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【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その14

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0001人間七七四年2011/11/07(月) 17:56:41.52ID:gc+MSXxX
スレ分散しても過疎るだけなので、
徳川家・松平家と家臣団まで包括するスレです。

人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0399人間七七四年2012/01/06(金) 17:53:43.67ID:sH2hxVu+
Bの家康嫌いは異常
0400人間七七四年2012/01/06(金) 17:55:38.11ID:awojJ3Bv
>>398
必要ないし
04012012/01/06(金) 18:00:55.91ID:5EQTqTyB
なぜ?
秀吉は大盤振る舞いするけど
家康はほんとケチだね
0402人間七七四年2012/01/06(金) 19:30:42.56ID:Nv4T+HqJ
金貸してくれっていう人には、バンバン金借してるじゃん家康
0403人間七七四年2012/01/06(金) 19:53:05.42ID:awojJ3Bv
>>401
軍事的には三個備を編成できるあの位で十分
むしろ戦時に他の大名を指揮下に入れるなら半分以下でも良いくらい
0404細川忠興2012/01/06(金) 20:20:47.45ID:7a3U3ZSB
内府様に金を借りたお陰で秀次事件の連座を免れました。ありがとうございました。
0405人間七七四年2012/01/06(金) 21:16:22.24ID:HsAJJMTY
あんまりよく知らないんで適当に書くけど
石高を多くしてる大名たちは基本的におまえらは独立だから全て個々でなんとかしろっていうもので
石高が低い立場が近い家臣は「欲しいときだけお小遣い」という感じで何か起きたら兵力は家康から貸与するんじゃないの?
例えば井伊の赤備えがすごいといってもせいぜい中核の直轄部隊ぐらいで
あとは徳川の兵という感じで必要なときに必要な数を家康から+αされるみたいな
でも外様なんかはそういうのも全部自前で持ってないと駄目っていう
0406人間七七四年2012/01/06(金) 21:17:50.12ID:oLBkRduq
また、太田道灌が文明12年(1480)に山内上杉氏の家臣高瀬民部少輔に提出した書状「太田道灌状」によれば、道灌は成高を「吉良殿様」と敬称をもって呼び、
「吉良殿様は江戸城に御籠城になって、御命令になっていたので、城下の軍勢はそれに従って数ケ度合戦を致して遂に勝利を得た」と武将成高への感謝を記しています。


>吉良殿様
>御籠城
>御命令



力抜けよw万年パシリのカントン民w
0407人間七七四年2012/01/07(土) 00:51:54.88ID:tqESw7y2
幹部:暴走出来ない
中堅以下:徳川直参な気がして良い。

家康公は組織をよく分かっていらっしゃった。
0408人間七七四年2012/01/07(土) 10:46:01.03ID:ZEaEIENz
>>406
チョンはすっこんでろ
0409人間七七四年2012/01/07(土) 10:48:03.20ID:gQDzT4dL
>>401
秀吉の大盤振る舞いのおかげで、
死後は有力大名が徒党を組んでの大乱。

室町幕府と同様の失態だろう。
0410人間七七四年2012/01/07(土) 10:51:44.59ID:3OSKHkow
大盤振る舞いした信長も殺されちゃったしなあ
0411人間七七四年2012/01/07(土) 12:34:24.47ID:jJTJwfsX
そりゃ織田や豊臣と徳川は置かれた状況が全く違うもの
信長や秀吉も別に好きで大盤振る舞いしたわけじゃない
織田は尾張の数郡から始まり、関東から中国にかけて勢力を広げたわけで
その過程に織田家臣は数百万石を切り取る功績を挙げたわけだからそれに応じた報酬を与えねばならない
領地の拡大が大きければ大きいほど家臣の仕事量は増えるから自然、報酬も増える事になる
豊臣に関してはもっと極端で、信長から与えられていた播磨や長浜などの領地から天下統一まで漕ぎ着けたわけで
しかも元より配下が殆どいない為、多くは同格だった勢力の兵を用いていたから恩賞はより多く出さざるを得なかった

