなったし余裕が出てきたんだろうな
0524人間七七四年2012/01/25(水) 09:06:53.06ID:uex3mPIs
>>522
公家の独占だった古典籍が一般に廻るようになったのは家康が吐き出させたお陰とも言える
0525人間七七四年2012/01/25(水) 09:31:44.98ID:YKPMF4uK
碁とかの思考性のたかい富裕層のボードゲームが庶民にまで普及したのは徳川家がパトロンになったおかげだね
明治に入ったあと公的な支援がなくなっとの洋化政策によって結構苦労してる
0526人間七七四年2012/01/25(水) 10:58:11.34ID:iG9gKRoO
碁は中国かインドで生まれたけど、それを今のように育て上げたのは日本だって聞いたことがある
0527人間七七四年2012/01/25(水) 11:12:12.46ID:YKPMF4uK
平安時代に日本に輸入されて当時のインテリ層の人気ゲームになったけど
室町末期に日本でルールが大幅に改正されて当たらし物好きの戦国大名の間で一大ブームが巻き起こり、近代囲碁が成立する
おそらく、大陸は逆輸入したんだろうね
大衆レベルでは旧ルールでやってるかもしれんけど
0528人間七七四年2012/01/25(水) 11:50:36.76ID:FJ7tLMYI
囲碁の起源は韓国だよ
中国と日本が盗んで自国の文化と主張してるだけ
0529人間七七四年2012/01/25(水) 15:44:51.27ID:jAfBfd28
いい話題だ。
今年は初代大橋宗桂名人から記念すべき400年。
あ、将棋ね。
その年にコンピューターに負けるというのもなんだが・・
とりあえず家康さまには感謝しないといけないわな〜。
0530人間七七四年2012/01/25(水) 23:24:45.12ID:K5DM1WEs
>>524
朝鮮から持ち帰ったものも多いから
ある意味では、秀吉のお蔭かもしれない。
0531人間七七四年2012/01/26(木) 00:42:29.85ID:Xhfod5dk
平安の庶民の名前とかもちろん各史料とか
みると当時から「識字率」は相当にあったはずというのが
普通だろうな。
でないといきなり江戸で全国に普及すると言うのは
なかなか説明に苦しむ。
昔はひまだから今より普通にカナぐらいは覚えてただろうし。
0532人間七七四年2012/01/26(木) 06:51:31.76ID:z7GVKIqU
>>531
昔は暇なんて妄想は、ほどほどにしとけ。
0533人間七七四年2012/01/26(木) 15:39:16.57ID:f91n20Yg
>>531
そんなことを言ったら、
公文書がきっちりのこってる20世紀初頭のヨーロッパの識字率は100%近くないとおかしいけど、
実際は30%くらいだったとか

史料があるからと言って即識字率には結びつかない
史料ってのはだいたい学識のある層がつくるものだから
0534人間七七四年2012/01/26(木) 15:45:12.49ID:Ayo58s3g
江戸時代の史料って結構多いよね
戦火で喪失しなくなったというのが大きいな 火事はあったけど
0535人間七七四年2012/01/26(木) 16:04:10.43ID:PnCjoog7
>>533
なので平安としたのだけど、地方の寺なんかに
庶民の名前がたくさんあって書いたのは字がわかる
お坊さんだろうけどひらがなや漢字もいっぱいあって
当然庶民も自分の名前、つまりカナぐらいは判別
できてただろうとは歴史と言うか言語のほうの専門家が言ってる。
歴史の方だと史料中心主義で「それは推測」と認めてないが
江戸の前段階でもある程度はあったろうという話ね。
将棋の駒もそうだが一番古いのは貴族の屋敷や寺社だが
江戸期にあんだけの漢字のゲームが一気に普及するというのも
それまでにある程度の知識はあったかと。
当然「あれは単に記号だよ」と言うだろうが川柳なんか見ても
普通に読み書きパロってるし。
%の話はよくわからないが、各階級によって違うから
あれだけど庶民でも3〜50%ぐらいはあったじゃないかな。
そして平安から400年かけてだんだんあがってきて江戸になると。
0536人間七七四年2012/01/26(木) 22:43:50.20ID:z7GVKIqU
>>535
裏付けどころか、考証にすらなってない
妄想じゃねーか。
0537人間七七四年2012/01/26(木) 23:31:46.14ID:xbDYrh5F
名前を述べることが出来る=文字も理解できるは強引だろ
インコは文意把握して喋ってるわけじゃあるめえ
今の小学生と意思疎通はできるが、文語文かけっていってどれだけの人間が正確なもの書けるよ
0538人間七七四年2012/01/26(木) 23:41:50.26ID:aclcThAl
だが、否定する材料もないんだよな
江戸時代に極て高い識字率があったのは間違いないが、別に義務教育があったわけではなく
民間に学問をする風習があったのが要因なわけで、それがいつ頃から普及したのかが分からないと何とも言えん
まあ、小作人まで読み書きが出来たとは思えないけど
公家、武家、神官、僧侶、商家あたりは100%に近い数字で
百姓は富裕層が中心だったろうと思う
0539人間七七四年2012/01/26(木) 23:47:59.00ID:PnCjoog7
あのさ、中世には木簡とかもたくさん出土して
物証があるんだけどそっから説明しないといけないのか。
お寺の記録なんかは江戸にも直結するから比較しやすい
だろうと思って例にしたんだけどさ。
平安から残る文字が上級貴族だけに使われてて
庶民には普及して無かったとかいう主張ならそれはそれでいいけど
それはそれで笑われるぞ。
単にからんでるだけの子供ならいいだろうけど。
0540人間七七四年2012/01/27(金) 00:00:05.02ID:jRdm+upJ
>>538
室町だが、高野山が守護への苦情があったら提出しなさいと言うと
かなりたくさん集まったと記録がある。
まとめた正式な訴状なんかはお坊さんが書いたんだろうけど
各荘民が「うちはこんだけボッタくられた」とかいうのは
普通は庶民がメモ程度とはいえ提出したということだろう。
そういう部分的な例から識字率とかは判定しようが無いが
カナぐらいはある程度は普及していたんだろう。

