そりゃ織田や豊臣と徳川は置かれた状況が全く違うもの
信長や秀吉も別に好きで大盤振る舞いしたわけじゃない
織田は尾張の数郡から始まり、関東から中国にかけて勢力を広げたわけで
その過程に織田家臣は数百万石を切り取る功績を挙げたわけだからそれに応じた報酬を与えねばならない
領地の拡大が大きければ大きいほど家臣の仕事量は増えるから自然、報酬も増える事になる
豊臣に関してはもっと極端で、信長から与えられていた播磨や長浜などの領地から天下統一まで漕ぎ着けたわけで
しかも元より配下が殆どいない為、多くは同格だった勢力の兵を用いていたから恩賞はより多く出さざるを得なかった

天下取りは必ず初めは増やす作業になる
敵の領地を奪って配下に与える、の繰り返しだ
鎌倉政権、室町政権、織田政権、豊臣政権、いずれも臣下が肥大化したのはこの為
一方、徳川の場合はこの作業を飛ばす事ができた
秀吉が天下を統一し体制が整いつつある時点で、豊臣家と入れ替わり政権を継承したからだ
家康の拡張事業は入れ替わる為に行った関ヶ原だけで済み
臣下に大きな報酬を与える機会も少なくて済んだ