天下取りは必ず初めは増やす作業になる
敵の領地を奪って配下に与える、の繰り返しだ
鎌倉政権、室町政権、織田政権、豊臣政権、いずれも臣下が肥大化したのはこの為
一方、徳川の場合はこの作業を飛ばす事ができた
秀吉が天下を統一し体制が整いつつある時点で、豊臣家と入れ替わり政権を継承したからだ
家康の拡張事業は入れ替わる為に行った関ヶ原だけで済み
臣下に大きな報酬を与える機会も少なくて済んだ
0412人間七七四年2012/01/07(土) 13:45:40.49ID:Rz/mo/TQ
>>411
妄想乙。

鎌倉、織田は大盤振る舞いしていない。
室町は、将軍権力が脆弱だったので仕方がない面もある。

秀吉は、必要も無いのに大盤振る舞いして自爆した。

徳川は、ある程度以上の規模の大名を作らなかったし
大名同士が徒党を組みにくいように操作した。
0413人間七七四年2012/01/07(土) 14:14:59.54ID:jJTJwfsX
>>412
お前の方が妄想全開だろw
現実にどの政権も大大名を量産している
徳川だって関ヶ原で大盤振る舞いしている
戦いが続けば徳川政権でも大大名を量産しなければならなかったのは間違いない
恩賞無しで何十年も戦わせるなんて不可能なのだから
0414人間七七四年2012/01/07(土) 14:46:25.43ID:XD73eU+e
>>412
戦国史研究でもよみなさい
0415人間七七四年2012/01/07(土) 15:05:29.68ID:LKooypHN
関ヶ原の空手形っぷりは凄いよね
伊達さんに百万石のお墨付きとか、なんて危険なことを…
結局おじゃんにしたけど
0416人間七七四年2012/01/07(土) 15:08:07.11ID:ZN+zAou/
徳川は大大名を作らなかったというより
一旦は関ヶ原の戦功とかで作ったものの政治力を駆使して
戦以外の方法で上手いこと弱体化させたり旗本クラスの地位に降ろしたんじゃないかね
関ヶ原以前からの豊富な資金力をバックに唯一抵抗した豊臣は攻め滅ぼされたけど
0417人間七七四年2012/01/07(土) 16:12:51.14ID:LKooypHN
ところで、昔の手紙って親しい人に書く時
自分の名前や相手の名前の漢字を省略して書く時があるけど
家康も自分の名前略した文字はあるのかな 康とか?
0418人間七七四年2012/01/07(土) 17:04:39.60ID:jlI2lgBz
ブログみてたらこんなのあったんだけど本当?

本多忠勝の家臣の大谷
その大谷の草履取りが殉死のときに残した辞世の句

死にとうない ああ死にとうない さりとては
君が情けの 今は恨めし
0419人間七七四年2012/01/07(土) 22:41:50.13ID:Hdg1hXh5
前田・島津・伊達ってどうして、5万石くらいオマケ付けてでも
分離転俸出来なかったのだろうか?
0420人間七七四年2012/01/07(土) 22:47:26.67ID:e51bn6y5
>>419
他の土地で100万石工面するのが面倒だったんじゃね?
0421人間七七四年2012/01/07(土) 23:41:59.63ID:Hf6qODdS
前田、伊達は大国だが雪国で行動限界あるから捨て置きされた風
秀吉子飼いの大名を潰したかっただけじゃね。
0422人間七七四年2012/01/08(日) 11:52:36.05ID:QDQkPjMW
大平洋側は雪国ってほど降りまへんがな
0423人間七七四年2012/01/08(日) 12:19:18.57ID:9SkhdC3g
>>421
初期の江戸幕府は、親藩だろうが譜代だろうが平気で取り潰してる。
秀吉子飼いうんぬんは、何の関係も無いな。
0424人間七七四年2012/01/08(日) 12:31:41.97ID:W/13sAdu
徳川家は人間はメンドクサイが、方針は苛烈なまでに単純明快
0425人間七七四年2012/01/08(日) 13:27:21.18ID:lDaZ0YDe
単純明快にしないと、メンドクサイ人たちがメンドクサイことをし始めるからだろ
江戸城中でションベンしたら罰金五両って決まりにしたら五両払って立ちションし始めたりな