また守護が「遅れたからあんた2割り増し」なんて文書も
あるがこれはちゃんと「読めた」ということだろう。
江戸に詳しいのならその連続性からその前段階でもそれなりに
普及はしていたというのは理解してもらえるはずなんだけどね。
0541人間七七四年2012/01/27(金) 00:48:58.67ID:AhMTkxv0
>>538
一揆起こすような連中・層はそれなりに読み書きは出来ただろうな
村の名士みたいなのが文言書いて後は当て字で署名程度だろうけど

>>539
中身ねえな
要約すると「俺はこう思う!それに反論するお前は恥かしい!」
ナンダコレ

>>540
憶測じゃん
文字が理解できるごく一部に充てて書いて証拠とし、それをその理解できるやつらが理解できないやつに読み聞かせろ
こうも解釈できらあな
0542人間七七四年2012/01/27(金) 06:57:48.77ID:Y9mvlI3W
>>540
お前の空想は理解不能。
0543人間七七四年2012/01/27(金) 10:48:53.58ID:HD992qgQ
>>539
寺が知識階級じゃないとは新説ですね
そこから誤認してるとなると、もうどうしようもない
0544人間七七四年2012/01/27(金) 13:45:28.84ID:EMoNY9Sb
わかったから少しは言語、国文の本読んでみてくれ。
俳諧、とか風俗の方でもいいからさ。
543に言っておくが、お寺の記録の中に庶民が
書いたと思われるのく見られるのもあるという話ね。
541もだが、当て字、じゃなくてカナが多い、と言ってるでしょう。
「だろう」ってそちらの方が推測になってるしさ・・
結局中世史料を見たことも無くて誤読して
レスされても困る。
ちゃんと「中世庶民はカナも読めない」という
主張をされるならそういう具体例を頼む。
0545人間七七四年2012/01/27(金) 18:26:42.29ID:AhMTkxv0
>>544
説明できないならレスしなきゃいいのに
541は結論として憶測してるけど、>>540は憶測を基に自説を展開してる
違いぐらい分かるよな?
0546人間七七四年2012/01/27(金) 19:18:09.93ID:HD992qgQ
悪魔の証明を求められても困る
無かったことの証明はできない
あったと主張するがわが証明をするべき

それと庶民つっても、
支配階級、つまり庄屋や土豪、地侍あたりは読み書きできても不思議じゃない(出来なくても不思議ではないけど)が、
水飲み百姓なんかがが読めたのかってのが主眼
そこらへんが読み書き出来ないと識字率は上がらないから
庶民庶民というけど、そこら辺の区別がついての発言?
どうも庶民(百姓)で一括りにしてるけど、庶民にもはっきりと差はあるんだよ
今みたいに平等なんてない時代なんだから
0547人間七七四年2012/01/27(金) 19:26:17.79ID:E5yxtFmT
今ごろ仙台百姓も津波の下で冷たく成ってるだろうよw
0548人間七七四年2012/01/27(金) 20:24:43.39ID:MtCBk1Ln
見ざる聞かざる言わざるところを磨くべし
0549人間七七四年2012/01/27(金) 22:21:24.19ID:AhMTkxv0
>>546
その辺だよなー
紙も当時高価なのに、庶民に簡単に手に入るものじゃない
紙を用意できる時点でそれなりの余裕がある、つまり上層の人間