まあ蜂須賀さんは三河武士じゃないけれども
0426人間七七四年2012/01/08(日) 14:54:20.51ID:G74+Tj3P
>五両払って立ちションし始めたりな
何だよそれw
0427人間七七四年2012/01/08(日) 16:09:14.06ID:nBKGKs1X
なんかの小説読んでたら、(津本陽だったかなあ〜)前田家って、大坂の陣の後、
よく戦ったということで四国まるごとあげるって(北陸のは没収)話があったらしいよ
でも損するってことでうまいこと前田家が断ったらしい
0428人間七七四年2012/01/08(日) 19:41:18.92ID:oOMElPe2
>>426
鼻毛の殿様 前田利常公のよくある逸話かな?
0429人間七七四年2012/01/08(日) 20:59:10.16ID:rCl1+MlQ
>>419
島津は、あれ以上の僻地はないだろう。
0430人間七七四年2012/01/08(日) 22:21:37.26ID:BrrYatFE
実際の徳川家康は真面目で無口だったらしいから、何を考えているのかわからす、とっつきにくい人だったらしいな。
不思議ちゃんなところがあった。

現代に生まれていたら、二ちゃんねらーになっていそう。
0431人間七七四年2012/01/08(日) 22:33:22.02ID:nBKGKs1X
おいらはけっこう気が短い武闘派ってイメージがある
気の短いところをすさまじい理性で忍耐しまくった感じ
爪を噛むクセとか我慢人っぽい 
晩年たががはずれたのかかなり乱暴なやり方で権力を
掌握した あの強引な武闘派ぶりが本来の家康公ではあるまいか
0432人間七七四年2012/01/08(日) 22:41:15.47ID:oB2/c3EQ
南無阿弥陀仏を一万回以上書き、健康オタだから、理系で繊細な人だったと思う。
武道家の気荒い人は、そんな細かい作業しないもん。
真面目でおとなしいガリ勉タイプだと思う。
0433人間七七四年2012/01/08(日) 23:36:15.44ID:gOnwhmqf
幼少期から少年時代の織田や今川での人質生活や駿府で英才教育を受けたおかげで
忍耐することや理性に従って生きる事を学んだのだろうが
戦の仕方とか見るに本質的には短気というか積極に攻めるタイプなんじゃない
主な生活地の駿府城とか、仕事の都合もあるだろうが
田舎の江戸や三河よりも京、大阪に多く滞在した事を考えると
意外と派手好みで都会好きである気がする
知的好奇心は強いけど文才は今ひとつだから典型的な理系脳だと思うけど
0434人間七七四年2012/01/09(月) 00:55:39.01ID:OMrB80oA
普通に高級官僚にでも成って、政界進出してるだろ。


>島津は、あれ以上の僻地はないだろう。
「分離」の話だぞw
0435人間七七四年2012/01/09(月) 13:29:06.76ID:h0VitYh0
関西人はともかくとして、日本人は三河の源氏のパシリになる遺伝子をもっているよねw
トヨタグループとかもねw



0436人間七七四年2012/01/09(月) 13:30:59.48ID:h0VitYh0
>>10
関口←これも豊川市関口発祥の源氏だよね



0437人間七七四年2012/01/09(月) 20:54:07.94ID:yU8pxm5r
前田家は、まるごと四国移封を引き受けたほうが石高的にもお得だったと思います。
阿波30万石
讃岐30万石
土佐50万石
伊予35万石

★総計145万石
0438人間七七四年2012/01/09(月) 21:19:20.31ID:2e2+CDIK
>>437
土佐がなぜ50万石に
0439人間七七四年2012/01/09(月) 21:42:06.34ID:DAOSrc0R
そんな事したら、独立されたら攻めにくいじゃんw
0440人間七七四年2012/01/10(火) 00:02:53.86ID:4yHgMmij
家康の2は秀忠に決定しました
0441人間七七四年2012/01/10(火) 21:50:10.61ID:XSML9kgV
清和源氏満政流
・足助氏(三河源氏)←足助重範、公暁、イチロー(三河鈴木氏(寺部鈴木氏))
・三河山本氏←山本勘助、山本五十六

清和源氏満快流
・三河夏目氏←夏目漱石

摂津源氏頼光流
・大河内氏

河内源氏頼清流
・西尾氏←松井秀喜(父親の旧姓が西尾氏)

河内源氏義時流
・三河石川氏

河内源氏惟義流
・三河松井氏

河内源氏範頼流
・吉見氏

河内源氏義康流
・矢田氏
・広沢氏
・細川氏
・仁木氏
・戸賀崎氏
・榊原氏
・伊奈氏
・荒川氏

河内源氏足利氏流
・吉良氏
・今川氏
・一色氏
・斯波氏
・広沢氏
・石橋氏

甲斐源氏義清流
・形原氏←形原師光、平賀義信の従兄弟
0442人間七七四年2012/01/11(水) 00:13:05.72ID:2bXpO+Gj
土佐って表高9万石だったが、寛永期実高は48万石
0443人間七七四年2012/01/11(水) 01:52:13.58ID:+mcn3kjZ
家康公は凄いよ
戦国武将だったら、糞鞍に漏らすレベル
0444人間七七四年2012/01/11(水) 11:45:15.87ID:Jxc3PW1d
後少しで徳川家康が大事にしてた秘仏の黒本尊が増上寺で開帳されるねぇ。

とても楽しみだなぁー
徳川家康が見てたり触ってたりしたと思うとウキウキしてくるなぁ〜
0445人間七七四年2012/01/11(水) 14:13:13.97ID:i+p19M1p
近い人はいいなぁ
遠すぎて気軽に行けないので悔しい!
0446人間七七四年2012/01/11(水) 23:20:35.86ID:yFkYiwpR
セクシーな家康を発見した。

http://www.youtube.com/watch?v=KdZkYrY5DKk
0447人間七七四年2012/01/12(木) 00:08:08.64ID:LjGXClK3
ところで昨日だったかのBS-TBSの番組見なかった?
0448人間七七四年2012/01/12(木) 08:39:11.44ID:cDnhaagp
明日の昼過ぎの、竹中・黒田の2軍師ドラマならビデオ撮る予定w
0449人間七七四年2012/01/12(木) 10:32:57.27ID:0KSc17VZ
あれなあ
家康の遺言(とされる言葉)を官兵衛がドヤ顔で言うのが失笑モノなんだよなあ

黒官はもっと野心的なキャラでよかったのに
0450人間七七四年2012/01/12(木) 15:00:23.31ID:3vn7yp6y
信長には「鉄砲王」、秀吉には「築城王」の名を付けるなら、家康には「大砲王」の名が適当と思う
0451人間七七四年2012/01/12(木) 15:25:11.34ID:xvxecvYb
鷹狩り王とか性欲王とかの方が
0452人間七七四年2012/01/12(木) 15:27:11.28ID:jh+Hryjx
>>210
まさに全力壮年だったわけだな家康は
0453人間七七四年2012/01/12(木) 16:07:45.38ID:3vn7yp6y
>>451
一応、兵器の枠組みで
それに鷹狩や性欲は家康が特出しているわけではない
0454人間七七四年2012/01/12(木) 19:34:02.85ID:IXHeid6w
剣道も柔道もサムライも文化財も韓国の文化になってしまっている。
泥棒だな。でもマスコミも民主も韓国人だから抗議しない。

もうだめなのか日本は?

http://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_720065&feature=iv&src_vid=RnnLj7ChmL8&v=sW4H2PGj6JU



0455人間七七四年2012/01/12(木) 19:44:56.57ID:BYwTxHNn
万年パシリの低能猿「家康は今川の人質にならず三河にいたら、吾妻鏡を読む事すらなかった」


この発想はどこから来るのか?
三河は日本一の源氏の国であり
源頼朝の母方の菩提寺があり
その菩提寺には北条政子と源実朝の骨も納められた記録もある
鎌倉幕府の御家人でもあった、八条院領荘官の足助重長の娘は、源頼家の室となり公暁を生んだ