勿論底辺層が簡単に紙を用意できたというならそれはそれで面白い発想だ
0550人間七七四年2012/01/28(土) 00:58:02.83ID:Jswoz5kT
人生は重い荷物を持ちて坂道を登るが如し
登るは遅く、こければ一気に転げ落ちてゆく如し
さればゆえ油断大敵身のほどを知れ
0551奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2012/01/28(土) 01:02:36.20ID:CRh4Be67
戦国期に「帰農した武士」なんてのは、下手すりゃ家老の次くらいに偉かったりするのがイメージギャップ。
0552人間七七四年2012/01/28(土) 01:10:38.13ID:R7bnG1KJ
信長公は自分自身の手でよく家来を手討ちにしてたし、前田利家などは
足軽として最前線で戦ってたし、口論から人を斬り殺したりしてるけど、
家康公って自分自身の手で人を斬り殺したことがあるのかなあ
0553人間七七四年2012/01/28(土) 01:20:19.93ID:Jswoz5kT
>>551
ポジション的に一番神経疲れそう
現代でも過労死するの中間管理職だろ
0554奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2012/01/28(土) 01:25:00.37ID:CRh4Be67
>>553
組織に属さない体の金持ち。

「お大尽」てヤツさ。
0555人間七七四年2012/01/28(土) 02:01:46.37ID:5iani2ip
>>552
家康お気に入りの鷹に怪我させた小姓を切り殺している
関ヶ原でも門奈を切り殺そうとしたし、信長公記でも家康が弓で敵兵を射ったと書いてあるし
結構殺してるんじゃないかな
0556人間七七四年2012/01/28(土) 02:20:42.76ID:rd1CHHjO
家康はああ見えて動けるデブだから侮っちゃいけない
0557人間七七四年2012/01/28(土) 02:22:08.59ID:bXNxI8Mm
鯛を天ぷらで食うとか贅沢すぎるだろ
0558人間七七四年2012/01/28(土) 03:26:53.16ID:Jswoz5kT
天つゆ派?塩派?
0559人間七七四年2012/01/28(土) 04:02:22.56ID:PyiwX3tJ
てんやの丼たれをドバドバかけるのが好きですだ
0560人間七七四年2012/01/28(土) 09:42:01.21ID:ajI8zyZg
贅沢っていうか生水、生野菜、生魚は体に気を使ってまず口にしなかったというから
油で高温処理する天ぷらは調理法として安全だと思っちゃったんじゃないかな
当時、保存技術が低いから油が悪かったんだろう
好物ってわけでなく豪商から西洋から伝わった珍しい料理なんすよってすすめられたんだっけ
当時の天ぷらはころものついた天ぷらじゃなく
さつま揚げみたいなのとも聞くけど見た客に出せない目の悪い小鯛をすり身にする経済的な調理法だったかもよ
0561人間七七四年2012/01/28(土) 12:07:06.64ID:R7bnG1KJ
>>555
やっぱ武闘派だったんだな 悟りきった坊主じゃない 武闘派武士だ
0562武闘派坊主和崎俊哉2012/01/28(土) 18:46:39.91ID:PyiwX3tJ
武闘派坊主和崎俊哉
0563人間七七四年2012/01/28(土) 23:17:29.14ID:cgmmRaMB
>>560
むしろ、君の頭の悪さが際立ってる
0564人間七七四年2012/01/29(日) 00:52:31.07ID:+GnT+Jh2
人を責めるばかりで教え諭さないなら、
それは人を傷つけるだけのことだ
0565人間七七四年2012/01/29(日) 12:08:40.37ID:9uATBoeE
家康公の鯛の天婦羅の一件は、胃癌で食欲、体力が低下したんで、珍しい食い物なら食が進むかもということで、鯛の天ぷらを差し上げたんだろう。
舶来のオリーブ油で揚げてるから、高価なものであることは間違いないがね。
食が進んだのはいいが、弱ってるところに油っこいものを食べたんで体調悪化、さらに自分で調合した強い薬を使ってさらに悪化という具合。
当時のことだから、胃癌は助からないが、体の衰弱で少し死期が早まったくらいかね。
0566人間七七四年2012/01/29(日) 12:31:00.79ID:mNneeRuM
史料では、カヤの油だったけどな。
0567人間七七四年2012/01/29(日) 15:56:23.01ID:F4hiLJCy
茶屋四郎次郎は首はねられるんじゃないかと焦ったろうなw
0568人間七七四年2012/01/30(月) 22:50:54.97ID:cnRWdYNm
家康公の性格って、あらゆる準備をしておいて
あとはチャンス(近隣大名が死んだとか)が来るまで待ってるイメージだが
誤解してる?   三方が原の事情説は知ってる。
0569奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2012/01/30(月) 22:59:38.80ID:2tslDyXI
常に強者の脇に滑りこむことができる位置にいる。
0570人間七七四年2012/01/30(月) 23:16:57.65ID:xGnKc3dU
>>569
おれが長年、家康が嫌いだった理由がやっとわかったわw
そういう要領のいい抜け目なさが嫌いだったんだ
0571奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2012/01/31(火) 00:14:31.93ID:/HarLBUW
義元の甥
信長の弟
秀吉の弟