想像を超えた田舎猿なのか?w

0456人間七七四年2012/01/12(木) 20:24:17.89ID:3Sj/wWjg
>>455
徳川氏は清和源氏と藤原氏のハイブリッドだということでいいんですね?
0457人間七七四年2012/01/13(金) 00:39:50.15ID:DIMaSycL
このスレにも気持ち悪いのがいるな
家康の人物を評価して人気があるのならいいけど
韓国人は単に秀吉が嫌いだから家康を持ち上げてるだけ
だから言ってる事が目茶苦茶で意味不明
要するに秀吉を貶められればなんでもいいわけだ
こんなゴキブリ共に担がれるなんて家康も迷惑に思ってるだろうな
0458人間七七四年2012/01/13(金) 00:51:06.65ID:2zcNRUPW
>>457
普通の家康好きは家康のことだけ語っときます
わざわざよその人をsageて持ち上げるような面倒なことはしません
0459人間七七四年2012/01/13(金) 01:00:41.09ID:lICbZFXK
>>457
ゴキブリに担がれても数センチじゃね
てか潰れるんじゃね、ゴキブリ
0460人間七七四年2012/01/13(金) 02:51:59.69ID:VTKKHVCM
韓国はともかく、中国はその内日本を追い越して
蔑みにもならんく成りそうだよな(′・_・`)

日本も戦後までは野蛮国家だったしな。
0461人間七七四年2012/01/13(金) 06:56:26.26ID:0THSh4xe
そうなんですか。
0462人間七七四年2012/01/13(金) 11:52:12.91ID:h3sI8FQP
戦前の方がまともな国家だったよ
列強の中でも大日本帝国ほど模範的な近代国家はあるまいて
0463人間七七四年2012/01/13(金) 21:05:21.98ID:Jfj0Ve8X
菅生郷は高師直・高師泰(源義家4男の家系)領、屋敷跡が築山殿で有名な総持寺
下和田郷は佐々木高秀、京極高詮の領地

三河は源氏だらけ
家康は源氏が引いたレールにただ乗っただけだな
痩せた土地で質実剛健、奉公滅私で天下をとったとかアホか

0464人間七七四年2012/01/13(金) 21:30:50.76ID:atic4/3H
家康は将軍に成れる血筋じゃなかったはずだが。
0465人間七七四年2012/01/13(金) 22:46:20.24ID:lFcj5sPz
てか、まさに松平という地名を名前にしてる土豪だよね
それで三河統一のあと三河守に任じてもらおうとしたけど身分が
低すぎてぜんぜんダメなんで、たぶん信長公に斡旋してもらって
トクガワという名跡を継いだんだけど、そのときは藤原家系の武士って
ことだったのにいつのまにか源氏になったって聞いたことがある
それも新田系ってのは将軍になる直前に決めたとか
0466人間七七四年2012/01/13(金) 22:54:49.98ID:us13zJzn
>>465
得川氏末流ってのは、清康の頃から名乗っていたって説がある。
で、得川氏を主張すれば、新田系であり、藤原氏の末裔でもあるってことになる。
0467人間七七四年2012/01/13(金) 23:09:19.92ID:OfylvEQ1
またループしてる悪寒
0468人間七七四年2012/01/13(金) 23:26:18.52ID:Jfj0Ve8X
松平の地名、土豪


そもそも松平は、皇室領(八条院→大覚寺統)荘園内の由緒正しい土地
松平から南にすぐの所は、高師直高師泰領の比志賀郷(現在は日近郷)
比志賀郷のすぐ東は細川郷


松平が何もない山の中とか言う奴は、骨の髄まで百姓、育ちの悪い糞カッペ
0469人間七七四年2012/01/14(土) 00:42:48.47ID:C+7YqO89
皇室領とか東北や南九州みたいな辺境ですらあったけどw
0470人間七七四年2012/01/14(土) 00:51:15.65ID:60cQVEIs
面積は長野県根羽村、加茂郡全域、日進市の一部、桁違いのデカさだが
楠木正成が逃げてきて住んだ屋敷(現在は若宮八幡宮)とか、何かゆかりがあるのかい?
ちなみに比志賀郷の近くには、逃げてきた赤松円心の子孫の、赤松さんの立派な家もあるんだよな
0471人間七七四年2012/01/14(土) 08:30:41.30ID:Fiulpjf7
>>465
最初の改名の時は信長は関係ない。
新田が出てきたのは実力で統一して自分がトップなのに
ハクをつけたかったのだけど当然源氏の足利がその頃は
一番。
だからその兄筋に祖を持っていって足利よりも先輩
つまり源氏ー武士の中で最も正統でもあるというところを
「私称」したというあたりがすごい。