系図を少し齧って、義理を消せられば、ね。
0572人間七七四年2012/01/31(火) 07:36:23.50ID:GZCdcBQz
>>571
信長の弟はフロイスのヨタ話じゃ?
0573奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2012/01/31(火) 23:15:30.27ID:Ti9JZwP1
>>572
長子どうしが夫婦だからさ。フロイスの話こそ全く頭に浮かんでなかったよ。
0574人間七七四年2012/02/01(水) 00:14:17.64ID:ZNAfX43d
>>573
その関係じゃ義弟にならんよ。
0575人間七七四年2012/02/01(水) 10:53:14.48ID:HZq0MDwK
清洲同盟だからでしょ?
0576人間七七四年2012/02/01(水) 15:30:35.19ID:9i+X4yhZ
>>573
長子?
信康はそうだが、五徳姫は信忠の妹だから違う。
0577人間七七四年2012/02/01(水) 22:36:49.00ID:yuNYQqpT
そう言えばほとんど話題にならないけど
広忠公って、なかなかな大将じゃなかったの?

ヨイショ無しの実績や評価が知りたい。
戸田康光事件の対処しか知らないw
0578人間七七四年2012/02/02(木) 10:13:10.69ID:LFcKRkyh
広忠は松平の汚点だろ
0579人間七七四年2012/02/02(木) 10:45:53.91ID:GQjG2ecO
いやー状況的に仕方ないだろ

清康さんが三河固めて死んだならともかく
なにもかも途中な段階で急にムラマサが来たので死んでしまったわけだすから
敵は敵のままだし半端な味方は確実に離反するしよくて様子見
つぶれなかっただけ立派であろう
0580人間七七四年2012/02/02(木) 14:41:52.29ID:qbCUk3n4
一旦潰れてるじゃん
というか今川の庇護を受けるために臣従したから、独立勢力としての松平氏は広忠の代に潰れたと言っていいだろう
0581人間七七四年2012/02/02(木) 17:02:57.64ID:yh9FT/Oi
領地支配については、松平宗家家中には今川の直臣となった者もいたものの権力機構は健在であり、
今川氏は松平氏権力の解体・再編を断念し、松平宗家を利用して三河の在地支配を行っていた。
そしてこのことは、松平氏が国人一揆機構から脱却し、すでに家康以前から戦国大名への道を歩み始めていたことの証左である
0582人間七七四年2012/02/02(木) 18:14:11.38ID:cwjl2fC+
どうして離反しなかったのかの方が気になるな。
0583人間七七四年2012/02/02(木) 19:50:00.22ID:chD3qcQG
家康みたいな内向的な人は、戦国時代だから血統によってリーダーでいられたけど、
今だと無理だろうな。
0584人間七七四年2012/02/02(木) 20:11:59.49ID:eZExZRG4
先ず、何を持って内向的と判断したのか
0585人間七七四年2012/02/02(木) 20:46:04.22ID:chD3qcQG
家康は社会外交的には社交的だが、
性格的には内向的じゃん。
いや、いろんな書物を読んだ上での話だがら、
0586人間七七四年2012/02/02(木) 21:06:52.58ID:C0Oa9V6g
山岡壮八か?
0587人間七七四年2012/02/02(木) 21:27:53.10ID:eZExZRG4
家康の人生は自己の内面に向くゆとりは全く無かったと思うが
0588人間七七四年2012/02/04(土) 09:17:20.14ID:0L12DjZI
内向的と言うよりは内弁慶タイプだろ
外面はかなり良い
0589人間七七四年2012/02/04(土) 09:22:38.44ID:v4AHn37T
内弁慶は無いな。家臣への対応は穏便そのもの。
0590人間七七四年2012/02/04(土) 13:46:01.24ID:bdSl+PrD
どこがだよ
他の大名と比べたら徳川の扱いは酷すぎる
みんな冷や飯食らいだし
0591人間七七四年2012/02/04(土) 15:19:36.90ID:FCwRINLX
理不尽に殺していないし、失脚してもアフターケアはしている
0592人間七七四年2012/02/04(土) 15:53:37.44ID:0wovavSQ
飽和した資本主義時代には、徳川家臣団みたいな
慎ましい生活が時代の最先端だよな。

つくづく参考になる組織理論だ。
0593人間七七四年2012/02/04(土) 15:57:08.90ID:/s1h9LL3
他の戦国大名で言えば信長秀吉元就信玄政宗なんかは
性格や思考が垣間見える面白い書状、もっと言えば稚気のあるものが多いけど、
家康に関してはあんまりそういうの思いつかない
そういうのが内向的イメージに寄与してるんだろうね
家康自身が意識的にそういう感情とかを表に出さないようにしてたような気がする
0594人間七七四年2012/02/04(土) 18:12:20.99ID:xjXTQBVG
ン万石あたえられて冷や飯食らいとはこれ如何に

それに信長・秀吉死後の織豊政権やお家騒動の時の最上とか、幕末の伊達を見ればわかるけど、
家臣が力を持ちすぎるとトップの抑えが利かなくなって暴走してまとまりがなくなる
それを御しきれるカリスマが大名にあればいいけど、そうでない人もなるわけで
権力と実力を分離するのは長期政権を作る上でいい方法
0595人間七七四年2012/02/04(土) 20:43:53.91ID:v4AHn37T
>>593
「内向的」とは何かまったく理解してないと思われ
05962012/02/05(日) 01:06:16.15ID:2A27On/0
家康って謀叛を喰らった事は無い?三河一向一揆は別として。
0597人間七七四年2012/02/05(日) 02:02:15.52ID:TW8MBmo5
>>596
徳川家はすごくまとまってたけど背かれたことがないことはないんじゃね?
武田信玄最後の遠征のときは多くの武将が武田がわに寝返った気がする
いやまてよ あーゆーのは謀反とは言わねーな
0598人間七七四年2012/02/05(日) 02:40:54.20ID:AcWh6lWI
>>597
国人連中は徳川家に限らず強い方につくからなあ・・・
あんまり参考にはならんかと

石川一益の出奔も、謀反ってレベルじゃないしね
0599人間七七四年2012/02/05(日) 02:57:46.49ID:9pjTwLqw
大賀弥四郎は……謀反する前にあぼーんか
0600人間七七四年2012/02/05(日) 03:03:00.21ID:TW8MBmo5
真田昌幸が徳川から上杉についたのも謀反ってほどじゃないよなあ
もともと外様というよりはほとんど他人だもんなあ
謀反っていうからには何年かはしっかり徳川家臣じゃないとな
そうなるとほんと少ないな ぱっと出てこない
06012012/02/05(日) 03:49:29.66ID:2A27On/0
寝首を部下に掻かれそうになった話も無いのかもね。だとしたらとても愛された親方だったのかも。
0602人間七七四年2012/02/05(日) 09:33:51.60ID:fX6ihF9W
・宗教がらみの離反は除外
・外様の鞍替えは除外
・譜代でも謀反前に露見したら除外
・譜代でも出奔は除外
こんな感じで除外しまくったら大抵の棟梁は謀反なしじゃねいの

>>595
0603人間七七四年2012/02/05(日) 15:29:36.47ID:AcWh6lWI
国人の離反を謀反に入れたら、大抵の大名は謀反されてるよ
国人ってのはそれだけ微妙な立ち位置の存在だから
0604人間七七四年2012/02/05(日) 16:28:32.26ID:e1ANrGYp
そんなの定義しなくても、「命を獲る謀反」だけで
大賀弥四郎だけになら無いか?

処罰されなかった?石川数正はイマイチ不明だけどw
0605人間七七四年2012/02/05(日) 16:29:06.11ID:TW8MBmo5
ひょっとすると長男信康の切腹は謀反を未然に防いだものかもしれない
まだ十代の血気にはやる若者が、織田に土下座する父を追放して
独立しようと企み、武田とひそかに連絡をとってたのがバレたのかもしれない
信長公が他家の跡継ぎのデキがいいから腹切らせたなんて変だ
0606人間七七四年2012/02/05(日) 18:45:51.78ID:pYhoxd1P
大久保長安がありえそう
経済力も申し分ない
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