家康も秀吉も土豪的な苗字を早く捨てて「一家をかまえた」
というあたりはさすがなんだよな。
それだけ出自が不明確ということなんだけど。
0472人間七七四年2012/01/14(土) 09:57:03.60ID:AFsug7p2
家康の場合は勅許を得る形で改姓しているけどね
その意味で私称ではない
0473人間七七四年2012/01/14(土) 10:10:27.42ID:60cQVEIs
信長とかの糞カッペはどーでもえーわ
アレだろ、信長とか言う田舎モン、豊田市の長興寺を、あまりのデカさに城と間違えて焼き討ちしたんだよな
で、後から足利将軍家ゆかりの由緒正しい寺と知って、びびって立て直したんだよw

この長興寺は、系図上源頼朝の実の弟の家系である中条氏の創建
豊田は源頼朝のひいおじいさんが開発した所だから、源頼朝の血縁が絡んでいる

0474人間七七四年2012/01/14(土) 10:15:24.02ID:RkEffknK
でも将軍家は認めてくれなかった
三河は元々足利一門の領地だったから、それを横領した挙げ句に清和源氏を名乗らせろと言ってきた家康を不快に思ったのだろう
義昭が没落してからは形振り構わず濫発したけど
0475人間七七四年2012/01/14(土) 10:31:50.25ID:60cQVEIs
信光の嫁さんは一色氏の出なんだろ、松平は貴種だ

時代はややズレるが、スター勢ぞろいの三河なんだよ

足利義満が三河で
天恩寺創建
足利一族の菩提寺滝山寺本堂立て直し
実相寺本堂立て直し
六名堤造営(堤のせいで下和田郷に水がいかなくなり、佐々木高秀が足利義満に泣きつく)
御馬城築城

細川頼之が三河で
蓮性院創建

斯波義将が代々一族が眠る三河で
永源寺創建


0476人間七七四年2012/01/14(土) 10:59:26.54ID:AFsug7p2
>>474
改姓したころの室町幕府は将軍不在だから、そんな話はない
0477人間七七四年2012/01/14(土) 11:57:19.36ID:60cQVEIs
そもそも部外者の糞カッペ

三河は足利一族の植民地、松平は土着の土豪

これが馬鹿の壁だな

三河と足利氏の関係は平安末期に遡る
菅生郷(岡崎城近辺)は足利義兼の所領であり、義兼の兄である足利義清(矢田義清)は、西尾の矢田城主であった
菅生郷の郷司は、足利被官で源頼朝からも陸奥国信夫郡の所領を与えられた高階惟長
この高階惟長と矢田義清は同盟関係で、2二人とも水島の戦いで戦死したワケだが
この矢田義清の実の子義範は、母親の父新田義重に引き取られて初代山名氏となる
嫡男である広沢義実は豊田の広沢に移り住み、生まれた子供が初代細川氏の細川義季だ


何故山名義範が、養父(実の祖父)新田義重に反して源頼朝に協力的だったのかも
三河を中心にとらえれば全て裏が読み取れる


0478人間七七四年2012/01/14(土) 12:26:33.47ID:SsRjZmmB
>>465

家康が従五位下三河守に任じられたのは、1566年、このとき信長はまだ無位無官、信長は、1568年に足利義昭を将軍に立てて従五位下弾正小忠にはじめて叙位任官している。
家康は、信長を介さず独自の朝廷工作で任官している。
当主が官位を有する今川家で教育され、いまや今川と対峙するようになった家康の方が官位の重要性を先に認識していたのだろう。

あと、出身地、領地(荘園)所在地を「苗字」(本姓ではなく)として名乗るのは当時では一般的なこと。
足利、新田、吉良、島津なんかもそうなんだが。
0479人間七七四年2012/01/14(土) 13:14:25.85ID:AqtolcEP
最終的には吉良から系図を譲ってもらい新田系ではなく足利系として将軍になっ
たという解釈でいいんだよな?
0480人間七七四年2012/01/14(土) 13:25:44.84ID:AFsug7p2
>>479
吉良にあった世良田の系図をもらったという話
0481人間七七四年2012/01/14(土) 14:17:18.49ID:Lp3n2CMv
>>476
お前がないと言い張っても書状が存在しているのだからどうしようもないよ
その後も足利家は家康に「松平」で書状送ってるし
義昭が徳川姓と官位を改めたのはずっと後
0482人間七七四年2012/01/14(土) 15:09:18.76ID:oP6bFkt0
>>481
家康の三河守叙任は永禄9年末だが、既に義輝は死亡してる。

次の足利義栄は、永禄11年に将軍に叙任されてるけど
義栄から家康に書状とか出てたっけ?

0483人間七七四年2012/01/14(土) 18:05:40.17ID:Fiulpjf7
なんか勘違いしてないか。
叙任叙勲は別に将軍が出すもんじゃないけど。
清盛の初官なんて将軍のいない時代だが一体誰が
出してると思ってるの?
0484人間七七四年2012/01/14(土) 18:49:04.76ID:HGLlLkCk
徳川家と松平家の関係がよくわからん。
家康が勅許を得て、自家を他の松平諸氏とは違うんです、とアピールするために改姓したのはわかる。
ってか、主張的には本家を継いだ、って形か。
で、なんで江戸時代に入って、徳川の子供の家が松平になるの?御三卿とか。
0485人間七七四年2012/01/14(土) 19:30:21.21ID:oP6bFkt0
>>484
松平家に養子に出したケース。
家康の息子である忠吉や忠輝も同様。
0486人間七七四年2012/01/14(土) 20:45:35.38ID:HGLlLkCk
御三卿も新しく家を起こしたんじゃなくて、三河以来の松平の家に養子を押し込んだの?
あと、会津のケースは?
0487人間七七四年2012/01/14(土) 21:02:35.32ID:oP6bFkt0
>>486
御三卿は、基本的に徳川を名乗ってるけど、2男3男などは
松平家に押し込んでる。

会津の初代は秀忠の隠し子保科正之。松平性を与えられて
子孫は松平を名乗る。 (結城秀康と同じパターン)
0488人間七七四年2012/01/14(土) 23:26:09.92ID:HGLlLkCk
ああ、会津松平は徳川の子どもだから松平、じゃなくて、保科家に松平の姓を与えたのか。
秀吉の豊臣大安売りみたいなもんね。
ありがとう、だいたいわかった。
0489人間七七四年2012/01/15(日) 08:58:44.51ID:Z3q2/nh7
同時代的に言うと松平は土豪的な一族名で
どこにどう馬の骨がいるかわからない。
だからその一族の中できっちり「家康直系」という
特別な価値を明確にしたのが「徳川」姓。

だから徳川の子供でも安っぽくつけなくて「徳川」
を名乗ることは松平一族の中で「特別な価値」があるということが
わかるようになってる。

御三卿が徳川を名乗ったのはこれは異例なことで
吉宗が家康ー吉宗系統で将軍職を独占しようとした
その作戦の一環というのがよりわかりやすい理解。
だから長男以外は普通の松平にされちゃうのね。

平氏の中でも清盛直系だけを「平家」というように
松平だけでは何がどうかわからないイナカッペだから
初代「徳川家」という特別なくくりにした、という感じ。

これを20代前半で実行したのだから当時から天下取りの意思があった
とすると誤解が生じるけどさすがではあるな。

それと上の方でおかしな展開が続いてたけど、
徳川改姓は源氏としては朝廷から認められず藤原家としてなら
ということで認められた。例のチリ紙に書いた系図ね。
だからずっと署名は藤原家。

ここでよく誤解があるけど、藤原家として、ということは
出自がはっきりしない、という代名詞みたいなもので
所謂正統公家的な藤原家の子孫として認められたという
解釈ではない。

これは現在でもそうで藤原さんは子孫でもなんでもなくて
近衛さんとか九条さんが藤原直系になる。
長くてごめん。
0490人間七七四年2012/01/15(日) 09:44:32.52ID:QtimRa22
>>489
御三卿は、嫡男だけが徳川なんて事は無い。

ついでに言うと、御三卿は他家乗っ取り要員。
場合によっては自家が断絶しても、他家に養子に出してしまう。


0491人間七七四年2012/01/15(日) 10:59:14.28ID:L4NFrw4P
御三卿はあくまで将軍血統保存要員だよ
御三卿は実質的に領地を持っていないので、当主のみの家であり
子供が大勢生まれた場合は家督相続者以外は養子に出してしまうしかない
将軍家や御三家が後継者を求める場合は空き家にしても養子に出し、再び将軍家や御三家から養子を迎える
の繰り返し

つまり嫡男だけが徳川姓と言うか嫡男しか家に残らないから結果的に一人しか御三卿の徳川を名乗るものはいたかった
また、他家を乗っ取る為にあるわけでもない
あくまで将軍家と御三家の保存が目的
過剰人員を他家に送り込んだだけで、空き家にしてまで養子に入る場合は将軍家か御三家に限られる
0492人間七七四年2012/01/15(日) 13:59:55.76ID:+cCu7CY2
しかしアレだな、とっくの昔に三河武士が全国に拡散してたワケだから、家康の日本統治など楽勝だわなw

室町幕府樹立後(初期)、西三河人の日本支配構造

【東海道】
・伊賀国守護:仁木義直、細川清氏、仁木義長
・伊勢国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・志摩国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・尾張国守護:中条秀長
・三河国守護:仁木頼章
・伊豆国守護:石堂義房
・遠江国守護:今川範国、仁木義長、今川範氏
・駿河国守護:石堂義房、今川範国、今川範氏
・武蔵国守護:仁木頼章
・安房国守護:斯波家長

【畿内】
・摂津国守護:仁木頼有、細川繁氏
・和泉国守護:細川顕氏
・河内国守護:細川顕氏

【北陸道】
・若狭国守護:斯波(大崎)家兼、斯波高経、斯波氏頼、細川清氏、石橋和義
・越前国守護:斯波高経、細川頼春、斯波氏経
・能登国守護:吉見頼顕、吉見頼隆         ← 吉見氏は源三河守範頼を祖とする三河ゆかりの氏族
・越中国守護:吉見頼隆、細川頼和、斯波高経
0493人間七七四年2012/01/15(日) 14:00:28.35ID:+cCu7CY2
【東山道】
・奥州探題:斯波(大崎)家兼
・羽州探題:斯波(最上)兼頼
・下野国守護:斯波頼兼
【山陰道】
・丹波国守護:仁木頼章、仁木頼夏
・丹後国守護:今川頼貞、荒川詮頼、上野頼兼、仁木頼章
・但馬国守護:今川頼貞、吉良貞家、仁木頼勝
・伯耆国守護:石橋義和
・石見国守護:上野頼遠、上野頼兼、荒川詮頼
・因幡国守護:吉良貞家、今川頼貞
・伯耆国守護:石橋和義
【山陽道】
・備中国守護:細川頼之
・備後国守護:仁木義長、石橋和義、細川頼春
・安芸国守護:細川頼之
【南海道】
・紀伊国守護:細川氏春、
・淡路国守護:細川師氏、細川師春
・阿波国守護:細川和氏、細川頼春、細川頼之、細川頼有
・讃岐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
・伊予国守護:細川頼春、細川頼之
・土佐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
【西海道】
・九州探題:一色範氏、一色直氏、細川繁氏、斯波氏経
・筑後国守護:一色直氏
・肥前国守護:一色直氏、一色範光
・肥後国守護:一色直氏
・日向国守護:細川頼春、一色直氏、一色範親
0494人間七七四年2012/01/15(日) 14:10:21.39ID:+RRuyb8v
よめんよめん結論だけ言ってくりー
0495人間七七四年2012/01/15(日) 19:20:30.79ID:iOK384lB
三河武士は雑魚ばっかり
0496人間七七四年2012/01/16(月) 01:52:28.81ID:C//vCHAb
そもそも〇〇武士ってのがナンセンス
元を辿ればみんなアフリカ武士だし、現状なら今住んでいる場所を名乗るべき
都合の良い期間だけ抜き出す事になんの意味があるんだ
0497人間七七四年2012/01/16(月) 03:40:33.76ID:p3WWGfbB
>>489
解りきったことを長々と書くなバカタレ!
0498人間七七四年2012/01/19(木) 07:25:05.05ID:/bUxtqof
>>497
かなり間違ってるだろ
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